「……イッセー」
少年の姿を視界に入れた瞬間、リアスはその名前を呟きながら手を延ばそうとした。彼もまたリアスをじっと睨んでいる。焔が逆巻くアリーナの中心で見つめ合う二人はさながらラブロマンスの主人公とヒロインにも見える。
実際にかつてはおぼろ気ながら、何時かはそんな関係になりたい、と願ってすらいた二人だった。
尤も、リアスは分からないが、少なくとも今の一誠にはそのような想いは欠片すら残っていない。彼らの間には深すぎる溝があった。
既に合流していたサイラオーグ、更にリアスを見付け出したアザゼルが庇うようにして前に進み出た時点で、一誠とリアスの関係性を端的に示している。
それは朱乃を筆頭とする眷属達が即座に各々の武器を展開した点からも伺える。
若手悪魔最強の獅子王、″神の如き強者″の名を冠する堕天使総督。並び立つ二人の実力者を目の前にしても、兵藤一誠は飄々として、余裕の態度を崩さなかった。
「目的は、リアスの殺害か」
「そうだ」
赤いシャツの上に擦りきれてしまった駒王学園のブレザーを羽織っている一誠。その姿はまさしく、リアスと初めて出会った時そのままの格好である。
彼女もまた学園の制服を着ているので場所こそ違えど、二人は偶然にもあの日の続きを演じているようにも思えた。
故にリアスはサイラオーグに静止されても、最後まで延ばした手を引っ込めようとはしなかった。最終的には手首を強く掴まれた事で諦めはしたものの、尚も憂いを帯びた視線を一誠に向けた。
しかし当の一誠は特に気にした様子も見せず、寧ろ当て付けのようにオーフィスの肩に手を回して、アザゼル達にもそれと分かるぐらいに強く抱き締めている。
だが、それも束の間。名残惜しそうに彼女を離して、次には戦士然とした顔付きでサイラオーグとアザゼルを睨む。
渇ききって何も映さない瞳に気圧され、不覚にも冷や汗を流す一同。まるで凍てついた氷水をかけられたかのように嫌な震えが全身を襲った。
「……待て」
一誠の放つプレッシャーに呑み込まれたリアス達。それでも、サイラオーグは鋼の意志を振り絞って、獅子を模した黄金の鎧を顕現させて一誠の前に立ちはだかった。
冥界を護りたいという正義感か、若手悪魔最強の意地と誇りか、はたまた絶対に譲れない覚悟がそうさせるのか。本人にも分かっていない。
兎に角、彼はこの葉でただ一人、″SSS級はぐれ悪魔″にして″赤龍帝″たる兵藤一誠に立ち向かった。そんな男の勇姿に感じるものがあったのか、一誠も赤い全身鎧を出現させた。
彼の向ける視線に無言で頷いて、オーフィスは結界を作り出して二人の戦士をすっぽりと覆った。簡易的にではあるが、オーフィス自ら作った結界だ。例え魔王や神クラスであっても破壊不可能な代物である
同時に、アザゼルはこの戦いに自分達が干渉出来なくなってしまったことに気付いて叫ぶ。
「無茶だ、サイラオーグ! お前さんじゃ兵藤一誠に勝てん!!」
「……無駄。如何なる衝撃や音も、この結界は遮断する。中にいる二人に、声は聞こえていない」
そう言ったきり寂しげに結界を見つめるオーフィス。小さな手をグッグッと握って、開いて。己の白い掌に残る暖かさを忘れないようにしながら。
彼女が少し機嫌を損ねているなど露知らず、黒い結界の中で一誠はサイラオーグと対峙していた。互いに鎧越しに睨んでいる為に相手の表情は見えない筈だが、二人の身体が滾る魔力の波動が彼等の抱く感情を映し出している。
何処までも真っ直ぐで力強い黄金の波動。それがサイラオーグの魔力の色であり、本質であった。幼少から努力を重ね続けたが故に会得した、サイラオーグ・バアルだけが持ち得る色。冥界を守り抜くという強い正義感を持つ彼に相応しい魔力だ。
そして同じく黄金の体躯を持つ″ネメアの獅子″ことレグルスと同化している影響なのか、放っている魔力質量は最早若手悪魔の領域を越えている。
ふとサイラオーグは以前の若手悪魔の顔見せパーティーの日を思い出した。あの時に初めて自分は兵藤一誠と戦い、ソーナの助力を得ても尚、手も足も出ずに惨敗したのだ。
「俺はお前を倒す為に修行を重ねてきた。その成果は、己の眼で確かめてみろ」
「……ったく、勘違いしている奴が多すぎるんだよな」
「何の話だ?」
呆れたように溜め息を吐く。腕をだらりと下げて、やる気をなくす。
殴って下さい、と言わんばかりの隙だらけの格好だが、サイラオーグは動けなかった。それどころか第六感がけたたましい音を鳴らしていた。
一誠の放つ魔力が、あまりにも赤黒く濁ってたからだ。
「良いか、悪魔共。他の奴は知らんが、少なくとも俺はな──戦争しに来てるんだよ」
──life.60 Regulus Lost.──
「ほら、かかってこいよ。特訓の成果とやらを見せるんだろ? アリーナでは誰も守れなかったけどなぁ?」
『BoostBoostBoostBoostBoost!!!!!』
「……!!」
嘲笑いながら手招きの素振りをする一誠。その見え透いた挑発、気だるげな一挙手一投足の全てが己を誘い込む罠であると看過しながらも、サイラオーグはどうしても堪えることができなかった。
冥界を強襲し、今こうしている間にも罪のない一般人が死んでいるというのに、その張本人は呑気にケラケラ嗤って、今も五体満足のままで立っている。
あまりにも理不尽で残酷な光景は、サイラオーグの持つ正義感と怒りを刺激するに充分だった。
元よりオーフィスの結界に阻まれて、退却も味方との合流もままならない。生き残るには目の前の赤龍帝を倒すしか道はない。状況的に追い詰められていた点も若き獅子王から冷静さを奪い、彼を一つの決断に追いやった。
こうなれば倒すしか道はない。サイラオーグは一誠から視線を外さないままで拳を構えようとして、
「遅いな」
次の瞬間には、兵藤一誠が直ぐ目の前に立っていた。
「しま……っ!!」
反射的に飛び退こうとするも間に合わず、顔面を思い切り殴り飛ばされる。鈍い衝撃に襲われその場に倒れ伏すサイラオーグ。必死に立ち上がろうとするものの頭が大きく揺れる。
今の一撃で脳にダメージを負ったのか。体勢を整え、顔を拭うと、直ぐに液体特有の感触が掌に付いた。成る程、妙に視界が赤くなった訳だ。
今の攻撃、もしも生身で受けていれば出血だけでは済まなかった。嫌な映像が彼の脳裏を過る。
それでも尚、サイラオーグの闘志は消えていなかった。己を鼓舞すべく、咆哮する。
「……まだ、終わってはいない!! レグルス!! お前の力を、俺に貸してくれ!!」
『はっ!!』
諦めようとしない彼を、一誠は懐かしそうに眺めていた。だがそれも一瞬で、次にはサイラオーグに向かってゆっくりと歩き始める。そうして立ち上がれないままでいる彼の頭に左手を触れさせた。
翡翠の宝玉が発光した。能力を発動させる合図だ。
「……いや、終わりなんだよ」
『──
▼
歴代赤龍帝の一人に、エルシャという女性がいる。発想力と機転に長けていた彼女は、これまでの主な能力だった″倍加″ではなく、高めた力を他者に与える″譲渡″にも着目した。そしてエルシャは一つの仮説に辿り着いた。
──敵の魔力を意図的に膨張・暴走させてしまえば、器である肉体はおのずと崩壊するだろう。
「初めてやってみたけど、凄く便利な技だよなぁ。同格レベルなら充分に通じるし、何より確実に殺せる」
『やるじゃないか、相棒。だが
「おいおい、勘弁してくれよ」
彼女の理論は正しかった。限界以上にまで膨れ上がった魔力はやがて肉体を攻撃し、堪えきれなくなった器は最終的に自壊してしまうようだった。
例を挙げるなら、先程のクルゼレイが正しくそれだ。高密度の魔力凝縮体であるオーフィスの″蛇″を自ら暴走させる事により肉体を自爆させた。強いて異なる点を挙げるなら、爆発の規模が桁違いであることだろう。
強力な技ではあるが、一誠は本来の標的に使おうとは思えなかった。もっと苦しませてから殺さなければならない。その為にわざわざ上層部が食い付きそうな餌まで蒔いているのだから。
「そういう意味では、苦しまずに死ねて幸せなのかもしれない」
かつてサイラオーグだった肉の塊には目もくれないで、一誠は嗤った。