日課である特訓を終えた一誠は、大の字になってトレーニング室の床に寝転がっていた。舞台となった室内は破壊され尽くしており、特訓相手であるオーフィスがいなければ復旧は困難を極めただろう。
荒い呼吸を繰り返す一誠に対して、彼女は特に疲れた様子も無く、ぼんやりと隣に座っている。
一誠は以前に比べると実力が更に上がったらしく、今では三十分も戦えるレベルにまで成長していた。勿論、オーフィスは手を抜いている。
そんな彼の左手に装着されている籠手を、オーフィスはずっと見つめている。悠久を統べる彼女にとって、それは何回も見た他愛ない玩具に過ぎない。
内部に封じられている
ならばやはり、己が心を乱している者は兵藤一誠という結果に至る。
「……我、気になる。赤龍帝の事」
ふと気付くと彼は寝息を立てていた。こうして見てみると普段の戦士然とした雰囲気は微塵も無く、寧ろ可愛らしさすら感じる。最強の座に最も近い自分からすれば蟲と等しい、少し力を込めれば潰れてしまうか弱い存在だ。それが特訓に付き合い、膝に乗り、本来必要としない食事を一緒に食べている。
今までの自分であれば絶対に有り得ない行動。何処から変わってしまったのだろうか。
「……我、思考する」
一誠が眠っている事を機会とばかりに、オーフィスは少しばかり考えてみた。
例の″蛇″製作作業に従事していた時、ヴァーリに気分転換を勧められたのが始まりであった。
彼女としても気分転換による作業能率の向上は知識として既に持っていた為に、何の疑問も持たず夜の人間界に飛び出した。
喧騒が苦手な彼女は、噴水を中心に据えている比較的大きな公園を選んだ。鳥の声を聞きながら黙って瞑目する。
駅前にあるこの公園は、昼間は恐らく若いカップルや親子連れを癒すオアシスなのだろう。
だが今は丑三つ時。こんな時間帯にやって来る者はいない。たまに野良犬や野良猫の類がオーフィスの前を通ろうとするが、彼女を見た途端に叫びながら逃げ出していく。
歴然とした、推し量るのも馬鹿馬鹿しい力の差が恐怖という最も原始的な本能を揺さぶっただけである。オーフィスとしては見慣れた光景だ。
だが、寂しくもあった。
オーフィスが座るベンチの前に青年が墜ちてきたのは、その直後だった。
激しい戦闘を繰り広げたことは、身体中の傷やそこから流れるおびただしい出血からすぐに分かる。
そこまでならオーフィスは関与しなかったし、そもそも見向きすらせずにその場を立ち去っただろう。彼女の目を引いたモノは青年の赤い両腕だった。
鱗で覆われた全体的に鋭いイメージを与える龍の腕。莫大な知識を有するオーフィスは、それがドラゴン系神器を宿す者に見られる、代償を支払った証だと即座に理解した。彼から微かに漂うオーラから、宿している神器は赤龍帝であるという事も察した。
これを見た時、オーフィスは何故か非常に興味を覚えた。理由は不明であるが、兎に角助けなければならないと強く思った。だから応急処置を行い、″禍の団″本部へと連れ帰った訳である。
「……赤龍帝は蛇を拒絶して、努力に身を沈めた。我が把握している所有者の中で初めてだった。だから協力を決めた」
彼女の定位置は一誠の膝上。移動手段は肩車。
「……膝の上も肩車も、凄く落ち着く」
二人で食べるラーメンは熱かった。悪戯のつもりか、彼はよく頬をプニプニとつつく。
「……初めて食べた。指、柔らかかった」
やがてウトウトとしながら、最後にオーフィスは呟く。
「……寂しく、なかった」
──life.19 オーフィス②──
一誠が漸く起き上がったとき、オーフィスは眠っていた。こうして見てみると年頃の少女らしい、実に可愛い寝顔である。
彼から見て、オーフィスは絶対に届かない存在。無限に近くなる事は出来るかもしれないが、無限に並ぶ事は無い絶対的な強者だ。
それでも、例え彼女が最強であっても、護りたい存在である事に偽りは無かった。
「……そう言えば、オーフィスと行動を共にしてから長いな」
始まりは例の襲撃事件。十人の上級悪魔を、憎悪と代償を以て殺害したあの事件だ。当時の一誠では赤龍帝の力を以てしても到底敵わず、やむを得ずドライグと契約を交わした。今はカモフラージュされているが、赤き龍の両腕がその紛れもない証拠である。
全員を文字通りバラバラにして、その際に部室に駆け付けたリアスと鉢合わせした。己を見る眼が化物を見るそれであったことを、彼は見逃さなかった。
結局、その眼に耐えきれなくなってその場を立ち去った。
援軍を呼ばれる可能性も考慮して、出来るだけ遠くに逃げるべく空を飛んだ。
こうなってしまった以上、両親にはもう会えない。戻れば却って危険に晒される。だから逃げた。
最初こそ順調に飛んでいたものの、元々彼は飛行が得意では無い。その上、悪魔との戦いで既に満身創痍だった。そんな状態でまともに飛べる筈も無く、落下してしまったのだ。
その直後、一誠はオーフィスに拾われたのである。
「……俺と違って暖かいな、オーフィスは」
そうして思い出に浸っていると、曹操とゲオルクがトレーニング室に入ってきた。
「どうした? 何か問題でもあったのか?」
そう訊ねる一誠に、「少しな」頬を掻きながら曹操は答える。
「先程、四神話──日本・ギリシャ・北欧・インドの連名で金銭援助の話があった。協議するからと誤魔化してその場は使者に帰ってもらったが、君はこれをどう見る?」
「三大勢力潰しの尖兵扱いだろうな」
「やはりそう思うか」
国際的に見て、″禍の団″の立場は単なるテロリスト集団に過ぎない。それを支援するということは、四神話にとって余計なリスクを抱えるということに他ならない。しかし、そのリスクを考慮しても彼らは支援の道を与えた。
何故か?
三大勢力が憎いからだ。
連中は勢力拡大の際に形振り構わずに動き、他勢力の信仰・信者を強引に奪い取ってきた。
また近年は″悪魔の駒″を用いた、誘拐に等しい強制的な悪魔化が横行しており、そうでなくとも″神器″所有者が堕天使達によって殺害されている。他ならぬ兵藤一誠もその一人だ。
信者も自国の民も奪われ殺され続ければ、他神話が苦々しく思うのも当然だろう。しかし、其々の国際的な立場から表立って争う訳にもいかず、非難するのが関の山。しかも三大勢力は非難を聞かないのだから手に負えない。
「そんなときに現れたのが″禍の団″だ。四神話にとって俺達はさぞ期待の星だろうな。だからリスクを背負ってでも支援したいんだ。簡単に倒されると困るからな。それに俺達にとっても有難い話だろ?」
組織というものはその巨大さに比例して必ず、豊富な物資と資金が必要になってくる。
当初は旧魔王派が冥界を脱出する際に持ち込んだ宝石等を売却して、或いは冥界に潜伏している仲間からの送金で賄われていたがそれも限界だ。このままでは三大勢力を打倒する前に滅びてしまう。
多くの人材が集まる英雄派のリーダーと幹部を務める身であるが故だろう、曹操とゲオルクは強く頷いた。
とはいえ、懸念は少なからず存在している。
「彼らとて人外の神話勢力だ。腹の中で何を企んでいるのか、分かったものじゃない。一応の警戒はすべきだろう。それに……」
ゲオルクに続けるように、曹操が告げる。
「断言できる。彼らの狙いは、間違いなく君だ」
「俺が? おいおい、俺は赤龍帝を宿しただけのガキだぞ? なんで神様に注目されるんだよ」
「分かってないな」
曹操は溜め息を吐いた。
「宿しただけのガキが最強の″
──″
「長い歴史を紐解いても、彼女の隣に立った者は一人として存在しないんだ。それが君には懐き、常に行動を共にしている。これがどれ程の事態か、理解できない君じゃないだろう?」
「……ああ、知ってるよ。彼女はずっと孤独に生きてきた。だから俺は隣に立とうと決意したんだ」
「四神話の真の狙いはそれだよ。君を配下に加えれば最強の手札も手に入る。だからこそ彼らは恩を売りたいのさ」
そこまで話し終えてから、それでも本当に受け入れるのか、と曹操は改めて訊ねた。
対して一誠の返答は、
「受け入れるしかないな」
「意外だな。オーフィス可愛さに拒絶するかと踏んでいたが?」
わざとらしく驚いて見せる彼に、一誠は言う。
「組織の資金問題は解決しないとな。それに、断った場合は四神話が何してくるか分からん。この場は一旦受けておくのが得策だと判断しただけだ。目的を達成した後のことはそのときに考えるさ」
「……当事者である君が同意するのなら、俺達も構わないさ。四神話には此方から了承の意を伝えておく」
「とはいえ、このまま尖兵をやらされるのも面白くないな。俺は自分の意志で復讐を志し、自分の意志でオーフィスと歩もうと決めたんだ。神様の為じゃない」
そして一誠は、面白そうに笑った。
「そうだな……悪魔側で式典とか、誰かのパーティーとかさ。重要なイベントは無いか?」