比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。 作:暁英琉
俺が転校生の帰国子女と接点を持つことなどない
転校生が来た。
教室で嫌でも聞こえてきていた噂話をいつもの部室で由比ヶ浜が話している。
一月末という中途半端な時期に、それも三年生。しかも帰国子女の女子生徒と目立つ要素てんこ盛りなので学校全体が色めき立つのも仕方ないだろう。まあただ、俺にとっては至極どうでもいい。
そもそも学年が違う時点で交流がない。今の三年生で交流があるのはかろうじてめぐり先輩だけだし、そもそも三学期になると三年生はほぼ自由登校になる。ただでさえ上級生のクラスに赴くこともない俺にとってはその顔を視界におさめることもないだろうし、そもそも後二カ月もすれば三年生は卒業だから噂話もすぐに終息するだろう。
そんなこんなで噂話とは無縁な奉仕部はいつもと変わらぬ開店休業状態。紅茶飲みつつ読書とか高校生にしては優雅すぎやしませんかね? 俺だけ湯のみだけど。湯のみで紅茶って……。
相変わらず部活と呼ぶべきなのか甚だ疑問ではあるが、この時間は悪くない。一度は壊れかけたこの空間をもう一度手にすることができたと思えば、居心地もいいというものだろう。
――トントン。
「邪魔するぞ」
「邪魔するなら帰ってください」
「新喜劇のノリはできんぞ、比企谷」
ガラにもないことを考えていると、教室の扉がノックされ、間をおかずに開いた。開いた主は顧問の平塚先生。だからノックするなら返事を待てと……もし俺が全裸だったらこの人はどうするつもりなのだろうか。俺が社会的に死にますね。
「それで平塚先生。今日はなんの御用でしょう……か……」
本を閉じて顔を上げた雪ノ下が固まってしまう。まあ、無理もないだろう。なにせ平塚先生の後ろには――
「ひゃっはろー、雪乃ちゃん!」
恐怖の魔王、雪ノ下陽乃がいるのだから。今日も今日とて絶好調の強化外骨格スマイルを振りまいている。というか、なんで行事もないのにこの人学校に来てるの? やっぱり暇なのだろうか。
触らぬ神に祟りなし。触らぬ魔王に祟りなし。ここは妹殿にネゴシエーターを務めてもらおう。そう考えて再び本に目を落とす。
…………。
………………。
「……?」
いつまでたっても話が始まらない。一体どうしたのかと顔を上げると。
「……………………」
雪ノ下が硬直していた。由比ヶ浜や先生が声をかけても反応がない。いくら姉が突然来たからって動揺しすぎじゃないですかね。そんなに予想外だったのかしら。
「ヒッキー……」
「……はあ、しょうがねえな」
雪ノ下があの調子では仕方あるまい。由比ヶ浜に任せるのは不安だし、俺がやるしかねえな。
「それで、今日はどうしたんですか?」
「よくぞ聞いてくれたぞ比企谷君! 今日は奉仕部に依頼を持ってきたのだ!」
面倒事の間違いじゃないですかね。……ん?
ズビシッとポーズを決める雪ノ下さんに半ば呆れていると、入口の方にもう一つ人影があるのに気がついた。「ほら“友音”! 入ってきなよ!」と雪ノ下さんに促されたその人物が部室に入ってくる。
「Buon giorno……じゃなかった。こんにちは! 白露友音(しらつゆ ゆね)です!」
少し高めの澄んだ声色が部室に響く。白露友音と名乗る少女はゆるーく手を上げてニコニコしていた。ボブカットの栗色の髪に人懐っこそうな表情。顔立ちは非常に整っていて、こんな美人に話しかけられたら中学の俺ならば容易に勘違いしていたに違いない。
「あ! 転校生の人だ!」
こら、由比ヶ浜。人を指差すもんじゃありませんってお母さんから習わなかったのかい? 習ってても忘れそうだわこいつ。
しかし、この人が件の三年転校生様か。なるほど、確かにこれだけ美人なら学校中で噂になっても仕方あるまい。と、ここまで考えてそういえば挨拶を返していない事に気がついた。挨拶は実際大事。古事記にもそう書いてある。いやうちの古事記には書いていない。
「ども」
軽く会釈をすると転校生、白露さんはきょとんとした後、少し悲しそうな表情をする。
「ひょっとして私、歓迎されてない?」
いえ、別にそういう事じゃないです。むしろあなたの隣にいる歓迎されない魔王のせいです。
「そうじゃないよ、友音。比企谷君は恥ずかしがり屋なんだよー。ねー、うりうりー」
「恥ずかしがり屋じゃないんで、そういう事やめてくれませんかね……」
たたたーと寄ってきて肘をうりうり押し付けてくる。決して恥ずかしがり屋なわけではない。こんなことされれば誰だって恥ずかしいでしょう? だからもうやめて何か近いしいい匂いするから。
「それで、依頼とその……白露さん? が何か関係があるんですか?」
「そうだよー。友音のことでお願いがあってねー」
ようやく離れてくれた雪ノ下さんは依頼内容を大まかに説明し始めた。
「私とこの子はうちの会社関係で知り合ったんだけど、この子六歳から海外に住んでてね。日本の知識とか文化とか曖昧なのよ。これから日本で過ごすんだし、それじゃあ不便でしょ? 最低限周辺の環境とか知っておいた方がいいし、日本のマナーとかもしらないとじゃない」
「つまり、とりあえず千葉周辺の案内をして欲しいっていうのが奉仕部への依頼ですか?」
「うん、比企谷君への依頼」
…………ん? なんで今言い直したんだこの人。これが分からない。分からないが、ここはきっちりと訂正しておいた方がいいだろう。
「奉仕部に依頼に来たんですよね?」
「うん、奉仕部の比企谷君に依頼しに来たの」
今度こそ訳が分からない。そういう事なら奉仕部三人でやった方が絶対効率がいいし、別に俺が個人的に受けなければいけないような依頼でもないと思うのだが。大体一人で依頼を全部こなすとか面倒くさいことこの上ない、なんなら面倒事は全部押し付けたいまである。
「待ちなさい、姉さん」
おお、いつの間にか再起動したらしい雪ノ下が声を上げた。このタイミングで声を上げたという事は俺一人に依頼をすることに不満なのだろう。そうなればきっと奉仕部全体の依頼という事になるはずだ。がんばれゆきのん!
「その依頼は奉仕部全体で受けた方がずっと効率的で……」
「じゃあ、雪乃ちゃん。文化祭の借りってことで比企谷君個人に依頼するね?」
雪ノ下さんの発言に雪ノ下はぐっと声を詰まらせる。数秒目に思案の色が見えた後……。
「……わかったわ」
あっさりと引き下がった。
論戦の終結がが予想以上に早かったことに由比ヶ浜は唖然としている。俺も唖然。しかし、理由は違う。あの雪ノ下さんがこんなに簡単に、しかも他人のために自分の手の内から有限のカードを切ったことがあまりにも意外だったのだ。
「それじゃあ、さっそく明日からよろしくね!」
「はあ……」
にこやかに笑うと雪ノ下さんは先生を連れて出ていった。ていうか、俺に拒否権ないんですね。知ってた。
残されたのは奉仕部三人と白露さん。雪ノ下は我関せずで読書に戻ってるし、由比ヶ浜は自分の立ち位置が分からずオロオロしている。
「ごめんね、突然こんなこと頼んじゃって」
「いや、気にしないでください。そういう部活ですし」
申し訳なさそうにしている白露さんだが、実際そういう部活だ。それに、出生上は地元でも十二年も離れていれば最早異世界だろう。千葉の事を怖いなんて思われるのは俺の千葉愛が許さないしな。
「そっか。じゃあよろしくね、えっと……」
「あ、比企谷八幡っす」
「よろしくね、ハチマン!」
あー、外国育ちだからかフランクな感じだ。普段は名前で呼ばれたら思わず固まってしまうのだが、あまりにも様になっていてむしろ好感すら持てた。
しかし――あんまり前かがみにならないでもらえますかね? 雪ノ下さんや由比ヶ浜に勝るとも劣らないふくらみが強調されて目のやり場に困るんで。
「ヒッキー……」
「エロ谷君……」
やめて! そんなゴミを見るような目で俺を見ないで! 俺無実だから! 不可抗力だから!!
***
「ハチマン、待った?」
「……いえ、時間通りですよ」
翌日、自由登校の白露さんと校門で待ち合わせになった。日頃小町から鍛えられている俺はぬかりなく予定時間より早めに到着していた。白露さんは時間通りだったわけだし、文句を言う理由はないのだが――俺は少々疲弊していた。
いやほら、雪ノ下と一緒に由比ヶ浜の誕生日プレゼントを買いに行った時は小町も一緒だったし、由比ヶ浜と花火大会に行った時は駅だったわけで……。まあ何が言いたいかというと、校門で待ち合わせとか超目立つよね! 千葉駅とかで待ち合わせればよかった!
それに……。
「ん? どうしたのハチマン?」
「いやその……似合ってますけど、その服露出多くないですか?」
白露さんはクリーム色のコートを羽織っていたが、その中の服は胸元が大きく開いたもので、豊満なあれの谷間に目が吸い寄せられる。もう吸引力がやばい。しかも、それを見ないように目線を下に向けると程良い肉付きのおみ足がミニスカートとニーソックスに映えて……これが生絶対領域っていやいやいやいや。目のやり場が存在しないだと!?
「そうかな? 向こうだと皆こんな感じだったけど、日本だともっと大人しめの方がいいのかな?」
いえ、日本でもそういう服普通に着るでしょうけど、超目立つんですよ。ここ学校だから! 後俺が恥ずかしい。けど、目が吸い寄せられちゃう!
一人で待っている間も十分目立ってしまった自覚があるが、白露さんが来てから余計に目立ってる。ぼっちの敵、視線の嵐が超絶怖い! まだ白露さんが帽子を被っているのと、噂の美人帰国子女転校生の顔が浸透していないおかげでそこまで大きな反応を周囲が示さないが、帽子取っていたら俺の命がやばかったかもしれない。何この依頼命が関わるものだったの?
「じゃあ、とりあえず出かけるわけなんですが、行きたいところとかありますか?」
「アキィバ!」
「……へ?」
ノーテンポ。考えるそぶりも見せずに即答。思わず顔をしかめてしまった俺に白露さんがこてっとかわいらしく小首をかしげる。くっ、一色ならあざとく見えるしぐさが普通にかわいい。何この人強い。
「私日本に来たらアキィバに行きたいって思ってたんだよ! とらのあなとかメロンブックスとか行って帰りに秋HUBだよ!」
「待って、ちょっと待って!」
なんで同人ショップ直行なの? 後秋HUBは未成年だからだめだよ? ていうか、なんで「アキバ」だけちょっと舌巻くの?
「……白露さん」
とある可能性に行き当たり、恐る恐る聞いてみることにする。一応ね、ある程度相手のこと知ってないと案内とかがね?
「好きなアニメは?」
「最近だとソードアート・オンラインとグリザイアの果実」
「グリザイアで好きなヒロインは?」
「一姫とさっちん」
「好きなゲームは?」
「世界樹の迷宮、ルーンファクトリー、牧場物語」
「クラナドは?」
「人生」
「…………うん」
うん。
うんんんんん?
どうやら、かなりジャパニメーションに明るいようだ。ていうか、萌え方向にかなり強そう。こんな美人でオタクとかハイブリットすぎませんかね?
俺の困惑が伝わってしまったのか。白露さんの表情がどんどん雲っていってしまう。
「……あれ? こういう会話、嫌……だったかな……? 日本のアニメ文化はすごいから学校の友達とはその話で持ちきりだったけど、ハルノがこっちではあまりしない方がいいって言ったのは本当なんだね……」
「あーまあほら、最近そういうのに偏見持ってる人も少なくなってはきましたけど、高校生とかだと『友達と遊びもせずにアニメやゲームなんて子供』って考えてるやつが多いですから。まあ、俺は友達いませんけど」
必死のフォローに軽く自虐を挟むと「ふふっ、なにそれ」と笑みを浮かべる。どうやら少し機嫌を戻してくれたらしい。
「まあ、俺はそこそこ分かるんで、話したいときは話してくれて構いませんよ」
俺もたまに誰かとアニメ談義したいと思う事あるし。
「ほんと!」
「けど、アキバは行きませんよ」
「えぇ……」
そんなこの世の終わりみたいな顔することないでしょう。そもそもまだ俺のセリフは終わっていないんだから。
「今から行くとあんまりいれませんよ? 昼間とかに行った方が……」
「じゃあ、来週の土曜日に行こう!」
「え? あ、はい……」
コロコロテンションを変えられて八幡タジタジ。完全に空気に飲まれていつの間にか休日が一つ潰れるのが決定してしまった。まあ、平塚先生みたいな強制力のある言い方ではないからか不思議と嫌な気はしないんだが。
「じゃあ、とりあえず今日は学生らしい所に行きましょうか」
「うん! しっかりエスコートしてね」
笑顔でそんなこと言われても自信は全くないんだけど。エスコートって何するの? エースコンバット?
***
というわけで、案内したのは学生御用達のららぽーとである。時間もちょうどよくちらほらと学生の姿が見える。知り合いに会う可能性を考えるとあまり気は進まなかったが、大学生でも頻繁に来るだろうし最初に案内しておいた方がいいだろう。そもそも知り合いとかほとんどいないしな!
「わあっ……!」
白露さんは新しいおもちゃを見つけた子供のようにぱあっと表情を輝かせている。その表情は十八歳らしくなく、更に言うなら年上らしくなくて、素直にかわいいと思った。そして、きょろきょろと辺りを見渡す彼女に疑問を覚えた。
「海外ではあんまりこういうところに行かなかったんですか?」
今の私服も結構おしゃれだと思うし、てっきり外国の超オシャレな店とかを利用していたと思っていたが。
「あぁ、私イタリアに住んでたんだけど、ミラノから少し外れた町に家があったんだよね。買いものとかも近くの少し大きめの商店街とかでやってたし。こんな大きいモール? は初めてだよ!」
なるほど。なんか海外って言うと大都市と田舎と両極端な情報しか入ってこないが、当然少し栄えた町とかもあるよな。完全に失念していた。
反省してふと横を見ると白雪さんが消えた。おやあ? 神隠しかな? Missingかな? 慌てて探すと彼女はきゃぴきゃぴした女性用の洋服売り場に突撃していた。いやあの、俺がそこにあなたを追いかけていくのは幾分ハードル高いんですけど。帰っていいかな?
「ハチマーン! 早く早く!」
残念。呼び止められてしまった。いやまあ、さすがに帰らないけど。
「これなんてどうかな?」
出来るだけ怪しまれないようにショップの方へ向かうと、自分の身体に商品を当てて見せてくる。今着ている、少し大人びた服とは違うピンクを基調としたかわいい系の服。ジャンルが違うのにその服もびっくりするくらい似合っている。綺麗系もかわいい系もイケるとか、この人最強?
白露さんはキラキラした目でこちらを見つめてくる。つまり、感想が聞きたいという事なのだろう。ここは落ちついて普通に感想を言えば大丈夫。
「に、似合ってましゅ……似合ってますね」
噛んだ。超噛んだ。言い直したけど時すでに遅し。ぷふっと吹きだした白露さんはそのまま肩を震わせている。
「…………店の外で待ってます」
「ああ! ごめん! 悪かったから一緒に洋服見てよー!」
「っ!?」
引きとめるためだろうが後ろからがっちりと抱きしめられてしまった。ちょっと待ってマジで待って! なんかね! 背中にね! 超絶柔らかいのが二つね! あのね! 待って!
突然の事態に固まっている間もきゅっと女性らしい力が腕に込められる。さっきも言ったように彼女の服は胸元が大きく開いているのだ。なんかこう、服越しとは違う温かさとか柔らかさとかががががががが。ていうか、店員さんとかお客の視線が痛い。やめて! そんな生温かい視線俺に向けないで! 八幡溶けちゃう!
「わ、分かりました! 出ていきませんから離れて!」
「そ? よかったー」
にこーと笑って解放してくれる。別に温かいのとか柔らかいのが離れて残念とか思ってない。思ってないんだから!
本当に年上は厄介だ。雪ノ下さんといい白露さんといい、完全に振り回されてしまう。まあ、一色にも小町にも由比ヶ浜にも振り回されるけど。あれ? 結局年齢関係なくない?
「これもよさそー!」
次に見せてきたのは春物であろう水色のワンピース。余計な装飾の無いシンプルなデザインで清楚なイメージを醸し出していた。身体の前面に押し当てて見せてくるが、これもとてもよく似合っている。彼女の纏う雰囲気そのものが清楚なものになった感じだ。
「すごいですね。綺麗系もかわいい系も清楚系もなんでも似合うって」
「あー、それハルノにも言われたなー。ハルノはかわいい系とか似合わないから羨ましいって言ってた」
確かに雪ノ下さんがキャピキャピした服を着る姿は想像できない。今まで接してきたお姉さん然とした性格に対しての固定概念もあるだろうが、ある意味白露さんの才能もあるのだろう。どんな服も完璧に着こなす。そういう才能もあるのかもしれない。
「そういえば、ハチマンは普段どこで洋服買ってるの?」
「親が買ってきます」
「自分で買ってないんだ!?」
そんな驚愕の表情しないでもらえませんかね? 別にいいじゃん、服とか着れれば別に気にしないんだから。
「いいんですよ。親が服を買った方が家計の把握が楽ですし、俺はわざわざ出かけなくて済む。お互いウィンウィンな関係なわけです。俺の服を買わなきゃいけない時点で親のメリットないまでありますけど」
ついいつものように話してしまって、しまったと気付く。こんなつまらないを通り越して変な話をする奴に近づこうという奴なんてそうそういない。依頼完遂のためにはこんな序盤での関係悪化は避けるべきだ。恐る恐る白露さんの様子をうかがうと、きょとんとした顔をした後――
「ふふっ、ハチマンってやっぱりおもしろいね」
自然に笑いかけてきてくれた。いや、それはそれでなんか恥ずかしいんだけど。これが一色だったらいつもの早口お断りを展開しているところ。まあ、あいつの場合別に照れ隠しじゃないだろうけど。
「……俺のことをそんなふうに評価したのはあなたと雪ノ下さんくらいですよ」
なんなん? 年上からしたら俺は面白い奴なん? けど平塚先生には面倒くさいやつって言われたな。いや、ひょっとしたらアラサーはまた別の感性が……何か寒気がしたからこの話はやめておこう。
白露さんは「ふーん、そっかー」となにか考え事をした後、パンと胸の前で両手を打つ。そして俺の腕に手を伸ばして。
「じゃあ、次はハチマンの服を身に行こう!」
「は? え、ちょ、ちょっと!?」
制止の声すら上げる暇もなく、強引に連行されてしまった。待ってこれ転びそうだし超恥ずかしい。白露さんの手あったかいんだから~。
「これなんてどうかな?」
「……あれ? せんぱい?」
「俺に服の良しあしなんて聞かないでくださいよ……」
いつもの私服だってタンスの一番上の服を適当に着ているから、服のセンスなんてわからん。どうせ家から出ないんだからどうでもいいけど。
「けど、さっきは私の服普通に褒めてくれたじゃない?」
「そりゃあ、いいものはいいって言うでしょう。そこまで捻くれちゃいませんよ」
「せ~んぱ~い」
なんかさっきから呼ばれてるぞせんぱい。周りに迷惑だからさっさと反応してあげなさい!
「じゃあ、これとか……あ、かっこいい!」
「かっこいいはありえな……」
「てりゃぁっ!」
「ぐはっ!?」
背中に衝撃を受けて危うく白露さんにぶつかりそうになる。必死に踏みとどまって振りかえると、激おこプンプン丸なあざとい生徒会長が仁王立ちしていた。
「なんだ一色か。いきなりどつくなよ、危ないだろ」
「せんぱいが何度呼んでも反応しないのが悪いんじゃないですか~!」
あぁ、さっきのせんぱいコールはこいつだったのか。だから「せんぱい」だけじゃ誰かわかんねえって。その頭に「比企谷」って付けてくれるだけで反応できるというのに。いや、それでも無視しそうだな、そんなこと口に出さんけど。
「いろはすー? あ、ヒキタニ君じゃーん」
どうやら戸部と部活の買い物に来ていたらしい。戸部の手には大量のプロテインの入った買い物袋。そんなにプロテイン飲むの?なんか選挙の頃もプロテイン買ってなかった? サッカー部プロテインまみれかよ。
「それにしてもせんぱい部活サボってこんなところにいていいんですか?」
「いや、一応部活中なんだけどな」
「パシリ?」
このやろ……。
ナチュラルな顔で俺を貶してくる一色に青筋を立てていると俺の肩のあたりから白雪さんが顔を出す。一色を見て「ほよ?」と声を上げると――ほよ? ってなんですか――あっ、と声を上げる。
「生徒会長ちゃんだ!」
「あれ? 転校生先輩じゃないですか」
「この人が噂の転校生? っべー、マジ美人じゃん!」
「戸部先輩は黙ってて下さい」
「……っべーわ」
戸部……強く生きろ……。応援はしておく。フォローはしないけど。
一色は白露さんにいつもの愛想笑いを向けた後、俺の方に顔を向け……目が笑ってないんですけど。それ白露さんに向けてねえだろうな。
「せんぱい、部活サボった上に転校生さんに手を出すとかちょっとあり得ないんで雪乃先輩に言いつけますね」
「いや、だから奉仕部の一環だって。人の話聞けよ」
仕方なく一色に事情を説明する。魔王による強制だし、俺にはやましいところが全くないので特に隠さず話すと、ようやく一色は納得してくれたようだ。
「……でも、案内するのになんでせんぱいの服見てるんですか……」
あ、あんま納得してねえわ。つうか、なんでそんな不機嫌なんだよ。俺がどうしようとお前は関係なくね?
「白露さんが見たいって言ったからだよ」
「私のお願いはなかなか聞いてくれないじゃないですか~」
「なんでお前のお願いなんて聞かなきゃいけないんだよ」
「理不尽!?」
いや、理不尽ではない。強いて言えば一色のお願いはその大半が面倒くさいことだ。生徒会の手伝いだったり、対葉山戦略だったり、買い物の荷物持ちだったり。いや、荷物持ちはだいたい戸部の役目だな。あれだけぞんざいに扱われているのに荷物持ちに付き合う戸部がいい奴すぎる。報われそうになり“いい奴”で涙が出てくるまである。ごめん、出てこないわ、戸部だし。
ここまで特にしゃべらずに俺たちの様子をうかがっていた白露さんが――
「二人って付き合ってるの?」
「「は?」」
なんか爆弾を落としてきた。
「なになに? いろはすとヒキタニ君付き合ってんの? っべー、こりゃ大スクープっしょ!」
「戸部、黙ってろ」
「……ヒキタニ君、っべーわ」
あ、なんか戸部が三歩くらい下がって小さくなっちゃった。一色に言われるのは慣れているけど、他の人に言われるのは堪えるのね。覚えておこう。
まあ、戸部のことなんてどうでもいいから、まずはこの誤解を解かなければ。
「別に付き合ってませんよ。俺と一色はただの先輩後輩です」
「そうなの? なんか楽しそうに話してたけど」
楽しくない。いや、楽しくなくはないけど、今はむしろ説明で疲れた。
「そうですよ、白露先輩。私と先輩はそんな関係じゃ……はっ、まさか白露先輩を使って私とせんぱいが仲良いんだぜアピールですか? ちょっと回りくどいし、私的にはタイマンで攻めてくれた方が好みなのでその作戦は少ししか効きません、ごめんなさい」
「なんでわざわざ振ったの?」
前半のセリフ、後「~ないですよ」で終わりだったよね? わざわざ振る上に長文早口に切り替えるとかマジいろはすやばい。何がやばいって狡猾過ぎてやばい。ちなみに狡猾の象徴とされるハイエナは、言うほど狡猾な生き方はしていない。普通に狩りだってする。これマメな。
「あやしーなー。二人とも仲良さそうだし」
「怪しくないです」
「そうですよ。せんぱいは私に責任があるだけです」
あ、馬鹿。思わず一色の方を向くと「いっけな~い」と舌を出して頭をコツンと叩いていた。なんだそれかわいいなお前。
「責任?」
「いや、こいつを一年生なのに生徒会長に推したのは俺なんで、それの責任ってことですよ。時々生徒会の仕事付き合わされますし」
これも俺にやましいところはないのでスラスラ口をついて出てくる。偽アカウント? それやったの材木座だから。まあ、勿論葉山のことは話さないけど。その必要もないし。
それで白露さんも「うわ、大変だったんだね」とか言いつつ理解したみたいだが。
「それで白露先輩」
「なにかな?」
なぜか俺を挟んで二人が対峙しているのかな? なんか浮気がばれた彼氏みたいな心境なんだけど。俺何も悪いことしてないんだけど。
「なんでせんぱいの服を選んでたんですか?」
まあ、それは俺も思うところではあった。俺の服を選ぶよりも自分の服を選んだ方が幾分生産的に思える。しかし、白露さんはにぱっと笑うと、事もなげに言ってのけた。
「だってハチマンってかっこいいから、オシャレしたらもっとかっこよくなりそうじゃん!」
……は?
かっこいい? 俺が?
HAHAHA。白露さん、さすがにそれはお世辞でも無理がありますって。ほら一色、ここは反撃のチャンスだぞ。俺なんで自分の事否定されるのを待ってるのん?
「ぅ……」
あれ? 一色ちゃん? なんで黙りこむのかな? ほら、いつもみたいに俺を罵倒してきな? 別に俺は罵倒が好きなわけじゃないんだからね!
「あ、そうだ。ハチマン、向こうのお店もよさそうだから見てみようよ!」
「ふあ!? ちょ、ちょっと白露さん!?」
「早くしないと時間無くなっちゃうもん! じゃあね、生徒会長ちゃん」
またしても腕を掴まれて連行されていまう。ただ、確かにここで話しこんでいればいるほど店を見て回る時間が短くなってしまう。残してしまった一色と戸部に挨拶をしようとして――
「せんぱい。このことは雪乃先輩と結衣先輩に報告しておきます」
…………。
一色マジ怖いよ。後怖い。
***
「今日はありがとうね、ハチマン」
「いや、こっちも服買ってもらいましたし」
あの後数件店を回った。ウィンドウショッピング程度の予定だったが、白露さんは余程日本の服が気に行ったらしく、結構な量を買っていた。その上、俺の服まで購入して俺に押し付けてきたのだ。最初は断ろうとしたが、今日のお礼と笑顔で言われたら何も言い返せない。
「どうでした? 日本のモールは」
白露さんを送るために駅まで歩いているときに尋ねる。あまり上手くエスコート出来た自信はないが――むしろ振り回されていた自覚すらあるが――、つまらなかったと言われるのはちょっと不服である。しかし、白露さんはニコニコしながら「楽しかったよ」と返してきた。
「いろんなお店があって楽しかったよ。千葉でこれなら東京はもっとすごいのかな?」
おいおい、千葉を東京の下位互換みたいに言われるのは心外だ。東京だって西の方は結構田舎っぽいし、千葉にだっていいところはいっぱいあるんだぞ。ディスティニーランドも千葉にあるしな! ……なんか言ってて悲しくなってきた。本当になんで千葉ディスティニーランドにしなかったんだ……。
「それに、どのお店も接客がすごくて気分良くなっちゃった」
あぁ、どうやら日本の接客水準が高いというのは本当らしい。まあ、無愛想な店員とかもいるけどね。俺がバイトしたマックとか目の腐った店員がいて怖いって苦情来てたし。俺のことじゃん。
「ここまでで大丈夫ですか?」
「うん、じゃあまた明日ね!」
「え?」
「え?」
あれ? ひょっとして明日も案内するのだろうか。そもそもこれってどれくらい案内したら完遂なのん? いやそもそも……。
「俺は大丈夫ですけど。白露さんは大丈夫なんですか? その……勉強とか……」
受験生にあまりこういうことは言いたくない。しかし、日本に慣れるために受験をおろそかにするわけにはいかないだろう。白露さんも俺の言わんとしていることを理解したようで、あー! と声を上げる。
「私、イタリアのハイスクールの推薦でもう大学受かってるんだよ、ハルノと同じ大学の文系。向こうだと本来六月卒業だったんだけど、ハルノが掛けあってくれて、早めに日本に戻ってきたんだよね」
なるほど。もう受験が終わっているのならあまり気にすることもないということが。それじゃあ、本人が納得するまで依頼を続けるとしますか。
しかし、雪ノ下家の力って海外まで届くのか。本当に県議かな?
「分かりました。じゃあ、明日も校門前で」
「分かった。それじゃあ、またね!」
白露さんが駅に消えたのを確認して、ほっと息をつく。ほとんど知らない、しかも年上とこれだけの時間を過ごして、話をしたのは少なくとも高校生になって初めてだった。
しかし、このため息は決して疲れたというものではなく――いや、多少はあるけど――あまりにも自然に過ごしていた事実に対する驚きから来るものだった。
「……明日もこんな時間を過ごすのか」
不思議と口元が緩んでいることに、その時の俺は気付いていなかった。
***
明くる翌週の月曜日。先週は平日の放課後、毎日白露さんをどこかしらに案内していた。パルコだったり、の買い物スポットや、近場の観光地など。観光関係はともかく、買い物スポットなんてよく知らないから由比ヶ浜達に協力をあおいだら、ららぽでの事を一色がしっかり報告していてなぜか怒られた。なーぜー。まあ、ちゃんと教えてくれたけどさ。
さすがに土日は休ませてもらったが、今週土曜はアキバに行く約束をしてしまっている。そして、今日は先週とは勝手が違うのだ。
「……行きたくない」
俺がいるのは三年生の廊下。三学期になると三年生は自由登校になるが、毎週月曜には定期報告などのため受験などの生徒以外は登校してくるのだ。そして、金曜日の別れ際に白露さんから「教室まで迎えに来てね?」とお願いされてしまった。いや、別に校門でよくない? と家に帰ってから思ったが、後の祭り。ふえぇ、三年生の「誰こいつ」みたいな視線怖いよぉ。
しかし、迎えに行かないと白露さんを見捨てるという事になり、バックについているアラサー教師と魔王に何をされるか分かったものではない。男だろ、比企谷八幡! 覚悟を決めろ!
出来るだけ怪しまれないように――既に怪しさマックスな気がするが――白露さんの教室に向かう。確か3-Cだったはず、と記憶を頼りに向かい、そっと中を覗くと白露さんの姿を見つける。どうやら他の三年生と話しているようだ。まあ、三年生も今日で会って二日目なわけだし、まだまだ興味は尽きないのだろう。ひょっとして俺、総武高で一番白露さんに関わっているのでは? なにそれ優越。……ヒッキーキモい、という由比ヶ浜のボイスが脳内再生された。辛い。
さて、早くした方が時間も取れるのでそろそろ呼んだ方がいいな。しかし、直接呼ぶのはちょっと、いやかなり恥ずかしいので誰かに呼んでもらおうかとキョロキョロしていると。
「あ、ハチマン!」
白露さんが先に気付いた。鞄を掴んでとてとてと近づいてきたので挨拶をしようとして。
「白露さん、どう……うぇっ!?」
「ひっさしぶりー!」
真正面から抱きついていてきた。いわゆるハグ。
いやいやいやいや。待って、ちょっと待って。毎度思うけどこの人感情表現がフランクなんだよ。海外に住むとすぐ抱きつくようになるの? しかも今までみたいに帽子被ってる訳じゃないし、周りは白露さんのこと知ってる人達だしでいつもよりいろいろやばい。やめて! そんな目で俺を見ないで!
「は、早く行きましょうっ!」
「あ、ハチマン照れてるー」
……あーもう!
まるで雪ノ下さんを相手にしているみたいだ。手玉に取られている感じ。
しかし――
「じゃ、行こっか!」
にぱーと笑う彼女を見ると、雪ノ下さんのような計算高さは感じられず、やっぱり素でやってるんだろうなと思わざるを得ない。天然型はるのんとか一周回って恐ろしい。恐ろしいと感じさせないのが恐ろしい。
今日はアクアマリン千葉。スケートリンクがあるのである。アイススケートである。まあ、俺も小学校の時来て以来なんだけど。
ぶっちゃけ、三回くらいしか来た経験がない。千葉を愛しているのでここ以外で滑ったこともない。つまり、アイススケート経験三回。まあ、普通に滑るくらいはできるんだけど。
「ハチマーン! 早く早くー!」
「……滑るのうますぎ」
白露さんは滑るのがめちゃくちゃうまかった。なんか一人だけ場違い感すらあるうまさ。なんかもうお客の八割くらい滑るのをやめて白露さんを眺めている。栗色の髪は氷上に反射した光でキラキラと輝き。滑る姿はスケート靴のブレードの先まで絵になっていた。
もうすでに、スケートリンクそのものが彼女一人のための舞台だった。俺も、その姿に、不覚にも見惚れてしまった。
「ハチマーン! どうだった?」
しかし、そんなことをおくびにも出すわけにはいかない。見惚れましたなんて気付かれようものなら、蔑んだ目で見られるものだ。ソースは雪ノ下との邂逅の時の俺。
「すごいですね。俺、あんな上手く滑れませんよ」
だから、あくまで普通に返す。勘違いなどしてはならない。させてもならないから。
「えへへー、そっかな? 住んでた近くの湖が冬になるとカチカチに凍るから、毎年滑ってたんだよねー」
どうやら、俺のポーカーフェイスはしっかりと機能していたようで、ケラケラと笑いかけてくる。
しかしなるほど、凍る湖とか本当にあるんだな。ブリザードアクセルでそんなの見たことあるな。
「けど、自然の氷だから結構デコボコしてるんだよねー。こんなに滑りやすくないよ」
「まあ、ここは整備してますし、人工リンクですからね」
滑りつかれたのか、ベンチに腰を下ろす。はしゃぎ過ぎたのか少し息が上がっているようだ。うっすらと汗をかいていて色っぽ……ではなく! 近くの自販機で飲み物を買って持っていく。午後ティーのミルクでいいかな? 俺は勿論マッカン。
「どうぞ」
「あ、ありがとー。気が効くなー」
この程度誰でもやると思うのだが。しかし、褒め上手な人だ。これが一色ならそれが当然ですよ! とか言い出すし、雪ノ下ならゲス谷君のことだから何かよからぬものを入れていないかしらとか言ってくる。いや、最近は言わないかもしれないけど。由比ヶ浜は……わーい! とかアホみたいな顔して普通に受け取るな。アホだし。
プルタブを開けて、コクコクと飲み始める。どうして女子はそんなちみちみ飲めるのか。男とは身体的構造が違う説がある。あ、戸塚もちみちみ飲むな。まあ、戸塚だもんな。
しばらく「おいしー」とか言いながらちみちみ午後ティーを飲んでいた彼女だがふと俺の方をぽーっと見つめてくる。
いや、正確には俺の持っている黒と黄色の警戒色の缶を。
「それなあに?」
「マックスコーヒーっていう千葉のソウルドリンクですよ」
「なんですと! 私知らない!」
千葉で生きるにあたってマッカンを知らないのはやばいな。ここはしっかり布教しておかねばなるまい。もう一缶くらい買ってこようかと考えていると――
「飲ませて!」
「あっ」
手元からマッカンが消えた。イリュージョン、ではなくその警戒色の缶は白露さんの手元に移動していて。それに何の躊躇もなく口をつける。当然、俺が口をつけた部分と重なるわけで。彼女の白い喉がこくこくとかわいらしく動くわけで。
「甘くておいしいじゃんこれ! さすが千葉のソウルドリンク!」
知り合いの誰からも得られなかった賛同の声も、俺の耳には入ってもどこか別世界からの伝聞のように聞こえて。返されたマッカンをただただ眺める。
「じゃ、もうちょっと滑ってくるね!」
何でもないかのように、少しも気にしていないかのようにリンクへ向かう白露さんを眺める。
そして、視線を再びマッカンに。
持ち慣れたその缶には、まだだいぶ中身が残っていて。それを飲まなきゃいけないわけで。飲むためには彼女の唇が触れた部分に触れる必要があるわけで。
その後の記憶はどこか曖昧で、気がつくと自室のベッドの上にいた。手元にあったはずのマッカンがどうなったのかは覚えていないし。白露さんをしっかり送り届けたかも曖昧だ。
けど、俺の口の触れた部分に彼女の唇が触れる光景はありありと思い出されてしまって――
「あー、くそ……」
こんなことで動揺するとか中学生じゃあるまいし。あれだ、全部年上って属性のせいだ。
その日、結局眠ることはできなかった。
八オリというジャンルに挑戦してみたSS
ちょっと長めの3話編成
こう、外国人のようなフランクさで八幡を攻めてみようと思って書いてみました