比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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比企谷君が抱きついてきた!
比企谷君が抱きついてきた!


 壇上でぼてっとしたお腹の教授が眠そうな目で教鞭をとっている。講義の声をテキスト片手に聞き流しながら、私、雪ノ下陽乃は考えていた。とてもとても考えていた

 

 

 …………暇。

 

 

 実験なら結構面白い講義も多いけれど、座学系の講義は正直聞かなくても問題ない。出席確認と配布プリントのために出席はしているだけで、だいたい講義内容もテキストに載っていることを纏めているだけのものが多い。それでも、あたかもちゃんと講義に取り組んでいますっていう姿勢を見せなくちゃいけないのは“雪ノ下”故の面倒なことだよなーと思ってしまう。居眠りも許されない。

 ただでさえ昼食後の満腹中枢が刺激されて眠たくなってくる時間帯な上に冬という事で講義室の暖房は付けられている。ぬくぬくとしたあったか空間は生徒たちの眠気をいたずらに刺激していて、既に何人かの学生を夢の国に誘っていた。まあ、教授ですら夢の国に旅立ちそうだものね。

 

「あー、はい。じゃあ小テストをやって講義は終わります」

 

 講義という名のテキスト内容確認が終わって、小テストのプリントが配られ始める。プリントの行く末をぼーっと眺めていた私だけれど、不意に肩を叩かれた。

 

「雪ノ下さん! 今日こそは私が先に提出してみせますわ!」

 

 振り向いた先には金髪の長い髪をアップツインテールにまとめた女生徒。私の同級生で名前は洞爺湖文子(とうやこ・あやこ)という。父親が食品関係の中堅企業社長らしく、入学当初から私を目の敵にしているようで、事あるごとに勝負を挑んでくる。いつも見るからに高級そうな生地を使っているフリフリのドレスを着ているけれど、いかんせん、顔が純正日本人なのでそんなに似合っていない。いや、顔はいい方だと思うけどね。

 まあ、いい暇つぶしになるから適度に相手をしてあげている。この程度の子だったら基本的に私が負けることなんてないしね。前に学食で早食い勝負を持ちかけられたときは周りを利用して丁重にお断りしたけれど、それでいいのか社長令嬢。

 それにしても、服装といい口調といい髪型といい、見事に似合っていなくて面白い。今どきそんな「~ですわ」なんていうお嬢様口調が許されるのは橘シルフィンフォードくらいではないだろうか。あのうざキャラはなかなか癖になる。ツインテールも、二十歳になった女性がやっているとこんなに残念な雰囲気を醸し出すものなんだな。ぶりっこアピールというか、若づくりしているというか。いやそもそも、高校生でもツインテールは割とギリギリだと思う。雪乃ちゃんのツインテはかわいいけれどね。あれだ、二次元に限るってやつだ。まあ、この子にそんな話をしても半分も分からないんだろうけれど。

 そこまで思考して、ふと今後の予定を思いついた。思い浮かべたのはこの子よりももっと面白い男の子。

 

「いいよ、文子ちゃん。じゃ、私の勝ちってことで」

 

「な! 早すぎですわ!?」

 

 そうときまればこんな子を長々と相手している暇はない。配られた小テストに手早く答えを記入して荷物を持って立ち上がる。プリントを今にも舟を漕ぎだしそうな教授に渡すと退室の許可をもらったので足早に講義室を出ていくことにした。

 

「ぐぬぬ……。次は負けませんわよ、雪ノ下さん!」

 

「洞爺湖君、講義中は静かにしようね」

 

 私の足取りは軽い。彼以上に面白い人間もそうそうないのだから、多少口元が緩んでしまうのは勘弁願いたい。

 さてさて、今日はどんな面白い物を見せてくれるかな?

 

 

     ***

 

 

 いや……。

 いやね? 確かに面白い物が見たいとは言ったんだけれど……。

 

「ね、姉さん……」

 

「雪ノ下さん……あのですね、これはですね……」

 

 雪乃ちゃんが高校に入ってから始めて見るくらい狼狽している。多少慌てる程度の場合は早口で捲し立ててくるけれど、今はそれすら通り越して声が出ていない。口をパクパクさせて閉じてを繰り返すという、今まで見たことのないくらいの狼狽っぷりだ。

 そして比企谷君は顔を真っ青にして必死に言い訳をしようとしている。その姿はまるで浮気のばれた彼氏みたいで面白いんだけれど、全く体勢を変える様子はない。

 

「えっと……その……あれ?」

 

 対する私も思いの外狼狽してしまっていて、上手く言葉が出てこない。落ち着きなさい陽乃。相手は年下で私は雪ノ下の長女。こんなところで狼狽した姿なんて見せるわけにはいかないわ。そう、まずは深呼吸をして落ち着きましょう。ひっひっふー、ひっひっふー……よし、落ちついた。

 そしてもう一度二人を見据えて――

 

「……なんで」

 

 なんで?

 ねえねえなんでなんで?

 

 

「なんで雪乃ちゃんに比企谷君が抱きついてるの!?」

 

 

     ***

 

 

「ふう……」

 

 出された紅茶に口を付けて一息つく。目の前には雪乃ちゃん。比企谷君には図書館で時間を潰して置いてもらうことにした。これは姉として妹としっかり向き合って話さなくてはいけない事だったからからだ。

 

「雪乃ちゃん、男女交際をするなとは言わないけれど、ああいう大胆なことは……」

 

「待って。姉さん、待って!」

 

 何かな、雪乃ちゃん? お姉ちゃん今珍しく真面目に雪乃ちゃんの将来のために話をしようとしているんだけれど。珍しくって言っちゃった。雪乃ちゃんの制止を無視して話を続けようかとも思ったけれど、本当に待ってほしそうだったので押し黙る。

 

「まず、姉さんの誤解を解かないといけないわ」

 

「誤解?」

 

「私と比企谷君は男女交際なんてしていないわ」

 

 ……え?

 いやいや御冗談を。

 だってあの比企谷君が女の子に抱きついていたんだよ? そんなことを彼がするのは小町ちゃん以外なら恋人でしょう?

 

「雪乃ちゃん。お姉ちゃんは別に比企谷君と付き合っていることを怒っているわけじゃないんだから、そんな嘘はつかなくてもいいんだよ?」

 

「う、嘘じゃないですよ! ヒッキーとゆきのんは付き合ってません!」

 

「あれ? ガハマちゃんいたの?」

 

「陽乃さんひどい!」

 

 いや、本当に気付いていなかった。いや、これは仕方ないでしょう? だって、奉仕部の扉を開いたら雪乃ちゃんに比企谷君が抱きついているなんて図を見せられたら、それ以外の情報が入ってくるのは困難を通り越して不可能だと思う。

 

「じゃあ、なんで“あの”比企谷君が雪乃ちゃんに抱きついてたの? あの比企谷君だよ?」

 

 私をして理性の化物と言わしめた比企谷八幡は、あんな行為の出来る人間ではなかったはずだ。ていうか、恋人でもない異性に抱きつくなんて、隼人だって難しいに違いない。

 

「あの行為は全然比企谷君らしくないよ」

 

 しかし、そんな私に雪乃ちゃんはふるふると首を横に振った。

 

「あれも立派な比企谷君らしさよ。いえ、正確には本来の比企谷君というべきかしら」

 

 そして雪乃ちゃんは、どこかやさしい目をしながら話はじめた。

 

 

 

 私は、いや以前の私達は比企谷君に一つだまされていたことがあった。

 確かに彼は中学以前もぼっちで、他者との交流も少なく、変なあだ名も付けられていた。しかし、こと失恋に関する黒歴史はそのほとんどが作り話であるらしい。じゃあ、あの折本さんへの告白の黒歴史はなんだったのかと思うが、そこでさっきの“抱きつき”が出てくる。

 比企谷君は感情表現能力が乏しい。さらに“甘える”ということにも飢えていた。おそらく、子供のころから両親に倣って小町ちゃん優先に生活をしていた影響なのだろう。そして、そんな中学生までの比企谷君は嬉しいことや恥ずかしいことがあると抱きついてしまう癖があったらしい。

 そんな癖のある比企谷君だったけど、学校ではぼっちだったためにその癖が出ることはなかった。中学で折本かおりに出会うまでは。

 彼にとって誰にでも、自分にすら優しい折本かおりは未知の生物だった。最初は避けていたが、少しずつ気を許すようになって会話も増えていき――ある時、つい抱きつき癖が発動してしまったのだ。

 彼女自体は特に問題はなかったが、その光景を偶然見た生徒がいたようで、ぼっちの比企谷君とクラスでそこそこ人気のある折本ちゃんに対する下世話な噂が立ち始めた。最初は比企谷君よりも自分の方がいい、などという告白祭が始まった程度のかわいいものだったが、次第に性に乱れた交際などといった悪意のある噂も流れ始めた。

 だから、彼は一計を案じたのだ。当時流行りだしたSNSなど多方面の手段を用いて、「ヒキタニが折本にこっぴどく振られた」と。

 噂とは悪意のある方が早く広がる。経験からそれを知っていた比企谷君はそれを利用したわけだ。彼の計画通り、噂は上書きされた。折本さんからしてみても比企谷君が流したその噂に乗っかる方が楽だった。だからこそ今の二人の関係になったわけだ。

 そして、彼は抱きつき癖を抑えるために自分に対する好意を須らく勘違いと判断するようになった。それが彼の理性の化物の正体だったのだ。

 

「けれど、それが最近になって崩れ始めたのよ」

 

「一体何があったのやら……」

 

「「…………」」

 

 あれ? なんで二人とも黙りこむの? これはお姉さん気になっちゃうね。まあ、それは後日調べるとしようかな。

 

「ま、まあ詳しい原因は分からないけれど、三学期が始まってすぐのころに彼とマイナーな海外文学について話すことがあって、話の合う相手がいたことがよほどうれしかったのか、いきなり抱きついてきたのよ。それからは度々ああして抱きついてくるようになったわ」

 

「あたしも時々……」

 

 それを二人とも拒絶はしなかったと。

 その点を聞いてみるが、二人ともいまいち要領を得ない。ガハマちゃんはともかく、雪乃ちゃんまでこうもはっきりしないとはどういうことだろうか。ちょっと調子狂うな……。

 

「……だってしょうがないじゃない。あんなの卑怯よ……」

 

 ぽしょりと紡がれた雪乃ちゃんの一言の意味を私は掴みかねた。

 

「それにしても、比企谷君がねえ……」

 

 ちょっと近づいただけで顔を真っ赤にするような子がそんな大胆なことをするなんて、やっぱり想像できないな。けれど、それが雪乃ちゃんやガハマちゃんには最早自然なんだよね。なんていうか、少し羨ましいかな。

 

「二人は比企谷君にとっての特別になれたんだね」

 

 いや、ひょっとしたら私が羨ましいと感じているのは特別な存在を見つけることの出来た比企谷君なのかもしれない。特別の存在しない私と特別を作らない彼。どこか似ていると思ってしまっていたのかも。

 

「そ、そんなことは……」

 

「そ、そうですよ! それにあたしたち以外にも抱きつかれた人とかいますし!」

 

 は?

 

「由比ヶ浜さん、今の発言はちょっと……」

 

「……あっ」

 

 ガハマちゃん、今頃口抑えても遅いよ。もう全部聞こえちゃったからね? ばっちりお姉さんの鼓膜通っちゃったからね?

 

「他にもいるんだ」

 

「えっとその……それは……はい」

 

 いるんだ……。ていうか認めちゃうんだ。比企谷君が女の子をどんどんたらしこんでいるらしい件について。マジ比企谷君っべーわ。なんか隼人の友達が乗り移った。

 

 

 

 聞くところによると相手は生徒会長の一色いろはちゃんらしい。生徒会選挙とかクリスマスイベントで結構比企谷君と関わっていて、よくここにも遊びに来るとか。

 その日も生徒会そっちのけにして奉仕部でくつろいでいたらしい生徒会長ちゃん――静ちゃんに色々言われていた私が言うのもなんだけど、生徒会長がそれでいいのかしら――だったんだけれど。会長に推薦した比企谷君的にはそれがあまりに目に余ったようだ。

 

「おい、一色。お前他の役員にばっかり仕事押し付けてないでちゃんと生徒会の仕事しろよ」

 

「え~、けど私は最低限の仕事はやってますよ~。事務仕事は副会長や書記ちゃんがやった方が丁寧ですし~」

 

 どうやら副会長からメールで会長ちゃんへの愚痴を聞かされたらしい比企谷君だけれど、当の本人はどこ吹く風。適材適所などと言いながら本当に最低限の事務仕事しかやらないらしい。イベントとかを取り仕切るのは好きみたいだけど……あれ? どことなく私に似ている気が……いやいや、私苦情とか来たことないから一色ちゃんもまだまだだね。ていうか、比企谷君は副会長とメールとかするんだ、なんか意外。

 

「はあ、もう少し頑張るだけでそれに見合ったリターンが来るんだからちゃんとやれよ。お前は思いの外優秀なんだし、別に進んで敵を作る必要なんてないだろ?」

 

「それ、せんぱいにだけは言われたくないです。なんですか、俺はお前のことちゃんと心配してるんだぜアピールですかすみませんちょっとドキッとしましたけど不意打ちすぎたんで改めてにしてくださいごめんなさい」

 

 一色ちゃんが比企谷君に使うお断り芸というものが炸裂したみたいなんだけど、それ断ってないよね? ツンデレなのかしら?

 しかし、そのテンプレにはもう慣れているのか比企谷君はあまり内容を聞いていなかったようで「なんで俺また振られてんの?」と小さくため気をついたみたいで。一色ちゃん、そのアピール明らかに逆効果だよ。

 すげなくあしらわれた一色ちゃんは少し寂しそうな顔をした後に「けど……」と続けた。今度は少しだけ優しげな笑みを浮かべながら。

 

「せんぱいのそういうところ、私好きですよ?」

 

「っ!」

 

 彼女がよくやるという軽い告白。きっと彼女にとってはいつものように軽く流されると思って言ったであろうその告白は、理性の化物の剥がれかけている比企谷君には非常に有効だった。一瞬で顔を赤くした彼は――

 

「ひゃっ!?」

 

 一色ちゃんに思いっきり抱きついた。

 

 

 

「し、しかもヒッキー、いろはちゃんの胸に抱きついたんですよ! わざわざ肘を落として!」

 

「由比ヶ浜さん、それを言うなら膝よ。肘を曲げてもなにも問題は発生しないわ」

 

「あ、あれ……?」

 

 ガハマちゃん……なんとなくお馬鹿だと思っていたけれど、やっぱりそうなんだね……。

 

「ていうかさ、それって意識してやってたの?」

 

 もしも意識して女の子の胸に顔を埋めたとしたら完全にセクシャルなハラスメントである。いや、意識してやっていなくても問題あるけど。

 

「たぶん意識してはいないと思うわ」

 

「うん。それに、いろはちゃんもまんざらじゃないみたいだったしね」

 

 つまりそれって一色ちゃんも比企谷君に好意があるってこと? 悪い噂ある割に比企谷君がモテている。ぼっちってなんだっけ……。

 

「ええ、顔を真っ赤にしながらも全然抵抗していなかったし、『せんぱいっ、いきなりそういう大胆な行動は本当に私の心臓に悪いと言いますかっ。あぁ、そんなかわいい顔されたら私我慢できなくなっちゃいますよ……っ』なんて言っていたわね」

 

 ゆ、雪乃ちゃんが声を変えて解説している……。いや、私生徒会長ちゃんの声分からないけど、私の中での雪乃ちゃんのイメージが……。

 頭を抱えたくなるのを雪ノ下陽乃の威厳でなんとか回避していると、勢いよく部室の扉が開いた。同時に聞こえてくるさっきの雪乃ちゃんの声に似た声。

 

「ちょっと雪ノ下先輩! でたらめ言わないでくださいよ! 私あの時そんなこと言ってませんから!」

 

「あら一色さん、いらっしゃい」

 

 どうやらこの子が件の一色いろはちゃんらしい。あぁ、どこかで会ったことがあると思ったら、折本ちゃんと隼人のダブルデートの時に見た子か。作りこまれたかわいさと言えばいいだろうか、まあ充分にかわいい部類だ。比企谷君に近づく子ってやけにレベル高いよね? 比企谷君将来刺されそう。

 

「けどいろはちゃん、あの後結構長い間ヒッキーに抱きつかれてたよね。ヒッキーが離れるまでそのままだったし」

 

「いやそれは確かにそうですけど、だってあのせんぱいは卑怯すぎるじゃないですか! そ・れ・に、私あんな恥ずかしいこと言ってません!」

 

 なんなのだろうか、皆して比企谷君を卑怯って言うけど、抱きつかれただけだよね? 異性に抱きつかれたことのない女の子たちが好きな男の子に抱きつかれてチョロインしているだけじゃないの?

 

「一色さん」

 

「……なんですか、雪ノ下先輩」

 

「私がさっき言ったことは一字一句間違っていないと自負しているわ」

 

「うぐ……証拠は、証拠はあるんですか!」

 

「得てして犯人とはそういうものよ。『証拠はどこにあるんだ』『大した推理だ、君は小説家にでもなった方がいい』『殺人鬼と同じ部屋になんていられるか』」

 

 雪乃ちゃんは小説の読みすぎじゃないかな……。証拠云々は犯人じゃなくても結構いいそうな気がするし。それに、最後のはむしろ被害者側のセリフでしょう。

 

「でも、でも……」

 

「それにね」

 

 雪乃ちゃんが笑みを浮かべる。もうすっごいいい笑顔。比企谷君を罵倒している時によく見る表情だ。なんで人を罵倒する時が一番いい表情しちゃうんだろうか、この子は……。

 

「私、嘘や虚言は吐かない主義なの」

 

「うわあああああんっ!」

 

 あ、一色ちゃんが泣き出しちゃった。後輩をいじめるなんて陽乃的にポイント低いぞ? え、私はいじめたことないよ? 雪ノ下陽乃の行動にいじめは存在しません。

 

「うっうっ。私だけじゃないのに……めぐり先輩だって……」

 

「「「え?」」」

 

 聞き捨てならない言葉に思わず三人して身を乗り出してしまった。一色ちゃんがびくりと震えるけれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

「一色さん、その話詳しく聞かせてもらえるかしら」

 

「いろはちゃん聞かせて!」

 

「お姉さんも聞きたいな!」

 

「あの……どちら様ですか?」

 

 あ、そういえば初対面だった。

 

 

 

 いろはちゃん――知り合いになったし、向こうも「はるさん先輩」って呼ぶようになったから下の名前で呼ぶことにした――は時々比企谷君に生徒会の仕事を手伝ってもらっているらしい。その時は抱きつかれた時の仕事をさぼっていた件を多少は引きずっていて、仕事を頑張るために一週間ほど連続で手伝ってもらっていたみたい。……ちょっと手伝いすぎじゃないかな? 何か弱みでもあるの?

 文化祭の頃の仕事ぶりで知ってはいたけど、比企谷君がいると彼一人で事務仕事はかなり進むらしく、いろはちゃん以外の役員は全員校内の見回りや部活の御用聞きに行かせることが多いみたい。決して比企谷君と二人っきりになりたい訳ではないとはいろはちゃんの弁。全然信用ならない。

 その日も二人で書類仕事をしていたのだけれど、普段は一般生徒がめったに近づかない生徒会室に珍しく来訪者が来た。

 

「こんにちはー。調子はどうかな?」

 

「あ、めぐり先輩こんにちは~!」

 

 前会長のめぐりは生徒会長引退後も一年生で生徒会長になったいろはちゃんを心配して度々様子を見に来るようだ。三学期になって三年生は自由登校になったはずだし、推薦で大学も決まっているみたいだから基本的に卒業式まで学校に来る必要はないのに、普段ぽわぽわしているけれど、やっぱりこういうところはしっかりしているな。

 生徒会室に入ってきためぐりは比企谷君を見とがめるとにこりと笑って近づいた。文化祭で多少の誤解はあったみたいだけれど、それも今は解消されたようだ。

 

「比企谷君も手伝ってくれてるんだ?」

 

「ええ、まあ」

 

「ふふっ、やっぱり比企谷君はやさしいな」

 

「俺は一色から無理やり押し付けられただけですよ。自発的に手伝いにくるめぐり先輩に比べたら全然やさしくなんてありません」

 

 比企谷君って、普段は恥ずかしがって全然人を褒めないのに、時々さらって褒めるよね。いろはちゃんは「やっぱりせんぱいの方が何倍もあざといです!」とか軽く憤慨していた。わからないでもない。

 

「そんなことないよ」

 

 そんな比企谷君にめぐりは変わらず微笑みかける。やさしく、諭すように。しっかり先輩やっているんだな。

 

「一色さんが今学校で一番頼れるのは比企谷君なんだから」

 

「え、いや、そんなこと……」

 

「そんな一色さんを比企谷君はちゃんと支えてあげてる。不承不承でもね」

 

「あ……えっと……」

 

「だから、そんな比企谷君はやっぱりやさしいんだよ、私なんかよりもずっとね」

 

 この時点で彼のキャパシティは既にいっぱいいっぱい。三年生で唯一の先輩と言えるめぐりにそこまで言われた彼はやはり他に表現の仕方を知らなくて……。

 

「ふぁっ!? ひ、比企谷君!?」

 

 抱きつくしか方法がなかった。めぐりの胸に飛び込むように抱きついて精一杯腰に手を回しながらいやいやと彼女の胸に頭を擦りつけ……ってそれやっぱりわざとやってない? わざとじゃないの?

 そんな彼の豹変ぶりにめぐりは……。

 

「ひぁっ、んっ、ひき、がや……君っ。にぁっ、んんっ、ぁぁ……」

 

 

 

「「「待って!」」」

 

 思わず三人して話に割り込んでしまった。

 もうなんか比企谷君の行動は“そういうもの”って事にしておくとして、めぐりのその反応はなんなの? 抱きつかれただけだよね? いや、なんか胸に刺激を受けている気がするけど、実はどさくさにまぎれてお尻とか触られてない? やっぱりセクハラなの? ハラスメントなの?

 

「なんかめぐり先輩って相当な敏感体質らしくて。ちょっと触られたりするだけでもくすぐったいというか、びっくりしちゃうみたいなんですよね」

 

「敏感……ぁ……」

 

 そういえば、高校時代にめぐりとじゃれ合った時とかやけに色っぽい声を上げていた気がする。あれってそういうことだったのか。

 ごめん、めぐり。次からはそこもちゃんと理解した上でボディタッチ多用するよ。え、だめ?

 

 

 

 しばらく比企谷君の凶行に対して喘いでいためぐりだけど――喘いでいたって言っちゃった――彼女にもちゃんと先輩の威厳というものは存在していたみたいだ。

 

「んくっ、比企谷君は、ふぃっ、いつも、頑張ってる、んんっ、もんね……っ! ぁんっ、いいよ、たまにはいっぱい、甘えて……ね? ……ひぅっ」

 

 ごめん、全然威厳とか無かった。ところどころ混じる喘ぎ声で全部台無しだよ。それでも比企谷君の目にはめぐりが優しいお姉さんに見えたようで、にこりと微笑むと――あの比企谷君が微笑んだ!?――再びぎゅっと抱き締め直した。

 

 

 

「まあ、めぐり先輩の貞操のために私が責任を持って止めましたけどね!」

 

 ドヤ顔のいろはちゃん。なんだろうこのうざかわいい感じに覚えが……そうか、小町ちゃんに似ているんだ。いろんな要素を付加した小町ちゃんって感じだな。

 

「止めたって……よくあの比企谷君を止められたわね」

 

「ああなったヒッキーって無理やり離そうとしてもなかなか離れないよね」

 

「それはその……えへへ……」

 

 テレテレと頭をかいてはぐらかすいろはちゃん。これはなにかあるなと聞き耳を立てると「あの時のせんぱい子供みたいにすり寄ってきてかわいかったな……へへぇ」なんて声がぽしょりと聞こえてきた。この子、比企谷君の抱きつく矛先を自分に変更したというの? しかも、後輩なのにめぐりを引き継いで先輩プレイをした可能性も。プレイって言っちゃった。いろはす、恐ろしい子!

 まあ、なんとなく事情は分かった。まだ伝聞程度だけど、それを聞く限り……非常に面白い事態になっているということだ。嬉しくなったり恥ずかしくなって女の子に抱きついてしまう高校生男子なんて早々いない。捻くれ者なだけじゃなくてそんな側面もあるなんて。

 

 

 やっぱり比企谷君は面白いな。

 

 

     ***

 

 

 さて、雪乃ちゃん達からの事情聴取も終わったので比企谷君にも戻ってきてもらったんだけど……。

 

「…………」

 

「…………」

 

 入ってきて早々に比企谷君が土下座し始めた。それはもう綺麗な動きから決められたスライディング土下座は思わず十点満点を上げたくなってしまうくらい芸術性すら感じてしまうものだった。いやまあ、妹に抱きついているところを姉に見られたらそうしちゃう気持ちも分からなくはないけど、比企谷君の土下座ってすごい軽い。なんかやり慣れてる感じがひしひしと伝わってくる。

 

「すみませんでした……」

 

「いや比企谷君、私別に怒ってないよ?」

 

 比企谷君がばっと顔を上げるけれど、その顔はいぶかしげで、信じていないのが丸分かりだ。

 

「怒らないわけないじゃないですか。妹に男が抱きついてたんですよ? 千葉の妹持ちがそれを見てはたして怒らないだろうか? いや怒る!」

 

 ……なんで反語?

 比企谷君の中で千葉の妹持ちがやけに概念化されているけれど、さすがにそんな兄姉ばっかりじゃないでしょ。いや、確かに私も最初は何してんの!? って思ったけどさ。事情を聞いたら、比企谷君だしいいかなくらいには思っちゃうわけで。

 それに、今はそうなった比企谷君で遊びたい気分だしね!

 

「なあに、比企谷君は私に怒ってほしいのかな?」

 

「ぇ……?」

 

 彼の表情が強張る。私が一歩近づくと土下座の体勢のまま器用に後ずさっていく。しかし、さほど広いわけではない部室の中だ。すぐに壁に行きついてしまった。

 

「ちょっとうれしくなったり恥ずかしくなっただけで女の子に抱きついちゃうなんて、比企谷君は変態だね」

 

「ぁ……ごめ……」

 

 嗜虐心を煽ってくる表情に背筋をなにかがゾクゾクと駆け上がってくる。もっと、もっといじめたくなっちゃうじゃん。

 

「本当にどうしようもなくて抱きついてるのかな? 実はそれで相手が慌てたり、恥ずかしがったりするのを見て楽しんでるんじゃないの?」

 

「そんなこと……」

 

 比企谷君の顔はみるみるうちに赤くなり、口は「あわあわ」とか言いそうなくらい戦慄いている。あわあわってなに? ちょっと比企谷君があざとすぎてやばい。いや、彼が言ったわけじゃないけど。

 雪乃ちゃん達の話が本当なら、もうちょっと押せばきっと――。

 

「けど、そんな比企谷君も面白くて――かわいいね」

 

「っ…………!」

 

 わあっ。

 本当に抱きついてきた。背中に回された少しごつごつとした腕や胸元にうずめられた頭部から伝わる熱がどこか心地いい。男の子に抱きつかれたことなんて今まであった記憶はないけれど、こんなに落ち着くものなのだろうか。

 

「もう、比企谷君かわ……」

 

 本当に弟ができたみたいでつい頭を撫でようと手を伸ばして――固まってしまった。

 

「はるのさん……」

 

 比企谷君が見上げてくる。その表情は高校生とは思えないほど幼くて、女の子のような儚さを醸し出していた。特筆すべきはその目だろうか。特徴的だった彼の腐った目はなりを潜め、キラキラと輝いている。目が腐っていないだけでただの美少年になってしまった。誰この子私知らない。

 なによりも、あぁなによりもこの表情はまずい。雪乃ちゃん達の言っていた“卑怯”の意味がやっとわかった。これは卑怯だ。まるで何かを懇願するような、甘えたくて甘えたくて仕方のないような。うれしくて恥ずかしくて怖くて楽しくて、そんないろんな感情がいっしょくたに混ぜられた表情は普段のふてぶてしい彼すら忘れさせて、激しく庇護欲をかきたてられる。このままずっと抱き寄せていたいと思えてしまう。

 

「っ!?」

 

 しかし、私の脳が、“雪ノ下陽乃”という存在が警報を鳴らす。このまま比企谷君に抱きしめられていたら、この表情を見続けていたら、二十年かけて築き上げてきた“雪ノ下陽乃”が完璧な仮面がいともたやすく壊されてしまいそうで。それは私にとって耐えがたい恐怖で、長い時間をかけて形成された本能には抗えなくて。

 

「っ、離れて!」

 

「うわっ!?」

 

 気がついたら彼を突き飛ばしてしまっていた。床に尻もちをついて呆然としている比企谷君と驚きに固まってしまっている雪乃ちゃんとガハマちゃん、慌てて比企谷君に駆け寄るいろはちゃんの視線が集まってくる。いけない、なんとかごまかさなくては。

 

「ごめんね、つい反射的に手が出ちゃった。私の後ろに立つなってやつだね。正面だったけど」

 

 いつも通り、努めて冷静な仮面を貼りつける。ちょっとちゃんと付けられているか分からないけれど、大丈夫なはずだ。大丈夫な……はず。

 

「じゃ、じゃあ私はそろそろ帰るね。また遊びに来るからね!」

 

 ごめん無理。全然大丈夫じゃない。早くここから撤退しないといつボロが出るか分かったものではなかった。出来るだけ普通に見えるように帰ったつもりだったけれど、私の主観では完全な敗走に違いなかった。

 

 

     ***

 

 

「……はあ」

 

 帰ってきてすぐにベッドに倒れ込む。頭の中はさっきまでの出来事でいっぱいだった。今日遊びに行くべきじゃなかったかな……いや、失敗だったとすればきっと比企谷君が抱きついてくるように促したことだろう。まさか私の仮面、比企谷君風に言うなら強化外骨格に浸食してくるほどとは思ってもみなかったのだから仕方ない。

 いくら完璧超人と言われる雪ノ下陽乃と言えども、対応できない事態は存在する。それは分かっている。分かっているのだけれど――

 

「……納得いかない」

 

 その相手が比企谷八幡だという事実が納得できない。私が比企谷君より優位であるということは自惚れではなく事実であるはずだ。これは私の、雪ノ下家長女のプライドの問題だった。

 だから、このままで終わるわけにはいかない。雪ノ下陽乃に苦手なものなんて存在してはならないのだ。

 携帯を取り出す。電話をしたい相手は私がかけると決まって無視をするから、こういうことに協力的な彼の身内の番号を選択する。

 

『もしもし!』

 

 三コールで元気な声が聞こえてきた。兄と違って元気がよすぎるくらい元気がいい。本当に兄妹か疑ってしまいそうになって、つい笑みがこぼれてしまう。

 けれど、今回電話の目的を考えると自然と笑みは引っ込んだ。今回は厄介な捻くれ者に対して私の優位性をはっきりと示すことが目的なのだから。

 

「もしもし、小町ちゃん。今度比企谷君とデートがしたいから、電話変わってくれないかな?」




八陽というジャンルに挑戦してみるターン


たぶんはるのんは俺ガイルキャラで二番目に書きづらいキャラだと思う
一番はガハマさん
あの子視点で地の文とか書けないよ
あの子どういう言葉なら知ってるんだろうか


この話は三話構成で考えています
三話形式の話書くと短編と言うよりも中編みたいな長さになるんですけどね!
後無駄に頭を使う

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