その日、ライザー・フェニックスは何時ものように眷属を連れて、領地の巡回をこなしていた。グレモリー、シトリー両家から雪崩れ込んできた大量の難民の安否を確認する為というのが表向きの理由である。
フェニックス領の端に寄せ集まって形成された避難地区は今やスラム街のように争いが絶えなくなっており、遂には連中を嫌う元々の住民達が他領に流れていくという本末転倒な有り様だ。
それで最近になって区域の安全を守るべく巡回を開始した、というのが一つ目の理由であった。
「チッ、どいつもこいつも騒ぎやがって。移住者の肩書きが好き勝手する免罪符にはならないんだぞ」
「抑えて下さいまし、お兄様。彼らは住む場所を失った身。恐怖に怯えるのは仕方ありませんし、そういった者を守るのは領主の務めですわ」
「分かってるよ。今のは忘れてくれ」
フェニックス夫妻は領主としての業務もあって忙しく、巡回は専ら三男坊たるライザーの任務である。本人も珍しくやる気があって、「避難民を無下に扱ったと噂される訳にもいかないだろう」と二つ返事で了承したという経緯がある。
それだけに見廻り自体は無難にこなしているが彼自身は早足に歩くだけで、寧ろ眷属の方が親身になって接している始末だった。
「……最近のお兄様はどうにも変ですわね」
「確かに、見廻りをしている際のライザー様は様子が可笑しいな」
「何だか脅えているようにも見えますの」
実妹であり″僧侶″を務めるレイヴェルの言葉に隣を歩くイザベラも頷く。今日はこの二人とライザーで班を組んでの巡回だ。
任務に馴れてきた現在なら少人数でも大丈夫だろうと判断を下したからだし、特に三日前程から
尤も、夫妻が忙しく動いている理由については眷属達はおろか、娘であるレイヴェルさえも知らされていない。
思い返してみれば、兄の態度の豹変と両親の仕事量の増加は同じタイミングで起こった、とレイヴェルは思考を巡らす。
果たしてこの二つを切り離して考えるべきなのだろうか。それとも良からぬ事態が迫っていて、それを防ごうと自分の知らないところで動いているのだと考えた方が良いのだろうか。
「或いは、既に
「ライザー様なら休憩すると言って木陰に向かわれたよ。かなりの心労を抱えておられるのだろう。兵藤一誠が次々と貴族領を襲撃しているからな。幸いにも犠牲者は出ていないが、不安にもなるさ」
「……兵藤一誠」
イザベラの言葉も半分に、即座に記憶と情報を纏めるレイヴェル。
″SSS級はぐれ悪魔″にして″赤龍帝″である兵藤一誠が本格的に動き始めてから、顔見せに過ぎなかった三大勢力会談や若手悪魔パーティーへの乱入を除外して考えると早くも数ヶ月が経過する。
そう、僅か数ヶ月。たったそれだけの期間で彼はアリーナ攻撃、首都リリス襲撃、バアル家次期当主の殺害をやってのけた。更に旧魔王派によるものだが魔王二人も重傷を負っている。とても元一般人の少年が企てたとは思えない手際の良さだ。
「とても力に呑まれたとは思えませんわね。政府の発表も役に立ちませんの」
「慎んで下さい、レイヴェル様! 誰かに聞かれれば……!」
「ふふ、では貴女も忘れて下さいな。ですがこれだけは言わせて? 近い内にフェニックス家は滅ぼされるだろう、と」
グレモリー。シトリー。今や断絶寸前にまで追い込まれた両家には、兵藤一誠と関わりがあった、という共通点がある。
グレモリーはリアスが一誠の元主君だった。そして一誠の予告映像で判明したことだが、シトリーも次期当主のソーナが彼と交遊があったらしい。
「下手をすれば、一家揃って皆殺しにされますわね」
「それは有り得ませんよ、レイヴェル様。彼が攻めると宣言したのはシトリー領。彼処は三大勢力合同の軍勢が待ち受けています。奴が現れても直ぐに捕縛されますよ」
「……お気楽で羨ましいですわ。彼が好んで用いる方法を思い返してみなさい。あんな派手なパフォーマンスをしている時点で、本当の目的は隠していると白状しているようなもの」
「つまり、それは」
顔を蒼白にさせるイザベラに、レイヴェルは続ける。
「──今この瞬間に襲われる可能性だってある」
──life.68 不死鳥狩り③──
ライザーは木陰に隠れたままで、彼女の的確な指摘を聞いていた。そして両親や政府から詳細を与えられていないにも関わらず、独自に真相の欠片を掴んでいたことに内心で恐怖を感じた。
彼女の指摘は全てフェニックス夫妻の読みと同じであり、更に付け加えるならば冥界政府からなされた通達とも当てはまっているのだ。
一週間前、魔王ファルビウムからフェニックス家に極秘での書類が届けられた。
その内容は、兵藤一誠がフェニックスを狙っている可能性が極めて高いことを判断した根拠と共に指摘したものであり、同封された手紙には上層部と結託して兵藤一誠を陥れた証拠が事細かに綴られていたのである。
そして書面の最後には、彼はシトリー領を襲うと見せかけてフェニックス家を狙う筈だから秘密裏に兵を置かせて欲しい、と締め括られていた。
「だから俺は安堵した。必ずや捕縛してくれるだろうと安心した! これでやっと枕を高くして寝られると油断したんだ!!」
何度承諾しても返事がされない。焦っている間に政府はシトリー領に三大勢力の連合軍を派遣すると発表した。それで漸くフェニックス夫妻がファルビウムの思惑に気付いたときには全てが遅すぎた。
懇意にしている上層部に掛け合っても突っぱねられ、交流のあった貴族や商人は一気に離れていき、最早誰の助力も得られなくなってしまった。
恐らくはフェニックス家を見捨てる旨を既に伝えられていたのだろう。故に誰も彼もが距離を置いたのだ。好んで泥船に乗りたがる馬鹿はいないのだから。
顔を真っ青にしながら各所を駆け回るフェニックス夫妻。そんな彼等を他所に、ライザーは一つの決断を下した。
「……悪いな。俺は逃げさせて貰うよ」
レイヴェル達の姿が見えなくなったのを確認してから、反対方向に歩き始めるライザー。その手には大きめのボストンバッグを掴んでいて、肩にもリュックを背負っている。
つまり、彼は冥界から逃げようとしているのだ。何もかもを見捨てて。
「俺はまだまだ生きたいんでね。戦争ごっこはお袋達で勝手にやってろ」
魔王ファルビウムから通達がなされた際、ライザーはどうにもキナ臭さを感じ取った。舞い上がっている両親は気付かないようだが、そのような極秘情報は当事者以外の誰にも知られないように通信魔術を、それも専用に構築のなされた術式を用いて連絡する。
特に現在は凶悪極まりないテロリストが暗躍している状況だ。敵に奪取される危険性を考慮しても普通は通信魔術で知らせる筈だし、魔王ならば尚更にそうするだろう。
そもそも送られてきた時期自体が可笑しい。急に判明したのならば兎も角、内容の細かさを見るにファルビウムは以前から把握していたようなのだ。
にも関わらず、送ったのは一週間前。まるでフェニックス家に時間を与えないと言わんばかりの絶妙な期間だった。
故にライザーは領地の巡回を引き受けたのである。逃走経路の確認、人の少ない時間帯と場所の確認。それら全てを短期間でこなす為に。
「それにしても赤龍帝のガキめ。大人しく殺されりゃ良いものを、なんだってテロリストに身を落としてまで生きてやがる。って元凶は俺だったなぁ、ハッハッハ。ま、俺はもう関係無いんだ──」
此処でようやっと、ライザーは周囲の異変を察知した。自分は人通りのない道を進んでいた筈だが、何時の間にか周りは
誰も居ない、何も見えない。強い闇の中で彼は狼狽えるばかりだ。
「な、何だ!? 敵襲か!? まさか、奴が……」
レイヴェルの指摘した可能性が頭に過って、慌てて打ち消す。しかし状況的に考えられる原因はそれしかない。
となればこの障壁は足止めであり、襲撃の下準備にしかならないのだろう。ならば必ずやって来る筈だ。
憎悪を抱えた少年が、ライザーを狩ろうと狙っているのだから。
「悲しいねぇ。俺に会いたくないばかりに家族を見捨ててまで逃げようとするなんてなぁ。俺は