比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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暑くなってしまうから

「暑い……」

 

 学校指定の白のワイシャツ。その下がじっとりと汗ばんできているのが分かる。玉のような汗、というわけではないが、肌と服の間に薄い膜が張っているような違和感はなんとも気持ち悪い。ここが家だったら最優先でI LOVE 千葉Tシャツに着替えて扇風機を引っ張り出すところだ。なんならエアコンをつけてもいい。

 

「せんぱい、余計に暑くなるから暑いなんて言わないでください……」

 

 しかしまこと残念なことにここは家ではなく総武高校生徒会室。エアコンどころか扇風機もなく、涼を取るため開かれた窓からは申し訳程度に生温い風が入ってくるだけの地獄スポットだ。向かいの席では肩書が一年生生徒会長から二年生生徒会長にトリビアライズされた一色いろはが気だるさマックスなだらけ顔を精一杯引き締めて、俺に注意の目を向けていた。まあ、全然一ミリも引き締められていないのだが。

 さて、多少メタな発言をしてしまうことになるが、ここまで読んだ読者諸君は「夏の話か」と少なからず思ったことだろう。六月とか七月とかそこら辺。正直俺もその時期であってほしかった。

 今ね、四月なんですよ。四月の下旬。春真っ只中。

 

「しょうがないだろ、暑いもんは口にしなくても暑い」

 

「それはそうですけど……」

 

 今年は新学期が始まってからというものほとんど雨ばかりで、降っていなくてもせいぜい曇りが関の山だった。そのせいか少々空気もひんやりしており、年度初めだというのに布団から出たくない病の進行が激しかったのだ。

 で、そんな雨続きの日がようやく終わり、念願の晴れである。春の陽気はさぞ気持ちいいものだろうと思っていたら……ポカポカなんて生易しい表現では許されないほどの熱気に襲われたのだ。いつもなら冬服の黒に満たされているはずの教室は、全員が上着を脱いで袖を捲りだしたために白がかなりの割合を占めていた。いつもはうるさいくらいべーべーはしゃいでいる戸部でさえべーべーだるそうに机に突っ伏してたからな。どっちにしろべーべー言ってんなあいつ。

 さすがに夏の暑さほど気温は高くない。しかし、不意打ちのような温度変化を受けたせいなのか夏本番レベルのだるさに見舞われ、勉強も今一つ身に入らなかった。一応俺受験生なんだが。たぶん全校――教師も含めて――の九割は俺と同じ状態だったと思うからまあ、多少はね。

 それにしても放課後だというのにまだ気温が下がる気配はない。カリカリとシャーペンが紙の上を走る音と二枚の下敷きがうちわ代わりに使われてベコベコ鳴るやかましい音に耳を傾けていると、窓の外から蝉の声が聞こえてしまいそうだ。

 

「これが温暖化っていうのですかね~」

 

「それならせめて冬をもっと暖かくしてくれ」

 

 夏も冬も厳しいのが温暖化だとすれば、温暖化まじでやばすぎる。可及的速やかに世界規模で対策を練っていただきたい。

 しかしまあ、だるい暑いと悪態をついていてもどうしようもない。ただただエネルギーを無駄に浪費するだけだし、それ実質ヒッキーまである。

 

「…………よし」

 

 というわけでおもむろに腰を浮かせ、せっせと作業をしている一色――とは反対方向にある小型の冷蔵庫を開き、中から少々派手なデザインの小袋を引っ張り出す。さすが文明の利器、キンキンに冷えてやがるぜ。

 

「ん? せんぱい何して……あー! アイスじゃないですか!!」

 

「うるせえ……」

 

 突然声を荒げ始めた一色を無視して封を切る。伸びていた木の棒を手に取って引っ張り出すと、鮮やかなスカイブルーが輝きながら顔を覗かせた。

 言うまでもなくアイスである。より正確に言うのならラムネ味のアイスキャンディ。ペロリと舐めて甘さと冷たさを舌に乗せるも良し、シャクッと齧って口の中を急速冷凍させるも良しのスーパースイーツである。しかも安い。

 

「なんでアイスなんて持ってるんですか!?」

 

「さっき売店で買った」

 

 ここに来る前にマッカンを買うために売店に寄ったら、クーラーボックスで売っているところを見かけたのだ。この暑さに急遽取り寄せたのだろう。うちの学校のおばちゃん商売根性たくましすぎる。

 俺が買った時でも結構な生徒が並んでいたし、今行っても間違いなく売り切れているだろう。この暑さの中、アイスを見かけて買わないわけないもんな。

 元の席に腰を落とし、背もたれに体重を預けながら口をいつもの食事より幾分広げ、アイスを頬張った。

 

「……ふー、冷てえ」

 

 ラムネの清涼感のある味も重要だが、やはり今はこの冷たさが何とも言えない。嚙み砕かれてシャーベット状になったアイスが咽頭、食道を抜けて胃に落ちていくのが分かり、身体が中からじんわりと冷えていくのを感じる。

 しかし相手は自然現象による熱。いかにアイスといえど一口だけで足りるものではない。もう一口、もう一口と空色の欠片を口の中に放り込み、そのたびに冷たさに震えた。

 

「あー、もう神だわ。アイスほんと神」

 

 自分で言うのもなんだが語彙力が低すぎる。現国三位とは一体……。

 しかし、こうなってしまうのも無理はなかろう。暑いときに食べる冷たいものほど劇薬たるものはない。もう夏場のアイスとか法律で規制されるレベル。実際規制されたら全国で暴動が起こるのは必至だ。

 

「ぐぬぬ……」

 

 そしてその劇薬、もといオアシスにたどり着けなかった砂漠の旅人一色は恨めしそうに食べかけのアイスを凝視している。そんな熱視線を浴びせたらアイスが溶けてしまうじゃないか。既に外気温のせいでちょっと溶けてるというのに。

 

「っていうか、くつろいでるなら仕事手伝って欲しいんですけど……」

 

 ……はあ。本当にこいつはなーにを言ってるんですかね。

 

「なんで生徒会経験もない一般生徒な俺が、生徒会長がやるべき仕事を手伝わんといかんのだ。自分でやりなさい」

 

 そもそも新学期だからなんて言い訳をして、学校への提出書類の作成を先延ばしにして遊びほうけていた一色が悪いのだ。他の役員は全員数日中に自分の仕事を済ませていたというのに。

 しかし、いくらサボっていたとはいえ誰も一切手伝わないとは……生徒会、案外一色に対してスパルタなんだな。普段振り回してくるこいつへの仕返しの意味合いが少なからず混在していそうだが。

 

「それならなんでここにいるんですか!」

 

 なんかめっちゃ怒りだした。カルシウムが足りていないのではないだろうか。カリカリ怒っているせいでシャーペンのカリカリが止まってしまっている。こうしていろはすの帰宅時間が遅くなるのね、わかるわ。

 まあ、確かに手伝いもしないならなぜこんなところにいるのかという不満は正論かもしれない。アイスで多少の避暑に成功しているが、普通に考えればさっさと帰宅して空調の効いた自室に籠ったほうが快適だろう。

 ではなぜ下校もせずに生徒会室にいるかと言えば――

 …………。

 ………………。

 

「外が暑いから」

 

「それくらい我慢してください!」

 

 怒髪天一歩手前な一色を無視して、また一口アイスを頬張る。窓から見える空は未だ澄んだ青を広がらせていて、当分は気温を下げる気がなさそうだ。

 俺が話を聞くつもりも手伝う気もないと悟ったのか、一色は深いため息とともにまたシャーペンを滑らせ始めた。カリカリ、カリカリと控えめな音が耳に心地いい。

 そんな音をBGMに再び涼を求めて口を開いたわけだが。

 

「……あれ?」

 

 不意に聞こえてきた困ったような声に、開いた口が中途半端な形で固まってしまった。窓ガラスにうっすらと見える自分の影がなんだかひどく間抜けに見えて、音の出来損ないのような咳払いをしながら閉じてみる。

 

「えーっと……」

 

 つ、と視線を向けた向かいの席では、筆の止まった一色がしきりに首を捻っていた。なにかそんなに難しい項目でもあったのだろうか。

 

「どうかしたのか?」

 

「えっ? いや、なんでもないです。大丈夫です」

 

 なんとなく気になって問いかけてみても、大丈夫と言いながら書類とにらめっこするだけ。

 まあ、自分でも言ったように生徒会役員でもない俺が、半年近く会長を務めている一色に分からないことが分かるわけがないのだが……。

 うーん……。

 なんというか……気になる。頼られないと頼られないで無性に気になる。

 好奇心を抑えきれず、アイスを持ったまま席を立つ。長机二つ分の幅を歩いて近づけば、さっきまではよく見えなかった細かい文字列が見えてくる。はてさてなにで詰まっているのだろうか。

 印刷文字と手書き文字が交互に並んでいるA4用紙の内容を読んでいき――

 

「…………ん?」

 

 分かったことはその書類が既に完成していることだった。

 

「隙あり!」

 

「んお!?」

 

 時すでに遅しとはまさにこのこと。声に気づいたころにはすでに胸元には彼女のつむじが見えていて、喉の奥が小さく音を立てたのが分かった。

 そして自分の鳴らした音の後に聞こえてくる、シャクッという軽やかで涼しげな音。

 

「冷たーい! あまーい!」

 

 さっきまでのカリカリプリプリはどこへ行ってしまったのか、顔を上げた一色は満開の花畑すらかすみそうな笑顔を浮かべている。もうほんと嬉しそう。カマクラが我が家の一員になった日の小町だってここまで嬉しそうな顔はしていなかったのではないだろうか。

 たかがアイス一口でまあよくこれだけ喜べるもんだ。つうか、あんな演技までして必死すぎるでしょ。や、気持ちは分からんでもないけどさ。

 

「ほんとよく平然と男の食いかけ食べれるなお前……」

 

 意図しない形に欠けたアイスを眺めながらぼやく。日頃こんなことをしているから女子を敵に回すのだ。

 

「こんなことするのせんぱいだけですよ~」

 

 けど、満面の笑みのままそう言われてしまえば――

 

「……そうかよ」

 

 “惚れた弱み”故かそれ以上なにも言えなくなってしまうのだ。

 

「つうか、仕事もう終わったのか?」

 

「えっ? あー……もうちょっと……です……」

 

「はあ~……半分貸せ」

 

 「わーい! せんぱい大好き!」なんて調子のいいことをのたまう彼女を受け流しつつ、棒についたアイスの残りを一口で平らげて自分の席に腰掛ける。鞄から筆箱を取り出して書類に向かい、結局いつもの光景に行きついてしまったわけだ。

 まあ、それが嫌なわけでない。自分でも驚くほど全くない。

 別に放課後すぐ帰ってもよかった。確かに気温も日差しも暑いことこの上ないが、チャリを走らせれば忘れ去ってしまう程度の些末事だ。

 けどそれをしなかったのは。あまつさえ本来の自分の居場所でもないここにいるのは。

 

「? どうかしました?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 少しでも長く、こいつといたい。ただそれだけの理由なのだろう。

 半分だけ開かれた窓から流れ込んできた風は、また少しその温度を上げたような気がした。




 なんか久しぶりに晴れたなぁって思ったら春とは思えないほど暑くて、むしゃくしゃした気分のまま書きました。アイスは爽のバニラが好きです。いやまあ、大抵のアイスは大好きなんですけど。
 天気がいいのは別に構わないんですが、せっかく春なんだから過ごしやすい気温であってほしいです。半袖で暑いってどんだけ……もうやだ家で引きこもりたい。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

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