比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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鶴見留美とのスイパラはちょっとだけ甘い……気がする。

 学生の規則正しい生活ってやつは、基本的に長い休みで崩壊する。その代表例が夏休みだ。一ヶ月以上も休暇が続く中、生活リズムを一切崩さずにいられるのは雪ノ下雪乃くらいのものであろう。由比ヶ浜とか絶対生活リズム崩して勉強なんて一切……普段からやってないな、あいつ。

 

「ふぁ……十時かよ」

 

 欠伸交じりにベッドの上で伸びをして時計を確認すると、目覚ましのセットすらしていなかった時計はなかなかに遅い時間を示していた。未だにぼーっとしているので顔でも洗ってこようかと思っていると、バサッと乾いた音を立てて文庫本がベッドから転がり落ちた。どうも読書中に寝落ちしてしまって、今の今まで本と添い寝をしていたらしい。

 本に変な折り目がついていないことを確認して洗面所に直行。心なしかぬるめの流水をバシャバシャと数度顔に叩きつけ、タオルで拭いながらふと鏡を見るといつもどおり腐った眼をした自分の顔――

 そして、黒髪ロングの少女が映っていた。当然のことながら、うちの妹は黒髪短髪である。

 いや、ホラーってわけでは決してないんだけど。

 

「八幡、起きるの遅い」

 

「いいだろ、休みなんだから」

 

 顔を拭ったタオルを洗濯籠に放り込みながら投げやりに答えると黒髪ロングの少女、鶴見留美はむすっと眉をひそめた。それに苦笑しながら連れ立ってリビングに向かう。

 

「あ、お兄ちゃんおはよー」

 

「おう、おはよ」

 

 リビングのソファでは小町がぼけーっとテレビを眺めていて、首だけを気だるげに動かして朝の挨拶をしてきた。こいつもこいつで夏休みに入ってからだらけきってるなぁ。まあ、去年は受験もあってほとんど勉強に費やしていたし、あまりガミガミ言うことでもあるまい。そもそも俺が現在進行形で怠惰な生活送ってるしね!

 兄としてちょっと自分の生活を見直そうかななんて考えていると、シャツの裾を引っ張られる。視線を下に向けると留美がさっきにも増してむすっと眉間にしわを寄せていた。そんな顔ばっかしてるとデフォルトでしわがついちまうぞ?

 

「どした?」

 

「……私、挨拶されてない」

 

 なに? そんなことで不機嫌になってたの? ルミルミの感性が俺には分からん。まさかこれがジェネレーションギャップってやつだろうか。違うか。違うな。

 そもそも挨拶よりも先に「遅い」だったもん。八幡悪くない。

 まあ、こうなってしまうと永続魔法並にこいつの不機嫌は続いてしまう。黄泉転輪ホルアクティみたいな速攻の特殊勝利条件をかまさない限り勝ち目はないだろう。

 俺はそんな勝利条件知らないから折れる、つまりサレンダーしか方法はないんだけどな。

 

「じゃあ、おはよう」

 

「ん、おはよ」

 

 互いに挨拶を交わすと眉間に集まっていたしわがゆるゆると消えていく。それでも少し下がっているまぶたのせいか傍から見ると不機嫌そうに見えるのだろうが、しょっちゅう顔を合わせているからか俺には機嫌がいいように見える。

 鶴見留美と知り合ってそろそろ一年になる。千葉村からクリスマスイベントまでは会っていなかったから、実質それ以下と言えるのだが、うちに招くような関係になるとは誰が想像していただろうか。

 小学校を卒業して中学生になった留美が、俺たち兄妹が卒業した中学校に入学したことを知ったのは今年の春。

 黒歴史は多くても母校には違いない。悩み相談以外にもよく雑談をするようになり、メールよりも直接話した方が早くね? という相互認識によってメールから電話、電話から直接会って話す、と段階を踏んでいったわけだ。

 そして最近では留美は俺の家に自由に上がり込むまでになった。最初に連れてきたときは小町からゴミを見るような目をされたが、俺は元気です。目は腐ってるけどこれはデフォなんで元気です。

 まあ、今では留美も小町も数年前からそうしていたかのように仲良いんですけどね。

 

「ん? ……なんだこれ」

 

 遅めの朝食を摂ろうとパンを片手にテーブルに向かうと、新聞の上に一枚の広告が置かれていた。ゴテゴテと目が痛くなりそうな配色のそれには複数のお菓子の写真。

 

「んー? あー、それスイパラの広告だよ。新しくできたんだってさ」

 

「ほう」

 

 スイパラ。スイーツパラダイス。つまりスイーツ食べ放題だ。甘いお菓子を好きなだけ食べられる女子の楽園。故に食べ放題なのに男子には敷居が高い場所だ。プリクラと違って普通に男だけでも利用できるだけに逆に辛いまである。

 甘党な俺としては一度は行ってみたいのだが、いかんせん一緒に行くような友達なんていない。小町と行くという選択肢はなくはないのだが、この目のせいで周りから嫌な視線浴びそうだよなぁと断念してきたのだ。そもそもこの目が原因なら俺一生スイパラ行けなくない?

 この目どうにかならないのかなと割と真面目に考えながらチラシを眺めていると――

 

「全席個室?」

 

 小さく印刷された文字を見咎めて、気が付いた時にはポロッと読み上げていた。

 

「そう! 飲食スペースは全席個室! 周りの目を気にせずにスイーツが食べられるって寸法だよ!」

 

 なぜかドヤ顔で解説する小町だが、これを考えたのはこの店の人であってお前ではない。ドヤ顔かわいいから許すけど、これが川崎大志だったら東京湾に沈めているところだ。いや、大志だったらうちにいる時点で死罪だわ。おのれ大志め。

 

「これならお兄ちゃんもその目を怖がられながらスイーツを食べなくてすむね! あ、今の小町的にポイント高い!」

 

「全然高くねえよ。むしろマイナスだろそれ」

 

 ていうか、お前もそう思ってたの? やっぱりこの目はなんとかしなくちゃいけないの?

 とまあいつも通り冗談交じり――さっきの発言は冗談であったと信じたい――のじゃれあいをしていると、留美が俺の脇からチラシを見ていることに気づいた。見ているというか凝視。今に目からビームを出してチラシに穴をあけそうなほどの凝視だ。ルミルミはデ・ジ・キャラット知らないだろうな。いや、俺も再放送で見たんだけど。

 

「私、スイパラって行ったことない」

 

「え? ぁっ……いや、あー……」

 

 文字情報ではまるで分らない唸り声のようなものを漏らしてしまった。いや、最初は「スイパラって全女子が無条件で行ってるもんだと思ってた」という驚きがあり、次に「そういえばこいつぼっちだったじゃん。最近少しは友達いるみたいだけど、休日積極的に遊びに行くレベルではないじゃん」という察しが続き、最終的に「そもそもこいつそんなに小遣いもらってないからホイホイスイパラには行けんよな」という納得からくる唸りなのだが。説明なげえよ。

 つまり、それを要約すると「え? ぁっ……いや、あー……」なのである。小町が割と親父から金巻き上げていたせいで、女子中学生ってやつは皆父親の財布にダイレクトアタックをかましているもんだと思っていた。改めて考えるとうちの妹怖い。

 まあ、小町の性格の悪さはこの際置いておいて、興味津々だが金銭的に行けない場所ということでどことなく落胆している留美を見ると……なんとかしたいと思ってしまう。それは未だに千葉村のことを引きずっているのか、いつだったか雪ノ下に言われたように俺が年下に甘いのかは分からないが、それはさして重要なことでもないだろう。

 

「じゃあ行ってみようぜ。奢ってやるから」

 

「……………………いいの?」

 

 たっぷり時間をかけて俺の言葉を飲み込んだらしい彼女は申し訳なさそうに首を傾げる。小町や一色なら喜び勇んでたかりだすだろうに、初対面の頃から呼び捨てで敬語も使わない割に、こういうところは変に慎重な奴だ。

 

「金には余裕あるからな」

 

 その金はスカラシップで浮いた予備校代なんですけどね。……俺、小町のこと言えないな。比企谷兄妹揃っていい性格してるわ。

 

「でも……」

 

「いいんだよ」

 

「お金……」

 

「だから余裕あるんだって」

 

「……むう」

 

「なんで不機嫌になんの?」

 

 女心ってやっぱよく分かんねえなと思いつつ、女子中学生の了承を――無理やりとは言え――得ることに成功した。いや、別に女子中学生とどうしてもスイパラに行きたい男子高校生とかそんなロリコン構図ではないから……ないよね?

 まあどの道ここに小町が入ればいくら目が腐っていても、保護者としてついてきた男子として認識されるだろう。そこまで保険をかけないとスイパラにも行けないなんて現実の不条理を感じる。

 そう画策していたのだけれど――

 

「じゃあ、せっかくの休みだし二人で行ってきなよ」

 

 策士八幡の計略は実の妹の一言によってあっさりと瓦解してしまった。

 

「え、お前も行くんじゃねえの?」

 

「んー? 小町は結衣さんと雪乃さんと一緒に行くから大丈夫!」

 

 や、小町的に大丈夫でも八幡的に大丈夫じゃないんだけど。ルミルミを無理やり説得した手前、「やっぱこの話はなかったことに」なんてできないんだけど!

 

「それじゃあ、がんばってね!」

 

「…………うん」

 

 留美に対して小町がかけたエールは一体何のことなのだろうか。

 そんなことを考える余裕もなく、俺の頭の中は一つの不安で埋め尽くされていた。

 ……二人ともスイパラ初めてだけど、大丈夫だろうか。

 

 

     ***

 

 

「おお、お菓子の山だ」

 

 目の前には数十種類に及ぶ様々なスイーツの数々。ケーキやタルトだけでもかなりの数があるし、シュークリームやプリン、さらには和菓子まで取り揃えてある。クリームやフルーツの甘い香りが充満していて、嗅覚だけで幸せになりそうだ。

 

「わあ……」

 

 ルミルミも普段は半分近く瞼が閉じている目を開ききって、ゆるゆると表情筋を緩ませている。いつもは擦れているというか大人びているイメージが強いが、こうして見ると年相応の中学生だな。

 

「? どうしたの?」

 

「いや、なんでも」

 

 そんなことを口にしてしまえば彼女が不機嫌になることは必至なので、適当にはぐらかす。比企谷八幡は争いを好まないのだ。

 

「あ……スイパラってスイーツだけじゃないんだね」

 

 大きめの平皿をそれぞれ手にしてお菓子を物色していると、意外そうな声が聞こえてきた。留美の視線を辿った先、バイキングコーナーの奥の方のテーブルには――

 

「へえ、軽食もあるんだな」

 

 パスタやカレーなどの軽食が並んでいた。小町から「昼食ついでに行ってくれば?」なんて言われた時には昼飯にスイーツとか正気かよなんて思ったが……なるほど、この軽食を昼食にすればということか。さすがプリティシスター、お兄ちゃんは信じていたぞ!

 鮮やかに手のひらを返しつつ、せっかくなので軽食系に手を伸ばす俺であった。

 

 

 

「八幡……ここスイパラ」

 

「そうだな」

 

 呆れた声を漏らすルミルミに適当な返事をしながら個室の席に腰かける。その間も彼女のしらーっとした目は俺と俺の席に置かれた皿を見比べていて、微妙に居心地が悪い。

 いや、言わんとしていることは分かるんだよ。だって、俺の皿にはパスタとかサラダしか載っていないのだから。

 

「デザートは軽く飯食ってから食うから、最終的にスイパラ状態になるだろ」

 

 パスタだけで十種類くらいあったし、あんなの見せられたら舌が完全にパスタ食べる準備をしてしまうのはしょうがないではないか。俺は悪くない。この店が悪い。

 

「ふーん。じゃあ、一口ちょうだい」

 

「や、自分で取って来いよ」

 

「めんどう」

 

 こいつ……まあスイパラは時間制限もあるわけだし、ここで変に押し問答を繰り返すのは時間の無駄か。ここはこっちが折れるのが賢明。俺、こいつに対して折れること多くない?

 仕方なくいくつか取っていたパスタの一つをフォークとスプーンで掬い、留美の皿の空いているところに――

 

「あーん……」

 

「は?」

 

 カチリと音を立てて固まってしまった。少し身を乗り出した彼女は下の歯を見せるように口を開いていて、何かを催促するような目でじっと俺を見つめている。

 いやー、一体何を求めているのか、対人スキルゼロどころかマイナスな八幡君には分からないなー。

 ……すみません、ルミルミの要望はさすがに分かります。むしろこれで分からん奴おるん? もしいるならそいつは鈍感系どころか盲目系だよ。

 ただ、分かったところでおいそれと従うわけもなく。

 

「……皿に移してやるからちゃんと座れよ」

 

「このお皿はスイーツ用だから」

 

 …………。

 ……や、言っていることの意味は分かる。ペペロンチーノソースとかがケーキについたら嫌だもんな。

 そこで小皿すら持ってこないあたり、意図的に選択肢を狭められている感じがしてあれだが。

 

「……しゃあねえな」

 

 取り分けるつもりで掬っていたパスタをフォークにくるくると巻き付ける。自分の一口より心持ち少なめに少なめにしたそれをゆっくりと目的の小さな空洞に、慎重に、慎重に運ぶ。気を抜くと遠近感が分からなくなってしまいそうだ。人に食べさせるってこんなに難易度高いのかよ。

 それでもなんとか運搬ミッションを完遂したわけだが……。

 

「あむっ。……んむ、んむ……。あ、これおいしい」

 

 複数本が絡まったパスタをフォークで食べるということはどうしてもフォークを口に含まなくてはいけないわけで。

 ……俺、このフォークで食わなきゃいけないのん? 新しいフォーク取ってくるべき?

 

「…………?」

 

 内心うんうん唸って――たぶん外見では呆けてた――いると、目の前に何かが差し出された。思考から浮上した意識を向けた先には半分に分けたショコラケーキ。それが刺されたフォーク。フォークを掴んでいる俺のものより二回りは小さな手。

 

「あ、あーん」

 

 詰まるところ、留美が俺にショコラケーキを差し出していた。今度はこっちに食べさせようということだろう。

 なんつうか、ルミルミ今日は大胆ですね。初めてのスイパラでテンション上がってんだろうなぁ。その結果俺に精神的ダメージがガンガンきているわけなんですが。

 まったく、こっちの気も知らないで。

 

「むぐっ」

 

 ケーキを一口で食らい、むぐむぐと咀嚼する。最初にデザートを食べたらわざわざ軽食だけを持ってきた意味がないのだが、この際どうでもいいや。カカオなんて知るかと言わんばかりのミルクチョコの甘さが襲ってきて幸せだからな。

 

「美味い」

 

 ウーロン茶で口の中をリセットしながら呟くと留美は小さく頷いて……何かに気づいたようにハッと身を硬くした。錆びた機械のようにぎこちなく動く双眸は俺……の口元と自分のフォークの間を二度、三度と行き来する。さっきの意趣返しとばかりに俺もがっつりフォークを口に含んだからな。ククク、同じ苦しみを味わうがいいわ。大人げない? ちょっと何言っているか分かんないです。

 留美があたふたしている様子を眺める俺は、最高に意地の悪い表情をしていることだろう。自分の手にしているフォークのことは意識の片隅に置いて、目の前の女子中学生がどういう選択をするのか見届けることにする。

 まあ、さすがに新しいフォークを持ってくることを選ぶだろう。ギブアップした時点で自分の分と一緒に取ってく――

 

「あむっ」

 

「――!」

 

「……ど、どうしたの。は、八幡?」

 

「いや……」

 

 濁した声を漏らしながら、俺はただただ動揺していた。留美は俺が使ったフォークをそのまま使ってケーキを食べだしたのだ。

 しかも、平然としていればまだよかったのに、緊張しているのか若干どもっているし、頬は林檎のように真っ赤に染まっている。こういうところこそ普段のクールキャラを維持してくれませんかね。

 これ以上彼女の観察を続けていたらこっちの心臓が持ちそうにない。ぐっと意図的に視線を逸らしてパスタを口の中に放り込んだ。

 ……ペペロンチーノなのにどこか甘く感じたのは、気のせいだと信じたい。

 

 

     ***

 

 

「食べた食べた」

 

「もう当分ケーキはいらねえな」

 

「同感」

 

 軽食からケーキ、プリン、和菓子まで時間いっぱい舌鼓を打った俺たちは食べすぎのせいか気だるくなった身体を引きずるように店を後にした。いやほんと、幸せだけど食べすぎた。むしろ帰宅部の俺があれだけ食べられたことが驚きだけど。

 

「そういえば……結構男の人いたね」

 

「あー、そういやそうだな。カップルとかだろうけど」

 

 チリチリと照り付ける太陽に目を細めながら歩いていると、留美がぽしょりと声を漏らす。

 正直男は自分だけ、というのも覚悟していたが、実際には男女比は1:3くらいだったため、好奇の目を向けられることはなかった。全席個室なので他の男たちがどういうグループで来ていたかは分からないが、大方俺の予想通り恋人と来ていたのだろう。俺は甘党だから男女比を除けばああいう場所は大歓迎だが、彼女に無理やり連れていかれた人とかは大変だろうなぁ。まあ、彼女がいるだけでも妬ましいな爆発しろと思うので、それくらいの苦労は甘んじて受けていただきたい。後爆発しろ。

 なーんていつかのように心の中で犯行声明――さすがにもうあんなレポートは出していない――を唱えていると、クイッと弱々しくシャツの裾を引っ張られた。視線を向けた先を歩いている留美は俺とは反対側に顔を向けていて、どんな表情をしているかは窺えない。

 

「私たちは……どう見られてたのかな」

 

「さあ? 兄妹とかじゃね?」

 

 高校生と中学生。場合によっては大学生と小学生と見られてもおかしくはない。兄妹と思われなくては逆に通報されかねないだろう。

 

「……兄妹じゃないし」

 

 しかし、どうやら未だに裾を掴んでいるお姫様はその解答に納得しなかったようだ。いや、そりゃあ兄妹はないのは百も承知なんだが。

 

「例え話だろ」

 

「例え話でも、やだ」

 

「さいですか……」

 

 いや、そりゃあ俺みたいなのの妹だと思われるのは嫌ですよね。やっぱり無理にでも小町を連れてくるべきだったかなぁ。それはそれでカオスだったかもしれんが。いやけどやっぱ嫌かぁ、妹。

 少なからず気落ちしていると、裾を引っ張る力が少しだけ強くなる。今度は立ち止まって留美を見ると、少しだけ身を寄せてきた彼女は俺の右腕を持ち上げて、自分の頭の真上まで誘ってきた。

 

「ん……」

 

 いや、「ん……」ってお前……。

 

「……はあ、ほれ」

 

 たまにやらされることなので、何をすればいいのかは分かっている。持ち上げられていた手をポスッと彼女の頭に乗せ、黒髪をゆっくりと梳くように撫でる。表情は見えないが、纏う空気が柔らかくなったのを感じて内心苦笑すると同時にほっと息をついた。

 ストレートの長い髪は一切絡まることなく指の間を流れていき、その一本一本が柔らかく指の間をくすぐって、気持ちいいような落ち着くような不思議な気分になる。

 

「えへへ……」

 

 いつの間にか俺の胸板に額を当てて楽しそうにはにかんだ声を漏らす彼女に、俺の心臓は穏やかで規則正しいリズムを刻みながら、確かにそこから吐き出される血液を、想いの温度を熱いくらい高めてきた。

 

「…………可愛いな」

 

 だから、俺の口からは極々自然に、いっそ俺の意思とは無関係とまで思えるほど無意識にその言葉は溢れていた。

 

「ぇ? ……っ!」

 

 その溢れ出た声は当然すぐ近くの彼女にも聞こえたわけで、勢いよく顔を上げた留美は次の瞬間には首の付け根まで真っ赤に肌を上気させていた。捻くれていても去年まで小学生だった女の子。むしろ捻くれているせいで耐性はなく、慌てるその姿はいっそ年相応よりも幼い。

 そんな普段見せない姿すら可愛くて、切ないほど愛おしくて……。

 

「~~~~~~っ、バカっ」

 

「あっ……」

 

 その想いを形にするように小さな耳をくすぐりながら頭を撫でていると、胸元にあったぬくもりがなくなって思わず情けない声が喉の奥を転がった。

 

「八幡、変態」

 

「や、なんでだよ」

 

 最初に撫でさせたのはそっちだろうに。

 理不尽だなぁと思いつつ苦笑して見せると、もう全身赤くなるんじゃないかと思うくらい頬を染めた留美は「知らないっ」と俺の数歩先に駆けていってしまう。

 体格差故にすぐにでも埋められる距離。けれど数歩で埋めてしまうのはもったいない。秒速五センチメートルよりもずっとゆっくりとした速度で、その微妙な距離感すら楽しむように歩を進めてみる。夏の太陽を複雑に反射する髪の煌めきを楽しむように。

 そんな無駄な時間すら共有することが許される仲だと思うから。

 自分たちの関係を言葉にしたことは一度もない。きっとまだその時ではないと思うから。今言葉なんてものにしてしまったら、俺も、留美も、その“言葉”で縛られた関係から前にも後ろにも踏み出せなくなりそうだから。

 けれど――

 

「八幡」

 

「はいはい」

 

 いつかは言葉にする時が来ると信じている。きっとそのいつかがそんなに遠い未来でないことも。

 

「まだお昼だし、映画見に行こうよ」

 

 だからそれまではもう少しだけ、夏の熱さすらぬるく感じるようなぬるま湯に浸っても……いいよな?




 こちらではお久しぶりです。今回はルミルミでした。甘党だけど、近くにスイパラやってる店がないので、ガーナのミルクチョコ貪りながらかきかき。
 ルミルミを書くときは、小町と同じくらい何気ない会話を書くのが楽しいです。程よく年が離れているので八幡も気を張らなくていい感じがしますし、ルミルミの性分的にもローテンションな日常会話が活きるんですよね。

 何よりルミルミが高校生の時に八幡が大学生または社会人なのがね! いいですね! 小学生と高校生だと離れすぎじゃね? って思うけど、中学生と高校生や高校生と大学生・社会人は妙にしっくりくるんですよ!


 お知らせを二つほど。
・冬コミ受かりました! 二日目(12/30)東ア-50b【やせん】にて、今回の一般とR-18の俺ガイルSS合同誌を1冊ずつ出します。今回も私はR-18担当で、20歳の誕生日を迎えた八幡がはるのんと初めてのお酒を飲むところから始まるえっちな八陽を鋭意執筆中です。

・夏コミで配布した本のうち、私と高橋徹さんが執筆したR-18誌「一色いろはがエロかわすぎる!」のDL販売が始まりました! 詳しくは活動報告でご確認ください。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

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