レイヴェルとイザベラが巡回を終えて戻ってきたとき、屋敷の中は異様な程に静まり返っていた。何度も呼び掛けたのに誰も現れなければ、そもそも人の気配すらも感じない。
あまりにも妙で何かしらの異変があったとしか考えられなかった。
彼女は兵藤一誠の存在を思い付いた。もしかすれば本当に彼が襲撃してきたのかもしれない。
「……レイヴェル様、如何なさいますか?」
「取り敢えずは二手に別れて屋敷を散策しますわ。連絡術式を常時開いて、何かあれば直ぐに報告して下さい。一時間後に玄関で合流しましょう」
「了解です」
そう言って一階の奥に消えていったイザベラを他所に、自分も二階への階段を昇る。
二階は主に自分や兄達、そして夫妻の自室や執務室が連なるエリアなだけに眷属には任せたくなかった、というのが建前の理由だ。彼女もそれを弁えていたのか黙って一階を見に行ったが本当の理由は違う。
兵藤一誠が本気で襲撃をするのならば念入りに下調べを行う筈だ。
行動パターン、置かれている状況、本人の実力、その他もろもろ。細部に至るまで徹底的に分析してから計画を練るだろう。
つまり彼の凶行と仮定して、大量の業務を抱えていたフェニックス夫妻が、最近は執務室に籠りきりであったことを知らない訳がない。その絶好の機会を見逃すような男ではないからだ。
「罠、待ち伏せ。色々と警戒しなければなりませんわね。それに家族の安否も……」
嫌な光景が脳裏に過る。詳細こそ知らされていないものの、一誠とフェニックス家の間に隠された裏をレイヴェルは薄々ながら見抜いていた。それで彼が貴族領の襲撃を繰り返すようになった頃から両親や兄は忙しく動いているのだ、と。
果たして一誠と出会ったときに自分達は許されるのだろうか。
そんなことは有り得ない。最悪は一家もろとも皆殺し、百歩譲ってもグレモリー家やシトリー家のように社会的に抹殺されるだろう。もしくはその両方か。
もう皆は殺されているのかもしれない。
「……不味いですわ。私としたことが状況に呑まれてしまっている。
不敵に笑うレイヴェル。しかし足取りは重たく、嫌な汗が止まらない。どうか生きていて欲しいと少女は願わずにはいられなかった。
階段を上がって直ぐにライザーの部屋とレイヴェルの自室、少し離れて夫妻の寝室が位置する。一番奥には執務室があるが彼女はまだ立ち入りを許されておらず、詳しくは知らない。
「私の部屋も、お兄様の部屋も、お父様とお母様の部屋も問題なし。となれば……」
扉を少しだけ開けて中を確認してみたが変化は見られなかった。これで私室は全てチェックし終えて、残るは一番怪しい執務室のみ。
不死鳥を象った紋様が刻まれた扉は暗い通路の奥底で待ち構えていて、見慣れた光景の筈なのにレイヴェルは言い様のない不安を感じた。或いは扉を隔てた先に兵藤一誠が待ち構えているのかもしれないのだから。
深呼吸してから連絡術式に手を延ばす。このまま一人で突入するのは危険だと判断したからだ。小娘二人でどうにか出来る相手とも思わないが、せめて一階のイザベラと合流した方がまだマシだ。
「……? 妙ですわね。応答がありませんわ」
合流を優先した彼女は自分を狙う視線にも、致命的な隙を晒してしまった事にも気付かない。
「見ーつけた♪」
──life.70 不死鳥狩り⑤──
「……兵藤一誠! やはり貴方の仕業でしたのね!?」
「やっはろー、ゲーム以来だね。久し振り。お兄さんは元気かい?」
執務室の前に立ち塞がる一誠はヘラヘラ笑っていて、どうにも胡散臭い第一印象を与える。しかし、それが様々な理由で造られた偽りの仮面である事は一目瞭然だ。
裏にどのような感情を隠しているかは上手く読み取れないが、録なものでは無いだろう。
真剣な表情で一誠の挙動に集中するレイヴェル。対して彼は欠伸をするか、隣に侍らせたオーフィスの髪を触るかで、攻撃を仕掛ける気配は見られない。
「わざとらしい……! 貴方がこの場に立っている時点で、お兄様がどのような末路を辿ったかは想像がつきますわ!! それに家族や眷属達も……ッ!!」
「健気だねぇ。家族に
「──は?」
反論する声が徐々に小さくなって最後には掻き消えた。目の前の男が発した言葉が理解できない。
家族に捨てられた、と確認するように辛うじて呟く。
「いや、マジだって。疑うなら本人に直接訊きなよ。逃走準備してた馬鹿共が転がってるからさぁ? 芋虫になってるけど」
ほれ早く、と促すように道を譲る。その先に見える扉は固く閉ざされたままで一見すると普段通りに思えた。だがレイヴェルの脳には先程の一誠の言葉がグルグルと廻っている。そもそも思い当たる節は幾らでもあった。
一誠とフェニックス家の確執。彼が別の貴族を襲撃すると予告したタイミングで忙しく動き始めた両親。同じく態度の急変した兄。そうして聡明な彼女の頭は目まぐるしく回転し、やがて最悪な結論を導きだした。
家族は密かに冥界から逃げる準備を整えていたのではないか。
自分は家族に見捨てられたのではないか。
まさか、と否定しようとするも溢れた疑惑は止められない。詳細を訊ねてもレイヴェルは教えてもらえなかった。あのときから既に両親に見捨てられていたとすれば。
ライザーは珍しく自分から巡回を引き受けた。あれも怪しまれないように逃走用のルートを確保・確認する為の建前だったのか。現に彼とは今も連絡が取れない。
「……う、嘘、ですわよね? 私を見捨てるなんて、そんなこと」
「質問は俺じゃなくて家族に訊きなって。水入らずで話させてやるよ。後は扉を開けるだけ♪」
「……」
背を押される形でゆっくりとドアノブに手をかけた。虚ろな瞳はもう兵藤一誠など微塵も映しておらず、隠された真相を確認することしか考えていなかった。
少し力を込めると重たい音が響いて、同時に扉が口を開く。
「あーらら、残念。
執務室に入って最初に視界に飛び込んだのは、部屋の真ん中に転がされている三人の家族だった。何れも両手両足を引き千切られ、再生を防ぐ処置なのか傷口には何らかの魔法陣が浮かんでいる。
更に彼らの身体には暴行を受けたと思われる傷痕が幾つも散らばっていた。血と呻き声を垂れ流す醜い姿は本当に芋虫のようだ。
そして三人の直ぐ隣には、膨らんだボストンバッグやキャリーケースが幾つも積んであった。恐らく有るだけの衣服や生活用品、金が入っているだろうそれらは、
それは、まるで
「……あ、ああ……うぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
レイヴェルは絶叫した。ごちゃ混ぜの感情を処理仕切れなくなってただ泣き喚くしか出来なかった。自分は本当に実の家族から捨てられたのだ、と。
絶望する彼女の背後で少年は嗤う。
「ようこそ、此方側の世界へ。──君はもう、逃げられない」