ウェスト流縄抜けもあるでよ
腐った臭いを孕んだ生ぬるく強い風が少女の頬を撫でる。
「……」
少女の名は圭(ケイ)。彼女は顔を出した朝焼けの太陽の下を汗を流しながらただひたすら歩く。
目的の場所というものはこれといってない。とりあえずは人がいそうな大きな建物や、食料のありそうなコンビニやスーパーといった所であろうか。そう、彼女の目的は誰かに逢う事にあった。
「……」
近くにあったコンビニ。誰も居ない。荒らされた形跡はあるが食料は何一つ持ち出されたようには見えなかった。せっかくなので彼女は水と缶詰を持ち出した。
けっこう遠くにあるスーパー。人は居ない。食料や紙が持ち出された形跡はあるがあまりにも『やつら』が多い。彼女は遠くから観察だけして、踵を返した。
かなり遠くにあった巡ヶ丘駅。人気(ひとけ)はない。かなりの距離を歩いた彼女の心は折れそうになっていた。
「もう、生き残ってる人なんていないのかな」
その場で膝を折り、蹲る。ふと彼女は自分の咽が渇いていることに気が付いて、水入りペットボトルを取り出してぐいと呷った。
ぷはと息を吐いて何気なしにラベルを見ると「キュアウォーター」などというふざけた名前がピンクで書かれている。何が「キュア」だ、と中身の半分残ったペットボトルを地面に置いた。
強い風が吹いた。ツンとした臭いが彼女の心を蝕んでいく。遠くからかすかに『やつら』のうめき声が聞こえる。
「もうやだよ。疲れたよ。誰でもいいから助けてよ」
囁きは強い風に攫われていく。返事をする者などここには居ない。
そのはずだった。
「ワン!」
犬の鳴き声が一回。圭はいつのまにか閉じていた目を見開いて鳴き声のした方を向く。
そこにはショッピングモールで寝食を共にした愛しい犬、太郎丸がいた。
「太郎丸…?」
「ワン!ワン!」
彼女の質問に応えるように太郎丸が二回鳴く。それだけで圭は感極まって、太郎丸に駆け寄った。
「太郎ま──」
その瞬間、破裂音が響いて。圭の足元に置いてあったペットボトルが爆ぜた。
そして無遠慮に、下品に笑う三人組の男。
「ギャハハ!外してんじゃねぇーよバーカ!」
「おい銃貸せよ!俺が奴の足をへし折ってやるからよ!」
「バッカ止めろよ、今回は俺の獲物だろォーが!へへへっ」
三人の内一人が持つ散弾銃。その二つに分かれた銃口が圭の足を狙っていた。
■■■
窓の外に見える景色が時速30kmで流れていく。
何時振りだろうか、私がハンドルを握ったのは。恐らく一か月前後だったはずだ。なのにあの日からもう一年近く経ったような気さえしてくる。
「次、そこの路地を右折な」
「ええ、分かったわ」
助手席に座ったくるみさんの助力を得て、徐々に、でも確実に巡ヶ丘駅へと近づいている。それと同時に鼻につく臭いも強くなっていく。
「そのまま真っ直ぐ。大通りに出たら右に駅があるはずだ」
「ここね」
狭い路地を抜けた先。そこは地獄絵図とでもいえばいいだろうか。死屍累々という言葉が似合うと思う。
屍だ。屍の山が道の真ん中にあった。車の中だというのに酷い臭いが漂ってくるのが生々しいまでの現実を感じさせる。
「ひでえ…人がこんなに…」
くるみさんはこの惨状を目の当たりにして茫然としている。しかし私はいやに冷静で、その死体を見つめていた。
当然だ、死体なんて毎日見ている。だからこそこの死体の違和感に気が付いた。
「くるみさん、ここを見て。銃創がある」
「じゅうそう?」
「銃で撃たれた跡よ」
窓から手を出し死体の一つに指をさして、肉のはじけ飛んだ足を見せる。くるみさんは一瞬ためらったものの、その部分をじっと見つめた。
「確かに…刃物や鈍器の跡には見えないけど。でも何で足に?」
違和感の原因はそこである。死体のほとんど、それも女性のものばかりに足に傷がある。一つ二つならまだしも、ぱっと見で十を超える数があるそれを見るに意図的にやられた事を示していた。
足に銃弾を受けたのは女性、その死体は殴られたような跡が散見されている、そしてそのどれもがガリガリに痩せこけていた。
まさか!
その違和感が一つにつながった瞬間、ガラスの割れるような音と共に炎が燃え上がる音が聞こえた。慌てて後ろを見ると来た道が燃えている。
「な…!?」
くるみさんが驚愕に目を見開いた。それと共に一台の車が姿を現す。
それは濃い緑色のハンヴィーだ。それには三人の男が乗っている。一人目は運転席に座ったモヒカン頭。二人目は助手席に箱乗りしている散弾銃を構えたサングラス。三人目は荷台で仁王立ちして火炎瓶を構えたバンダナ男であった。
バンダナ男が火炎瓶を見せつけるようにして叫ぶ。
「丸焼きにされたくなけりゃ大人しく降りてきな!」
嫌な予感は最悪の方向で当たった。つまり、足を撃たれた彼女たちはゾンビなどではない生存者で、彼らに足を撃たれた後は良いように弄ばれ……そして、死んだからここに捨てられたのだ。
ここで降りたら私たちもあの死体の山の仲間入りだ。そんな事、断じて受け入れられない。私は混乱して視線をあっちこっちと彷徨わせているくるみさんに言い聞かせるように囁いた。
「大丈夫、くるみさんは私が守るわ」
そしてアクセルを踏み込んだ。ザリザリとアスファルトを掻きむしる音と共に車は急発進し、ハンヴィーの脇をすれ違う。その一瞬でサイドミラーが吹き飛んだ。
「逃げんじゃねぇーよ!」
サングラス男が発砲したのだ。私はアクセルを踏み込んだまま道を直進するも、ハンヴィーがすぐさま方向転換して追いすがってくる。このままでは排気量の違いで必ず追いつかれるだろう。一体どうすれば…。
「あの死体、まさか全部生きてる奴を殺したのか?…なんでだよ!なんであんな事が平気でできるんだよ!」
ちらと助手席をみればくるみさんが頭を抱えてしゃがみこみながら半狂乱になり、叫んでいた。
再び発砲音が響く。その瞬間、私の視界が大きく震えた。まるで、殴られたかのように──。
「めぐねえ!」
震える視界の中。見えたのはくるみさんの驚いたような顔と、天地が逆転した景色だった。
酷い鈍痛で目が覚めた。
目の中に涙ではない液体が流れ込んでいるような不快感を感じながら、目を開ける。
そこには上下を逆にして燃えている私の愛車とニタニタ笑う火炎瓶のバンダナ男。
「よお!御早いお目覚めだな!」
その気軽な挨拶が癇に障る。こいつは私の生徒を襲った一味だ、許すことなどできない。
思わずとびかかりそうになって、後ろ手に何かが嵌められていることに気が付いた。自分の体温で多少温まっているものの、まだ冷たさを残す鉄のペアリングとガードレールのような変わった感触がある。
「おーおー元気なこって。カワイイ顔してんのにまるで猛獣みてえな奴だな」
目の前の男が鍵、おそらくは手錠の物を見せつけるように弄ぶ。
どこまでも人を馬鹿にしている。私は一先ず落ち着いて呼吸を整えた。
「…くるみさんはどこですか?」
「ああ、あのツインテのガキか?お前を守ろうとしてたみたいだが、ちょいと撃ちまくったら逃げてったぞ。今頃追いかけっこしてんだろうなぁ~。俺もやりてぇよー」
足元にあった大きく凹んだシャベル、それを一瞥しながらの男の言葉で全身が熱くなるのを感じた。自分の意識に反して体が動き、腕が手錠を引きちぎろうと暴れ回る。
「ヒャハハ!無駄だよ、ムダ!どんなマッチョでも後ろ手で繋がれた手錠を引きちぎるなんて……ム…リ?」
ギチギチと音が鳴る。メリメリと金属がめくれ上がる。
全身が真っ赤になるのが感じれるほどに力んでいる。
そしてピーンと、金属が弾けたような快音が鳴り。
■■■
巡ヶ丘高等学校。そこにはいわゆるセーフゾーンというものが設定されていた。
セーフゾーンの中であれば、絶対ではないが安息を得られる。しかしその外は絶対的な危険があるのだ。
そのセーフゾーンを区切るバリケードから出ようとする人物、悠里がいた。
彼女は慈の連日の夜更かし、そして個人行動に疑問を抱いていた。
毎日バットを持って外へ出て、気付かれないように戻ってくる。慈はほんのりと死臭を帯びて帰ってくるのだ。
尋常な出来事ではないと確信した悠里は、慈が居ないのをいいことにその秘密を暴かんとデッドラインを跨いだ。
悠里の中で慈はとても良い先生だ。学校が正常に機能していた頃からその人間性は信頼に値する人物だったし、今も皆や誰かを守ろうと必死に働いてくれている。
まるで姉のような人物だ。まるで母のような人物だ。まるで家族のような……。
だからこそ、疑う余地があることが許せなかった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
激しい運動をしたわけでもないのに悠里の呼吸は乱れ、心臓は爆発するほど早く脈打っている。しかし悠里は歩みを止めることは無かった。
まるで休日の学校のように、不思議なほどに廊下はガランとしている。悠里は強くなっていく違和感を全身で受け止めながら、強い死臭を放つ教室の扉を開けた。
そして彼女は見つけた。佐倉慈の秘密とでもいうべき惨状を。
「な…なによこれ。こんな事って…」
それは。
教室の半分を埋め尽くすほどの死体の山と、椅子に厳重に括り付けられた上山先生であった人物。
心から信頼していた教師の凶行の跡であった。