はぐれ一誠の非日常   作:ミスター超合金

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オーフィス可愛い(兄に、ありがとう。妹に、さようなら。そして、二人の新たな旅路に、おめでとう)


life.112 兄と妹

 今にも激痛に引き裂かれそうな身体を引き摺りながら、繁華街裏の道とも言えぬ寂れた闇の中を進むフリード。彼の通った後には血痕が点々と続いているがそんなこともお構いなしに彼はただ進む。

 ホームレスや酔っ払い、不良グループに悪質な客引きといった裏通りの住人達は絡むこともなくフリードの背を見つめるだけだ。珍しい白髪に神父服の取り合わせともなれば特に後者の格好の標的になりそうなものだが、フリードの鬼気迫る表情に気圧されたのだ。

 それは、手負いの獣に似て獰猛な眼光だ。

 

 触らぬ神に祟りなし、ともいう。明らかに何かしらの事件に巻き込まれているのだろう少年が一歩進む毎に連中は遠巻きになり、さながら海を割ったモーゼのようにフリードは逃避行を続けるのだった。

 

 されど、如何に人間離れした強靭な肉体と戦闘技術を併せ持つフリードとて、激痛を圧し殺しての強行軍には限界がある。ましてや、追跡者の不意打ちで腹に大穴を抉じ開けられたとなっては尚更だ。

 滴る血痕を道標にして後方から迫る微かな足音に、彼は気付いていた。

 

 ──チッ、もう追って来やがったか。

 

 フリードは舌打ちし、ポッカリと口を開けて待ち構える雑居ビルと雑居ビルの隙間の迷宮に身体を滑り込ませると、痛む右足に鞭を打って駆け出す。せめて一般人のいない場所を目指して追跡者を誘導しているのだ。

 自分の末路を悟ったが故に。

 レイヴェルや一誠への応援を要請しないのもこれが理由で、仮にこの状況で連絡しようものなら追跡者はこれ幸いと一誠達を襲撃するだろう。そうでなくとも転移術式からアジトを特定されてしまえば詰みである。

 

 考えられる最悪の事態を防ぐべく、フリードは敢えて誰にも連絡していない。

 己の運命と過去の清算を受け入れてこの町の片隅に骨を埋めるつもりでいるのだ。

 

「……ここなら誰もいねぇ。出てこいよ」

 

 やがて流れ着いた、路地裏の森の中心部──ビル一つ分の面積の空白地帯。そこで彼は初めて振り返ると、闇の中に佇んでいるであろう追跡者に言葉を投げた。フリードの言葉に応じて暗がりから人影が姿を現す。

 影に隠れて顔こそ窺い知れないものの、追跡者の纏う特徴的な元教会戦士の制服がフリードにその正体と辿った末路を鮮明に教えていた。

 

「……んだよ、結局は殺されたのか」

 

 脱走以前は機関の最高傑作として将来を有望視されていた少年が、代名詞たる魔剣(グラム)を携えて元同胞の始末に差し向けられる──。

 

 悪趣味極まりない演出を考えた黒幕に内心で舌打ちしながら、物言わぬ死体に成り果てた白髪の少年を見つめる。

 派閥の幹部だった彼がこうして立っているということは即ち、組織から離脱した″英雄派″もまた全滅したか或いは壊滅状態に陥ったに違いない。ソフィア率いる″魔法使い派″なども辿った道は似たようなものだろう。

 これはつまり、相手は兵藤一誠の持つコネクションを潰しに掛かっていることを意味している。

 

 イザコザの末に袂を別ったとはいえ、曹操もソフィアもいざとなれば一誠の頼みを聞き届けただろうし、彼もオーフィスの緊急避難先に考えていたかもしれない。

 それらを片っ端から始末することにより、第三勢力は自陣の戦力の拡充と一誠側の戦力の排除を同時に行っているのだ。

 

 ──ま、良いか。どうせ俺ァ死ぬんだ……。

 

 崩れていく視界の中でそこまで思考を重ねてから、ふとその無意味さに思わず苦笑する。全身の力と感覚が抜け落ちて、遂には痛みすらも感じなくなった。

 殺せ、とフリードは大の字に寝転んで笑う。

 抵抗も逃走もままならないとなってはかの悪名高きフリードとて打つ手がない。敢えて無防備を晒したのは、この顛末が因果応報であるならば最期は潔く散ろうと決意してのことだった。

 

「殺れよ、ジーク」

「……」

 

 呼応するようにフリードの肺を目掛けてグラムの刃が沈み、ゆっくりと刺し貫いた。生命活動に必須な呼吸を奪うという最も残酷な手法は奇しくもかつて彼自身がカテレア・レヴィアタンを始末した際に取ったそれと全く同じで、因果応報も同然の末路にフリードは最後の笑みを溢した。

 

 ──悪いな、ボス。あんたとのドタバタコメディは楽しかったぜ。

 

 

「やっと来た! また遅刻っすよ、お兄ちゃん!! しかも遅刻も遅刻、大遅刻じゃないっすか!!」

「……あ? お前、リント?」

 

 眠るように瞳を閉じれば、次に視界に描かれたのは満面の笑顔を浮かべるリントだった。亡くなった当時から背丈も口調も変わらない彼女はフリードを見付けるや否や彼の元に駆け寄ると、突撃染みたハグ攻撃を行う。

 それを片手で平然と受け止めてそのまま仕置き代わりにアイアンクローしながら、フリードは冷静に周囲を見渡した。

 

 紫色の空の下に赤く荒れ果てた不毛の大地が延々と続く。遠くに並ぶ鋼色の群れは雲の先までも聳える山々で、骨と青白い炎のみで動く翼竜が山に降り立ち、何かを啄んだり両足の鉤爪で連れ去ったりしている。

 嘴に咥えられて叫ぶ小さな影は、人間だ。

 それだけでなく血の色をした川に突き落とされているのも巨大な鬼に貪られている影も全て人間の形をしている。

 

「──そうか、やっぱ地獄行きっすか」

「ま、あんだけ無差別殺人してれば残当っしょ」

 

 地獄とは生前に悪行を成した者の霊魂が死後に送られる場所であり、その悪行に応じて数々の責め苦を受けるとされる。

 強盗や殺人の常習犯だったフリードが放り込まれるのも当然なのだが、どうしても彼が分からないのはリントがこうして地獄に立っている理由だ。

 施設内での淫行を咎められたのであれば仕方ないとして、そもそもは教育者の癖に教え子を脅迫・集団暴行した教官連中に原因があるのだし、情状酌量の余地は充分に考えられる筈だ。

 

 フリードの指摘に対して、「確かに最初は天国行きの予定だったんすよね」彼女は笑って肯定した。

 

「じゃあ何故、この場にいるんだ。どうして地獄なんかに来たんだ。しかも、そんな……薄っぺらなシーツを一枚だけ羽織ってよぉ」

「あー、ほら私って死んだ時に素っ裸だったじゃないっすか。遺体の損壊具合が激しい場合なんかを除いて基本的に地獄の亡者って死亡時の姿が反映されるみたいで……何なら捲って確認してみるっすか?」

「だったら──どうしてそれを知ってて地獄行きを選んだ!! 答えろ!!」

 

 彼の絶叫が荒野に響く。大人しく天国に行っていれば粗末なシーツだけで過ごすという惨めな思いをせずに済んだ。

 それだけではない。生前には袖を通すことも叶わなかった可愛らしいお洒落な服も選び放題だっただろうし、味気ないスープや固いだけのパンではなく暖かいご馳走も腹一杯に味わえただろう。両手を夥しい量の血に染めてきた愚かな兄とは違い、妹にはその権利が与えられていた。

 兄がどんなに願ってもついぞ与えてやれなかった幸せが遂に与えられようとしていたのに、妹は自ら望んでそれらを放棄したのだ。

 

 故にフリードは歪んだ顔に爪を突き立て、全てを吐き出すように絶叫した。生まれてから二度目の絶望だった。かつて妹の亡骸を抱き上げて以来の、魂からの咆哮だった。

 

「……ごめんね、地獄行きを望むような馬鹿な妹でごめんね」

 

 そんな彼の絶望を掬い上げるように、そっとフリードを抱き締めるリント。

 

「でも、私はとても幸せっすよ。お兄ちゃんと一緒なら地獄だって天国っすから」

「……」

「あっれれー? もしかしてお兄ちゃんは嬉しくないんすかー? うわ~超ショックなんですけど~」

「クソッ、俺も大好きな妹と一緒にいて幸せだよコンチクショー!」

「ごめんシンプルにキモいっす」

「扱いヒデェな!?」

 

 久し振りの兄妹のやり取りもそこそこに、二人は前方を睨む。人間の三倍の体躯はあろうかという巨大な怪物が、そこにいた。

 その怪物は筋骨隆々の巨体に浅黒い肌をしており、額からは一対の細長い角を伸ばしている。耳元まで裂けた口からは無数の牙が生え揃い、フリード達を見下ろす双眸は血のように赤く瞬いている。

 亡者に罰を与える獄卒──鬼である。

 鬼は右手に掴んでいた亡者の男を頭から貪りながら、目の前の新たな餌に嬉々として巨大な空き手を伸ばす。その超常の握力は容易く二人を鷲掴みにする筈だった。

 

 しかし触れようとした瞬間、その左手が細切れにされる。

 

「──何やってんだ、お前」

 

 ドスの効いた声音で、フリードは言った。「俺の妹に触んじゃねぇ」血に濡れた光の剣が持ち主の憤怒に呼応して純白の輝きを放つ。

 

『ゴァァァァァァアッ!!』

 

 鬼は分厚い唇を震わせて咆哮した。異空間から召喚したのか、残った右手に鋼の棍棒を滑らせ怒りのままに殴り付ける。直撃すれば蚊を潰すのと同じように人間を容易く擂り潰せてしまうだろう一撃だ。フリードとリントは目配せすると同時に瞬時にその場を飛び退き、回避する。

 

 一瞬遅れて響いた轟音に引き摺られて、鬼はたたらを踏んだ。だが即座に赤い眼光が瞬き、宙に跳躍していた二人を捕捉する。

 視線の延長線上では、鬼の脳天を目掛けて向けられた銃口にありったけの白い煌めきが収束・解放されようとしていた。

 

「悪いが今度は一緒だって約束してるんでな」

「ごめんね~、先約があるもんで残念だけどナンパはお断りっすわ♡」

 

 そう告げて、フリードは引き金に押し当てた指に力を込める。重ねられたリントの手の温もりを感じながら。

 

「「──てな訳でバイバイチャってな☆」」

 

 そして放たれた一筋の弾丸が、鬼の額を的確に貫いたのだった。

 

 

 地面に崩れ落ちた鬼が完全に動かなくなったことを確認してから、「これからどうするっすか?」リントが訊ねた。

 

「つーか獄卒を倒すとかまた悪行を重ねてるじゃないっすか。どう言い訳するんすか、この死体」

「……ごめん、マジで何も考えてなかったというか。またお前が害されるかもって思ったら無我夢中で──頭をナデナデすんじゃねぇよ」

「素直じゃないな~もっと甘えてもいいっすよ? なんなら再会記念にそこの岩陰で一発イテェッ!? ちょっ、その拳骨で馬鹿になったらどーすんすか!?」

「愛の鞭だ」

 

 ピーピーと喚く妹を尻目に、確かに今後の目標は欲しいな、とフリードは瞑目する。此処が地獄で自分達が亡者であるのならこれからも際限なく獄卒達が現れるのだろう。もしかすれば先の鬼とは比べ物にならない強大な相手が出てくるかもしれない。

 その時、果たしてリントを守り抜けるだろうか。

 如何に人間離れの技量を誇るとて多勢に無勢はどうしようもない。獄卒の集団に囲まれた際にたった一人だけで彼女を守れるとは考えにくい。

 

 仮にまたも目の前で妹を失うようなことがあれば今度こそフリードの精神は限界を迎えるだろう。

 或いはそれこそが彼の重ねた罪に対する罰なのかもしれない。つまり愛する者を失う絶望と苦痛をもう一度……いや、罪の清算が成されるまで何百回も何千回も味合わせるのだ。

 

 ──ったく、悪趣味を極めるのが昨今のトレンドなのかねぇ。

 

 フリードは溜め息を吐いたが、目まぐるしく思考を重ねる脳内では既に一つの目的が導き出されている。

 

 地獄の主である閻魔大王に訴えてリントの地獄行きを取り消してもらうのだ。代わりにより深い地獄に兄が送られることで。

 

「……行くぞ、リント」

「アイアイサー! マイラブリーお兄ちゃん!」

 

 地平線の遥か先を目指して、ようやっと一緒になれた兄妹は手を繋いで歩き始める。

 

 長い長い苦難の旅路はまだ始まったばかりだ。

 

 ──life.112 兄と妹──


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