何故、
ヴァーリは物心ついてからずっと、そんなことばかりを考えて生きてきた。というよりも、ヴァーリ・ルシファーたる少年の記憶はまさしくそこから始まる。
ルシファー。冥界を統べる四大魔王の一角にして、一説には神に反旗を翻した堕天使でもある。
種族的にどちらが正しいのかは問題ではない。それを追及するならベリアルやベルゼブブも堕天使説があるし、逆に堕天使勢力を率いるアザゼルも悪魔と同一視される場合がある。
最も肝心な部分──彼の最初にして最大の不運は、魔王の家柄に人間との
実力主義とは名ばかりで、悪魔社会の根幹部分は血筋であり、由緒正しい純血種であるかどうかが重視される。無論、実力があるに越したことは無いのだが、結局は家柄や血筋といった、本人とは何ら関係の無い部分で見定めようとする風潮が悪魔は未だ根強い。
ヴァーリの父親や祖父がまさに典型的な貴族・純血思想の持ち主なのだから、
それに加えて、ヴァーリは伝承にある白い龍まで宿していたのだから余計に大騒ぎとなった。忌み子として虐待され続ける程度には悲惨だ。
隙を見つけて脱走して、早十数年が経過した今現在。自身を筆頭としたテロリストチームを率いるようになった今でさえ、その過去は拭いきれていない。
「……本当に、どうして俺達がこんな目にあうんだろうな」
一頻り話し終えてから、ヴァーリは隣に座るヴァレリーに視線を移した。少し動かせば容易に触れられる距離だというのに、二人の視線は絶対に交差しない。
ヴァレリーの瞳は既に焼かれてしまっており、視覚を失っているからだ。その代わりに、顔には魔力でつけられたと思われる赤黒い火傷痕が広がっている。
それが果たして誰に、何の理由があってつけられたかは薄々ながら……ヴァーリには理解できる。
彼らは同じ存在だ。
「……もう慣れましたよ。痛いのは最初だけで、私はもう慣れてしまったのです」
「俺は慣れるなんて嫌だった。だから俺は抗おうと力を求めた」
ゆっくりと彼は彼女の金髪をすくい上げる。その美しさに反して手入れがされた形跡は見当たらず、完全にすくい上げる前に指先から髪が
心臓を鷲掴みにされる感覚に陥った。彼のズボンに金色の髪の毛が散らばったのだから。
『この娘……もう先は』
アルビオンが早口気味に捲し立てようとするのを、ヴァーリは制した。分かりきったことを今更言わずとも良いのだ。
「頼むから黙っていてくれ」
一際強い口調ではね除けてから、吸血鬼がするようにしてヴァレリーの首筋に顔を近付けると、今度は鼻先を肌に触れさせた。動揺する少女の声が漏れるもこれは無視だ。元より聞くような余裕なんてとうに失っている。
意外にも、ヴァレリーはそれらしい抵抗を見せなかった。彼を信用してくれているのか、はたまた長年の躾の賜物かは知り得ないが、最初こそ驚いたものの後は身動き一つせずされるがままだ。
ゾクリと一瞬だけ身震いした。
加護欲がもたげたのと、その身体から微かに漂う死臭を感じ取ったからだ。
「流石に……恥ずかしいです。その、言いにくいですけど、もう何年も幽閉されていて、まともに身体を洗ったことが無いものですから。ええと……」
直後、ヴァレリーが手をもじもじさせながら言ってきた。
「匂いを気にしているのなら心配するな。俺は気にしていない」
「ですが、ヴァーリ様にはこんな気味悪い私は相応しくないかと……何時も亡霊に囲まれているような混血女なんて」
「それは……違うな。俺と君だからこそ」
咄嗟に否定するも彼女は頷くことはしない。黙って彼の頬にそっと手を当てると、重なろうとしていた二人の距離を引き離す。顔に触れたままの手は傷だらけで痩せ細り、それがヴァレリーという少女の半生をそのまま伝えている。
恐らくは迫害を受けて育ってきたのだろう。家族から周囲から、或いは国家そのものかもしれない。
故にヴァーリはある種の
「ヴァレリー」
名前を告げると、彼女は肩を震わせて手を引っ込めた。その一挙手一投足の背後には、幼い頃の自身の幻影が垣間見える。
ヴァーリはそっと肩を抱き寄せる。驚く声もやはり無視だ。残念ながら今の俺には余裕がない。
「俺と一緒に来ないか? いいや、一緒に来てくれ」
驚く程にすんなりと出てきた言葉に、ヴァレリーは口をポカンと開けて、顔だけを彼に向ける。もし瞳があるなら同じく驚愕に見開かれていただろう。何せ二人は出会ったばかりで互いのことすら知らないのである。
ただし驚いているのはヴァーリも一緒で、言ってから口元を抑える。幾らなんでも舞い上がり過ぎではなかろうか。
それが証拠に、アルビオンの呼び掛ける声音は酷く冷たいものだった。
『頭を冷やせ、ヴァーリ。吸血鬼の小娘に利用されるのが貴様の本懐か?』
「アルビオン……俺は黙るように言っただろう。少なくともヴァレリーの件については口出しするな。俺には俺の策がある」
『傷の舐め合いに現を抜かし、任務を放棄するのが貴様の策略だと? 聞いて呆れるな……かつての牙を捨てたのか!! 小娘に絆されて
「黙れ、アルビオン! 俺は捨てていない、
激昂し、思わず声を荒げるヴァーリ。長年連れ添った相棒だからといえ、言って良いことと悪いことがある。しかし、追及は止まらない。
『お前の過去は知っている。同情の言葉が欲しいならくれてやるし、小娘に惹かれるのも理解してやろう。だが……それに甘んじて復讐すらも捨てるのは認めん。ベクトルこそ違えど、俺達の目的は同じであることを忘れるな』
「やけに饒舌だな」
一方的な物言いについ溢してしまったが、対するアルビオンは短く、『赤龍帝は目的を果たしつつある』と答えるのみで、後は喋ろうとしなかった。
しかし、それだけで彼にはアルビオンの内心がなんとなく掴めた気がした。
赤龍帝──現在では"SSS級はぐれ悪魔"である兵藤一誠の代名詞。そして映像で見たように今この瞬間、たった一人で、三大勢力の率いる軍と戦争を行っている者を指す。シトリー領に集結した総勢二十万の連合軍の中に単騎で飛び込むなど、正気の沙汰ではない。
そう、彼は正気を失っている。両親という最後の枷をも奪われた兵藤一誠は既に頭のネジは吹き飛んでいて、ただ復讐の為だけに動く
それが証拠に、以前まで初心な面も多々あったオーフィスとの仲も異常なスピードで深まり、今では四六時中、場所すら弁えずに彼女と愛を交わしているという。
実際に見たことのあるヴァーリから言わせれば、愛ではなく依存の類だろう。
人格崩壊を防ごうとする生存本能が無意識に、己のストッパーを求めた結果に違いない。だが、オーフィスは彼を止められない。だからこそ、兵藤一誠は復讐の道を突き進んでいるのだ。
そして、それこそがアルビオンの求めている俺の姿でもある。
即ち、心身共に二天龍へと成り果てろというのだ。「冗談ではない」と彼は舌打ちした。
「俺は兵藤一誠ではないし、同じ道を歩むつもりもない。だからもう一度宣言しよう。我が名はヴァーリ・ルシファー。悪魔の父と人間の母の間に産まれ落ちた
「哀れで惨めな
男は直後に笑い声を引っ込め、後方に大きく飛び退いた。
何故なら、ヴァーリが男の歩いてきた方に魔力弾を放ったからだ。着弾した地面が抉られると同時に土砂が舞い上がるも、男は既に安全圏に退いた後であり、大したダメージは見当たらない。
「っとと、危ないねぇ! 年寄りに問答無用で攻撃するなんて最近の若者はやることが酷いな~。ましてや、俺ってば君のお祖父ちゃんなんだぞ?」
嘲笑う中年の男は長く手入れしていないだろうボサボサの銀髪に同じ色の髭を蓄えており、顔だけを見るとみずぼらしい老人に思える。ただしそれはあくまでも首から上の話だ。
男の衣装は思想を履き違えた貴族や道化師が着るような、派手な装飾が誂えられたもの。スカーフをピエロ結びにしているのが如何にも貴族らしくて反吐が出る。
尤も、本当に吐き気と怒りを催す点は黒い衣装の右肩に金糸で刺繍された──ルシファーの紋章。
「姫君を餌に″禍の団″を釣ろうってんで実行してみたけど、まさか孫がやって来るなんてねぇ。寂しくてお祖父ちゃんに会いに来たのかな? それとも──自分と同じ境遇の少女を救おうってか?」
「……ヴァレリーは隠れていろ」
彼女を手近な木陰に案内してから、ヴァーリは機械的な白い翼を出現させる。
「おうおう、初っぱなから随分とやる気じゃーん? 若いってのは羨ましいねぇ。お祖父ちゃんは年だからさ……吸血鬼の正規軍にでも手伝って貰わないと怖くて戦えないかもー? だって古い悪魔だもん! うひゃひゃひゃひゃひゃ♪」
「……まさかお前がこんなところに潜伏しているとは思わなかった。そして最初に訊ねておこう。殺される覚悟はあるんだろうな?」
空を埋め尽くす吸血鬼の軍勢、そして連中を率いるルシファーの血族の男。
圧倒的に不利な戦況でも彼は吠えるしかなかった。力のない頃と同じように。
「──リゼヴィム・リヴァン・ルシファーッッ!!」
「うひゃひゃひゃひゃ♪ たまには弱虫の孫とお遊戯してやるのも一興かなー! 戦争の予行演習にさぁ!!」
リゼヴィムの嘲笑が──絶望的な戦いの幕開けとなった。
──life.79 リゼヴィム・リヴァン・ルシファー①──