「ふぅ~……」
一息ついて脱力した自然体の構えをベースにして四つん這いに近い体勢を取り、警戒するように守りの構えを取ったビスタを観察する。
どうやら攻・守・迎と状況に合わせた構えがあるみたいだな。にしてもあの構え、どう見ても攻性防御のそれでしかない。
身体を微かに揺らし、ビスタがピクッと反応した一瞬の隙をついて突撃。右の拳で腕と腕の間から顔を殴りつけ、繰り出された鋭い蹴りをわざと転倒することでかわすと同時に、伸ばしきった右脚を顔面にブチ当てる。
そして仰向けに倒れるもすぐに両手を使って起き上がり、両腕で顔を守るビスタへ前回し蹴りを放ってガードごと彼を吹っ飛ばす。
「っ……ざけんなオラァ!」
華麗に着地し、目にも止まらぬ速さで漫画のような拳と蹴りのラッシュを繰り出すビスタ。しかし五感が研ぎ澄まされた状態で両目が見えるようになった今、アタシにはそれが止まって見える。
一つ一つを最小限の動きでかわしていき、突き出された右拳が顔面に当たるよりも先に左のクロスカウンターをブチ込み、怯んだところへ前方宙返りからの浴びせ蹴りを入れた。
顔面を押さえて後退するビスタに追い討ちを掛けるため、獣の如く低空姿勢で詰め寄って跳び掛かり、両手で頭を掴んで左膝を顔面に突き刺す。
さらに休むことなく体勢を崩して仰向けに倒れたビスタの鳩尾を踏みつけ、無理やり起き上がらせて裏拳の連打を叩き込んだ。
「おいもう終わりかよ?」
「るせえなクソアマっ!」
追い込まれていることもあってか、煽りへの耐性がないビスタは怒りに任せて痛めているはずの右で綺麗な正拳突きを放つ。
アタシはこれをかわしてから迫り来る左の拳を踏んづけて跳び上がり、彼の後頭部を蹴りつけ上手く着地する。次にこっちへ振り向いた瞬間を狙ってハイキックを繰り出し、軽くジャンプして上から右拳を振り下ろした。
よろめきながら壁にぶつかり、傷だらけになった顔を袖で拭くビスタ。その間にも四つん這いに近い体勢を取り、獣のように身体を揺らす。
「グルル……」
「獣みたいに唸りやがってぇ……!」
どうもアタシの構えと雰囲気が気に入らないビスタはかなりイラついており、頭を掻きむしるように抱えてから開いていた間合いを詰めてきた。
今のところ表には出ていないが、実は結構疲れていたりする。少なくとも、気を緩めたら膝をついてしまうほどには。
感覚と意識を獣のそれに切り替え、獣じみた動きも可能にするこの状態――野獣モードは体力よりも精神力を大幅に消耗する。なんせ人の身でありながら獣になっているうえ、発動するには五感を最大限に研ぎ澄ませる必要があるからな。
ちなみに野獣モードって名前は今つけた。野生の獣、略して野獣。単純だが呼びやすい名称だ。最近はあんまり使ってなかったし、そもそも使う機会が非常に少ない。もしかしたら今回限りかもしれないな、これを発動させんのは。
「■■■■■■■■!!」
獣の如き咆哮を上げながら地面を蹴り、宙を切り裂き回転しながら左腕を構える。
対するビスタも攻性防御の構えを取り、立ち止まってアタシを迎撃しようとする。
このままだと向こうの攻性防御が成功してしまう。でも、今やっている動作をキャンセルすることはできない。それなら――!
「ドラァッ!」
「ぐ……っ!?」
構えていた左拳を一刀両断の如く振り下ろし、ビスタが突き出した左の肘をあえてぶん殴る。
アタシの拳とビスタの肘から骨の軋むような音が聞こえ、互いに顔を歪めてしまう。
それでも血が出るほど拳に力を入れることで攻性防御を押し切り、
「ガァァァッ!」
左の肘を破壊してビスタを殴り倒した。
その衝撃で床にヒビが入り、血反吐を吐きながら壊れた左肘を押さえ倒れ込むビスタ。
着地すると同時にふらついて倒れそうになるも、両手を膝の上に置いてギリギリ堪えた。
「――はぁ、はぁ……!」
今までほとんど感じていなかった疲労が、野獣モードを解除した瞬間にどっと押し寄せてきた。そのせいで精神的にもヤバイ。
まあ、やっと終わったわけだ。少しは気が晴れるぜ全く……。
一気に乱れた息を整えつつ、左肘を押さえながら苦しそうに踞るビスタの元へ歩み寄り一言。
「これがヤンキーだ」
彼を見下ろしながらそう告げ、西へ沈んでいく太陽に目をやる。そこには昼休みに見たときとは比べ物にならないほどの、壮大な景色があった。
ああ、そっか……これがてっぺんに登ってから見る本当の景色なのかもしれない。
あまりにも綺麗なその景色に見とれていると、グラウンドを始め学校中が騒がしくなっていることにようやく気づいた。そりゃこんだけ派手にやり合えば嫌でも注目を集めてしまうわな。
「んじゃ、後は任せたぞ後輩」
「はは……そりゃないっすよ先輩……」
今日のところは面倒なことを敗者に押しつけ、パイプを伝って屋上から離脱する。
まずは帰って寝よう。どうせ明日になれば責任の大半はアタシに来るのだから。
学校の外に脱出し、ポケットからいつものように取り出したタバコにライターで火をつけた。
「……お疲れ様」
「あ?」
いきなり隣から聞き慣れた声が聞こえてきたかと思えば、いつの間にか魔女っ子のクロがアタシの隣を歩いていた。
珍しいな。コイツが放課後のアタシを迎えに来るなんて。普段は我が家にいるか、後からやって来るかの二択なのにどういう風の吹き回しだ。
白い煙を口から吐きつつ、さっきからジト目で睨んでくるクロに話しかけてみる。
「用件は?」
「どうせサツキの考え事なんてこんなことだろうと思ったから、迎えに来ただけだよ」
どうせって何だゴラ。ていうか、迎えに来て何がしたいんだお前は。
身体がふらついて壁にもたれ掛かってしまい、痛みで顔が歪む。クソッ、後から響いてくるダメージってのはキツいもんだな……。
壁に右手を当ててふらつく身体を支えていると、左から誰かが肩を貸してくれた。
「…………誰だお前」
とりあえず礼を言おうと肩を貸してくれた奴に視線を向けると、アタシより少しだけ背が低い金髪美女がそこにはいた。
外見はクロを成長させた感じで結構大人びている。うん、誰なのコイツ。
金髪美女は首を傾げると、きょとんとした顔で口を開いた。
「どうかした?」
「お前クロか」
変身魔法を使ったクロだった。声が幼女のときと全然変わらないからすぐにわかったよ。
「元の姿だと支えられそうにないから
「やかましい殺すぞゴラァ」
人に体重のことでどうこう言われる筋合いはない。太ってるわけじゃないし。
右手に持っていたタバコを吸い、大人モードのクロに支えられながら歩く。
……そういや晩飯どうしよう。当然だけど作る気力もないからなぁ。
「言っとくが、飯はねえぞ」
「いらない。それにいざというときは私が作る」
「おいやめろ」
嫌な予感しかしねえ。
「何してんだよお前は……」
ビスタとタイマンを張った日からちょうど二日後。アタシは三日間の自宅謹慎となり、ビスタも期限はわからないが停学となった。
本来なら停学になるべきなのはアタシだが、どうもアイツに庇われたらしい。いろいろやらかしたわりには結構軽い処罰だしな。
今はハリーが差し入れを持ってきたところだ。甘い匂いがする。
「何ってそりゃお前――ケンカだろ」
「当たり前のように言うな」
当たり前だから仕方がない。
「ケンカするなら試合でも良いだろ。なんでわざわざリアルファイトするんだよ」
「なにお前? 今度は全世界の不良にケンカ売ってんの?」
左手の怪我が治っていたら今すぐコイツをボロ雑巾にしているところだ。
ポケットから一枚の用紙を取り出し、ハリーに渡す。危ない危ない、忘れるところだったよ。
「これ先公に渡しといてくれ」
「ん? これって進路調査の――」
【ヤンキーはヤンキーにて死すべし】
「――アウトだアウト! こんなの先生に見せられるか!」
「いいから渡しとけ」
アタシなりに将来を考えたが、これしか出てこなかった。お先は真っ暗だ。
それにしても、今日は天気が悪いな。さっきから雨の音が激しくなってるよ。そのせいで洗濯物は室内に干さなければならない。
差し入れも受け取ったことだし、ハリーにはお引き取り願いましょうか。
「ほら帰れ」
「おい待て押すな――」
無理やり外へ追い出し、玄関の鍵を閉める。これで面倒なのは消えた。
タバコを吸いながらリビングへ行き、テレビを見ながら座っているクロの隣に腰を下ろす。
差し入れの中身は……あれ? ハチミツ?
「なんでハチミツ……」
「は、ハチミツ……!」
ハチミツの匂いを嗅いだ途端に目を輝かせるクロ。この野郎、甘けりゃ何でもいいのかよ。
しかし困った。このハチミツの使い道がわからない。そのまま頂くにしても甘すぎるしな。
地球だとホットケーキに挟んだり、焼いた食パンに塗ったりするハチミツ。こっちじゃどういう使い方をしているのだろうか。
「おいクロ。これはどうやって使うんだ?」
「舐める」
「……そのまま?」
「そのまま」
ダメだこりゃ。そう思ったアタシはクロにハチミツを渡し、灰皿にタバコを押しつける。
周りを見渡してみると、主人のクロを放ったらかしにしてプチデビルズが一部の家事を勝手に行っていた。主に洗濯と掃除。
今年のインターミドルについて考えながら、今朝の食器を洗うのだった。