冥界の空に降り立った兵藤一誠は、″赤龍帝の鎧″越しに軽く周囲を見渡す。その中でも先ず真っ先に視界に映ったのは、やはり襲撃者であるグレンデルとヴァーリだ。そして、即座に臨戦態勢を取る彼らの足下もしくは背後には、対峙していただろう悪魔達の姿が見える。
前者と交戦していたファルビウムとディハウザーは一矢報いてみせたものの、グレンデルの圧倒的な耐久力を前に敗北し、今や二人揃ってボロ雑巾と変わらない有り様で地面に転がされている。実力差を考慮すれば妥当な結末だ。
それに比べて意味の分からないのがロイガンである。神の真似事をしているヴァーリの傍らに控え、あまつさえ一誠に敵対的な視線を向けているではないか。
一瞬、内通を隠す為の芝居か、と納得しかけたものの、彼女の立ち居振舞いは演技とは思えない。
そこまで考えを巡らせてから、一誠はその原因であろうヴァーリに訊ねる。
「見ない間に随分とイメチェンしたんだな」
『まあ、な』
ごく自然に会話する一誠の言動を見てヴァーリは、予想通りか、と内心で舌打ちする。やはり、転生前の種族が人間の彼には″悪魔支配″の能力も通用しないようだった。
或いは内に宿るドライグが歯止めをかけているのかもしれないが、本題はそこではない。
何故、兵藤一誠はこのタイミングで出撃したのか。
グレンデルとヴァーリが各勢力の襲撃を繰り返している以上、真偽はともあれ疑惑の眼は必ず″禍の団″──その中で最も名が知られている一誠に向けられるのは想像に難しくない。
リゼヴィムの目的は恐らく冤罪を擦り付けることなのだろう、とヴァーリはようやっと一連の襲撃の真意を悟った。
彼がルーマニアの事実上の支配者に納まり、″禍の団″所属のヴァーリ達を手駒に迎えた今、お膝元や他勢力で発生した襲撃事件の全てに関して、「それは″禍の団″の仕業だ」と吸血鬼勢力として公式声明を出すことができる。
そうして一誠の危険度を高めることで各神話勢力の不安を煽り、先の連合戦争のように各勢力合同での討伐作戦を勃発させることが、リゼヴィムの狙いだったのだ。
──どうしてこの場に現れた?
だからこそ解せない。彼の計画など一誠はとうに見抜いている筈なのだ。世界中から疑惑を向けられている状況で襲撃現場に姿を現せば、偽りは真実に塗り替えられてしまう。
なのにどうして、彼はトレードマークの赤い鎧を纏った上で、オーフィスを置いてたった一人で冥界の空に降り立つのか。
──それではまるで、自ら冤罪を受け入れるようなもの……!?
『兵藤一誠、まさか君はッ!?』
「おい、さっきから
ガチャリ、ガチャリ、と鋼の擦る音が微かに、しかし確かに連続して響く。そして十も数えない間にも、一誠はヴァーリの目の前に立っていた。
対峙。
″赤い龍″を宿す者と″白い龍″を宿した者が、歴代が繰り返してきた決闘を今再び再現する。それが意味するところは
だが、忘れてはならない。この戦場には三体のドラゴンがいる。
″
『グハハハハッ!! やっとこさ来やがったか!! お前の登場をずっと待ちわびてたんだぜぇ? さあ、オレ様とお前どっちが強いか勝負といこうじゃねぇか!!』
″
──life.94 三人目の襲撃者──
歓喜とオーラをばら蒔きながら、グレンデルが意気揚々と二人の間に割って入り、そのまま真っ正面から一誠の顔面目掛けて右の鉄拳を振り抜く。
技術の欠片もない、有り余る腕力に任せた全身全霊のストレートパンチは、それでも並の相手なら余裕で消し炭にできる威力だ。現に先程も魔王クラスの猛者達を圧倒している。馬鹿げた威力を持つそれを今回は超至近距離、しかも不意打ちで放ったのだ。
″赤龍帝の鎧″に守られているとはいえ、重傷は免れないだろう。
攻撃を仕掛けたグレンデル本人も、それを見守るしかなかったヴァーリもディハウザーもファルビウムもロイガンも、果ては密かにこの事態を監視していたリゼヴィムすらもそう直感した。
故に、一誠が容易く豪腕を掴んで見せた瞬間、全員が驚愕に眼を見開く。
『……は?』
有り得ない、と言いたげに呟くグレンデル。瞬く間に最高速度に加速しての、全力の一撃だ。聖杯の恩恵で全能力が強化されている。
今なら仮に相手が全盛期の二天龍だろうと相手取れる自信があったというのに、何故こうも簡単に受け止められたのか、彼は理解が追い付かなかった。
対して、一誠は余裕の態度を崩さない。掴んだ手を振りほどこうとグレンデルが躍起になっても、体勢を崩すどころか逆にますます手に力を込めていく。
そして、相棒を象った赤いフルフェイスの兜の下で、彼は宣告する。
「──粛清を開始する」
告げたと同時に、グレンデルの全身が衝撃に襲われる。今の一瞬に何をされたのか、彼には分からなかった。ただ、乱高下する視界の中心に佇む一誠が手に何かを持っていることだけは辛うじて理解できた。
右腕に走る激痛と妙な軽さから、手に持つそれが自分から引き千切られた腕なのだと悟りながら、受け身が間に合わずに地面と衝突する。
即座に、脚力を駆使して強引に大穴から脱出し、紫の上空を睨み付ける。
『お返しだ』
聖杯から与えられた再生能力で右腕を生やすと、そのまま肩から切断して全力で投擲する。鉄壁の耐久力を誇る鱗をびっしりと揃えた、撃墜を許さない即席ミサイルの完成だ。
次の攻撃を魔力弾だと予想しているだろう一誠は必ず動揺し、少なからず隙が生じる。そして、その隙を突く算段だった。
しかし、それでも一誠の余裕が崩れることはない。落ち着き払った様子で、超高速で飛来するミサイルを一瞥する。
別に特別な対応を行う必要性などなかった。
左手を翳したその直後、翡翠の宝玉が凄まじい早さで連続して瞬き、″倍加″完了の合図を掻き鳴らしたのだから。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoost──』
膨れ上がる身体強度と赤黒い魔力を武器に、敢えてその場から一歩も動くことなく、身構えることすらもせずに正面衝突──粉砕されたミサイルの肉片と血がパラパラと地に降り注ぐ。
「……くだらん技だ」
呆れたように言うが、邪龍の中でも身体能力に突出したグレンデルの投擲をノーガードで受け止めるなど普通は不可能である。
にも関わらず、肉片と血を浴びながら悠然と空に佇む一誠の姿はまさしく古の″赤龍帝″そのものだ。
そう、これは戦争ですらない余興だ。格を知らない愚か者に力の差を教えてやっているに過ぎない。
だからこそ、一誠は告げるのだ。恐らく今も一部始終を眺めているであろう黒幕に向けて。
「神如きが、魔王如きが、邪龍如きが──俺の戦いの邪魔をするな」