幻想RI!神主と化した先輩   作:桐竹一葉

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遅れて済みませんでした許してください何でもしますから!(出落ち

今回は文字数が12,000程に嵩んでしまいました(憤怒
バトルが絡むとこうも嵩むなんて、いやーキツイっす……平均文字数600位上がっちゃうヤバイヤバイ……



フェミニスト先輩

「さて、準備は宜しいでしょうか?」

 

赤き霧の覆う空の下、美鈴は鮮やかな赤の髪を簡易に結わき構えを解かぬままに、前方に佇む浩二に問う。対峙する彼は見るからに無防備で、全身を脱力させだらりと身体を垂らしていた。

一見すれば、まるで戦う気の無いような浩二の姿に、然れど美鈴は警戒心を露わにしている。

常人からすれば気怠げな様態を呈してはいるが、美鈴という中国拳法の達人からすれば、それが如何に戦闘に適した構えであるかなど、それこそ一目で察する事は出来た。

 

「いつでも良いよ、来いよ」

 

そうも警戒心を露わにするものだから、そう気軽に答えた浩二も、恐らく脱力したその構えが如何なる目的によるものか悟られたのを理解しているのだろう。彼の構えは、斯様な状況では些か当て嵌まるかどうかは怪しいが、柳生新陰流なる剣術で言う『無形の位』に相当するものだ。

 

「……故意ですか?だとすれば、随分と性格の悪い」

「なんのこったよ(すっとぼけ」

 

目を細めて小さく呟いた美鈴に、浩二は惚けた口振りで答えるだけだった。

『無形の位』、それは柳生新陰流での剣の構え方にして、刀の極致と謳われる奥義でもある。

全身を脱力させ、一見無防備なままに自らを相手の眼前に晒す。しかし、ただそれだけの事などと一笑に付す事が出来るのは、武を知らぬ者に限るだろう。脱力した状態というのは、人体が稼働するにあたって、最も都合の良い状態なのだ。凝り固まった不自然な身体では、本来の力が存分に発揮されない。しかし敵を前にして、尚且つ戦いを前にして完全に脱力するというのは、言葉にすれば簡単で

然れど実の所酷く成し得難い事である。

 

「幾ら手合わせとは言え、その自然体……余程場数を踏んでいらっしゃると、お見受けします」

「はぇー、しっかり見抜いてるなんて、やりますねぇ!(惜しみなき賞賛」

 

そう。今から戦わねばならないのだ、という気負いは、得てして人間の身体を不自然にさせる。

詰まり、凝り固まらせる。緊張で固まった状態などは日常に於いてもよくある話だが、あの状態で50mを走るのと、適度に気の抜けた状態で走るのと、何方が速いかと言うならそれは自明の理。

言うなれば、凝り固まった身体が自然な動きを阻害してしまうという事だ。この時点で、浩二の構えは戦闘に適している事が分かる。しかし、それだけではない。

無形というのは、構えが無いという事。では構えが無いという事はどういう事か。

 

「あらゆる攻撃に対して、千変万化かつ自由自在に対応出来る。最初に会った時から只者でないとは思っていましたが……貴方も武術を?」

「俺も結構生きてる方だし、何より運動しか脳が無いから、まぁ多少はね?」

「運動なんてレベルでは無いでしょうに。それがどれだけ難しい事か、私でも分かりますよ」

 

構えが無いという事は、其処からどのような攻撃が繰り出せるか、どのような反撃が、どのような防御がーーどのような行動が取れるか、非常に察し難いという事。無論そんな構えが、誰であっても使いこなせるわけでは無い。戦闘を前にして、一切の緊張を意のままに操れる者。無形の位からの機敏な行動を可能にするだけの身体能力。その二つが必要不可欠になるのだ。

 

「……はぁ。少し、喋り過ぎましたね。久々に話の合う方にお会いした者ですから、つい」

「いや、俺もこういう話が出来る相手がいて、いいゾーこれ」

 

ははは、と互いに愛想の良い笑みを浮かべ合う。例え敵対関係とは言え、美鈴も浩二もこの幻想郷に於いては、比較的穏やかな気性の持ち主。故に二人がこうして、手合わせの前であろうが共に笑い合うのは、当然ーー

 

 

 

「ッシ!」

 

 

 

ーー戦いに繋げる為である。

一足にして凡そ10mもの距離を詰めたのは、今まで穏やかに微笑していた美鈴その人であった。

その身体が真っ向から風を受け、彼女の動いた後には砂塵さえも舞う。たった一歩を踏み込んだだけの地面は美鈴の足跡を如実に残しており、どれ程の脚力によって彼女が地を蹴ったかは容易く分かる。

 

「ファッ!?」

 

見た限り気を抜いていた浩二だが、それでも油断をしたつもりは無い。そんな彼でさえ、今の一足飛びには反応が遅れてしまった。刹那にして浩二の視界の下、足元へと潜り込んでいた美鈴は、未だその勢いを殺していない。それどころか飛んだ勢いを利用せんと、強く握り締めた拳を浩二の顎先へと振り抜こうとしてーー

 

 

 

「かなり挑戦的じゃないそれぇ?」

 

 

 

ーーその拳は、彼の左手に容易く掴まれた。ばちん、と、人体同士の奏でられるとは到底思えぬような、肉と肉のぶつかり合う乾いた音が、周囲に響き渡る。豪、と拳のぶつかり合った衝撃で、ほんの一瞬だけではあるが風が起きた。宛ら先程までの生温い空気さえも去って行ったかのように、一陣の微風が二人の拳から身体へと通り抜けて行く。浩二の島人シャツがぱたぱたと小さくはためき、美鈴の赤い長髪が僅かに宙を舞った。周囲を覆う沈黙。つい先程まで和やかだった空気は一瞬にして凍てつき、今そこに残存する空気は、研ぎ澄まされた刃のように鋭く冷たい。互いの視線は相手を射抜くように交差しており、それが尚一層この空気を張り詰めさせているのだろう。

 

「……予測はしていたようですね」

「この構えを手っ取り早く無力化するには速攻が一番だって、それ一番言われてるから。ただ、流石にここまで見事に不意打ち決めるとは思わなかったゾ……」

「決まった、とはお世辞にも言い難い状態ですがね。気休め程度には反応を遅らせられるかと思いましたが、それでも尚対応されてしまいましたから」

 

鋭い視線を投げかける美鈴に、その突き出された右手を掴みつつも浩二は、怖いなー用心すとこ、としか返さない。美鈴の言動から察するに、ああして笑い合っていたのは、彼女の一寸した策略による所が大きいのだろう。現に今の彼女の表情は、敵と対峙する戦士そのもの、酷く険しいものなのだから。対照的に浩二の方は、未だ真剣と言う程の面持ちではなく、緩んだ状態から漸く真顔になった、その程度だった。確かに、真面にやり合えばその対応力の高さから非常に厄介な相手とくれば、対応すらさせないままに一気に倒すというのは、ある種の定石とさえ言えるだろう。しかしさしもの浩二も、真面な武人であろう美鈴が躊躇いもなくこんな手を使うとは、予想しきれなかったのだ。

 

「しかし、まさか逡巡もせずにノータイムで来るなんて、たまげたなぁ……」

「私も門番の端くれ。侵入者を一人出しておきながら、呑気で居られる筈は無いでしょう」

「はぇー、凄い責任感……そんじゃあ、また一人侵入者が出ないように頑張ってホラホラ」

 

浩二が相変わらずの軽薄な軽口を叩いた瞬間、自分の手を掴む彼の腕を美鈴は容赦無く蹴り上げんとする。しかしこの状況での攻撃方法など浩二に読めぬ筈もなく、腕を話して後退する事で蹴り上げを回避した。言われるまでもない、と言わんばかりの気迫を貌に宿す彼女に、浩二は満悦したように頻りに頷いている。

 

「改めまして。紅魔館門番、紅美鈴ーー参ります」

 

その呟きは小さくて、けれども浩二の耳には厭に鮮明に聞こえていた。その瞬間、再び一陣の突風が吹く。発生源は今し方美鈴の立っていた場所だが、今では其処に彼女の影は無い。

美鈴の影は、左右にあった。それは断じて、比喩などといったものではない。浩二へと迫りつつ、実際に左右へと高速移動しているのだ。その姿は俗に言う反復横跳びに似ているが、その速度はそんな生易しい表現では伝わらない。浩二の卓越した動体視力でさえ、残像を認識する事しか出来ない程の速度。全ては、浩二に攻撃を読まれない為。浩二と美鈴の距離は僅か5米程で、いざ攻撃に移ろうとさえすれば好きに移れる距離。

 

「MIRN移動早いっすね……」

 

予想外のポテンシャルに、さしもの彼も驚きを禁じ得ない様子である。が、それは追い込まれている、不利、勝てる見込みが低まった、などという負の感情など一切感じさせない。

ただ純粋に、相手の練武を褒め称えているような。然れどそれこそ、美鈴にとっては些か屈辱にさえ思えるものだった。

 

「フッ!」

 

極短い息を吐いた後、左右の高速移動から美鈴が抜け出し、浩二へと駆け出す。移動により起きた砂塵は、彼の優れた視覚さえも妨害しており、左から美鈴が飛び出したのに対し、浩二は右に視線を向けていた。それを良しとして、一気に勝負を決める為に、美鈴は己の持つ必殺の体術を放つ為の構えを取っている。右の拳を僅かに開き、左の腕を尚の事後ろへ引いたその構えを維持して、一歩を強く踏み出した。移動の余波で起きた砂塵による嗅覚、視覚、聴覚の妨害は、浩二さえも反応しきれなかった。

 

「ーーそ↑こ↓」

 

しかし、完全に出来なかったわけでもない。瞬きにも満たないその一瞬、美鈴が今にも必殺の一撃を放たんとしていた所を、浩二は反射に近しい反応速度で前蹴りを繰り出す。その威力は可也のもので、妖怪の彼女とはいえ真面に食らえば只では済まないだろう。間近まで迫っていた美鈴に今更避ける術は無く、止む無く攻撃体勢を解いた。とは言え、先程から見ていた浩二の実力からして、彼女にとってそれは想定通りである。寧ろその必殺の一撃などは、陽動として使えれば上々、とさえ考えていた程。

 

「まだですっ!」

 

美鈴の腹部へ放たれた前蹴り、彼女はそれを上体を微かにずらす事で躱す。それと同時にお返しと言わんばかりの掌底打を、浩二の胸部へと放った。ただでさえ風の唸る程の威力、増してやそれを胸部に放つとなれば、下手をすれば殺しかねないのは彼女ならよく分かっているだろう。

 

「当たったら怖いなー、用心すとこ」

 

それでも、彼なら殺せない事は百も承知。それどころか浩二は、風も砂塵も裂いて迫る掌を、ほんの少し手で押し上げて見せた。押し上げるという事は即ち、攻撃の位置を意図的かつ強制的に移したという事。避ける事も弾く事も出来たその掌底打を、敢えて浩二はずらすのに留めたのだ。

結果、美鈴の掌は浩二の頭上という明後日の方向へ放たれ、ぼう、と空を打つ事となる。

だが、攻撃を外すという隙を見ておきながら、浩二からの追撃は無い。軌道をかすかにずらした後に何かしらの攻撃を放つ訳でもなく、美鈴が次の攻撃に転じるまでの間、何かを思惟するように「ウーン……」と声を漏らすだけである。

 

「巫山戯ないでください!」

「別にふざけてる訳じゃないんだよなぁ……まぁお話は後にして良いよ、来いよ」

 

浩二の言葉に同じく言葉で答えるつもりなど、美鈴には毛頭無い。言葉を繰るなら、それに対して五体で語るまで、と。ずらされた手を一瞬で手刀の型にすると、今度は浩二の頭頂部へと手の側面を振り下ろす。空気の抵抗が及ぶ範囲の狭まったその手は、鋭い風切り音を立てた。

抗う風を切り裂いて迫る手刀という白刃、しかしその手首を浩二は容易く掴み取り、強く自らの方へと引き寄せる。

 

「っうわ!」

 

引かれた腕に更に引かれて、美鈴の身体は浩二の方へと勢い良く引き寄せられた。その牽引力は凄まじく、美鈴の踏ん張りさえも意味を成す事なく、身体が僅かに浮く程。これではよもや、反撃以前の問題。しかしどうにか抵抗をしようとは思っていても、唐突かつ予測し得ない行動に対し、完全に崩れた体勢からの攻撃方法などは無い。有ったとしてもそれは、この男に対しては攻撃たり得ないのだから、同じようなものだ。引き寄せられてからの攻撃とくれば、その勢いを利用した打撃が繰り出されるのは必然。

 

「ーーえ?」

 

ーーではない。浩二にしてみれば、そんな事などしようとすら思いはしないのだから。

引き寄せたと同時に、浩二は美鈴の軸足に自らの足を絡めるように引っ掛けたのだ。突飛な行動に、両足も浮いて完全な浮遊状態となった美鈴は、そんな状態でありながら目を開閉させている。

そして、鈍、と地面を力強く踏み抜いた浩二は、彼女の腕を掴んだ手を、あろうことかその凄まじい膂力で以って思い切り下に振るった。壁に設けられたレバーを下げるようにして下げられた腕は、

妖怪の身体でありながら軋むような音を立てる。

 

「っなーー」

 

宙に浮いた美鈴の身体は、引かれる腕に追従して回転する。地面を向いて平行になっていた彼女は、

掴まれた腕を軸として更に高く宙を舞った。角度にして、凡そ90度。即ち、逆さ吊りのまま浩二を真上から見上げるような構図になっているのだ。尤も、浩二が無理矢理に回転させているだけであって、断じて逆さ吊りなどと言えた状態ではない。そしてそんな状態で美鈴が考えていた、抱いていた思いは、斯様な状況に対する喫驚でも、容易く自分をあしらう浩二に対する畏敬でも、況してや、恐怖などでも無い。

 

 

 

「ーーふっざけんじゃない!」

 

 

 

浩二の頭上を弧を描いて舞う美鈴が、大きく、凄まじい怒気を孕んだ声色で咆哮する。

何処か気の抜けた風だった浩二も、行動には支障は出ておらずとも、少なからず驚いた様子。

一度、二度、或いはそれ以上か、美鈴は考える。浩二の立場に立った時、自分を仕留められる機会は一体何度有ったのか。解は、計り知れない。未だ実力の片鱗程度しか見れてはいないというのに、そんな問いに答えなど出るはずがない。しかし逆に言えば、まだそれだけの力を残しておきながらーー大きな余裕がありながら、隙を何度も見せる相手を倒さずに弄んでいるのだ。それが美鈴には、どうしようもない程に屈辱だった。自分が大して強い妖怪でもない事は知っている。自分の得意な武術や体術も上が五万といる事も知っている。自分は歴史を謳う事が出来る程強かな存在でない事は、よく知っている。然れど、その激情を抑える事は能わない。一端の武術家であるからこそ、舐められたままというのは堪えられない。

 

「ふっ!」

 

先程と同じ、極短い吐息。しかしそれは、まるで体内にまで蟠った憤怒の熱を排熱しているかのようで。今し方の咆哮から行動に移るまで、然したる時間は掛からず、必要さえ無かった。

浩二の頭上をも通り過ぎんとした時、美鈴は掴まれたその手で、浩二の黒く太い手を全力で、握り潰すような心持ちで掴み返したのだ。

 

「ファッ!?」

 

今度驚いたのは、浩二の方となる。そのせいか、軋む程に強かった握力も、今ではすり抜けられそうな程に弱まっていた。互いに掴み合った手、面食らって思わず対処に遅れた彼は、其処から美鈴が如何なる行動を起こすのか予測するのにも、戦闘中には余りにも長い時間を掛けてしまった。そしてカンマ二秒後、彼女の狙いに気がついた時にはもう遅い。既に美鈴は、自らの腕を掴む浩二の腕をも、思い切り引っ張り返していたのだから。空中からであれ、手を引き上げられて体勢が崩れないなど、如何に浩二と雖もあり得ない。無形の位を完全に崩された浩二、美鈴はその首に視線を向けつつ、急激に回転を始める。回転とは言っても、それは浩二が手を引いた故のものではない。

 

 

 

旋風飛来撃後脳(せんぷうひらいげきこうのう)!」

 

 

 

それは、彼女が自ら起こしたものだったのだ。掴まれた腕を軸に大きく前に回転していた所を、浩二の頭上まで回転したその刹那、そのしなやかな肉体などを存分に利用して横に回転。

そしてその回転力すらも利用して繋げたのは、手刀である。急速な横回転により遠心力が生まれ、それを利用して掴まれていない片腕で即座に手刀を模り、浩二の後ろ首を全力で打つ。それが彼女の狙いである。そんな突飛な行動に、浩二は対応が遅れていた。そう、遅れていたのだ。故にそれだけの大技にさえ、今の彼は防御する事も出来ずーー

 

「オォン!」

 

ーー咆哮じみたその体術の名の宣言と共に、手刀は浩二の後ろ首へと一直線に叩き込まれた。

到底人と同じ形を成した身体がぶつかった音とは思えぬ、巨大な角材同士がぶつかり合ったような轟音。その音の後ほんの一瞬、浩二の美鈴を取り巻く周囲の環境が静まった。まるでその一瞬だけは時が止まったかのようで、それは両者共々体感している。しかし走馬灯とも言うべきその感覚に身を置いていたのも束の間、浩二は手刀の勢いに逆らう事も出来ず、紅魔館の外壁へと、宛ら鞠の如く飛んで行った。

 

「まだだ!」

 

それでも、彼女の追撃の手は止まず、激憤の炎も消える事は無い。見るからに強固な外壁へと突っ込み、爆発音にも近しい程の大音を立てて、粉塵や砂塵を巻き起こした浩二。地面に軽い足取りで着地した美鈴は、脱力状態からの爆発的運動能力を利用するという、無形の位を真似た歩法によって直様彼の元へと走り出した。巻き上がる砂塵の中を見るに、浩二は予想外の攻撃を無防備に受けた所為で、壁に凭れかかって動かない。一歩、二歩と、その間にも瞬く間に美鈴は距離を詰める。

最初に見せた高速移動をも凌駕するその速度は、この数秒にも満たない時間にして、数十米単位で離れた二人の間合いを詰めさせた。

 

貼山靠(てんざんこう)!」

 

その速度を最大限に活かして放った技は、背による強烈なタックル。本来は相手の防御や構えを崩すのに使われる技ではあるが、これだけの勢いに妖怪としての身体能力が加われば、それはよもや崩し技などとは言えたものではなく、立派な殺人技である。壁と美鈴との板挟みになった浩二は、加速によって勢い付いた彼女の突進により、更に深く外壁にめり込む事となった。再度爆発音がして、一際大きく粉塵が舞う。美鈴のその高速故か、浩二はまたもや防御も回避も出来ず、それを真正面から受けて見せた。人型にへこんだ壁面に凭れ掛かり力無く項垂れる浩二へ、しかしながら彼女はまだ攻撃の手を休めるつもりは無い。

 

天王托塔(てんのうたくとう)!」

 

次の手は、腹部への掌底打。しかしそれは、ただの掌底打ではなかった。

右手による掌底打を放つと全く同時に、敢えて同じ足、即ち右足を前に踏み出す。それにより通常よりも多くの体重を攻撃に加える事が出来、より大きな破壊力を生み出すのだ。

況して、背に壁のある状態では衝撃が逃げられず、その威力は強固な壁が目に見えて歪んだ事からも分かる。既に有効打を三回も受けた浩二の身体は、ボロ雑巾とさえ形容出来る容態であった。

 

迎面一腿加戳掌(げいめんいったいかたくしょう)!」

 

次の手は、下顎への掌底打。無論それも、ただの掌底打ではない。彼女は、地を蹴っていた。詰まり、飛び跳ねつつ攻撃していたのだ。飛び上がった事によって速度を増した攻撃は、相乗して威力も飛躍的に増加する。そして何より、これが顎への攻撃という事が重要なのだ。喧嘩やボクシングなどでも時折見るように、顎への打撃というのは脳を効率的に揺さ振る事に適した方法である。

常人ならば、脳が揺さ振られれば、先ず真面に動くことは出来ない。視界も歪んで、吐き気さえしてしまうだろう。頭を凄まじい勢いで上に振られた浩二は、それでも呻く声すら出しはしない。或いは、既に気を失っているか、それともーー。

 

発勁(はっけい)!」

 

それだけの容態を呈する浩二への攻撃は、それでもまだ止まなかった。全身の力を抜いて掌を浩二の腹部に密着させた美鈴は、一瞬にして全身に力を込め、それを収束させて掌へと流す。

一見その技は、脱力状態から急に美鈴が身体を硬直させただけ、そのように見えるかもしれない。

しかし、それは余りにも大きな間違いである。それは今までの攻撃でさえ吐かなかった血を、浩二の口から微量ではあれど飛び散らせた事からも、馬鹿げた威力である事は想像がつく。

背にしていた外壁は、後ほんの一押しでも崩れ落ちてしまいそうな程に破損していて、これ以上に直接的に攻撃を受けていた浩二のダメージは計り知れない。

発勁。美鈴がそう宣ったその技は、全身に隈無く一瞬で漲らせた勁ーー謂わば運動量を、掌を通じて相手の体内深くに送り込み作用させる、防御さえ意味を成さない強力無比な技である。

しかし言葉にすれば簡単でも、実行するには余りに難しい。『勁を発生させ、接触面まで導き、作用させる』の三工程を、完全に同じタイミングで熟さねばならない。それがどれだけ難しいか、武術に精通する者であるならば理解するのは難しくなかろう。

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 

 

動かなくなった浩二を見下ろして、美鈴は疲弊を浮き彫りにさせた吐息を零した。

赤い空の下に広がったこの惨状は、美鈴がどれだけの力を込めたのか如実に表している。

赤煉瓦造りの壁面は粉々に砕け散って、これが浩二という緩衝材があっての状態だとは俄かには信じ難い。彼の紅血も、あれだけの連撃を受けたにしては出血が少ない、と言うだけの話で、そこら中に鏤められた赤い斑模様が壮絶さを物語る。美鈴は微動だにしない浩二を一瞥して、その瞳に微かな辟易の念を浮かべていた。

 

「……これは少し、いや大分やり過ぎたかも」

 

浩二が常人であったならば、それはきっとやり過ぎた所の話ではなかろう。恐らく怒ってもいない内の一撃で、肉は裂けて骨は砕けていた筈だ。況してや、今し方放っていた攻撃は、『気』を使っていない状態では最大級の殺人拳である。だと言うのに、未だ原型を完全に留めて血反吐を吐き尽くしてもいない辺り、流石に殴り込みに来るだけはあったのだろう。美鈴はそんな憶測を巡らせつつ、やはり頭の中では浩二に対しての怒りが燻っていた。再び燃え上がらんとするその炎を、彼女は瞠目する事で誤魔化す。

 

「貴方が……貴方が悪いんですよ。それだけの実力があるなら、武術家にとって舐められるのがどれだけ屈辱か、分かっていた筈でしょう」

 

武術家とは、其々歩む道や思想は違えども、武の極致を目指し鍛錬する者である。

自らを武という神の狂信者とし、武道という茨の道を愚直に、その五体を血反吐に染めて歩む者達。

無論その程度は人其々、軽い心持ちの者も少なくはない。けれども、美鈴はその類の者ではなかった。自分に才能が無いならと、無いなりにそれを補うだけの努力を重ねて来たのだから。或る武術家が素手で大岩を叩き割ったと聞けば、それを一週間休む事なく鍛錬し続け成し得た。或る武術家が素手で滝壺を殴って溜まった水を枯らしたと聞けば、一年間それだけに打ち込んで成し得た。

それだけに彼女は、信仰深く武という神を敬い続けたのだ。そんな彼女だからこそ、実力の低さを自覚はしていても、舐められるのは我慢ならない。

 

 

 

「通りでねぇ」

 

 

 

刹那。今一度、この空間に流れていた時間の奔流が止まる。その声が耳朶を微かに打った瞬間、美鈴は反射的に目を大きく見開いた。反応から開眼に至るまで、僅かカンマ数秒しか経っていない。

それでも、浩二を前にしてそれだけの時間を掛けるのは、余りに冗長であるし、失敗である。

抑、幾ら微動だにせず項垂れているとはいえ、浩二を前にして瞠目する事自体が彼女の失敗だったのだ。事態の重要さに気づいた時、急ぎ美鈴は浩二を探していた。早く見つけなければ、とーー

 

「ーーえ?」

 

そして、たった今眼前で起きた異常を悟ったのも直ぐの事。目を開けた時から、浩二の姿は彼女の視界に微塵も映ってはいなかった。しかし、一切の音も立たず、気配も無く、瞠目から開眼までの僅か数秒で視界から消え失せるなど、どう予測すれば良いと言うのか。困惑して周囲を見回すも、その姿は見えない。ならば上かと思い立ち、次は空を仰ぎ見んとした。

 

「こ↑こ↓」

 

その時、視界の下方から突如として現れた、その貌。突如として届いた、その声。記憶に新しい、浅黒く蜚蠊のような肌だった。記憶に新しい、厭に高い声だった。紛れも無い、田所浩二その人だったのだ。喫驚して声を発しそうになって、浩二の身体の異変を目の当たりにした美鈴は、よもや声も出せずに絶句する。今の今まで、度重なる攻撃によって傷付いていた身体が、いつの間にか完全に治癒していたのだ。それだけでも困惑は絶頂であるというのに、その構え。

 

「迫真空手拳術ーー『圧・双打』

 

両腕を引き絞り、明確に自分へと狙いを定めるようにして視線を向けている浩二。詰まる所、攻撃を放つ直前だと言う事だ。しかし、拙いと直感した時には、もう遅い。限界まで引き絞り溜められた力を発揮し、美鈴の頭部を左右から挟み込むように、風を穿つかのような轟音を立てて迫る両の手はーー

 

 

 

 

 

「……は?」

 

ーー彼女の眼前数糎程前で、互いに衝突していた。今の軌道を鑑みるに、あの攻撃は確実に美鈴の頭部を挟み込み、頭蓋を粉砕していた筈だったと言うのに。今日で何度目かも分からない困惑をその瞳に浮かべつつ、浩二の顔へ恐る恐る目を向ける。正直な所、恐怖ならあった。あれだけの攻撃を繰り出しておきながらまるで効いていない、その正体不明の身体にも。何より、あれだけの攻撃を受けたなら、それを自分にも返すのだろう、という思いも。けれど、そんな彼女の恐怖は、その目を、貌を一目見ただけで、初めから無かったかのように霧散した。

 

「……これで今日の所の勝負は閉幕、終わり!って事で、良いかな?」

 

彼は、笑っていたから。あれだけの攻撃を与えた相手に、剰え攻撃さえ当てる事も無く。

その顔は、まるで無邪気な少年のようで。謀略も邪念も、含蓄の類など欠けらも垣間見得ないその笑みは、背後から後光さえ射しているかのような幻視を美鈴に齎す。彼の問いに答えるどころか発言の意味を理解することさえ出来ず固まった彼女を見て、浩二は苦笑しながら諸手を下げる。

 

「えーと、まぁ……やる気ももう無いみたいだし、一応今ので詰みみたいなもんだし、俺の勝ちって事で……どうすか?」

 

同じ旨の、二度目の問いかけ。そこで漸く答えねばと思い立った美鈴は、呆然と佇んだまま、首を縦に振る。その黙しつつの答えに、浩二は満足げに頷いて見せた。

 

「ありがとナス。いやー、正直すげぇキツかったゾ〜」

 

「あの攻撃なんてセクシー……ヘロイン!」などと意味不明な事を抜かして、疲弊を感じさせる面持ちで美鈴に話し掛ける。そんな浩二に対して、彼女はただ困惑した表情を浮かべるだけだった。

何故あんな力があって、初めから使わなかった?何故今になって、勝負を決めにかかった?何故目を閉じた間に、傷が完治している?そんな疑問も多々ある。だがそれ以上に聞かねばならないと、そう思った事を美鈴は口にした。

 

「何故貴方は……手を抜いて戦ったんですか」

 

ぴたり、と浩二の減らず口が止まる。今までに激戦の轟音が鳴り響いていただけに、その声の後に訪れた寂静は際立っていた。小さくそう宣った美鈴の顔をちらりと見て、浩二はその質問の真意を確信する。すると暫しの間逡巡するような顔をした後、躊躇いがちに口を開けた。

 

「実はさっきまでのは、MIRN姉貴から学ぶ為だったんだよなぁ……真面目にやってたつもりだけど、不快にさせてしまったならセンセンシャル!」

 

その言葉に、美鈴は何を言うでもなく、しかし何が言いたいのか分かったという風でもなく、唖然とした顔を維持するだけである。それを見て今は無駄だと悟ったのか、浩二は背後に見える紅魔館を一瞥して、深い溜息を漏らした。

 

「まぁ兎に角、決して不真面目だった訳じゃないからそこんとこハイ、ヨロシクゥ!」

 

ヤケクソ気味な口振りでそう言い残すと、彼は未だ茫然としたままの美鈴に背を向け踵を返し、

いつの間にか既に崩れていた外壁を潜り抜けて、庭へと足を踏み入れた。それでも彼女は、何も言えないし、何も出来ない。する気が無いのでも起きないのでもなく、それをする権利が無いと分かっているから。異変解決に当たって、自分達異変を起こした側は、一度負ければ潔く引き下がらねばならない事を、或る者から聞いているから。

 

「あっ、そうだ(天啓」

 

その時、歩みを進めんとしていた浩二が、その呟きと共に不意に立ち止まる。これ以上何をするつもりかと警戒心を露わにする美鈴に背を向けたまま、何を思ったか彼は右の手を徐に上げた。そしてその手を、ゆらゆらと左右に揺らして。

 

 

 

「MIRN姉貴は十分強かったゾ。もうちょい年季入ってたらやばかったかもなー、俺もなー……(深慮」

 

 

 

その末に言い放たれた言葉は、美鈴への惜しみ無い賞賛であった。相変わらずその笑顔のように、邪念などといった含蓄など一切感じられない。予想外の彼の行動もとい言動に、よもや美鈴の思考は付いて行けずにいる。そんな様子を知ってか知らずか浩二は、ふっ、と小さな笑う声を溢して、再び歩き出した。

 

「俺なんぞと比べずに、更に自分に自信持ってホラホラ。俺はただ長生きしてるだけだって、それ一番言われてるから(広く言われてるとは言ってない」

 

結局一言もさえも、美鈴は答える事が出来ていない。今は少し、そうして行動起こす事が出来なかったからだ。否、出来る気分では無かった、と言う方が適切やもしれない。

 

「そんじゃ、サラダバー」

 

その言葉を最後に、浩二は二度と足を止める事はなく、紅魔館へと歩き出した。

彼とて、こうして会話を交わせずにいたのは、遺憾といえば遺憾である。自分の所業で相手の尊厳を傷付けてしまったのならば、それについての謝意などの一つや二つ位は示したいと思っていたのだ。

だが、止まれない。霊夢が一人敵陣の中戦う最中、自分一人呑気でいる事など、浩二には出来はしないのだから。

 

 

 

 

 

「……って、何気無く侵入してるし……」

 

それから数分後。既に浩二の姿も見えなくなった頃になって、漸く美鈴は口を開き声を発する事が出来るようになっていた。頭の中の整理がついたかと問われれば、まだ完全では無いと言わざるを得ないだろう。「学ぶ為ってなんだよ(当然の疑問」などといった思考も、未だ暗雲のように心の中に立ち込めたまま晴れる事は無い。けれど、少しはマシな気分にならなっている。今になって疲弊を感じて来た美鈴は、徐に地面にへたり込んで、今も尚赤い霧に覆われた夜空を見上げた。

 

「自信を持つ、かぁ……強いなんて言われたの、いつ振りだっけ」

 

自信を持つ。今までの彼女では、有り得なかった事だ。この世に生を受けて数百年、今まで一度たりとも、自分は他社よりも優れているのだと思った事は、一度として無い。否、無いというのは語弊がある。体術の技術面に関しては、他の人間や妖怪よりも優れていると感じた事は幾らかある。だが、優越感や歓喜などといった感情は、其処には一切無かった。ただ、自分はこれが少し得意なだけなのか、と。其処にはただ、中途半端な自分に対する虚しさがあるだけだった。この紅魔館に入る際も、現上司たる人間にさえ、笑える程に呆気なく負けて。自分の半分程しか生きていない妖怪にさえ負けて。あんな巫山戯た戦いをした挙句、手を出さないという甘さの過ぎる相手にまで負け。しかしあの時、確かにその甘さの過ぎる男は言ったのだ。お前は強い、と。

 

 

 

「あはは……変な人だなぁ……」

 

 

 

静寂の中、美鈴の小さな呟きは、赤い世界に溶けて消える。彼女は星の見えない夜空を見上げたまま、遥か上空に見えた黄色い流星を無心のまま目で追っていた。

 

 

 

 

 

「…………ん、あれ?流星?」




・迫真空手拳術『圧・双打』
敵の脇腹を両側から挟み込むように殴打することで肋骨を破砕したり、両耳を殴打して空気圧により三半規管に多大な被害を与え尚且つ頭を揺らす技。

お分かりかとは思いますが、元ネタは大先輩の汎用性が非常に高いあの語録です。
本来なら殺傷用ですが、流石に原作キャラ死亡なんて話は書きたくないですし、何より先輩はフェミニストなので。あ、私は野獣先輩女の子説提唱者です。

しかし今回は技なんかを調べたりでとても疲れましたね。一部架空の技も存在しますが(オリジナルとは言ってない)、半分位は実在の拳法です。……いえ、迫真空手拳術ではなく。

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