比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。 作:暁英琉
プッツリと途切れていた意識が、まどろみすらショートカットして帰ってきた。最初に感じたのはサウナにいるような妙な息苦しさ。
「……あー」
首を下に向けてみると、暑苦しさの原因はすぐに分かった。毎晩俺の身体を寒さから守ってくれている掛け布団くんとは明らかに材質からして違う藍色の厚い布地。我が家で毎年寒くなってくると引っ張り出される炬燵の掛け布団だ。
なんで炬燵なんかで寝てんだ俺……。
後ずさるように上半身を炬燵から出すと、室内とはいえ十分に寒いと言っていい空気が火照った身体を冷やしていく。
「やっぱさみい……」
最初こそその温度差を心地よく感じていたのだが、やはり冬――しかも今時計を確認したら真夜中だ――の冷気は寒いの一言に尽きる。特に手先がすぐに冷えてしまい、もう一度炬燵の中に突っ込んだ。
「ひゃぅっ!?」
「うおっ!?」
突っ込んだ手がやけに柔らかくて温かいものに触れ、同時に聞きなれた声が普段より半オクターブ近く高い音で鼓膜を震わせてきた。触覚の方はともかく聴覚は完全に不意打ちで、こっちもビクリと肩を跳ねさせてしまう。
「お兄ちゃん……冷たい……」
音源の先、正方形の炬燵の隣辺を覗き込むと、掛け布団を首までかけたマイリトルシスターが恨めし気に睨みつけていた。と言ってもこちらも寝起きのようで若干目の焦点が合っておらず、一切怖くな……小町が怖いことなんてあるわけないだろいい加減にしろ!
「炬燵で寝てると風邪引くぞ」
「お兄ちゃんもじゃん」
そうなんだよなぁ。兄らしいところを見せようとしたのに、痛いところを突かれてしまった。今までコツコツと溜めていた兄の威厳が……え、そんな貯蓄一切ないって? そんなー……。
コホン。まあ威厳とかプライドなんて、「とりあえずやばくなったら土下座」精神の俺からすればどうでもいいものなのでこの際置いておく。だから足でつついてくるのはやめていただきたい。こそばゆいから。
「あ。あー、ラスト見逃した……」
小さな欠伸を漏らしながら残念そうな声を漏らした小町が見やったテレビでは、嫌にテンションの高いスーツ姿の男性が通信販売の商品紹介をしている。
ああ、ようやく思い出した。そういえば今日は金曜特有の映画上映番組で、一時期話題になった映画の地上波初放送をやってたんだっけか。兄妹揃って映画館に見に行くほど興味はそそられなかったが、家で見れるなら見てみるかということで夕食と風呂もそこそこにすませ、テレビに齧りついたのだ。
まあその結果は御覧の通り、二人揃って夢の中に旅立ってしまったわけだが。
いや、勘違いしないでほしい。学校でも話題になって――いるのを俺でも小耳に挟んで――いただけあって、話自体は面白かった。ちょっとフルスクリーンに大音響で見たかったなとも思った程だ。
最大の誤算と言えば炬燵の温かさと日常シーンのスローペースなBGMが見事な化学反応を起こしてしまったことだろう。もうマジで最高の睡眠導入剤でした。炬燵の魔力がすごすぎて、炬燵にAIが内蔵されたら容易に人類を絶滅させられるレベル。炬燵怖い。けど愛してる。
「……今度BD借りてくるか」
俺もラスト気になるし。
「お兄ちゃんのお小遣いで?」
「ひでえ、まあいいけど」
間違いなくこいつの方が小遣い多くもらってるんだけどな。俺もなー、親父たかって小遣い増やしたいよなー。絶対無理だけど。
「くあ……」
肺の奥から込み上げていた欠伸は予想以上に大きい。自発的に目が覚めたと言っても普段なら熟睡している時間だ。もうひと眠りするのが吉という奴だろう。
意を決してぬくもり拘束具から抜け出すが、やはり寒い。スウェットの上でも身体を冷気がかじかませてきて、また炬燵に戻りたくなってしまう。
「早く出ろよ。部屋で寝直すぞ」
しかし、誘惑に負けて炬燵で二度寝をするべきではないだろう。なんか炬燵で寝ると身体に悪いとか聞いたこともあるが、それ以上に絨毯を乗っけただけのフローリングで朝まで寝たら身体がガッチガチになってしまいそうだ。この若さで腰痛持ちにはなりたくないもんな。
というわけでさっさと妹を起こして柔らかな自室のベッドに戻りたいのだが――
「えー、炬燵の外寒いから小町はここで寝るー」
当の妹がこの調子なんですが、どうすればいいんですかね。ほんと兄の言う事を聞かないんだからこいつは。日頃の行いのせいかもしれないけどね!
しかしはてさて、どうしたものか。外に引きずりだす策を考えている間にも小町は瞼を閉じて浅い呼吸を始めている。あと五分もあればこのまま夢の中に再出発してしまいそうだ。
けどなぁ、俺の正攻法じゃ言う事全然聞かないしなぁ。身体に悪い云々言っても「一晩くらい大丈夫だよ」とか言って無視してきそう。兄の言葉が弱すぎて泣きそう。
それにしても……。
「すう……すう……」
耳をすませばテレビの音に紛れて聞こえてくる規則正しい呼気。俺のものより小さく、けれど少しだけ肉厚な二枚の唇が時折ふるふると震える。思い出したかのように薄く開いた隙間が閉じられると互いにむにっと押し潰し合って、柔らかさを強調しているようだ。
うーん。
ふむ……ふむ……。
一度外国人が大げさにレビューしているフライパンの映像を眺めて、なんとなく瞑目して――――今にも完全に寝付いてしまいそうな唇に……キスをしてみた。
「っ!? んん!?」
あ、起きた。
さっきまでのまどろみは何だったのかと思うほどパッチリを瞼を開き切った小町は、状況を確認するようにせわしなく目を四方八方に動かす。
まあ、状況はと聞かれれば兄にキスされている妹としか言いようがないのだが。
「!?!? ――――~~~~ッ!!??」
当然目と鼻の先で混乱していたこいつもその結論に至ったようで、よくわからん声を上げながらバッと頭を炬燵の中に引っ込めてしまった。途中俺の口に鼻先が当たったけど大丈夫かしら。
「くしゅっ!」
……微妙に大丈夫じゃなさそう。というか、さすがに炬燵の中に全身埋まるのは熱すぎるのではないだろうか。蒸し小町にならないかお兄ちゃん心配。
割とガチで心配しながら様子を窺っていると、しばらくして口元を抑えた小町がうつ伏せ状態で顔だけ出してきた。完全にコタツムリという奴だ。ふむ、これは写真に収めたら絵になるかもしれない。写真コンクールに出してみるか。そういうコンクールいつ募集してんのか知らんけど。
「な、なななななんでお兄ちゃん妹にキスしたの!?」
真っ赤。名前がジョナゴールドに改名されてしまいそうなほど真っ赤である。やだ、うちの妹がグローバルになっちゃう。
まあ小町の名前がアメリカチックになるかどうかなんて些末事として、兄たるもの妹の質問に答えないわけにはいかない。
なぜキスをしたのか。そんなことは明白である。
「なんとなく」
「はあ!?」
うるせえ……。しかし事実だから仕方がない。目の前に妹の唇があって、なんとなーく興味をそそられたからキスをしただけ。
あれ? 俺ひょっとしてめっちゃ変態みたいじゃない? いやいや妹だからセーフ……かな?
「別にいいだろ。減るもんじゃねえし」
「減るよ! 少なくとも小町の中でファーストキスの概念がなくなったよ!」
まじか、概念って減るものだったのか。お兄ちゃんそれは知らなかった。
しかし安心してほしい妹よ。そういうことならその概念を奪った加害者は俺ではないはずだ。
「小町、お前のファーストキスの相手は間違いなく――親父だ」
「死のう」
即答かよ。さすがに親父がちょっとかわいそうになってくるぞ。けどあの娘溺愛男は絶対赤ん坊だった小町にキスしまくってんだよなぁ。なんなら生まれた瞬間にキスしてるまである。……絶対キモいから絶対に想像はしないが。
ちなみに赤ん坊の口の中に虫歯菌が入ってくる最大のルートは親からのキスらしい。世の中の親、子供にキスしすぎでしょ。それとも、俺も子供ができたらキスしたくなるのだろうか。あ、そうか。たぶんつい今しがた妹にキスしたくなった感覚と似たようなもんだな。それなら子供が生まれたら俺もキスするわ。間違いない。
閑話休題。
思いの外ガチで顔を青ざめさせて頭を抱えていた妹は、けれどいきなりガバッと顔を上げた。見開かれた瞳を見た感じでは、なにやら名解釈に行き着いたらしい。
「お父さんはあれだよっ。親だからセーフなの! ……もう絶対やられたくないけど!」
なるほど、然りだな。親ならば、家族ならば許されることがある。考えてみれば、確かに親のキスをファーストキスだと宣言する人間はいないだろう。なんか最後に親父が号泣しそうな念押しがあったが、少なくとも親とのキスはノーカウントということだ。
…………。
そこでふと考えてみる。
「じゃあ、兄である俺とのキスもノーカンでよくね?」
親子と兄妹では一親等しか変わらない。親等数で言えば祖父母にキスされるのと同じというわけだ。世の中、孫にキスするおじいちゃんおばあちゃんも少なくないだろう。そのキスを人々はファーストキスだとのたまうだろうか。少なくとも俺はしない。
つまり、兄妹でのキスもノーカンというわけだ。Q.E.D。
「そ、それは……あれ? そういうこと?」
妹は混乱しているのか炬燵から伸ばした首を右へ左へ捻りながら、上唇と下唇を二度、三度薄く触れ合わせては離している。しかし、いつもは俺の持論に「はあ?」とちょっと目を腐らせている――あれ? 目の腐りが遺伝してる?――ことから考えるに、もうひと押しで丸め込め……納得させられそうだ。
「そゆことそゆこと。しかも逆説的に俺のファーストキスもまだ守られてる。WinWinって奴だな」
「WinWin」
WinWin。いつかのクリスマスイベントの時は頭が痛くなる単語だったが、お互い不利益を負っていない状況を表す素晴らしい単語だ。今なら玉縄と仲良くできそう。絶対無理だわ。
「じゃあそんなわけで――」
「ぁ――――」
プルンと震える唇になんとなく、気の赴くままに……自分のそれをまた押し当てた。息が止まったように少しだけ固くなった、それでも十分に柔らかい感触をひとしきり楽しむ。漫画で見るキスシーンは総じて瞼を閉じているものばかりだが、なるほど、自然と目を瞑ってしまうものだ。
唇を離そうとすると触れ合っていた肌同士が名残惜し気に少しだけ吸い付いて、けれどやがて耐え切れずにゆっくりと剥がれて二つに別れた。
「……もう、また」
「いいだろ、ノーカンなんだから」
炬燵の熱に浮かされたのかほんのり頬を赤らめた妹が恨めしそうに見上げてくるので、くしゃくしゃと頭を撫でておく。
「つうか、早く部屋で寝ようぜ。寒い」
炬燵から出てだいぶ久しい。もう身体の端はだいぶ冷え切ってしまっていて、早く暖を取りたくて仕方がない。
「だから小町はここで――」
「炬燵の電源切るぞー」
「鬼!?」
むしろ電気代的には天使なんだが、早く追い出すために炬燵布団を捲り上げる所業は確かに鬼のものかもしれない。八幡幻想生物説あるな。ないか。
「はーさむさむぅ……。ベッド絶対冷たいのにぃ……」
渋々コタツムリから人間に戻ってきた妹の言い分も確かに一理ある。冬の布団は冷たすぎて、入った瞬間全身総毛立つのは必至。根気よくくるまっていれば最高に心地いいんだけどな。ひょっとしたら冬の布団って奴はツンデレなのかもしれない。できれば最初からデレててほしいものだが。
「それじゃあ……一緒に寝るか?」
俺としても布団の冷たさを和らげる存在が欲しいわけで、階段を上りながらなんとなく提案すると、小町の足が止まった。俺を見て、自分の足元を見て、もう一度俺を見た妹は――いたずらっ子のようにニッと笑みを浮かべる。
「ノーカンだから?」
「ノーカン、だからだなぁ」
やがて二人して喉を震わせながら、また階段を上り始める。向かう先は二人揃って俺の部屋。
兄妹だから、家族だから、俺たちはノーカウントを繰り返していく。
誕生日SSというわけではないですが小町のお話を。
なんとなく免罪符みたいなものがあると兄妹ってキスくらいしそうだなって言う妄想。もちろん実際にそんなことはないんでしょうけど、あったらあったで私的に捗るのでポイント高い。
そういえば最近更新ペース落ちたりしていてますが、来月から引っ越したり色々環境がまた変わるので、ひょっとしたら今以上の亀更新になってしまうかもしれません。その時は申し訳ないです。オリジナルとかにも手を伸ばしてるから許してくださいなんでも(ry
それでは今日はこの辺で。
ではでは。