″闘戦勝仏″と恐れられた孫悟空の末裔、美猴。
元龍王の肩書きを持つ最上級悪魔、タンニーン。
両名の神話を越えた戦いは木々を散らしながらより激しく加速していった。
「イィィヤッハァァァア!! 良いね良いねぇ!!」
「猿がちょこまかと動きおって!!」
「そう言うお前もデケェ身体して中々に速い! こっちの攻撃を紙一重で避けてやがるぜぃ!!」
美猴が如意棒を構えながら得意気に冥界の空を飛び回り、対するタンニーンがそれを追跡する。風を斬る攻防が繰り広げられる空中を、黒歌は妖力を練りながら観察していた。
その背中には、実妹である小猫が不安げな表情でもたれ掛かっている。
先程の謝罪もあって背中に触れてくる程度には関係が修復されたが、未だ動きにぎこちない部分も見えた。長年に渡るすれ違いは完全に溶けた訳では無いが、逆に言ってしまえば昔のように笑い合える余地が残されているということだ。
だが仲直りに至るには先ず此処を抜けなければならない。
黒歌は固く手を握り締める。
「やってやるわよ……妹を守るお姉ちゃんは強いのにゃ!!」
頬を叩き、妖力を高める為に息を整えた。
音が停止し、風が消え去る。何百もの東洋文字を描いていく黒歌を中心に、巨大な渦がゆっくりと動き出した。何万年も生きてきたであろう生い茂る森林から、その樹から顔を出す小動物達から翡翠の生命力が吸いとられていった。
うねりを見せながら文字の集合体たる黒曜の魔法陣が彼女の足元に染み渡って行く。
その異変は全員が察知した。馬鹿げた質量の妖力。他ならぬ黒歌自身の、上級妖怪としての力だ。
耐性の無いタンニーンや今まで格闘に才能を費やし妖力から目を逸らしていた小猫は嫌悪感を覚えたが、自身も妖怪であり彼女以上の仙術の使い手でもある美猴は特に目立った反応は無い。それどころか、自分の近くを通っていく生命力を摘まみ食いする始末である。
「何だ、あの小娘……!? 急に力が上昇している!」
タンニーンは絶大な魔力に気を取られた。戦場においてその隙は致命的で、瞬き一つの間に美猴が詰め寄る。
「食ったら力が湧いてきた! 行くぜぃ、必殺の──」
拳に妖力を迸らせ、身長を越える大型の術式を造り上げた。
経験豊富なタンニーンは、虚を突こうと敢えて飛び込む準備を整える。術式は光を増して金色に輝き、それに呼応するかのように如意棒も色を朱から黄金へと塗り直した。
そしていざ飛ぼうとしたタンニーンの顔に、
「ぐわぁっ!?」
──大量の砂が投げられた。
「眼が、俺の眼が!! 何も見えぬぞ!!」
苦しそうにもがく龍。その前には悪戯な笑みを浮かべた美猴が砂まみれの拳を広げていた。術式は消え、如意棒も元へ戻っている。ケラケラと笑い声が聞こえた。
「どうよ、俺の二千個の必殺技の一つ! 目潰しは!!」
「クソ猿めが!! 殺してやるぞ!!」
「およよ、怒ったねぃ。カルシウム足りてるのかよ」
砂が取れていない眼を擦りながら叫ぶタンニーン。その様子を楽しんでいた美猴だが不意に笑みを消した。純粋な殺意を帯びながら告げる。
「二つ訊きたい事がある。──何故、黒歌と一緒に白音ちゃんまでも攻撃した?」
「あれは威力を抑えた牽制だ! でなければ、あの時点で小娘共々火炎にまみれて死んでいる!」
「どうだかな。お前は龍王とまで称された元ドラゴンだ。転生したのも同胞を守る為。本心では悪魔の一人や二人どうなっても構わない……そう思ってたんじゃねぇの?」
「……」
「ま、お前の本心なんか知らんけどな。では二つ目だ」
普段のふざけた笑みに表情を戻し、彼は告げる。
「──さっきから俺にばかり注意を向けているけど良いのか?」
光が収まった。それは嵐の前の静けさ。巨大な魔法陣ははち切れんばかりに膨れ上がっている。照準は空に浮かぶタンニーン。
操る黒歌は不自然なまでに無表情だった。
「姉様……」
「……何かにゃ、白音」
小猫は、震える姉の手に自分の真っ白い手を重ねた。小猫と比べると彼女の手は大きくとても頼りに、そして儚く見えた。
「今度こそ、離しませんから」
その意思を込めてしっかりと握った。もう震えは無くなっていた。言動の意味が解らず暫くキョトンとしていた黒歌だが、やがて気付いた様子で微笑む。
「いくよ、白音!!」
「はい、黒歌姉様!!」
──風が切り裂く。水が穿つ。雷が駆ける。焔が迸る。集え、八百万の森羅万象。見えざる力を持って我に道を示せ。
翠、蒼、黄、紅。四色の妖力が黒歌の周囲を飛び回り、天に跡を描いていく。雄大で美しいその姿は見る者を圧巻する舞踏のようだった。
小猫は何時しか涙を流していた。傷だらけの過去が癒されていく心地よさを感じたからだ。
四の色は混ざりあい銀となり、そして純白の滴が最後に染みる事により、銀は金色へと昇華されていく。金の光はとても暖かだった。
この光は、楽しかったあの頃を羨む光でも無く、真実を悟ったこの時を嘆く光でも無い。
姉と描くこれからの未来を夢見る暖かさだ。
「──我は導きし者なり!!」
二人の透き通る声。拡げられた東洋文字を順に詠う。そして全てが読まれ、絶望が覗いた。
「──
黒と白が入り乱れた螺旋の閃光。銀雷を纏いながら直進する莫大なエネルギー凝縮体。
迫りくる閃光を目前に、タンニーンは翼を展開し避けようとするが、不意にズキリと視界が揺れた。
離れた所に避難した美猴が、砂がついた手を見せびらかしていた。
「残念だがお前が浴びた砂は、俺の妖術仙術ミックスで強化された特殊な代物でな。一瞬だけ強烈な頭痛を引き起こすんだ。でもその一瞬は致命的だろ? ──じゃあな、ドラゴンの大将さん」
「無念……」
全身を切り刻まれ、焼かれ、そして散らされる。後に墜ちてきたのは焼け焦げた肉片だった。
息を吐きながら膝を突く黒歌。咄嗟に小猫が抱え、木陰へと連れる。心配そうな顔の妹を見ながら彼女は訊ねた。
「……で、白音はどうする?」
″禍の団″に加入するのか、否か。
タンニーンに乱入されて聞きそびれたが今は邪魔者はいない。小猫は瞑目した後、口を開いた。
「私はイッセー先輩の一件の真相が知りたいです。しかし姉様の手を借りずとも私は一人で調べるつもりでした。……ただ、このまま続行すれば間違いなく私も殺されてしまうでしょう。それ程の何かが裏にあると思います」
「なら……」
白い頭がゆらりと揺れた。
「私は姉様の元に帰るだけです」
やっと言える。随分遠回りをしてしまった。けど、だからこそ。
こんなにも嬉しい。
「……お帰りなさい、白音」
「……ただいま、黒歌姉様」
木陰の中で姉妹は笑った。涙を流す黒歌の耳元で小さな魔法陣が赤く点灯していた。
──life.27 塔城小猫③──