空は深い黒色に戻った。それは時間が再び正常に流れ出した事を意味するので、つまり根本であるギャスパー・ヴラディは救出されたのであろう。
しかし、助け出したのが誰にせよ、″
何故ならば護衛は既に全員始末したからだ。
そもそもギャスパーの神器を暴走させるという作戦は、大量かつベテラン揃いの護衛対策と、ギャスパーの有する神器のデータを得る為に過ぎない。彼の捕獲並びに暴走を担当した魔法使い達には、データが取れたのであれば直ぐに帰還するように命じてある。
故に時間停止が解かれようと現状には関係無いのだ。
一誠は空を少し見て、ギャスパー関連の作戦が成功した事を確信した。そして同時に今の状態も察した。直後に激しい憎悪に囚われた。
ソフィアは同じ組織に属し、同じ憎悪を抱える仲間と呼べる間柄であり、その彼女が息も絶え絶えの状態で自身の腕の中に居るのだ。グレイフィアがそうしたとなれば憎悪は何倍にも膨れ上がる。
必然的に対象はグレイフィア・ルキフグスへと向けられた。
反対に、グレイフィアは何が何だか解らないといった表情をしていた。今まで自分は″A級はぐれ悪魔″であるソフィアを正義の名の下に断罪しようとしていた筈。それが気が付けば、ほんの数メートル先に転移している。
それだけでも驚きに値するが本当の驚愕はソフィアをしかと抱き締めている者が見覚えの在りすぎる
つい数ヵ月前までサーゼクス、そしてリアスの近くに居座っていた存在を見間違えるという事は有り得ないが、それでも彼女は確認の為に声を絞り出した。
「……貴方は、兵藤一誠なのですか?」
やっと出した声は普段とは全くもって違う、弱々しいものであった。それだけでなく、視界全体が揺れているようにも感じた。時間停止は既に解除されているのにグレイフィアには長い時間が通り過ぎたように思えた。
そうして立ち眩みすら覚えたとき、一誠はオーフィスを降ろしながら、さりげない日常会話のように告げた。
「久し振り、だな。グレイフィア・ルキフグス」
確かに曇ってはいるが一誠の肉声が響いた。そして、その口調も人格も以前とは違うものである事実も彼女の耳と頭に確かに吸い込まれていった。
何処までも冷たい彼の声音に一瞬冷や汗を流したが、流石に現魔王セラフォルーと冥界最強の女性悪魔を張り合った事だけはある。
即座に認識を改めると憮然とした様子で語りかけた。
──否、語りかけようとした。
亜音速で駆ける一誠を、グレイフィアは見切れなかった。龍の一閃が彼女の顔面を強襲した。
鈍い、何かがへし折れる音を聞きながら彼女は一時的に身体を地面に預けた。地表と擦れるギリギリの所で翼を広げ、空に飛び上がった。
「見えなかった……今の攻撃、見切れなかったッ!!」
追撃せんと龍の赫翼を展開する一誠に魔力弾を放つ。それが牽制にすらなりはしないことは今の攻防で理解できた。であれば、ひたすら時間を稼ぐ。
魔王サーゼクスは未だ結界維持の為に参戦は不可能。リアスやソーナ達若者に任せるには荷が大きすぎる。こうなってしまえば、少しでも体力を削るのが定石だろう。
二度の戦争を生き残った歴戦の戦士、かたや偶然にも″
しかし現実は無情。いや、ツケが回ってきたと言うべきだろう。グレイフィアは確かに兵藤一誠に圧されていた。
「ぐ………ッ! 攻撃が通らないッ!?」
「どうした、グレイフィア・ルキフグス!! 最強の″
『BoostBoostBoostBoostBoost!!!!!!!!』
格闘スタイルは何ら変わらない、剛を重視した徒手空拳だ。しかし数と重みが以前までの比では無い。受ける毎にスピードを上乗せされた重みが飛んでくる。
近付けば相手のフィールドに飛び込むようなものだし、かといって遠距離戦に持ち込もうにも魔力弾が弾き飛ばされる。その姿はまさに正真正銘の二天龍そのものだ。
そうだ、これは戦争なのだ。かつての二天龍との戦争が数千もの年月を重ねて、より強大になって戻ってきたのだ。
三大勢力が一致団結しても神器への封印が精一杯だった化物に、グレイフィア一人で勝てるものか。
勝てる道理など、存在しない。
「あ、あぁ! あァァァァァァァアアア!?」
純粋な恐怖で、目前に迫る一誠に残った全魔力をぶつけた。魔王にも匹敵すると謳われた絶大な魔力弾の群れは真っ直ぐに一誠に向かっていく。
そして一発残らず、百をも越える数の魔力弾は一誠に直撃したのである。
「よし、グレイフィアの勝ちだ!!」
「流石にあれを喰らえば……!!」
サーゼクス達が喜び勇んで騒ぎ、グレイフィアも倒したと思い込んだ。やはり二天龍は三大勢力に勝てないのだと笑いながら、辺りに散らばっている無数の護衛達の死体を目に刻んだ。序盤にあれだけの数を割いていた魔法使い達は嘘のように全員が何処かに転移していった。
しかし何人かはリアス達が捕縛したようなので心配は無かった。
グレイフィアは安心しきっていた。普段なら絶対に油断しないが、恐怖から解放された事ですっかり慢心してしまった。
『──Boost』
戦争時に刻み付けられた、赤い龍の声。魔力弾の影響で周囲に煙が吹き荒れる。
それが今、ぐわんと大きく揺れた。
二つの翡翠の眼光がその中で瞬いた。煙がゆっくり晴れる。見えてくる赤には埃すら付着していない。ガシャンと一歩踏み出す毎に金属音が鳴る。
それが一つ、二つと重なっていき、そして十三回目。すなわちグレイフィアの前に、兵藤一誠は立っていた。
「あ、あぁ………!!」
一誠は右腕を挙げた。グレイフィアの眼前に翳された手は何かを充電しているかのように周期的な妖しさを見せた。
だが発射される事は無かった。横合いから乱入者が飛び込んできて一誠に蹴りを放ったのだ。残った左手で難なく受け止めて見せるものの、代償として充電していた魔力は消え去った。一誠は乱入者を睨んだ。
「魔王サーゼクス・ルシファー。俺を棄てた男か」
乱入した張本人、サーゼクスは息を整えながら何とか悲しそうな顔を造り出す。それが何の価値も無い事は充分理解しているが、それでも仏頂面よりかはマシだった。
サーゼクスを確認した彼はマスク部分の鎧を収納してみせた。久方ぶりに見る兵藤一誠の顔は確かに変わっていた。冷たいナイフのような男というのが第一印象であったし、そんな彼を見てリアス・グレモリーは泣き崩れた。
一誠はチラリとそちらを一瞥した後サーゼクスに向き直った。彼の顔は冷たく、暗い。
「イッセー君……先ず、僕は君に謝りたいんだ」
拳が飛んだ。それをサーゼクスは受け止めようともせずに喰らった。砂煙が舞う。彼は何も言わずに起き上がるが、それでも顔は変えなかった。
一誠は心底見下した目でサーゼクスを見据えた。一誠にとってサーゼクスは復讐相手、それも一番に復讐するべき相手。それが少しばかり申し訳無さそうな顔で、あまつさえ飄々と謝罪を申し立てる。質の悪い冗談としか思えない。
「謝罪は必要ない。お前達が死ねば、それで良い」
「残念ながらそれは出来ない。私達の死は、世界のバランスの崩壊を意味する」
「そうなれば、さぞかし平和になるだろう」
対峙。
龍と魔王が、棄てられた者と棄てた者が、一度は義兄弟とまで認識していた二人が睨み合う。
ボルテージを上げていき魔力を高ぶらせていく。赤と紅のオーラが衝突し、周辺の空間を軋ませる。にも関わらず止まる気配など無い。
このまま永遠に続くかと思われた膠着状態は、突如として現れた三人目により終わった。
「ヴァーリか。何しに来た」
少々苛立ちを含んだ一誠の言葉に、純白の鎧を纏ったヴァーリは呆れながら返した。
「君は俺達を迎えに来たんだ。目的を忘れるなよ」
ヴァーリの視線の先には片腕を失ったアザゼルが居た。腕を失い、地面に倒れ伏したアザゼルをつまらなさそうに眺めながら、ヴァーリは転移魔法陣をグラウンドに展開した。
一誠、オーフィス、ソフィア。全員が円の範囲内に収まった事を確認した彼は術式を起動させる。ヴァーリに似て白い色をした魔法陣が、独特の音を立てながら皆を呑み込んでいく。
そして完全に呑み込まれる寸前に、叫んだ者が居た。
「イッセー!! 私は、私は……ッ!!」
返事など、存在する筈も無い。一誠はリアスに見向きすらしなかったのだから。
──life16 圧倒──
西暦二〇XX年七月。
天界代表 天使長ミカエル
堕天使組織″
冥界代表 魔王サーゼクス・ルシファー
魔王セラフォルー・レヴィアタン
以上四名の名前を持って和平協定が調印された。
以降、三大勢力の争いは禁止事項とされ、協力体制へと移行した。
舞台になった学園から名を取って″駒王協定″と称されることとなったその和平条約は、後々に至るまで様々な負の歴史に関与する事となる。