ここに、一人の深海棲艦が存在する。
小柄な体に黒いパーカー、首には縦ストライプのネックウォーマー、そして色白の肌に、海底のように蒼い眼を持つ人間の女性に近い存在。
そう。通常海域において、猛威を振るっていた、あの戦艦レ級だった存在だ。
開幕でいきなり魚雷を放ってきたと思えば、航空機を放ち、雷撃・爆撃を加え、通常の砲雷撃戦までこなす、海戦のマルチプレイヤーである。加えて、高い火力を有するため、一発でも攻撃にあたってしまえば、被害甚大である。
それ故に、艦娘を操る提督からは、恐れられ、忌み嫌われている存在だ。例外として、趣味に生きたり、敵意が無かったり、人類と交流するレ級も居るようであるが、基本的には、人類と艦娘の敵であった存在である。
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所変わって栃木県宇都宮市。
日本の関東圏の最北に位置する、旧軍都である。太平洋戦争の末期、焼夷弾で焼きつくされた街ではあるが、自衛隊の基地や滑走路が存在したり、旧射撃場跡が残っていたりと、現代になった今でも、未だに、軍都としての名残を残す街である。近年では、関東7名城とも言われた宇都宮城の一部が復旧されたり、軍都を歩こう、などのイベントが行われ、歴史運動が盛んな街の一つでもある。
そんな町中を、独特の穏やかなエンジン音を響かせながら、一台の横須賀ナンバーの新緑色のリトルカブが、ゆっくりゆっくり、進み続けていた。海軍の印が入ったそれに跨るのは、厚手のジーンズに、黒いパーカーを羽織る、10台中頃と思われる少女である。
服の隙間から覗く肌は青白く、血色が悪い。表情はフルフェイスのヘルメットのせいで判らないが、彼女は街中を走りながら、首を左右に振り、その景色を楽しんでいるようであった。軍都時代の名残の建物、現代になって舗装され、レンガが敷き詰められた歩道、そして、その歩道を歩く人々を観察しながらも、カブを走らせ続ける。
宇都宮城の守り、宇都宮二荒山神社にたどり着いた時、彼女はカブのエンジンを止めた。どうやら、ここが目的の場所であるようだ。素早い動きでリトルカブから降りると、カブを押しながら歩道を歩き、二荒山神社の駐輪場まで移動させる。そして、手慣れた手つきでスタンドを立てると、自身の頭にかぶさっていた、フルフェイスのヘルメットを脱いだ。
外に晒された容姿は非常に整っていた。大きな眼に、ふっくらとした唇。そして低くはなく、鼻筋が通った小さな鼻。肌と髪の色は青白く、日本人ではないことを匂わせていた。
彼女はカブに鍵をかけると、二荒山神社の参道へと足を進める。巨大な鳥居の前で一礼をすると、彼女は迷うこと無く、本堂へと続く階段を、一歩一歩登っていく。そして、登り切った先の門で、改めて一礼をすると、二荒山神社の境内へと彼女は足を進め、本堂を見て左手にある手水舎への前へと立つ。
柄杓を持つと、手慣れた手つきで、右手と左手を洗う。そして、左手に柄杓から水を受けると、左手を口に近づけ、口内を清めた。そして、改めて左手を洗うと、柄杓を立て、柄杓の柄を洗う。
手と口を清め終わった彼女は、ポケットから錨のマークがワンポイントとなっているハンカチを出し、濡れている手を拭う。そのさなかにも、彼女は二荒山神社の境内を眺めていた。
三つ巴の神紋が瓦に刻み込まれた、この二荒山神社は宇都宮の守りである。下野国が発足した当時、とは言わないものの、承和5年(838年)に現在の地に鎮座し、今日に至るまで、宇都宮の城下を見守り続けている由緒正しき神社である。
かつては20年毎に、社殿が建て替えられていた、という伝承からも、この神社がどれほどの信仰を持っていたかが窺い知れる。なお、現代の社殿は、明治10年(1877年)に建て替えられたもので、太平洋戦争における宇都宮大空襲の戦火を避けた形だ。
境内には様々な植物があり、春は櫻の花が楽しめ、夏は新緑が美しく、秋は椛が社殿に映え、冬は立木が美しい。四季折々の美しさも兼ね備えている神社である。そして今の季節は春。風に吹かれて舞う桜花が、境内を歩く彼女の頬を撫でていた。
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彼女は賽銭箱の前に経つと、財布から100円玉を2枚奉納する。そして、背筋をピンと伸ばし、美しい直立姿勢のまま、腰を折ること2回。そして、目の前に手を差し出して、勢い良く、合わせる。
パン!パン!と、大きな炸裂音が2回。
最後に彼女は、目を瞑り、彼女は深々とした礼を長く、1回行う。そして顔を上げると、彼女は社務所へと足を向ける。
「おみくじ一回お願いします。」
鈴のような音の、美しい声であった。
「100円をお納め願います。」
巫女に言われたとおりに、彼女は財布から100円を取り出し、手渡す。そして、社務所の脇に置いてあるおみくじの箱から、迷わず一枚のおみくじを取り出し、静かに開封する。彼女の手元には、「吉」と書かれたおみくじが、握られていた。
「大きな幸せこそないが、淡々と過ぎ行く日々を大切にすれば、自ずと満たされる。」
待ち人、来る。旅行、良し。商い、良し。
悪くはないクジである。彼女は少し微笑むと、そのおみくじを結ばずに、自身の財布へと入れる。神様からのお告げを、持ち歩くという、彼女なりのこだわりがあるようだ。
「おや、ここにおりましたか。」
丁度その時、彼女に声をかけた人物が居た。彼女は振り返り、その人物に、会釈で返す。
「立ち話も何ですから、喫茶店にでも参りましょう。」
軍服を着たその人物は、彼女にそう声をかけると、足早に境内を後にしようとしていた。
「・・・せっかくだから餃子でご飯食べたい。」
彼女は軍服を着た人物に、鈴のような音で声をかけていた。軍服の人物は、苦笑を浮かべると、片手を上げる。
「判りました。それではそのように。それでは、みんみんにでも参りましょうか。レ級殿。はぐれんでくださいね。」
「はい。エスコートをお願いします。大将殿。」
戦艦レ級と言われた彼女は、大将と呼ばれた軍服の人物の後をついていく。
そう、この彼女は、現在敵とみなされている深海棲艦の1隻、戦艦レ級なのだ。だが、彼女にその身体的特徴はほとんど残っていない。肌色と髪の毛の色が、ほんのりと人外であることを匂わせているだけだ。巨大な尻尾も、艤装も持たず、狂気に染まった目すらない。見た目の通りの歳相応の、おだやかであり、優しそうな少女であった。
「・・・にしても、大将っていうのはヤッパリ違和感ありますね。・・・ま、久しぶりだな。提督殿。いや、佐藤さんと言ったほうがいいのかな。」
「あぁ、本当にお久しぶりですね。呼び名は呼びやすいもので結構ですよ。そういえば、尻尾を失ってからしばらく経っていますが、調子の方はいかがですか?」
「・・・んぁー。調子はすこぶるいいぜ。今じゃ尻尾なくても問題ないしな。」
◆
カメコが人間と交流を始めた時より、既に十年以上の年月を経ている現在では、深海棲艦の領海はほとんどなくなっている。もとより、深海棲艦の数事態も既に両手で数えられる程度しか、現存していない。
現存している深海棲艦は、ソロモン諸島で悠々自適に暮らしている南方棲戦姫とお付の最速のイ級と戦艦ル級、横須賀鎮守府で海軍の訓練を担当している飛行場姫と港湾水鬼、呉鎮守府で鳳翔と共に酒保を切り盛りする港湾棲姫とその部下のイ級、そして、日本全国を旅しながらのんびりと暮らす北方棲姫といった具合である。
他の深海棲艦は、ほぼすべてが駆逐され、撃破されずに残った深海棲艦も自沈するか、鹵獲され、実験対象になり、最後には標的として処分されていった。
酒好きな深海棲艦、エリートレ級については、今現在、所在は不明である。だが、スコットランドの酒蔵で「尻尾の生えた女の子」が働いているという情報が流れてくるあたり、彼女らしい生活をしているようだ。
そして、このカメコもまた、悠々自適に旅をしている。海軍から発行された身分証明のフリーパスを常に持ち、海軍印のHONDA製のリトルカブにまたがり、日本全国を、ゆっくり、ゆっくりと旅をしながら、その船体の余生を過ごしているのだ。時々北方棲姫と合流してイベントに向かったり、食事をシたり、横須賀鎮守府に顔をだしたりと、まさに悠々自適の生活を、送っているのである。
「それにしても、いつ以来だっけ?」
「確かキス島アツ島撤退戦以来ではないですか?あの功績を認められて、私は大和と共に内地勤務になってしまいましたからね。」
カメコと呼ばれた深海棲艦と、元横須賀鎮守府の提督である佐藤は、宇都宮に点在する餃子のチェーン店、みんみんの店内で餃子を突いていた。宇都宮の餃子は、肉汁たっぷり、ジューシーとは程遠い餃子であり、栃木県の名産であるニラをふんだんに利用した、野菜中心の餃子である。そして、タレは酢7、ラー油2、醤油1という、典型的な酢タレを作り食べる場合が多い。野菜餃子と酢が中心のタレ、ということで、数を食べても胃もたれが少なく、ご飯がすすむのだ。
「あぁー、よっぱが乱入したアレかぁ。懐かしいねぇ。・・・っていうか、大和と共に内地勤務?」
カメコは餃子を頬張りながらも、疑問を口にしていた。大和といえば、横須賀鎮守府最大の火力である。その彼女が、提督とともに内地勤務になるということは、横須賀鎮守府のまもりが薄くなるということだ。
「えぇ、誰か一人連れて行ってもいいということでしたので。であれば、大和かなと。」
佐藤は自身の左手に光る、鈍色のリングを触りながら、苦笑を浮かべていた。
「ほぉ。いいねぇ。・・・つーことは、もしかして宇都宮に大和いるの?」
「いますよ。いまは自宅で子守をしています。」
「・・・まじ!?ほぉー。提督も子持ちかー。すげぇな。時代は流れるねぇ。」
カメコはそういいながら、最後の餃子を口へと放り込む。そして、目の前で手を合わせて小さく「ごちそうさまでした」と、挨拶を行っていた。そして、満足そうな笑みのまま、提督に口を開いていた。
「さって、提督殿。この後は?」
「総監部にご招待、というところが本来の私の立場からすると妥当なんですがね。レ級殿は堅苦しいのが苦手でしょう?」
佐藤は苦笑を浮かべつつ、レ級の顔を見つめていた。レ級も佐藤と同様に苦笑を浮かべると、ゆっくりと口を開く。
「苦手だねー。そういうの。」
「であれば、我が家にご招待、というのはいかがでしょうか。大和もおりますし、それに今日は偶然にも、呉の金剛、菊月、加賀が遊びに来ているのです。」
「・・・おっ、いいねそりゃ。じゃあ、私自慢のカメラで久しぶりに記念写真と、いきますか!」
レ級はそう言うと、自身のリュックから、巨大な一眼レフを取り出し、満面の笑みを浮かべる。
キヤノンと銘打たれたそのカメラには、小さく、海軍の錨のマークが刻まれていた。
のんびりと描いておりましたレ級サン。一旦〆とさせていただきます。
また妄想の中でレ級サンが暴れ始めましたら、短編をちょいちょい、と描いてまいります。
ご覧頂きまして、幸いです。