「それじゃ、これが本日分の給料ね」
ついに訪れた人生初の仕事当日。先払いという形でプロデューサーからお札を五枚ほど受け取り、ズボンのポケットに仕舞い込む。
今日からピチピチのスーツを着るはめになると思っていたものの、ありがたいことに服装は自由だった。これはマジで助かる。
改めて仕事の内容をまとめると、アタシが今いる事務所内の警備と社員の護衛。前者は比較的楽だが、後者はまだわからない。
というかボディーガードってこれかよ。社員の護衛って何だよ。警備とどう違うんだよ。
「みんな大事な社員だから死ぬ気で護りなよ?」
「はぁ……」
真剣な声でそう言うと、プロデューサーはすぐ近くにあった事務室へ入っていった。警備員という立場上、室内に入るのはダメらしい。
ずっと立っているのもあれなので、とりあえず意外と広い事務所の構造を把握するべく、軽い運動も含めて廊下を歩いていく。
プロデューサーから自由行動の許可は下りてるため、特に問題はなかったりする。まあ警備員だしそれくらいはしてもらわないと。
階段を上がって三階にたどり着き、廊下へ出た途端に三人の男とすれ違った。もちろん、前にボコった奴らとは別人だ。
「…………」
「ヴェルサ君?」
連中とすれ違い三歩ほど歩いたところで、男の一人がヴェルサという名前を口にして足を止めた。呼ばれたヴェルサの方も立ち止まっている。
アタシも振り向かずに立ち止まり、視野を広げて男達の姿を捉える。栗色の髪とサングラスが特徴的な男がこちらを見つめており、他の二人が彼に声を掛けていた。
まーあれだ。こっちを見ている男がヴェルサで間違いないだろう。外見的にある種のモデルみたいだと思ったアタシは絶対に悪くない。
ただ……ちょっとした違和感がある。まるで自分のテリトリーを汚された動物に殺す勢いで睨まれたかのような、そんな違和感が。
「どうかしたのか?」
「…………別に」
お連れに適当な返事をすると、ヴェルサは静かに止めていた足を動かし歩き出す。お連れの二人も後を追うように去っていった。
彼らの姿が見えなくなったところでアタシも再び足を進め、廊下を徘徊していく。いつ呼び出されるかわからないからな。できれば今日中に事務所の構造把握を済ませたい。
「っと、行き止まりか」
廊下の端まで来たところで引き返し、さっきすれ違った三人のことを思い出す。
二人の方はともかく、ヴェルサだけ明らかに他と雰囲気が違った。あんなに黒いもんを纏っている奴はさすがのアタシも初めてだ。
殺し屋じゃなければ、あっち側の人でもない。どう表現すればいいのかわからないが、何かの機会を窺っている梟みたいだった。
「一旦戻る――」
「おっ、いたいた!」
「――ん?」
声がした方へ振り向くと、プロデューサーがこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。どうやらアタシを探していたらしい。
アタシが片眉を吊り上げながら「何か?」と問い掛けると、彼はさっきと同じくらい真剣な表情になって一言だけ告げてきた。
「ふぅ……護衛の時間だ」
「…………」
「…………」
どういう反応をすればいいのかわからないとはまさにこの事だ。
アタシは今、三階の廊下ですれ違ったヴェルサと社員の男二人と共に仕事用の車に乗っている。まあ仕事自体はさっき終わったところだが。
今回の仕事は借りたお金を期日までに返済せず、事務所の電話も無視した人から直接もらいに行くというものだったが、内容が酷すぎる。
目的の人が住んでいる街の道路で待ち伏せし、それらしき男性が通りかかったところを強襲。その人も最初は逃げ出したものの、最後は行き止まりに突き当たってしまい確保された。
お金を返すだけなのにどうして逃げたのか疑問に思っていたが、男性がリンチされ始めたのを見てすぐにわかった。そして確信してしまった。
ああ――ここ闇金融だったのね、と。
結局、リンチされた男性は顔面が血だらけになったものの返せるだけのお金はなかったようで、また後日ということでようやく収まった。
見ているこっちは日頃行っている資金の調達を思い出させられた。少なくとも、いい気分ではない。腐った自分の姿にも見えたからだ。
一番の実行者であるヴェルサは隣で呑気に焼き鳥を頬張っており、まるで何事もなかったかのように我が物顔で振舞っている。
「…………クソガキ」
気分が悪いので早く事務所に着かないのかと考えていると、いきなりヴェルサに声を掛けられた。しかも彼はこっちを見ていない。
アタシが聞いていないと思ったのか、もう一度「おいクソガキ」と今度は低い声で話し掛けられた。誰がクソガキだコノヤロー。
「……あァ?」
「お前いくつだよ?」
「…………15」
「おいおい、マジでガキじゃねえか」
と、焼き肉の串を押しつけてくるヴェルサ。思わず拳を振るいそうになるもギリギリ我慢し、そっぽを向くことで怒りを抑える。
しかし、それでもムカつくことに変わりはないのでグイグイと頬に押しつけられる串を払い退け、嫌々ヴェルサの方へ振り返った。
正面から見た彼の顔は嫌な感じに笑っており、『殴りたい、この笑顔』という言葉を見事に体現していた。ぶっちゃけ潰したくもなるぜ。
「押しつけんじゃねえよ汚えな」
「はっ、身ぐるみ剥ぐぞクソガキ」
「殺すぞテメエ」
さすがに我慢できなかったので反射的にヴェルサの胸ぐらを掴み、少し引き寄せて睨みつける。人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって。
乱暴に胸ぐらを掴まれても怒るどころか、さらに口元を歪めるヴェルサ。一体何がしたいんだコイツは。考えが全く読めない。
いつまでも掴んでいるわけにはいかないので胸ぐらを掴んでいた手を離し、とりあえず聞いておこうとある質問を投げかける。
「……さっきのアレは何だ」
「ビジネス」
「チッ、くだらねえ」
そんなくだらない単語を当たり前のように言うと、ヴェルサはこちらへの関心を失くしたのか残っていた焼き鳥を一気に頬張る。
このあとアタシらを乗せた車は無事に事務所へ到着し、アタシはプロデューサーから追加でお札を五枚ほど受け取って人生初の仕事を終えた。
はぁ、こんなのが毎日続くのかよ……。勧誘されたあの日にプロデューサーが言っていた『厄介事が多い』という事情だが、そりゃ多いだろ。だってここ闇金だもの。
「憂鬱だ……」
翌日。今日は学校も仕事もない、文字通りの休日だから我が家でゴロゴロしている。ブラックな闇金であっても休みはあったのだ。
すぐにでも辞めたいところだが、一週間も経っていないのに辞めると逆に目をつけられる可能性があるから迂闊に動けない。
まさか人生初の就職先がブラックな闇金融だなんて夢にも思わなかった。これでアタシも裏への第一歩を踏み出してしまったのだろうか。
一服しようとベッドから起き上がり、机の上に置いてあるタバコを口に咥えライターで火をつける。とりあえず気を取り直そう。
「タバコは身体に毒やって、何回言うたらわかるんよ?」
口から紫煙を吐いていると、胡坐を掻きながら人の漫画を勝手に読んでいるエレミアに注意された。もう聞き慣れたつったろうが。
ついさっき狂ったかのように慌てて我が家にお邪魔してくるや否や、
『なんで
とかほざいたエレミアだが、時間が経った今ではだらけるようにゆっくり過ごしている。左腕には包帯が巻かれており、少し痛々しい。
本人の話によれば左肩の骨にヒビが入るほど関節を痛めたらしく、インターミドルに関しても途中欠場せざるを得なくなったとのこと。アタシは決して悪くない。実際に合理的とか言い出したのはエレミアの方だし。
肩骨のヒビは治りつつあるが、腕も痛めているので包帯はそのままにしているらしい。らしいってのはエレミアから聞かされた話であり、アタシが直接確認したわけではないからだ。
後、しばらくはエレミアという呼び方でいこうと思う。元々そんなに仲が良かったわけじゃねえし、仲良くなりたくもねえし。
「そういやサツキ」
「あ?」
「就職先はどこなん?」
普通の金融会社だと思ってたら、実は闇金融でしたとか正直に言えるわけねえだろ。どうして質問の内容がそんなにピンポイントなんだよ。
ていうかコイツ、場所を聞いてくるってことは職場に来る気か。冗談じゃねえぞ。巻き込むまいとクロにすら詳しいことは教えてないのに、アタシの努力を無に帰したいのかお前は。
「教えねえよ」
「何でや?」
「何でもだ」
適当にはぐらかしつつ、彼女の頭を乱暴に撫でる。こうしてみるとエレミアがアタシよりも年上だなんて嘘に思えてくる。
アタシが就職したのを知っているのはクロとハリー、そしてこのエレミアだけ。まあハリーが他の奴らにも広めてそうだが。
この調子だと、コイツ以外にはヴィクターやシェベル辺りが訪ねてきそうだな。下手をすればガキんちょにも知られてるかも。
はぐらかされたのが気に入らなかったのか、エレミアはムスッとした顔になると部屋の隅に置いてあった掃除道具を、何故かアタシの頬に押しつけてきやがった。
「おいやめろ」
「ええやん別に。減るもんちゃうし」
「減るんだよ」
精神的な余裕が。
「
「アタシが大丈夫じゃねえんだよボケッ!」
「ぶふっ!?」
昨日とは違い仕事中じゃないのでエレミアの顔面へ容赦なく拳を叩き込み、掃除道具を取り返してさらにもう一発ぶん殴る。
やっと殴れたという達成感とムカつく奴を殴れたという爽快感がアタシの中で湧き上がり、思わず頬を緩めてしまう。
そしてそれを見たエレミアが怒って可愛らしく頬を膨らませ、駄々を捏ねるように両手を振り始めた。いや、あれはマジで駄々捏ねてるな。
そのエレミアを脳内でクロに変換し、ちょっと似合わなかったので頬を引きつらせる。ないない、アイツが駄々捏ねとかないわ。
「まったく、こっちは大事な話があるから一日掛けて猛ダッシュで来たっちゅうのに……」
「ならその大事な話とやらをさっさと言え」
「わかった。わかったから拳を引っ込めてほしいんよ」
そう言われて渋々振り上げていた拳を引っ込め、エレミアの顔に視線を向ける。真剣な表情になっているということはガチだろう。
「――いい加減、ケリつけよーや。10月31日の午後、山林地帯の近くにある平原で」
「…………いいぜ。上等だよ」
こうして、エレミアとの第四ラウンドがほぼ二つ返事で決まった。しかも日付けが地球でいうハロウィンじゃねえか。
おそらく最後になるであろう彼女との真剣勝負。今度こそ、今度こそ本当にケリをつけてやる。引き分けもなしだコノヤロー。
何とかその日まで生き延びようと密かに決意しつつ、アタシは左手に持っていたタバコを一口吸って紫煙を吐くのだった。
《今回のNG》TAKE 31
「
「アタシが大丈夫じゃねえんだよボケッ!」
「ぶふっ!? で、でもサツキ、この前減らないからいくらやっても大丈夫ってごぶるぁっ!?」
「勝手に捏造するなドアホッ!」
それはトランプなら何度やっても大丈夫、というのであり決してそういう意味ではない。