比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。 作:暁英琉
「責任――取ってくださいね?」
――カット!
監督が少し唸った後、OKのサインを出すと現場の空気がふっと弛緩した。既に自分の出番が終わっていた俺もふうっと息をつく。
あ、どうも。八幡――ではなく戸部です。いや、正確には戸部役の俳優、なんだけど、分かりやすいし戸部でいいよね? 今はドラマ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の収録が終了したところ。今日の収録はクリスマスでの一色さんの名台詞のところまでだった。ドラマだと一旦区切るらしいけど、日付が変わるシーンまでは一気に撮ろうってことになったんだ。
え? 俺の口調がらしくないって? まあ、演技だからね。いつもべーべーとかだべとか言ってるのが現実ってありえないでしょう? この髪もドラマのために染めたし……おかげで今期はこのドラマしかドラマ出演できないんだよね。というか、今期テレビ局はこのドラマに全力を注いでいるらしく、相応のギャラを出して他ドラマからのオファーを断ってもらってたみたいだ。比企谷君とかドラマオファー三本断ったとか聞くし。
「お疲れ様です」
「お疲れ、比企谷君」
ちょうど比企谷君が伸びをしたり首を回しながら戻ってきた。俺の方が年上なので収録中以外はしっかり敬語で話してくる。律儀だよなー。
比企谷君は俳優歴五年目のベテラン俳優だ。この現場の演者はほとんどがアイドルやモデルが本職の中で俳優が本職なのは珍しい。しかもまだ十八歳なのだ。
「あ゛ー、さすがに目が疲れましたよ」
おっさんみたいな声を出しながら目からコンタクトを外した。外したコンタクトはドラマのために作られた特注品でこれをつけることで『腐った目』になることができる。というか、腐った目ってなんだよ。特注させられたクリエイターが心底困っていたってディレクターとカメラマンが話してたなー。笑い話にされて制作者も激怒プンプン丸だろう。
「はちさん、お疲れ様です」
比企谷君に程良く冷えたスポーツドリンクを渡したのは小町さん。当然ながら実の兄弟ではない。めちゃくちゃ仲はいいけど。
「おう、ありがとう小町」
ドリンクを受け取ると男でもドキッとするような笑顔で小町さんに笑いかけていた。ドラマ「俺ガイル」でしか比企谷君を知らない視聴者ならギャップに卒倒しかねない。この前のドラマでは無垢な少年役を完全にやり遂げていた。映像制作者の間では超演技派と話題になっている。
「む~、八幡。タオル使って!」
「ぶ、ぶふっ。……サンキュ、いろは」
むくれた一色さんが比企谷君にタオルを押し付けていた。顔面に押し当てられて苦しそうだったけど、あんまり嫌がってないし気にしなくていいよね?
小町さんは比企谷君の事務所の後輩で読者モデルから契約モデルになった口。劇中だと活発な妹キャラだけど、本来は大人しい愛され系妹キャラで売り出されている。演者なのに比企谷君のマネージャーみたいに献身的なのはいつものことで、本人が全く譲らないので彼女のマネージャーも比企谷君のマネージャーも基本ただのカカシになっている。そういえば、「本物」の次の家でのシーンの後はやばかったな……。
「はちさんごめんなさい、ごめんなさい。あんな生ごみを見るような眼をしたばかりか足を踏んでしまうなんてだいた……無礼極まりないことをしてしまってごめんなさいごめんなさい」
「いや、そういう演技だから仕方ないだろ? 俺もちょっとミスってリテイク出しちゃったしごめんな」
「そ、そんな。はちさんが謝る要素なんてないですよ。むしろ小町をもっとののし……注意してもらわないと。なんならお仕置きをしてもらわないと」
「そんなことしないからね!? 小町は頑張ってるだろ? それでいいじゃないか」
「優しい言葉もうれしいですけど、時には思いっきり罵倒してくれてもいいんですよ? 他にもおうちで……」
「ストーーーーップ!! そんなことした事はありません! 音声さん、その携帯どこにかけるつもりですか! 事実無根冤罪も甚だしいです!」
あれはすごかった。何がすごかったって謝っているはずの小町さんが恍惚とした表情を途中から浮かべていた辺りが。ひょっとしたらマゾヒストなのかもしれない。
対して一色さんは本職はグラビアアイドルだけど、前のドラマの準レギュラーとして比企谷君と共演したらしい。ちなみにそのときは小町さんも付いて行って意気投合したとか。もう小町さんが正式なマネージャーでいいのでは?
演技でなくてもあのあざといキャラクターで売っていて、今回の抜擢は型にはまったかららしい。実際、あんまり演技してる印象ないんだよな。
この三人の取り合わせは初めてらしいけどかなり勝手がいい。特にお互い比企谷君と二人での演技の時は生き生きしている。気心が知れた相手との内輪ノリにも似た空間は「俺ガイル」らしい演出に繋がっていた。まあ、三人の関係を知っていれば納得なんだけど。
「そういえば、今日は早めに終わりましたし、この後ご飯でも……」
「やっはろー! 相変わらず仲良いね、三人とも!」
そんな三人に結衣さんが声をかけている。相変わらずテンションは高いけど、今のタイミングは最悪だと思う。比企谷君はともかく後の二人がすごい顔で睨んでて怖い、後怖い。それに気付かない結衣さんは更に怖い。
「明日の撮影はお昼からだし、今から飲みに行こうよ!」
「いや、俺達未成年ですから」
いや、今三人で食事に行こうとしてたんだからそっとしておいてあげてくださいよ……。総武高校生役の中で数少ない成人している彼女は毎日のようにキャストを飲みに誘っている。平塚さん曰く悪酔いが死ぬほどひどいらしい。しかも絡み酒。それで無理やり飲まされてスキャンダルになったらこの業界生きていけません……。お馬鹿アイドルな上に倫理観も微妙に緩いからなこの人。マジで未成年に酒飲ませそう……。
「ぶぅ、じゃあ隼人君飲み行こうよ!」
「ああ、いいよ」
イケメンボイスで答えたのは俺ガイル一のイケメン葉山君……の声の微妙な顔のメンズ。ノン○タ井○並のびみょメン。
何を隠そう彼が葉山隼人である。演技中はわざわざ元ハリウッドの特殊メイク技師を呼んでイケメンに改造している。なんでわざわざそんなことをしてまで、と思うかもしれないが纏う雰囲気と声がイケメンそのものなのだ。このドラマは基本的に『自然体』を軸にしているから採用の最優先は雰囲気や性格なのだ。俺や比企谷君のようなのは例外だ。割とアドリブも入るし、展開が変更されることすらある現場だ。
ちなみに葉山君は今回が芸能活動初仕事らしくて、素顔で外に出ても誰にも気づかれない。そんな一般男性と変わらない人間と結衣さんが飲みに行っていたらフライデーされかねないが、数人のスタッフも一緒に行くだろうから大丈夫だろう。スタッフの皆さん頑張って! 俺も未成年で助かった。
フライデーと言えば、比企谷君も三回くらい雑誌記者にパパラッチされてたなー。一回目は小町さんとディスティニーランドに行っているところを、二回目は一色さんとカフェで食事しているところだ。小町さんのときは同じ事務所の後輩ってことでそこまで大きくならなかったけど、一色さんの時は結構騒がれたよな。双方の事務所は交際を否定してて、小町さんも合わせて三人そろって仲がいいって堂々と公言して以来、三角関係とかでいじられることはあっても食事や遊びに行く程度で雑誌記事になることはなくなった。さすがに家にまで行ったことは記事で大々的に取り上げられてたけど、「仲のいい人を家に招待するのは普通のことでしょう?」と言われたら記者もそれ以上深入りしなくなっていた。若干男子からの風当たりは強くなったけどね。
そして三回目はまさにこの撮影中のことである。新人“女優”の戸塚さんが比企谷君に演技の相談をしていたところを撮られたらしい。いや、それ自体はすぐに否定して真実を報道したら世間の誤解も解けたんだけど、やばかったのはその後の撮影だ。小町さんと一色さんが半ストライキを起こして撮影が全然進まなくなってしまった。説得する比企谷君の姿は浮気相手がばれた夫そのものだし、やっぱりこの三人ってそういう関係じゃないの? 誰も言わないけどみんなそう思ってるよね? 屋内セットでの撮影じゃなかったら確実にマスコミのおいしい餌になってました。
「じゃあ皆早くいこ! 静ちゃんも呼ぼうか!」
「平塚さんは今バラエティの収録中ですよ」
ぞろぞろと出ていく大人一団。それを見送っていると比企谷君のスマホが震える。それをいち早く見つけた小町さんが発信元を確認して、一色さんに見せて、二人して怖いかをしながら着信ボタンを押した。
『フハハハハ、我が同胞八幡y……』
「材木座さん、はちさんはこの後予定がありますので」
「というか、勝手な電話は許しませんって言いましたよね?」
『ブヒィッ!?』
即座に通話が終わった。あの二人材木座さんに厳しすぎる。一応メイン、準メインキャストの中では最年長なんだけど。今年確か三十歳を迎えた材木座さんは本業は芸人さんだ。中二病をネタにした勢いのある芸で人気を出して、最近では役者の他にもグルメリポートなんかもやっている。本人曰く「我は第二の石ちゃんになるのだ。いや、むしろ石ちゃんを超えてみせるのが剣豪将軍たる我の務めであろう!」とのこと。今演じている中二キャラを即座に取り入れる辺り中二病芸人として尊敬……いや、尊敬はできないかな?
「翔ぅ。この後ご飯行かない?」
「私達数日収録ないから今日はぱーって行かない?」
声をかけられて振り返ると、三浦さんと海老名さんから食事に誘われた。たぶんその流れでカラオケとか行きそう。まあ、楽しいけど。
ドラマ内で仲良しグループに入っていたり、俺が海老名さんを好きだったりと接点が多いのでよく食事に行ったりする。収録の時間も被ること多いしね。結衣さんは食事=酒だから必然的に除外されて、流れで葉山君は結衣さんに引っ張られる。となるとこの三人で遊びに行く時間は必然的に多くなるのだ。大和や大岡? あいつら下手したらマネキンでもいいからなー。むしろチェーンメールの時以降省こうかって話すら上がってたし、戸部役でほんと良かった。
で、三人でよく過ごしていると色んな一面を見せてくれるわけで、そういうところに不覚にもドキッとしてしまう事もある。しかし、俺ガイルの収録をしていると不思議と『比企谷八幡』というキャラに毒されてしまうもので、「あれ? ひょっとしてこの二人俺のこと好きなんじゃね? ……いやいや勘違い乙」という流れが一瞬で構築されるようになったしまった。まあ、俺みたいな中途半端な人間よりいい奴が芸能界にはうじゃうじゃいるし、ほんとに勘違いなんだろうな。こう、体のいい遊び相手みたいな、何それ泣きそう。
まあ、楽しいからこういう関係も悪くないか。
「いいよー。どこ行く?」
「ふふーん、この間なかなかおしゃれなレストラン見つけたんだよー!」
この後の予定を立てていると、視界の端をとてとて歩く影がちらついた。顔を向けると雪ノ下さんがおどおどしながら比企谷君達に近づこうとしている。
「あ、あの……比企谷君……」
撮影の時はすごいハキハキ堂々としているのに、撮影外ではめちゃくちゃおどおどしているし、声も小さい。俺も注目していたからなんとか聞き取れただけで、比企谷君達は聞こえていないようだった。
「じゃ、早くご飯行きましょう!」
「限定メニューがなくなっちゃう!」
「分かったから引っ張んなよ! 服が伸びる!」
「ぁ……」
三人はそのまま出て行ってしまった。かすかに聞こえた「ていうか、限定メニューってなんだよ」「シェフの賄いドカ盛りステーキ!」「なにそれ……次の日体型変わってたらプロデューサーに怒られそう」という話声もやがて聞こえなくなった。
そして残されたのは俺たちと数人の撤去担当のスタッフ。そして……
「また……お疲れ様って言えなかった……」
一人しょぼくれている雪ノ下さん。なんか雨の日に捨てられている子猫みたい……。
あー、こういうときどうするのが正解なんだろう……。近くの二人に目配らせすると二人とも同意見のようだ。こほんと咳払いをして彼女に近づく。
「あー、雪ノ下さん。俺らと一緒に飯食いに行かない?」
とりあえず、愚痴とか聞いてあげよう。ゆきのんがんばって!
ネタを振られて、その場のテンションで内容を詰めて書いた即興SS
俺ガイルがドラマ化されてそれの収録舞台裏という設定
最初は八幡を視点主にしようと思ったけど、ネタを出している内に八幡がクソリア充になったのでちょうどよく転がっていた戸部を採用
葉山の設定に悪意はありません
材木座の見た目で芸人だと、どこかカンニング竹山さんと被りそうと思った(見た目が)
まあ、設定の段階で下手したら3Dグラフィックで済まされそうになったんだけどね、材木座