「今のところは上手く進んでいるな……」
気絶したメイド達を廊下に寝かせながらディオドラは一息ついた。誘拐するには先ず兵藤家に潜入しなければならないが、
それにしても奇妙だ、とディオドラは辺りを見回す。
「結界どころか監視術式も展開していないとは、責任者は何を考えているんだ……?」
そう、兵藤家には監視術式すらも設けられていなかったのだ。結界が無いのは侵入者を誘い出す為だと考えていた。だからこそ変装したというのに罠も監視もない。
メイドが監視役だとしても、彼女達が倒される事を想定していなかったのか。それは余りに無謀だ。
「だが好都合だ。こうなれば発見される前に誘拐するとしよう」
そう言いつつ、彼は家の中を探し始めた。目標である兵藤一誠の母は直ぐに見つかった。テレビの前でうたた寝している。どうやらワイドショーを見ながら眠ってしまったらしい。
起こさないよう、慎重に歩を進めようとするディオドラ。その時、背後から冷たい声が投げられた。
「──お母様は結界で護られています。貴方ではどうにも出来ませんよ?」
「見張りの悪魔か? いや、それにしては魔力が違う。君は何者だ?」
輝く白金の鎧に身を包み、剣を向ける銀髪の美女は問いに答えた。
「名はロスヴァイセ。北欧主神、オーディン様に仕える
彼女達は美しいだけにあらず、その武勇も並を超える。今、目の前に立つロスヴァイセも間違いなく強者であった。
「アスタロト家の次期当主、ディオドラ・アスタロト。地位も財産もある貴方が何故こんな馬鹿な真似を──」
その言葉に、ディオドラは思わず叫ぶ。
「何も知らないくせに、偉そうに言うなッ!!」
予想外の激情にロスヴァイセは後退りした。情報ではディオドラたる人物は穏和で冷静、紳士的な人物と聞いていた。そんな彼が此処まで感情を露わにするとは。
「君が何を知っているんだ! マーガレット達と引き離されて、無理矢理に片棒を担がされて!! 言ってみろ、君が何を知っているというんだッ!! 何とか言ってみろよ、ロスヴァイセ!!」
何も言えずに立ち尽くすロスヴァイセに、みっともなく詰め寄った。涙と鼻水に顔を汚し力なく座り込む。そこに華やかな貴族の面影は消えていた。
ただ優しすぎる少年、ディオドラだった。
「……ふむ、どうやら訳ありの様じゃな」
何時の間にか一人の老人が覗き込んでいた。気配を感じさせず、まるで最初からそこに存在したかのように立っている。事態が掴めないディオドラの横でロスヴァイセは即座に膝を突いた。
「あ、貴方は?」
「儂か? 儂は北欧で隠居生活を送る、ただの田舎爺に過ぎんよ。周囲は儂をオーディンと呼ぶがの」
そう言って老人は蓄えられた白い髭を撫でた。
──life.41 誘拐②──
数秒後、ディオドラも彼女の隣で膝を突いていた。知らなかったとは言えど、北欧勢力のトップに失礼な態度で接してしまったのだ。
悪戯が成功した少年のように笑うオーディンとは正反対に、彼は冷や汗しか流せなかった。
「気にせんで良いぞ、ディオドラ坊。公務なら兎も角、儂はプライベートで来たんじゃからな。ロスヴァイセも顔を上げんか。……ところで、儂がこうして出向いたのには理由がある」
それまで笑っていたオーディンはスッと目を細める。
「じゃが、説明をするにはディオドラ坊にある程度の事情を把握して貰わなければならん。君には引き換えに何故、兵藤家に潜入したのか説明して欲しい。裏で糸を引く者から具体的な計画まで全て。──対価交換は悪魔の十八番じゃろう?」
「取引、ですか」
「ディオドラ坊は自分の未来を考えた方が良い。このまま悪魔と共に滅びるか、鞍替えするか」
だが答えは既に決まっていた。眷属を人質にするような連中の下で働く事は出来ない。未来は見え透いている。
ディオドラは深く頷いた。悪魔との決別の表れだった。
「解りました、全てお話しします。ですが条件を一つ追加させて頂きたく思います。──どうか眷属奪還に協力して貰えないでしょうか?」
「……ほう、このオーディンを前に媚びるどころか、あくまで対等に話を進めるか」
ソーナ対リアスのレーティングゲームと同時進行で開催された二試合。即ちサイラオーグとゼファードル、シーグヴァイラとディオドラの若手悪魔同士のゲーム。それらもまたオーディンは録画であるが目を通した。
どちらも多少難はあれど、若手なりに頑張ったと評価している。
だが今の彼は最早若手では無い。一人の男。眷属の為に戦う、愚直なまでに真っ直ぐな男だ。
暫し考えた末に口を開いた。
「……その覚悟に免じ、条件を受け入れよう。北欧から精鋭を派遣する。お主のような者を死なせるには惜しい」
「あ、ありがとうございます!!」
勢いよく頭を下げるディオドラ。と、通信魔法陣が彼の耳元に展開される。相手はあの姉妹だった。
『もしもし、ディオドラ様。私達は無事に拐いました。そちらは首尾よく進みましたか?』
「何だって! もう拐ってしまったのか!?」
『は、はい。既に!』
「──取り敢えず兵藤家に向かってくれ。重要な話がある」
通信を打ち切りディオドラは、オーディンを見た。その顔は焦りに染められていた。真剣な表情で彼は頷く。
「どうやら猶予は無くなったようじゃな。その通信の相手が来たら話をしよう」