「──あ、気が付いたかにゃ?」
起きがけに耳に飛び込んできた声で、ヴァーリの意識は急速に浮上する。最初こそ混濁していたそれも一秒、二秒と時間が経過するに従って徐々に鮮明に、濃くハッキリと甦った。
幾つもの鉄火場を潜り抜けた経歴が脳に警告を、次いで上半身に覚醒を促すメッセージを叩き付ける。
「……ッ! そうだ、俺はッ! 奴は……リゼヴィムはどうした!?」
「落ち着くにゃ。倒れてたのはヴァーリだけで、他には誰も居なかった。にしてもそのリゼヴィムってのは余程の強敵だったのかにゃー」
戦闘の余波で穴だらけとなった周辺を見渡しながら、声の主である黒歌は言う。口調と語尾こそ普段のおちゃらけたものだが、顔には冷や汗が浮かんでいる。ヴァーリが倒れていたというのは、それ程までに考えられない事態だった。
仙術で治療こそしたが、彼の身体には無数の傷痕が見受けられて、つまり一方的な戦いになったのだろう。
「……どんな相手なの?」
尚も動揺を隠せない様子で黒歌は訊ねた。対してヴァーリは拳を握り締めて、悔しそうに呻く。
「″神器″を……無効化された」
「……ふむ、″神器″ですか」
真っ先に反応したのはアーサー・ペンドラゴンだ。英才教育を受けていた経緯からか、仲間内では最も″神器″や神話関連の知識に明るい。
「……リゼヴィム。生まれつき異能力を有する存在──"超越者"の一人に名を連ねる、聖書にも記された大悪魔です。彼の能力が″神器無効化″であると耳にしたことがあります」
「うへぇ、そんな大物がなんだって吸血鬼と仲良くしてるんだってよ。ここはルーマニアだぜぃ?」
顔をしかめる美猴だが、もっともな疑問だ。他種族を見下す傾向の強い吸血鬼勢力にとって、悪魔もまた忌むべき存在の筈だ。それがどうしてルーマニアに隠れていて、しかもヴァーリを襲撃するのだろうか。
考え込む黒歌や美猴を宥めたのは纏め役のアーサーである。パンッと敢えて手を叩いて注目を集めるや、何時の間に構えていたのか、剣の切っ先を城のある方角に向けて言う。
「そんなことは本人に問い質せば良いでしょう? お二人が考えたところで……どうせ頭がパンクするのがオチなのですから」
「おうおう、喧嘩なら喜んで買ってやんぞ! リゼヴィムの前にお前から片付けてやらぁ!!」
「私も乗らせて貰おうかにゃー! 久々にイラッときたし!!」
やいのやいのと騒ぎ始めるメンバー。そんな彼等を尻目に、トンガリ帽子を被った魔法使いの少女ルフェイ・ペンドラゴンが、ヴァーリにそっと耳打ちする。
「お兄様はああやって誤魔化してますけど……そのリゼヴィムって悪魔はヴァーリ様と関係が? だって姓が一緒で」
やや天然気味な性格はルーマニアの地でも変わらないようだ。隣で白音が引き留めてるのも気にしない辺り、一度はアーサーに説教して貰おうかと彼は結論付けた。
とはいえ、その呑気な一面がチーム内の清涼剤として機能しているのも事実だ。それに相棒の声が途切れてしまっている今、周囲とのコミュニケーションに飢えている点もある。
「まあ、過去に色々とあってな……お前ら、いつまで遊んでる。さっさと城に乗り込むぞ」
呟いて一人、城へと歩を進めるヴァーリの脳裏には、まだ先の苦々しい敗北が残っていた。
リゼヴィム彼の介入は全く予想だにしていなかった展開である。
無論、敵地に赴くのだから多少は警戒していたのだが、それもあくまで吸血鬼についてであって、悪魔の存在は範囲外だ。
そして浚われてしまったヴァレリーに関しても、後悔を隠しきれてない。
「大丈夫ですか?」
ふと声をかけてきたアーサーの表情は険しい。
「あなたのことです。リゼヴィム以外に何かしらの事情があるのでしょう。それに例の″幽世の聖杯″の所有者も……」
「お前まで急にどうした。心配されずとも俺はまだ戦えるし、任務も成功させて見せる」
「……だと良いのですがね」
アーサーは暫く考えていたが、彼が何も話さないと悟るや溜め息を吐いて、ズタボロに転がされている美猴の回収に赴いた。姉の無事を懇願する白音は兎も角、ヴァーリにまで妙に優しく接したくなるのは何故だろうか。
それは恐らく、ヴァーリの浮かべている表情に理由があるのだ。
彼のそれは、俗に"死相"と呼称される。
早まったことをしなければ良いのだが。悶々と思考を巡らしている間にも一行は霧のすっかり晴れた森から抜け出した。
そして、出口の先には、リゼヴィムのマイハウス直通、と記された立て看板と共に、見るからに怪しい魔法陣が宙に浮かんでいたのであった。
「罠、でしょうか?」
「それにしては露骨にゃん」
「どうします? この場は一時撤退して戦力を整えるという手もありますが」
ヴァーリはこれまでにない程に強い口調で、告げる。
「乗り込むぞ」
──life.81 悪意①──
「しかし、現れるのが異様に早いと思えば……また子供のような戯れを。まさか直通の転移術式を開くとは」
「別にショートカットしても良いじゃん。
こめかみに手を当てて嘆息するユークリッドだが、リゼヴィムの悪ふざけは別に今に始まった訳ではなく、そもそも注意して控えるような性格でもないので止めておく。
どうせこの段階まで進んだ時点で作戦の成功は確定しているようなものだ。それなら余計なことを進言してやる気をなくされるよりかは、好きなようにして貰った方が互いの為にも良い。
しかしリゼヴィムといい、″神器″研究家を自称するマリウスといい、中々どうして濃い上司と部下に挟まれたものである。ユークリッドには不思議で仕方無いことだった。
兎に角。部下からの報告にあるようにヴァーリ達は魔法陣を潜って、城に侵入したようだ。
やはり緊張感に欠ける気もするものの、どうせ他人の城だし知ったことではない。そう楽観を決め込む彼も上司に毒されつつあった。
「リゼヴィム様。そろそろお孫さんとそのご友人がいらっしゃいますよ。一先ずゲームを中断した方が宜しいかと。些か悪趣味ですし……お孫さんが見たら怒りますよ?」
「えー、だってヴァーリきゅんの嫁ってことは俺の家族も同然じゃん? マイファミリーじゃん? そりゃルシファーの家訓ってもんを叩き込んであげるのがお祖父ちゃんの役目でしょ! うひゃひゃひゃひゃ♪」
「確かに吸血鬼ですから多少なり頑丈ですけど、もし死なれでもしたらアウトですよ。ほら、魔獣の相手なんてさせるから悲惨な状態になってるじゃないですか。とんだ嫁イビりの家訓ですよ」
触れたくもない液体まみれとなったヴァレリーは、ただヒューヒューと掠れた呼吸を繰り返すのみで、その側に座り込む魔獣──無論、犬猫とか可愛らしい類ではなく、蛸や虫を縫い合わせた醜悪な姿をしている──は満足げに欠伸をしていた。
繁殖期の魔獣と吸血鬼の雌、其々を同じ檻に放り込めば……ゲームと称したリゼヴィムの遊びの結果だ。
″神器″は宿主の精神状態に左右されるらしい。果たして彼はヴァレリーが使い物にならなくなればどうするつもりだろう。
″幽世の聖杯″は一連の計画の要で、与えられる恩恵を考慮すれば失いたくない代物の筈だ。実際に使用してみて効力を目の当たりにすれば余計に。
「誰が後片付けを行うと?」
部屋に漂う特有の臭いに鼻を抑えつつ、ユークリッドは頭を抱えた。こんな理由で消臭の魔法を使用するのも悪魔として長い人生の中で初めてだった。
「ごめんって、ユークリッドくん! お詫びにヴァレリーちゃんで遊んで構わないからさ! あー、でも良く考えたら磔にでもした方がラスボスっぽいかもなぁ。ほら、囚われのお姫様を救う勇者とかドキドキしねぇ? それで救った後にチョメチョメしちゃう!!」
「お孫さんが変な性癖を拗らせそうなので却下した方が宜しいかと思いますが。というか、いい加減にきちんとして下さい。彼が直ぐそこまで──」
その瞬間、廊下を駆け抜ける音と部屋の扉が開け放たれる音が同時に響いた。
そしてヴァーリの怒りの絶叫が響く。
「────リゼヴィムゥゥゥゥッ!! お前、彼女に……ヴァレリーになにをしたァァァァッ!!」
「聞いてよヴァーリきゅん! そこの恐い怪物が俺の義理の家族を食べちゃったの!! 助けて赤龍帝~! なんちゃって、うひゃひゃひゃひゃ♪」
言い訳するリゼヴィムではあるが誰の目から見ても彼が行ったことは丸わかりで、ヴァーリの全身から殺意と魔力が溢れ出した。
「わざとらしい……まあ、役者も揃いましたし。いよいよ開始ですか? リゼヴィム──否、相談役?」
「まだ役職で呼ぶなっちゅーに! うひゃひゃひゃひゃ♪ それはそうと、役者も揃ったし早く始めようぜ? ドラゴン狩りってやつをさぁ!!」
その序章、或いは彼等の計画の第一段階。
それは国際テロ組織″禍の団″特殊部隊、通称"ヴァーリチーム"構成員の殺害である。ただし一人だけを除いて。