冥界の裏の一つとして奴隷市場がある。専門の商人が人間を拐い、オークション形式で貴族達が購入するのだ。人間を誘拐するだけで纏まった金が手に入り、貴族ともコネが出来るので店を構える者は後を絶たなかった。
ぼろ布を着せられた美しい姉妹。スノワート、モルプス。
彼女達もこうした闇のマーケットに連れてこられた奴隷達の内の二人だ。
『お姉ちゃん……!』
『大丈夫だから、私から離れないで……』
二人は鎖に繋がれ、色とりどりのライトが照らす華やかな舞台に上がらされた。仮面を着けた司会者が口上を述べていく。
『さあ、次は人間の少女達でございます! 育てやすく初心者の方でも楽に世話が可能です。雑用にサンドバッグ、夜の営みと何でもござれ!! ──名をスノワート、モルプス! 神器無所有の姉妹パック、先ずは特別価格から!!』
『中々に良さそうですな。我輩自慢のケルベロスの遊び相手に欲しい』
『磨けば観賞用になりそうだ。戦力としては期待できそうにないがね』
ざわつきながら次々とプレートを表示する貴族。暫くして木槌の音が響き、甲高い声で司会者が叫ぶ。
『これにて締め切りとさせて頂きます! 最高入札者は──六十番の方です!! おめでとうございます!』
その言葉と同時に椅子から立ち上がったのは、白いスーツに身を包んだ若い男だった。不敵の笑みを浮かべながら契約書にサインする。
筆を置いたのを確認すると覆面を被った複数の大男が舞台脇から現れた。手にはシュウシュウと白煙を漏らす、焼き印があった。
姉妹の血の気が引いた。
これから自分達がどうなるのか、嫌でも理解してしまったのだ。
『……ヤダ、ヤダヤダァァァ!!』
『お願いです! どうか妹だけはッ!!』
スーパーマン、正義の味方、白馬の王子。そんなものが都合良く登場する訳もなく男達はゆっくりと迫る。
モルプスが泣き叫び、スノワートが懇願する様を、周囲の悪魔はワインの肴とばかりに見物していた。
幻想を壊すべく白スーツの男、ファンキャットは嬉々として告げた。
『──押せ』
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兵藤家に転移した姉妹は、直後に驚愕した。北欧のトップ、オーディンが立っていたからだ。しかもその隣には銀髪の美女、そしてディオドラが並んでいる。
まさか失敗したのかと戦々恐々の思いでやって来たスノワート、モルプス姉妹は別の意味で恐怖していた。
「何故オーディン様が……?」
「それについては儂が説明しよう。先ず前提としてディオドラ坊は悪魔からの離反を決意した」
「え!?」
姉妹は驚愕した。若手悪魔のディオドラが冥界を裏切る等、誰が予想出来たか。質の悪い冗談と思いたかったがオーディンがそんな真似をする筈が無い。そもそも理由が見当たらない。
思考停止に陥る二人に、オーディンは更に言葉を重ねていく。
「君達も苦労したのじゃろう。田舎爺の眼は解るぞ。そうじゃ、二人も鞍替えせんか? 情報と引き換えに助けようではないか。何なら人質や仲間も救おうて」
「人質は居ません。仲間も、他の眷属は……」
彼女達以外の眷属は皆、ファンキャットのおこぼれを狙う男達。そして何かと言いがかりをつけては身体を求めてくる屑ばかり。救う理由は無い。
スノワートが答えを言う前に、モルプスが叫ぶように言った。
「お願いします、助けて下さい! ──せめて、お姉ちゃんだけでも!!」
十に近い年齢の少女が、頭を擦り付けて頼み込む。自分ではなく最愛の姉を救うように。馬鹿な事を言わないで、とスノワートは後ろから強く抱き締める。
「私は貴女の姉よ! 妹を売ってまで生きようとは思わないッ!!」
「でも!」
ディオドラは何も言わず眺めていた。多分、先程の自分もこんなに必死だった。誰かの為に懇願したのだろう。
悪魔も捨てたものじゃない。そう思わせるには充分であり、同時にあまりにも遅すぎた。
コホンと大袈裟にオーディンは咳をする。
「これこれ、落ち着かぬか。儂は
彼の呆れるような台詞に姉妹は互いを見詰め合い、息を揃えて答えた。
「「鞍替えします!!」」
オーディンはにこやかに頷き、ディオドラを近くに呼んだ。いよいよ話し合いが始まるのだ。
一時間後、情報交換は完了した。四神話の同盟、″禍の団″への援助。信じられない話の連続で三人の頭はパンク寸前に追い込まれた。
オーディンもまた、顔にこそ出していないが″赤龍帝捕獲計画″の存在、そして兵藤一誠が″はぐれ悪魔″に堕とされた本当の理由を知り愕然としていた。
「……つまり、兵藤一誠は上層部とフェニックスに嵌められたのか。成程、これで疑惑が確信に変わったのう」
「はい。以前夜伽をさせられた時に、自慢気に話していましたから」
項垂れる二人にディオドラはそっと毛布をかけた。彼にとっては困っている人を見捨てられない、優しさからの行動だった。
だが、フラッシュバックを起こし精神的に不安定になっている姉妹にとって、不幸な人生を送ってきた二人にとって、他者に親切にされる事がどれだけ心の支えになるだろう。姉妹はすがり付いて、涙を流した。
「お主は天然のジゴロじゃな。一種の才能と言っても良かろう」
「ジゴロではありません。ただ困っている人を放っておけないからです」
「狙っているようにしか思えんぞ。──さてと、お主の眷属を救出せねばの」
オーディンは立ち上がり、腕を一振りした。たったそれだけの動作でロスヴァイセを除く四人の足下に魔法陣が描かれる。
「ロスヴァイセ、引き続き見張りを頼む。では、救出に行くぞ!!」
青白い光に包まれ、徐々に景色が消えていく。そして転移する直前、部屋の扉が開けられた。
驚いて振り向くディオドラの眼に映ったのは、かつて命を助けて貰った少女。
「君は、全てを聞いてしまったのか……!?」
アーシアは何も言わなかった。しかし消え去る直前、ディオドラは確かに見た。
彼女の頬に僅かにある、涙の流れた痕を。
──life.42 誘拐③──
「貴様、何処から入って………あべし!」
「たわば!!」
ディオドラの眷属が監禁されている薄暗い地下牢に転移した途端、あからさまに悪そうな男達に囲まれたオーディン一行。勿論、そこらの雑魚が相手になる筈もなく、立ちはだかった彼らは断末魔と共に散ってゆく。
後に残されたのは肉片と、鎖に繋がれた美少女達。彼女達は自由になるや否や、ディオドラの下に駆け寄った。
「ディオドラ様!」
「すまない、皆。僕の不注意で……」
確かめるかのように、互いを強く抱き締める。その光景を眺めていたオーディンは転移魔法陣を描いた。
眷属を救出したからにはもうこんな悪趣味な場所に用は無い。
「応援が来ない内に急ぐぞ、ディオドラ坊」
「はい!」
スノワート、モルプス姉妹は床に転がる肉片をじっと見ていた。彼等は全員がファンキャットの眷属だった。
だが自分達とモヒカンの待遇には雲泥の差があり、その上ファンキャットに媚を売りおこぼれに
元同僚と言えど、同情する程の価値は感じられなかった。
そっとモルプスが呟く。
「……私達は先に進みます」
「さようなら、忌々しい過去」
最後に姉妹が術式に加わり、転移魔法陣は光を強めた。そして数秒後にはディオドラも眷属も、姉妹も主神も。全てが消え去っていた。