あまりにも驚愕の度が過ぎると、人は誰しも時の流れに置いていかれたように思考と言動を停止させるという。突然現れた偶然の出会いに、彼らもまたその瞬間だけ世界から置き去りにされていた。
だが、それも束の間。
敵対している間柄であることを思い出すや否や、瞬時に手元に剣を呼び出す木場とゼノヴィア。相手が世間を賑わせているテロリストなのだから当然の反応だ。ましてや恩人に等しい主君が没落した原因が目の前に座っているとあれば、木場が普段の冷静さを捨てるのもまた当然である。
対して、衝撃から立ち直った一誠は特にそれ以上の反応を示すことなく、「なんだ、お前らか」と昔馴染みに再会したかのように言った。
それがまた木場の神経を逆撫でしているのだが、さりとて互いの実力差を客観的に分析するだけの理性は残っていたのだろう、安易に仕掛ける真似はしなかった。
事実、彼の判断は正しい。仮に二人がかりで挑んだところで一誠の纏った鎧の表面を削れれば大した成果だ。実際は彼らが斬りかかるよりも遥かに早い時間で殺されることを考えれば、様子見は賢明な判断である。
とはいえ、一誠と視線を合わせた瞬間に及び腰となってしまった点から察するに、実際は彼の存在がトラウマになってしまっているかもしれないが。
かつて若手悪魔のパーティーにおいて容易く返り討ちにされた光景を思い出して、冷や汗を流す木場。そんな彼を見かねてか、庇うようにしてゼノヴィアが前に進み出た。
「これはこれは。こんな場末のコインランドリーにテロリスト殿がいらっしゃるとはな」
浮かべた不敵な笑みは、無意識に掻き立てられる恐怖心の裏返しに過ぎない。
「おいおい、そんな警戒しなくても何もしねぇよ。単に制服を洗濯しに訪れただけだ」
「制服を?」
「ほれ」
一誠が指した先には旧式の洗濯機が、ゴウンゴウン、と古めかしい稼働音と共に赤い汚れを落としている真っ最中だった。デジタル式のタイマーはようやく残り時間が五十分に差し掛かることを教えている。
──演技ではなさそうだ。本当に洗濯に来たのか。
洗濯機を眺めながら、ゼノヴィアは内心で安堵の息を吐く。テロリストが今度は何を企んでいるのか、と様々な憶測を脳裏で展開していただけに拍子抜けだ。とはいうものの、この場で戦闘に発展しようものなら間違いなく秒殺されてしまうだろうことも彼女は悟っていた。
あの″赤龍帝″に暴れられるぐらいなら洗濯だけして大人しく帰ってもらうか。
なるべく刺激しないように、しかし後でシーグヴァイラに報告を行うことも視野に入れて、ゼノヴィアは細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。
「……聞きたいことが、あるんだ」
「なんだよ、藪から棒に独占インタビューか? どうせ俺のことは冥界のニュース番組で嫌でも知ってるだろ?」
「それは、そうだが」
駒王会談に姿を現してからというもの、兵藤一誠や″禍の団″の名前が報道から消えた日はない。今や幼稚園に通う子供達でも名前を知っているし、泣いている子供にその名前を聞かせただけで泣き止んだ、といった噂すら広まっている程だ。
子供ですら知っているその存在をゼノヴィアが知らない筈がなかった。元リアス・グレモリー眷属なのだから尚更である。
──救援が駆け付けるまでの時間稼ぎか、それとも探りを入れてるつもりか。
戦争・戦闘における情報の価値は非常に重く、故に軽々しく敵に与えて良いものでは決してない。寧ろ敵から守り通すのが鉄則だが、何事にも例外はある。
偽の情報をわざと掴ませる場合だ。
敢えてダミー情報を渡してやることで相手を間違った方向に誘導させる、情報戦の基本の一つである。
数秒の思案の末に、一誠は頷いた。
「……いいぜ、洗濯が終わるまでの暇潰しに付き合ってやるよ。何が聞きたい? 今なら大抵のことは喋ってやる」
ただし、
つまり一誠からすれば本当にただの暇潰しに過ぎないのだが、「本当か!?」と嬉しそうに眼を見開くゼノヴィアがそれに気付く由はなかった。無知とは可愛いものである。
「では早速の質問なんだが……君は本当に″禍の団″を支配下に置いたのか?」
訂正、可愛くなかった。
──life.102 デビルと鴨のコインランドリー──
「ああ、全派閥は俺の下に降った。その辺りは既に各メディアでも報道されている筈だが?」
予想外の質問に一瞬だけ面食らったものの流石は、三大勢力を長く相手取ってきた一誠である。驚愕をおくびにも出さず即座に切り返した。
しかし、ゼノヴィアの表情は揺らがない。
まるで既に確信を抱いているかのように、次々に質問を飛ばす。
「それならば、どうして先のグレンデル襲撃事件に一人で対応した? 兵藤一誠が言うには、あれは派閥統合への反発で彼らは裏切り者なんだろう? 君以外にも裏切りを粛清しようとする者があっても良いと思うが?」
「相手の実力的に、俺以外の奴らが出ていっても邪魔だと判断しただけだ。大人しく裏方に回ってもらったさ」
「……ふむ、それは協力者になったという″幽世の聖杯″の所有者もか?」
「ああ、そうだ」
「他の伝説の邪龍は復活できなかったのか? グレンデルのように。そうすれば戦力になるだろう」
中々どうして痛いところを突くな、と一誠は彼女の推理力に思わず舌を巻いた。
実際には組織は支配下どころか解散しており、グレンデルも″幽世の聖杯″所有者も離反どころか仲間になったことすらない。最初から暗躍を重ねる第三勢力に所属している。
その第三勢力が被せてきた冤罪に便乗する形で放ったハッタリではあったが、やはり取り繕うには無理があったようだ。咄嗟に言葉に詰まってしまう程度にはボロが出てくるのだから。
──とんだ暇潰しだ。俺がカモにされただけになっちまった。事前の情報ではデュランダル頼りの脳筋と聞いていたが……評価を修正する必要があるか。
「ゼノヴィアさん、それってつまり……!!」
と、これまで蚊帳の外だった木場が驚いた様子でゼノヴィアに視線を向けた。どうやら素で気付いていなかったらしい。こちらも評価を修正する必要があるようだ。
「そういうことだ、木場祐斗。彼は″禍の団″の諸派閥を支配下に置けていないし、″幽世の聖杯″所有者とも手を結んでいない。全ては兵藤一誠のハッタリという訳だ」
「ご名答。流石は元教会戦士なだけあって抜群の洞察力だな。俺のチームにスカウトしたいところだ」
「ロリコンの下で働くなど御免蒙る」
「俺はロリコンじゃないさ。仮にロリコンだとしても、ロリコンという名の愛妻家だよ」
実際、
知りたくなかった元同僚の意外な性癖に改めてドン引きしている木場を尻目に、「そうか、ハッタリか」とゼノヴィアは脳細胞をフル活動させて、今度は一誠がわざわざハッタリをかました意味について推測を重ねていく。
ゼノヴィアは、自分があまり賢くないことを知っている。学業の意味ではなく、単にこういった権謀術数に向いてないという意味だ。考えれば考える程に事態を難しく捉えてしまうのだ。
ならば物事をシンプルに紐解いてみれば案外分かりやすくなることも彼女は既に知っていた。新上司たるシーグヴァイラの教育の賜物である。
──兵藤一誠は嘘をついた。各派閥や″幽世の聖杯″が配下にないにも関わらず、実際にはあたかも自分の下で足並みを揃えているようにでっちあげた。
──これまでの彼の行動から考えて、その嘘にも何かしら意味があったのだろう。つまり、嘘をつかなければならない状況にあった。
──シーグヴァイラ・アガレス曰く、嘘とは相手が知られたくない真実の反対だ。それは逆説的に、各派閥は纏められておらず後者も……待てよ? ″幽世の聖杯″所有者が兵藤一誠の配下でないのなら、グレンデルはどうやって甦った? 誰が甦らせた?
──仮にグレンデルを甦らせたのが″幽世の聖杯″なら、その所有者は誰に協力している?
▼
「おーい、ゼノヴィアさんよぉ」
思考の海に沈んでいた彼女を呼び戻したのは、困り顔を浮かべた一誠だった。「もう帰って良いか?」と訊ねる彼の右手には衣服を詰め込んだビニール袋がぶら下がっている。どうやら推測に夢中になっている間にすっかり洗濯が終わってしまったようだ。
「嫁を待たせてるんでな。インタビューが思い付かないなら俺は帰るぞ」
「待ってくれ、テ
「今すっげー悪意を感じた気がする。分かったよ、あと一個だけな」
「感謝する。では、最後の質問だが……」
一誠の顔を真っ直ぐ見据えて、ゼノヴィアは訊ねる。
「──もしかして、君は誰かと戦っているのか?」
「もうすぐ分かると思うぜ、世界中がな」
対して、一誠はランドリーの店内をぐるりと見渡しながら答えた。まるで大勢の観客の前でパフォーマンスを行うマジシャンのような仕草には今の言葉が、店の周囲に潜んでいて今も突入の機会を窺っている複数の気配へ向けたものだという意味合いも含まれていた。
気配の正体は彼の出現を察知したシーグヴァイラ達だろう。下手に突入せずにあくまで様子見に徹する辺り、上司もまた優秀だ。
「気を付けるように言っておけよ、デュランダル使いのゼノヴィア」
「……何に対してだ? また襲撃作戦でも行うのか?」
そのインタビューには答えないまま、彼は本部への転移術式を開き、やがて輝きの中で消えていった。
草木に隠れていた気配の中の一つ──覚えのあるハーフヴァンパイアのそれに、新たな動乱の波を感じ取りながら。
「……赤龍帝、帰りが遅かった。浮気?」
「違います龍神に誓っても違います浮気ではありません町に洗濯に行ってただけなんです」
「……我、寂しかった。キスを所望する」
「勿論です喜んで足の甲からキスさせて頂きます」
『朝帰りを咎められる夫みたいだ』