その後、何だか気恥ずかしくなって「飲み物を取りに行ってきます」と言って下に降りると、待ち構えていたアルゴに出会った。
「よオ、ハチ。待ってたヨ」
「ああ、成功報酬だったか」
アルゴに払う依頼金は前払いで半分、事が起こったら後払いでもう半分、という契約だった。
言われた通りにコルを払おうとウインドウを操作していると、後ろから声を掛けられる。
「――ねえ、なんの成功報酬?」
「は、ハルっち!?」
「ハルさん……何で下に?」
「うーん、私もなんか飲もうかなーって思って」
……完全に気を抜いていた。
この事はハルさんには知られちゃいけなかったのに……!
「で、アルゴに何の依頼をしたのかな?」
「いや、その……あれですよ、ある女性プレイヤーの情報をですね――」
「――ふうん?」
おい、なんてものを選んだんだよ俺。
それ絶対選んじゃいけなかった選択肢だろ。
ハルさんの視線が絶対零度だし。
笑顔なのに寒気しか感じないし。
と、ハルさんはその視線をフッと緩めた。
「ねえ、ハチマン?私は別にハチマンが女の子の情報を金で買うようなド変態なままでいたいって言うなら無理強いはしないけどさ。隠し事は、もうしないで欲しいなぁ……」
その言葉と、その瞳を見て。
俺は溜息を吐いた。
「……分かりました」
そしてウインドウを操作する。
「ほら、アルゴ。残り半分だ。他の奴には幾ら積まれても言うなよ?」
「オレっちは情報屋だから約束は出来ないナー。まあ、ハチの払った口止料以上のカネを払う奴はいないと思うけどナ」
そう言ってから、耳元に口を寄せる。
「なア、いいのカ?あれだけハルっちには隠そうとしてたのニ」
「まあ、もう終わったことだしな。最悪俺が怒られるだけで終わる」
俺の言葉に、アルゴは小さく「そうカ」と呟いてハルさんの方を向いた。
「なあ、ハルっち。ハチマンなりにハルっちのことを考えた結果だから、あんまり怒らないでやってくれヨ」
「聞いてみないとわからないけど……それは分かってるよ」
「そうカ……ならいいんダ。じゃ、オイラはそろそろ行くヨ」
言うや否や、SAOでも2番目の敏捷値を誇ると推測される――当然1番は俺だ――健脚を飛ばして去っていった。
――さて。
「飲み物取ってきますんで、先に上戻っといて下さい。何がいいですか?」
「ハチマンに任せ――オレンジジュースでいいよ」
「分かりました。……何で任せるのやめたんですか?」
「コーヒー入り練乳飲料を好むような人のチョイスは信用出来ないから」
「……他人に渡すんだから、無難なのを選びますよ」
どうだかね、と言ってハルさんは笑いながら戻っていった。
それを見送って、一人天を仰いだ。
「……ああ、MAXコーヒー飲みてぇ……」
◆ ◆ ◆
再び時計塔の上に戻ると、ハルさんは一人静かに刀を振っていた。
――いつか見たのと同じ、美しい舞にも似た流れるような動き。
俺は図らずも、それに目を奪われた。
「――ハチマン、どうしたの?」
笑いを含んだその声に、自分が固まっていたことに気付く。
「いや、相変わらず綺麗な動きだなと思いまして」
そう答えると、ハルさんは「ふうん。まあいっか」と笑みを浮かべながら一応引き下がった。
こっそりと安堵の息を漏らしながら、注文されたオレンジジュースを渡す。
隣に座ると、今度は自分の飲み物を取り出した。
「何にしたの?」
「俺ですか?飲んでみれば分かりますよ」
そう言って手渡す。
ハルさんは毒々しいピンク色のその飲み物を気味悪そうに――尤も、このアインクラッドにおいては見た目と味は必ずしも一致しない――眺めていたが、思い切って一口含む。
そして、何とも微妙な表情を浮かべた。
「なんか薬品っぽいというか、炭酸の入った杏仁豆腐というか……」
まあ、初めて飲むならその反応で大体あってる。
「多分、現実世界で一番近い飲み物はドクター○ッパーですね。聞いたことありません?」
「ああ……話には聞いたことあるよ」
何ともげんなりとした顔である。
この人のこんな表情は中々珍しい。
流石はド○ぺ先生……これ先生が被ってるな。
返されたド○ぺ擬きを美味しそうに飲む俺を不気味なものを見る目で見ながら、ハルさんがぼそりと呟く。
「何でここって、こんな微妙な味の食べ物が多いのかなあ……」
「さあ……製作者の趣味ですかね」
慣れればこの味無しでは生きていけない身体になるんだけどな……なんてどうでもいいことを思考の端へ追いやり、口を開いた。
「さっきの話ですけど」
ちらりと見ると杯を手で弄りながら無言で先を促すので、そのまま続ける。
「アルゴに頼んだのは、軍の監視です」
それだけで全てを推察できたのか――いや、元々この問答自体が単なる確認に過ぎなかったのかもしれないが、それを聞いたハルさんは溜息を吐いた。
「……だから、真っ先にボス部屋に駆けつけられたんだね。軍に不信感を持ったのは攻略会議の時?」
「はい。それまでも不満を募らせていたのは分かってましたが、そろそろ噴火すると判断したのはその時です」
「私に言わなかったのは?」
「他のプレイヤーに知られた時のことを考えると……」
「順調に回ってる今の仕組みが壊れるかもしれない、か」
ハルさんは杯を弄っていた手を止め、真っ直ぐ俺を見る。
「同じ理由で私も自分では動けなかったから、そういう意味では助かった。でも――」
「――痛ッ」
ハルさんはHPが減らない――つまりはアンチクリミナルコードが発動しない――ギリギリの強さで、俺の頭を小突く。
そして、肩を掴んで俺の目を覗き込んだ。
「せめて一言、言ってくれても良かったでしょ?そうしたら私だってそれとなく戦闘準備を整えさせることもできたし、ハチマンの援護にももっと早く行けた。そしたら、あんな危ない目に会うことにもならなかったのに」
「……そうですね。危ない目に合わせちゃってすいません」
脳裏にぐったりとしたハルさんの姿が浮かび、頭を下げる。
と、ハルさんは予想に反してより不機嫌そうな表情になった。
「別に私のことを言ってるんじゃないの。あと少しでも早くボスから攻撃されてたら、君は今ここにはいなかったんだよ?」
……どうやら俺の心配らしい。
「その時は……まあ、俺が死んだら喜ぶ人も多いんじゃないですかね」
「ハチマン!!」
今度こそ、ハルさんは本気で怒っているようだった。
「君が今まで送ってきた人生の中で何を感じ、何を考えてきたのかは分からないし、その気持ちが分かると言うつもりもないよ」
その強い視線にたじろぎながらも、俺はその言葉に心の内で頷く。
俺も、そんなことは言ってほしくない。
俺の人生は俺だけが経験したもので、他人が幾ら似たような境遇だったり推測したりしたところで、全く同じ人生を送っているわけではない以上、本当にその気持ちが理解出来るはずなどあるわけが無いのだから。
「だから理解しているとは言わないけど、君が、特に他人からの好意に関する自己評価が低いのは見てれば分かる。それでもね、ハチマン。少なくとも私は君に示したはずだよ」
その言葉に、ハッと目を見開く。
そうだ。
少なくともこの人は、俺を自分の身を挺してまで救おうと思ってくれたのだ。
「……すいません。何というか、こういう思考が染み付いてまして」
謝ると、ハルさんは溜息を吐いた。
「謝罪なんかいらないよ。というか謝る相手が違う」
相手が、違う?
今の話にはハルさんしか出てきてないんだから、ハルさん以外に謝る相手なんかいないと思うんだが。
戸惑っている俺の様子に、ハルさんは処置無し、というように首を振った。
「まあそれはまだ良いけど、代わりにちゃんと覚えておいて。私はハチマンに死んでほしくない。生きてゲームクリアを迎えたいって」
「……はい」
目を閉じて、ハルさんの言葉を心に刻み込む。
慣れた思考回路を変えるのは中々難しい。
だが、せめてこの言葉を常に忘れないように。
目を開くと、ハルさんの苦笑が目に写った。
「なんだか、暗い空気になっちゃったね」
せっかくの宴なのに、というハルさんの言葉に、そういえば第25階層突破のお祝いだったな、と思い出す。
「まあ、良いんじゃないですか?こういう空気の中で飲むのも」
「……そうだね。お酒があったらもっと良かったのになぁ」
「俺、未成年なんですけど」
ははは、と笑いながらハルさんは手に持つ杯を掲げた。
「今更だけど、乾杯しよっか」
「そうですね」
杯を持ち上げ、軽くハルさんのそれとぶつける。
「「乾杯」」
お読みいただき、ありがとうございました。