ルーマニア。東ヨーロッパに位置する共和国であるその国の"裏側"は、広大な吸血鬼自治領域の殆ど全てを霧と森林が覆ってしまっており、酷く殺風景な国柄だ。
まるで訪れる者を拒むような灰色の景色、そしてそれらを見下ろす童話風の巨城も、或いはこの地を支配する吸血鬼の本質を如実に表しているともいえる。
『いつ見ても陰気な連中だ』
宿主の光翼越しに、アルビオンは嫌そうな内心を隠さずに呟く。誇りと力を信条とするドラゴンにとっては、連中のこういった面が堪えられないのだろう。
『さっさと目標を達成して……ついでに連中を滅ぼしてしまおうか?』
「馬鹿を言うな」
ヴァーリは、聞く耳持たぬとばかりに突っぱねた。
強敵との戦闘こそが本懐だ、と宣言する彼ではあるが、意外にも任された任務や目的自体は忠実に遂行していて、相棒や同僚の物騒な意見に釘を刺す事も珍しくない。
ましてや、今回の任務はヴァーリ自らが請け負ったのだ。
「俺達は一勢力を相手取るんだ。遊んでいる暇はない」
『そう言いながら、兵藤一誠の襲撃映像に夢中になっていたのは誰だ?』
アルビオンは呆れた声音で切り返した。確かに吸血鬼連中に囲まれて尚も動こうとしなかったのは、今しがた説教して見せたヴァーリの方である。
吸血鬼領域に侵入した。それだけでも連中の上層部には察知・警戒されたかもしれないのに、あまつさえ敵陣で呑気に動画を眺め続けているのだ。
彼の悪癖が成した失敗だろう。
「すまない、俺も悪かった」
『……互いの不備、という訳で手打ちにした方が良さそうだな』
そうしよう、と両者が和解したところで、ヴァーリは周囲をグルリと見渡した。
吸血鬼と交戦した地点から離れてはみたものの、やはり生い茂った木々が前後左右を覆い尽くしてしまっている。侵入したポイントから計算して大まかな現在地は把握出来ているが、街への方角はどうやら解りそうにない。
ここにきて、ヴァーリは苦虫を何匹も噛み潰した。
罠に嵌められているのだ。
二人は言い争いながらもここまで何とか歩いてきたのだが、その距離は決して短くない筈である。上級悪魔の脚力と体力ともなれば尚更にだ。にも関わらず周囲の景色は何ら変化していない。
結界術式か、霧の幻覚作用か、はたまた森そのものが意思を持って阻んでいるのか。
「……やはり侵入者には容赦ないか」
ある筈がないだろうに。
アルビオンの喉元まで出かけた嘆息は、直前に感知した一つの魔力にかき消された。
『……ヴァーリ』
「ああ、分かっている。吸血鬼だ」
手には魔力を、背に光翼を従えて、ヴァーリは気配を消す。木々に隠れていてハッキリと見えないが、視線の先には確かに人影が一つ捉えられていた。大樹の根の部分に腰を落ち着かせている。幸いにも此方に背を向けているお陰で気付いた様子はみえない。
これで敢えて知らない素振りをしていたとか、吸血鬼達の罠だったら。
一瞬だけ脳裏に過ったが、ヴァーリの横顔から獰猛な笑みが消えることはない。
寧ろそれこそ、願ったり叶ったり、なのだから。
だが、気になる点が完全にない訳でもなかった。
察知した魔力の波動と肉眼による観察で悟ったのだが、どうやらこの先に居るだろう人物は酷く衰弱しているらしかった。それが証拠に感じ取った魔力は微弱だ。
少なくともこのまま放っておいても勝手に死ぬであろうことは、彼らも直ぐに理解出来た。
珍しく狼狽えながら、アルビオンが言う。
『不味いぞ、ヴァーリ』
尤も、あくまで案内人になりえる吸血鬼に死なれるのが不味いのであって、哀れに思っての発言ではないのだが。
そして相棒に急かされてではあるものの、ヴァーリもまた細心の注意を払いながらその人物に少しずつ歩み寄った。そうして近付くにつれて徐々に露になる美しい姿に、彼は思わず息を呑んだ。
吸血鬼は、女性だったのだ。
「そこに……
ここで漸くヴァーリの気配に気付いたのか、女性は振り向いて恐る恐る訊ねた。
金髪を腰まで延ばした、まだ若い少女だ。中でも特徴的な点が幾つかあって、先ず目につくのは病的なまでに白い肌と身に纏う衣服だろう。彼が全滅させた連中よりも更に真っ白な肌は、少女が吸血鬼である紛れもない証拠である。
加えて純血・名門・王族といった風に高位の吸血鬼に名を連ねる程に彼等の肌は白色に近くなる、という種族的な特徴が吸血鬼には存在する。
その意味では、こうして目の前に座る少女は余程の
しかし生まれ持った筈の血筋に抗うかのように、衣服は酷くみずぼらしく、一枚の大きな布を無理矢理縫い付けて仕立てたようにも思える。
ここでアルビオンは、吸血鬼のもう一つの種族的な特徴を思い出した。
吸血鬼は絶対的な──悪魔よりも更に──純血主義思想の種族であり、またそれに倣った王政・貴族社会を形成している。
例え実力や才能があろうとも純血以外の吸血鬼はまともな生活すら許されず、迫害されているのだと。そう考えてしまえば、彼女の衣服の理由のみならず、送ってきた半生までも手に取るように解ってしまうのだ。
「お前、眼は────」
そして否が応でも一番目についてしまう、最も特徴的な部分についても。
「……旅の方ですか? 心配して下さってありがとうございます。ですが、仕方無いのです。私は
そう苦笑する少女、ヴァレリー・ツェペシュの顔、瞳があっただろう箇所には赤くおぞましい火傷跡が広がっていた。
ハーフであるが故に。
──life.78 ヴァレリー・ツェペシュ──