ディオドラは人間界の散歩を趣味とする。停滞的な悪魔と違い、凄まじい早さで進歩を遂げる人間が彼は好きだった。
勿論、戦争や差別等といった負の面も知っている。だがそれは悪魔にしても同じ事。違うのは寿命と力のみだ、と貴族出身者にしては珍しく人間に好意的だった。
その日、ディオドラはヨーロッパに出掛けていた。彼にとっては何時もの日課に過ぎず、それ故に護衛をつけていなかった。
そして、そんな時に限って
「油断した……! まさか、生きているなんて……ッ!!」
結果から言うと、戦いはディオドラの勝利で幕を閉じた。しかし全員を倒した直後、最後の悪足掻きである光弾を胸に喰らってしまったのだ。
悪魔にとって光は猛毒。彼の身体は、内側から焼かれつつあった。
出血が止まらず、眼は霞む。そうして遂に足から崩れ落ちた。
ああ、このまま鬱蒼と広がるヨーロッパの森で僕は死ぬのだろうか。
名門アスタロト家の跡取りともあろう男が誰にも知られず、寂しく朽ち果てる。
「すまない、マーガレット。僕はもう駄目だ……」
誰かの叫び声が聞こえた。どうせ幻覚だ。
影が動いた。こんな森の中に誰が来るんだ。
「──!?」
五月蝿い幻だ。或いは死ぬ前に見ると言う走馬燈か。それならもっとマシな想い出を見せてくれ。
僕の生まれた日。健やかな成長。誕生会。初めての眷属、マーガレットとの出会い……。
眠るように心地よく、ディオドラの視界は閉じていった。
──life.40 ディオドラ・アスタロト──
「あ、気が付きましたか?」
もう朝か、と気だるげに彼は起きた。先ず飛び込んできたのは蒼だ。透き通った空色。草の香りと共に声の主が見えた。
シスターの格好をした、金髪の少女だ。
「此処は……?」
「大丈夫ですか? 胸に大怪我をされていましたけど……」
「そうだ、傷は!?」
ディオドラは慌ててペタペタと自身の胸に触れた。少しだけ盛り上がっている所はあるが、抉じ開けられた大穴は消えていた。痛みも無い。少女が微笑む。
「傷なら治療しました。もう動いても良いですよ」
「そ、そうなのか。ありがとう」
礼を言いつつ彼は驚いた。あれだけの傷を瞬時に治すシスターに覚えがあったからだ。確か、名前をアーシア・アルジェントと言う。
ヨーロッパの教会に聖女が居るとは聞いていたがまさか此処で出会うとは。命を助けて貰った身で失礼だが、彼は内心で舌打ちした。
人を癒す能力を持つアーシアは、云わば教会の宣伝塔。プロパガンダ。
仮に悪魔と一緒に居る場面を見られれば、教会側との小競り合いになりかねない。最悪の場合は上位組織である天界との衝突も考えられる。ディオドラは何としてもこの危機を回避せねばならなかった。
「傷を治して頂き、ありがとうございます。しかし自分は旅を急ぐ身。此処等で別れましょう」
「は、はい! お元気で!」
態度を急変させた彼に首を傾げつつも、アーシアは精一杯の笑顔を向けた。彼女が見送りに移った事に安心し、ディオドラも踵を返す。後はアーシアの前から姿を消してから適当に転移すれば良い。
彼の気転を利かせた言動によって、二人はシスターと旅人のまま終わる筈だった。
「そこまでだ、下劣な悪魔!」
白の制服を纏った幾人もの男達が、二人を取り囲むまでは。
「
「貴様には失望したぞ、″聖女″アーシアよ! まさか悪魔にまで施しをするとは!」
「……悪魔?」
「奴の名はディオドラ! アスタロト家の次期当主にして、先程見回りに当たっていた同胞を皆殺しにした張本人だ! そんな危険人物を治療するとは、貴様は悪しき魔女に違いない!!」
最悪のパターンだった。訳が解らず、立ち尽くすアーシアに彼等は次々と事実をぶちまけていく。
思わずディオドラは叫んだ。
「待て、アーシアさんは知らなかったんだ! 彼女は純粋な善意で僕を治したんだ!!」
「戯れ言を聞く必要も、悪魔を治療する聖女も必要は無い。二人揃って断罪してくれるッ!」
数はざっと二十人。全員が光の剣や銃を手にしている。まともに戦えば幾ら上級悪魔でも苦戦は免れない。
しかし、今逃げれば残されたアーシアは確実に殺される。こうなれば特攻してでも巻き込んでしまった責任を取らねばなるまい。
全身から魔力を迸らせ、
「安心してくれ」
背後で震える少女に向けて囁いた。
「──君を傷付けさせないから」
挨拶代わりに魔力弾をばらまき、勇ましく駆け出した。魔王ベルゼブブの血筋、名門アスタロト家の次期当主。それがどうした。そんな肩書きは捨ててしまえ。
「俺は、悪魔だッ!!」
斬りかかってきた一人の顔面を鷲掴みし、首を思い切りへし折る。更に死体を投げ飛ばし、怯んだ所に最大火力で砲撃魔法を叩き込む。
およそ華やかな貴族らしくもない、泥に塗れたラフプレー。形振り構わぬ、獣のような暴力。
「遠巻きにして光弾で仕留めろ!!」
隊長らしき男の命令によって、一斉に放たれる光。それらは全てディオドラに突き刺さった。
「ディオドラさん!!」
「どうだ、忌々しい悪魔め。これだけ光を浴びれば──」
そこまで言って、男の言葉は中断された。本来ならこれで悪魔は消滅する。光に強い耐性を持っている最上級悪魔でもまともに喰らえば致命傷は免れない。
ならば何故、煙と血飛沫が舞う中に眼光が輝いている、煌々としている。
「以前なら光に貫かれて死んだだろう。実際、死ぬ一歩手前に追い詰められたからな。でも、今の俺に光は効かない」
「た、助け……ッ!?」
情け容赦もなくディオドラは魔力弾を放った。パラパラと肉片が降り、森は元の静けさを取り戻した。
「すまなかったね、アーシアさん。僕の不注意でこんな事になってしまった」
「いえ。それでは……」
「さようなら。もう会うことはないだろう」
こうして、今度こそシスターと旅人は別れた。魔法陣によって彼は消え去った。このまま二度と会う事は無いだろう。
術式は粒子となって散りゆき、翡翠の森を舞った。
二人は気付かなかった。アーシアを探しに来た神父が、一部始終を目撃していた事に。
そして此処から彼女の苦難は始まるのだ。