──life.9 兵藤一誠①──
兵藤一誠は上体を起こした。辺りを見て、此処が治療室であり、今までベッドに寝かされていた事を悟った。ふと手の感覚を確かめてみるが別段おかしなところは無い。
リアスの名前が、駒王学園という単語が、一誠を激しい頭痛に誘ったのだろう。吐き出したように見えたが、実際には何も変わっていないことを一誠は教えられた。
と、手に何か触れた。サラサラした美しい黒髪は見間違える筈も無かった。ベッドにもたれ掛かったオーフィスが静かに一誠を見ていた。
「……赤龍帝、おはよう」
「おはよう、オーフィス。俺は何時間寝てた?」
「……約二十四時間」
それだけの間寝ていたのか、と彼は溜め息を吐いた。何か長い夢を見ていた気もするが思い出せない。まるで深い霧の中に迷い混んだ気分だった。
一誠はそっと彼女の頭を撫でた。ずっと寝ていてオーフィスの姿を見なかったせいか、自然と力が込められる。
彼女は特に嫌がる素振りを見せなかった。それでますます力が入った。
「……赤龍帝。何故、我の頭を撫でる?」
「撫でてると気持ちいいからだよ。嫌かな?」
「……嫌、じゃない」
不思議と彼女は温かくなった。彼の傷だらけの手が自分の頭を往復すればする程、比例して温かくなっていった。
永久に近い年月を一人きりで過ごしてきたオーフィスにとって、頭を撫でられるのは初めての事だ。知識としては知っていても、それを誰かにされた前例は無かった。
最強の名を冠するオーフィスに近付く輩は居ないし、彼女自身も気にせずに生きていた。
文明の移り変わりを目にして、武器の発達と共に変化していく戦争を眺め、人の生と死を見る。ただ世界を傍観するだけの命。
そんな凍りついた時間は一誠によって溶かされたつあった。
自分を恐れず、隣に立つ選択をした一誠に興味を持った。
だから、″蛇″に頼らずに危険な特訓を続ける一誠に協力した。一誠の事を侮辱したシャルバを構わず消滅させたし、ヴァーリとの戦闘時には結界も張った。どれも以前までのオーフィスでは考えられない事実だ。
そして今、彼女は一誠に黙って頭を撫でられている。
「オーフィスの髪って、綺麗だよな」
「……我の髪、綺麗? 気にした事無いから、解らない」
自分の黒い髪とそれを見つめている一誠の笑顔を視界に入れながら、彼女はぼんやりと考えた。
この温かさは一体何処から来たのか、ずっと疑問だった。一誠は前に知っていると言っていたが、この幸せな時間を中断してまで訊ねようとは思えなかった。
幸せ。
一誠に頭を撫でられている、ゆっくりとした一時が幸せだ。急に彼女を眠気が襲った。目の前に居る彼がボンヤリと歪んでいく。
「眠くなったのか、オーフィス」
「……我、眠い?」
″無限の龍神″であるオーフィスは睡眠を必要としない。だが瞼が重たい。
やがてオーフィスは安らかな寝息を立て始めた。一誠が起きたので、緊張が解けたからでもあった。
一誠は、眠っている彼女の頬に触れる。真っ白い肌に自分の指が沈んでいく。然り気無くつついてみるがオーフィスは尚も寝ている。どうやらよっぽど緊張していたらしい。
彼女の寝顔をもう少し見ていたい、と彼は思った。だから入ってきた曹操にも、口に人差し指を当ててジェスチャーで伝えたのだ。突然の事に驚きながらも曹操は音を殺して歩く。
「オーフィスは寝ているのか……?」
小声で彼は言った。起きないように配慮している辺り、オーフィスを憎からず思っているようだ。
「寝かしておいてくれ。ところで、何か用なのか。ヴァーリと同じ顔をしているぞ?」
「いや、単純に伝言に来たのさ」
そんなところまでヴァーリと同じなのか、と一誠は思わず顔をしかめた。そして恐らくは重要な伝言である事も、先のヴァーリの一件から学んでいた。
「コカビエルのエクスカリバー騒動が切っ掛けで、三大勢力は会談を行うらしい。ゲオルクが察知してくれたよ」
「……戦争開始か?」
「それは無い。どの勢力も先の三大勢力戦争で消耗し過ぎた。今度戦えば種が滅ぶ。それぐらいは無能なトップでも理解しているさ」
曹操の予測は的を射ていた。
悪魔、天使、堕天使。三種族は戦争で大量の犠牲者を出した。悪魔と天使は主たる神と魔王を失うという大打撃を受け、一番被害が少なかった堕天使さえも半数以上の人員を失う事となった。
三大勢力戦争はそれだけ大規模な傷跡を残したのだ。それを再び行えば間違いなく神話自体が滅ぶだろう。
それだけは避けねばならなかった。
「その会談を旧魔王派と魔法使い派が襲撃する予定だ。頃合いを見計らってヴァーリも加わる。彼は堕天使総督たるアザゼルの護衛として会談に参加するからな。君にはヴァーリを迎えに行って欲しいんだ」
ここで初めて、一誠はオーフィスから彼に視線を移した。
「……解った、迎えに行こう。俺もそろそろ宣戦布告するべきだろう。水面下で動き回っても何時かはバレる。それならば、自分から動いて先手を打ったほうが良いだろうからな」
「そう言ってくれると思っていたよ。会談の日は後で伝える」
言い終えると曹操は部屋を出た。そして一誠はまたオーフィスの頭を撫でた。
彼女の寝息を子守唄として聞きながら、彼もまた欠伸した。