「暫く見ない間に人間界も変わった。人間とは実に素晴らしいエネルギーを持っている。僕が言える立場では無いか」
リアスと別れた後、ディオドラは一人で街を散歩していた。普段の彼なら眷属と共に歩いている事だろう。しかし、今日に限って──実際にはそれ以前から、眷属と共に過ごしていなかった。
空を見ながらディオドラはあの日を思い出す。上層部に呼び出されたあの日、シーグヴァイラとのゲームを前日に控えた日を。
『ディオドラ・アスタロト。お召しにより参上致しました』
『まあ、先ずは座ってくれたまえ。話は長くなるのでね』
『失礼します』
礼儀としてしゃちほこばって起立していたが、ファンキャットの言葉に軽く会釈をしてから席に座った。
やや大きめに設計された部屋の中央には、円卓が我が物顔で居座っていた。その周りには十人の老人が座り、そして一つだけ意図的に造られたであろう空白がある。
何故、自分は呼び出されたのか。焦燥を隠せないディオドラに、ファンキャットは涼しげな笑顔で告げた。
『ディオドラ君は、何故呼ばれたのか焦っているね。焦燥する事は無い。我々上層部は君にある極秘の命令を与えようと思っている。冥界の未来を、君の双肩に託す訳だ』
馴れた手付きで円卓に現れた魔法陣を弄くる。ピッピッ、という電子的な音が数回して、次いで術式が壁に浮かび上がった。
映し出されたのは″赤龍帝の鎧″だった。例の若手悪魔のパーティー会場にて暴れる場面がコマ送りで流される。
あの時目にした彼の強さはディオドラも良く知っていた。
流石、その一言に尽きる。強さもさることながら敵陣の真ん中に飛び込むその度胸。魔王サーゼクスに見せた冷酷な眼は対峙した者全てに恐怖を刻んだ程だ。
『……兵藤、一誠』
『ああ、そうだ。冥界の民達は赤龍帝に怯えているのだ。愛する者を殺される、とね。ならば我々には危険人物を排除する責任と義務がある』
察しはついていた。こんな薄暗い部屋に呼び出し、しかもモニターで見せられれば答えは自ずと解る。兵藤一誠の殺害なのだと。だが、上層部の一人が首を横に降る。
『君は勘違いをしている。我々が望むのは抹殺でも、ましてや暗殺でも無い。捕獲だよ』
『……ッ!?』
どうかしている、と叫びそうになったのを彼は寸前で堪えた。相手は赤龍帝だ、二天龍だ。古の大戦で聖書の神と前魔王四人を相手取ったあのドラゴンなのだ。勝てる筈が無い。しかも上層部は前線を退いて久しく、ブランクは計り知れないだろう。
にも関わらず、彼らは捕獲すると言い切った。まさか、そう断言出来るだけの切り札があると言うのか。ディオドラは思わず脳内で議論した。
混乱する彼の肩に手を置いて、ファンキャットは尚も笑む。
『我々は″SSS級はぐれ悪魔″である兵藤一誠を捕獲し、冥界の心強い矛にするつもりだ』
『汚物とて実力は確かだ。ならばその力は冥界の今後の為に使ってもらわなければならない。鬱陶しい天使や堕天使、魔王派の連中も押し黙るだろう』
『し、しかし……兵藤一誠の実力は桁違いです! 一体どのようにして──』
気付けば、ディオドラは公園に着いていた。回想をしている間に表通りから此処まで流れてきたらしい。住宅街の中に設けられたそれは住民の憩いの場だろう。
子供が忘れていったのだろうか、古びたサッカーボールが寂しく転がっている。風に押され、不安定に動く様は正しく今の自分だった。
少し休もうとベンチに視線を移して、彼の思考は停止した。木陰の下で揺れる金髪に見覚えがあったからだ。
「アーシアさんッ!?」
「貴方は、あの時の…………?」
アーシアは焦点の合わない瞳で此方を見た。心無しやつれている気がした。慌てて隣に座る。
「ディオドラ・アスタロトです! かつて貴女に助けてもらった者です!!」
「そうなのですか、お久し振りです……」
「アーシアさん、一体何があったのです! 何がアーシアさんをそこまで変えてしまったのですか!?」
取り繕った冷静さも、優しさも捨て去り彼は詰め寄った。だけども彼女は抵抗もせず揺れるだけ。まるで糸の切れた人形のようだ。
と、複数のメイドが走ってきて、奪うようにアーシアを抱き寄せた。
「すいません、この方はご病気で……! 帰りましょう、アーシアさん!!」
流れ作業のように車イスに乗せられる彼女に、抵抗の意思は無かった。数分と掛からずに住宅街の静けさに消えていく。メイド達は相当に急いでいたらしく、彼がディオドラであることに気付いた様子は見当たらなかった。
病気。
その言葉が気にかかる。風の噂によればアーシアは兵藤一誠に救出されたと聞く。もしくは彼が″はぐれ悪魔″になったショックで精神を病んでしまったかもしれない。
「そうか、アーシアさんまで……」
「元カノですか?」
「いや、ただの知り合いさ。それで、君達が来たのは″赤龍帝捕獲計画″かな?」
「そうです。貴方の補佐に来ました」
音もなく現れた姉妹を眺めながら項垂れる。本当は計画に参加したくなかった。逃げたかった。
──life.39 誘拐①──
『奴の両親を拉致し、それを餌にして兵藤一誠を捕獲する』
『実行はディオドラ、君に任せる。補佐を二人、そして″王の駒″を与えるから、兵藤一誠の両親を誘拐したまえ。尤も、後者は明日のゲームでテスト運用して貰うがね』
『断るなら、君の眷属はどうなるかな?』
映像術式が映し出した一人の少女の姿に、今度こそディオドラは言葉を失った。
『ディオドラ様……!』
『マーガレット、無事なのか!? 他のメンバーは!?』
『シュガー、コヨミ、ネア、パルケ! 私を含め全員無事です!!』
彼女達の叫びが遠退き、変わって太い男の声が響いた。
『彼女達には未だ手を出してない。だが貴様が少しでも反抗すれば、君の愛しい眷属ちゃんは俺様の慰みものとなる』
魔法陣は鮮血に染まり、弾けて消えた。背筋が冷たくなっていくのを彼は感じた。彼女達が何処の輩とも解らない男に蹂躙される。形容しがたいイメージが脳裏を走り、吐き気が込み上げた。
上層部の顔はもう笑っていない。
『解ってくれたかな? 冥界の未来に加えて、彼女達の将来も君は背負っているのだよ。つまり我々の言う通りにするしかない』
『無論、鞭ばかりでは無いよ。計画成功の暁には、ディオドラ君に上層部の席を与えよう。金と地位、そして約束された栄光。──幸運にも、君にはチャンスがあるんだ』
『頑張ってくれたまえ、ディオドラ・アスタロト。冥界の為に……』
震えながら彼は立ち上がる。やるしか道はないからだ。ディオドラの側に控える少女達も同じ。
「行きましょう、ディオドラ様。この時間帯は兵藤家には母親の他にメイド、そしてアーシア・アルジェントしかいません。誘拐するなら今です」
「……分かった、そちらは僕が担当する。父親の方は君達で行ってくれ」
その命令に瓜二つの顔をした姉妹、スノワートとモルプスが頷く。
「私達は会社帰りを狙います」
「……やるしか、ないんだな」
「はい」
三人はゆっくりと公園を後にした。それは覆せない運命に対してのささやかな抵抗のつもりだった。
誰も居なくなった公園で、別れを惜しむかのようにサッカーボールが揺れていた。