比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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一色いろはとの昼寝はなかなか寝付けるものではない

「ねむ……」

 

 高校三年の二学期も始まり、その昼休み。受験生である俺は――いつもどおりベストプレイスにいた。

 過去二年の経験でこの場所が一番心地よくなるのがこの時期だ。ほのかに夏の名残を残す気温の中、臨海部から流れてくる風が微妙に熱を帯びた肌を涼しく撫ぜる。寝転がると丈の低い雑草たちがカサカサと擦れあう音が聞こえてきて、心拍が穏やかになり、段々と瞼が落ちていく。

 午後の授業はなんだったっけ? まあ、さすがにそれまでには目が覚めるだろう。

 …………。

 ………………。

 こうして目を閉じて音だけの世界に身を投じていると、存外いろんな音が聞こえてくる。遠くのコートで戸塚が引退したテニス部がラケットと黄色のボールを弾ませる音や、校舎の方から聞こえてくる談笑。秋の鳥たちや夜に向けて合唱の練習にいそしむ虫たちの声。視覚的には真っ暗なのに、まるで音がその黒を塗りつぶして景色を彩ろうとするかのようだ。

 そして、その音の色の中に、別の色が入ってくる。とととっとコンクリートの通路を跳ねるような音。その音を、俺はよく知っていた。

 そして、次に聞こえてくる声も。

 

「あれ? せんぱい寝てるんですか?」

 

 予想通り、我が唯一の後輩のあざとボイスが聞こえてきた。瞼を透かしてわずかに入ってくる陽光がチラチラと揺れ動くことから、おそらく顔の前で手でもひらつかせているのだろう。

 

「せんぱ~い?」

 

 ひらひらと顔の前方に淡い風の流れができて鼻先をくすぐる。ちょっとくすぐったい。

 

「お~い」

 

 チラチラと陽光の残滓がブレて、それだけでわずかに意識が持ち上がってくる。

 というか、寝ていると思っているのならちょっかいを出すのはやめていただきたい。寝起きにちょっかいを出されるのは一昔前の芸人だけで十分だから。寝起きドッキリって今もやってるのかな? あんまりテレビ見ないからわかんねえや。

 何はともあれ、先輩の安眠を邪魔するこの後輩生徒会長には一言文句を言ってやらねばならん。この傍若無人な性格、卒業までにどげんかせんといかん。そういえば、あの元芸人知事が知事やめてから南の方のマンゴー県はどうなったんだろ。ぱったり話題に出なくなったから全然わからん。

 閑話休題。

 さて、いざ対決のとき、と閉じていた瞼を開けると――

 

「あ、起きましたね、せんぱい」

 

 楽しそうに笑う亜麻色の髪の後輩の顔と――

 

「…………」

 

 純白の布があった。正確には、総武高指定のスカートから伸びた白磁のように白い足の付け根に付属している、純白の布が見えた。

 ……ふむ、これはわざとやっているのだろうか。俺が指摘したらいつもの早口で捲し立てるつもりかもしれない。そのためだけに下着を男子高校生に見せているのだとしたら、一色の将来が心配なのだが。

 いや、この状態で気付いていないのもそれはそれで将来が心配になる。つまりどっちも心配。

 こういう時どうすればいいのかなんて、俺の対人指南役である小町からは聞いていないし――聞かされていたらいたでそれはなんか嫌だ――、ここはいつも通り接する方がいいだろう。

 とりあえずコテンと首をかしげて顔をのぞき込んでくる一色の目を見て、少し瞼を落とす。いわゆるジト目というやつ。さらに一色のコテン度――なんとなく使ったが、まるで一色の古さを表しているようだ――が増したのを確認して、口を開いた。

 

「……清楚系狙っててあざとい」

 

「は?」

 

 一色は何を言われたのか分からなかったようで、割と素のトーンで口を半開きにするというなんともおまぬけな顔をして見せる。俺が露骨に視線を移動させると、一色も視線の先を追って……。

 

「なっ!? ……なっ!?」

 

 ババッとスカートを抑え込んだ。その顔は真っ赤。どうやらさっきの俺の疑問は後者だったようだ。こいつ、男への警戒緩すぎでしょ。真面目に将来が心配だわ。

 

「てててっていうか、乙女の下着まじまじと見て、淡々と“あざとい”はなくないですか!?」

 

「……わざとやってると思ってた」

 

 上体を起こして後頭部をガシガシ掻いていると、その上からペシンと叩かれた。こいつ力ねえな。全然痛くない。

 

「わざとで下着見せるとかビッチじゃないですか! わたしそんなことしませんから!」

 

 いや、割とビッチだと思っているんだが。お前何人うちの学校の男子手玉に取っておいてその発言してんの?

 まあ、わざとでないならわざとでないで、一度諫めておいた方がいいだろう。若干涙を滲ませている一色の方を振り返って、やはりジト目でため息をついて見せた。ちなみに今は一色もジト目だが、原因はお前なのでその目は理不尽でしかない。

 

「お前さ、寝てる男がスカートの中見えるような位置に立つなよ。俺だったからまだよかったものを……」

 

「いえ、せんぱいに見られた時点で十分恥ずかしいんですけど」

 

 ……それもそうだな。ただしかし、それでも他のどこの馬とも分からん男に見られるよりかはマシなはずだ。たぶん。

 だって――

 

「……俺のいないところで襲われたらどうしようもできん」

 

「なんですかわたしのこと心配してるんですかそういうのは学校だと恥ずかしいので家でやってくださいあと心配かけてごめんなさい」

 

 まーた早口言い出しましたよこの子。アナウンサーでも目指してるのかしら? それとも声優? 艦隊のアイドルで地方遠征やりまくる?

 つうか、俺んちでやっても同じような返しやるくせに。

 

「まあ、わたしがこんなに近くまで行けるのって、今じゃせんぱいくらいですけどね~」

 

「嘘つけ、今までのお前見てきて誰がそんな言葉信用するか」

 

 再びごろんと身体を寝かせると、「唯一の後輩を信用しないなんてひどくないですか~!」と抗議してきた。知らん知らん。後「唯一の後輩」って言うな。自分では自覚してるけど、他人に、特にお前に言われると普通に腹立つ。

 

「とにかくもう教室に返っててご……男子たちとでも遊んで来いよ。俺はもうちょっと寝たいから」

 

「今手駒って言おうとしませんでした? 手駒なんかじゃないですよ~。どれ……仲のいいお友達ですって」

 

「お前……いつか刺されるぞ」

 

 手を手首からひらひらさせて冗談ですよ~と一色ははにかむ。まあ、最近葉山や由比ヶ浜から聞く一色の評判を聞いている限り、本当に冗談っぽいけど。女子グループにも入れるようになってきたとも聞くしな。

 ……それならなおさら、こんなところで俺なんかの相手をしていないで、教室ででも談笑を楽しんだりすればいいと思うのだが。

 

「……っていうか、何やってんの?」

 

 思考に意識を埋没させかけていたら、いつの間にか一色が俺の隣に寝転がっていた。いや、俺寝直したいから邪魔しないでもらえるとありがたいんだけど。

 

「せんぱいは何も気にしないで大丈夫ですよ~。私もここでちょっとお昼寝するだけですから」

 

 なぜに俺の隣? 昼寝スポットならそこらにあるだろうに。

 そうぼやくと「私はここで寝たいんですぅ」なんて言ってコロコロと左右に転がりだす。そんなことしてたら制服が草まみれになるぞ。

 まあ要するに退く気はないらしい。そして俺も退く気はない。つまり現状維持が一番平和的ということになる。なんかこれ以上労力使うのも休んでいる意味がないし、大人しくこいつを受け入れることとしよう。

 

「っていうか……ああまったく。やっぱり草ひっかけてるじゃねえか」

 

 ひとしきりコロコロ転がってケタケタ笑っている一色に目を向けると、服だの髪だのに芝生の短い草がひっついてしまっていた。仕方ないのでとりあえず髪にひっかかっている葉っぱを落としにかかる。微かに香る緑の匂いに混じって、アナスイの香りが漂ってきて手が止まるが、それも一瞬。手早く葉っぱを摘まんで反対側の地面に捨てる。なんか猿の毛づくろいみたいになってるんだが……。

 

「ったく、あのまま教室に戻ってたらクラスの笑いものだぞ」

 

「森ガールってやつですかね!」

 

「どちらかというと青臭いガキ」

 

 ああこら、暴れんな。また余計な葉っぱが髪につく。というか、今のお前が森ガールだったら全国の森ガールが助走付けて殴ってくるぞ。なんでナチュラルに女を敵に回そうとするかな。ある意味才能だぞそれ。

 俺のネーミングセンスが気に入らないらしい一色は、頬を膨らませてじとっと俺を睨んできている――ようなのだが、位置関係的に見上げてくる形になっているので、さして怖くない。それでは単なる上目遣いだ。

 

「……せんぱいのあることないこと雪ノ下先輩たちに吹き込みます」

 

 こえぇよ。ここで重要なのは怖いのはあくまでその後の氷の女王の行動であって、一色自体は別段怖くないところだ。そうやってすぐ人にチクるとチクり谷って呼ばれるようになるんだぞ? あ、それは俺だけでした。

 

「っていうかせんぱい、頭の位置が低くて寝にくいです」

 

 話題をコロッと変えて――チクらないよね? チクはすにならないよね? なんかいろはす~ちくわ味~みたい。絶対不味い――一色はチラチラと俺を、正確には俺の左腕に視線を送ってくる。

 ほーん。その視線はなんですかな? 八幡くんにはちょっと意味が分からないなぁ。

 

「せんぱ~い、このままだと寝づらいです。ていうか眠れなくて寝不足になっちゃいます」

 

「まだ昼なんだが?」

 

 なに? そんながっつり寝るの君? さすがに夜に外で寝袋もなしに野宿は風邪ひくと思うぞ?

 寝れないな~、寝れないな~と再び視線を送ってきていた一色は、俺が動かないと悟ると今度は左二の腕を人差し指でぷにぷにとプッシュしだした。

 

「それ、くすぐったいんだけど……」

 

「知りませ~ん。せんぱいが悪いんです~」

 

 ぷにぷに、ぷにぷにとさして筋肉質でもない二の腕をつついたり、指で軽くつまんだりして来る後輩を無視して瞼を閉じ……ようとしたのだが、やばいくらい惰眠をむさぼることに集中できない。いや待て、そもそも集中すると言うことは脳が活発に動くということだから、その状態じゃどの道昼寝に興じることはできないのではないだろうか。

 とにかくこのぷにぷに攻撃をうざったいと思いながら無視していると、二の腕から指が離れて別の感触が伝わってきた。片目だけ開けて確認してみると、半袖シャツの裾を小さく摘みながらクイクイと軽く引っ張ってきている。目が合った瞳は相変わらず上目遣いなのだが、さっきとは違ってくりくりとした大きな目でじぃっと見つめてきていた。さっきただの上目遣いって言ったけど訂正するわ。確かにあれは睨んでいたしこっちは上目遣いしてる。同じ角度で別表情とかあれだね、いろはす百面相だね。

 このまま無視し続けたら昼休みが終わるまで延々ちょっかいを出してきそうだ。それではいつまで経っても意識を手放すことは叶わないだろう。

 

「……ほらよ」

 

 仕方なく頭の後ろに枕代わりに組んでいた腕の片方を解いて一色のほうに投げ出す。俺の顔と自分の近くに投げ出された腕を交互に確認した後輩はぱあっと表情を明るくしてポフッとさっきまで自分が触っていた二の腕部分に頭を乗せてきた。何度か具合を確かめるとむふーとその小鼻から満足そうな息を漏らした。

 

「せんぱい枕、なかなか気持ちいいですね」

 

「俺は重いけどな」

 

 なんですかそれ~! と語気を荒げてくるが、普通に考えて人一人分の頭の重量が二の腕に集中するのだから重い。頭蓋骨は硬いものだし、何なら痛いまである。人間の頭の重さは体重の約十パーセントほどらしいし、薄皮に覆われた四キロほどのカルシウムのボールが乗っかっていると思うと……普通に鈍器だなそれ。

 逆に重いということをポジティブに考えてみよう。人間の頭部で結構な割合を占めるのは脳みそだ。つまり、頭部重量も結構な割合で脳が占めているのではなかろうか。つまり、腕枕をしているこの状態で重いということは彼女の頭にずっしりと脳が詰まっていると褒めているようなものではないだろうか。仮に相手が由比ヶ浜だったらめっちゃ軽そう。軽すぎてカラカラ頭から音がなるまである。いや、あいつにやるつもりは一切ねえけど。

 

「せんぱいって、そういうところデリカシーないですよね」

 

「お前相手に気を使ってどうすんだよ……」

 

 この後輩と俺の間に、気を使うという緩衝行為は必要ない。やっても互いに一文の得にもなりはしないし、自分たちの間でそんな誤魔化しをするのは……なんというか、嫌だ。

 

「ま、せんぱいだからいいですけどね〜」

 

 さして気にしていないようにカラカラと笑う一色は、身体を俺の方に向けて腕の付け根にそっと小さな手を乗せてきた。若干俺よりも高い体温がカッターシャツ越しに伝わってきて、生暖かい風がゆっくりとその熱を剥がしにかかる。

 というか……。

 

「あー、ったく。動き回るからまた顔に草ついてるじゃねえか」

 

 間抜けなことに一色の左頬にはまたしても短い芝の欠片が、まるでご飯粒のようにくっついていた。言葉で指摘をすると、少し考えた後に二の腕を圧迫する重さが頭半分ほど肩の方に近づいてきた。目を見る限り、どうやら取れということらしい。こういう時の一色は強情でこちらが折れるまで意地でも動かなくなってしまうので、必然的に俺の方が折れるしかない。

 左手は腕ごと生徒会長の頭でホールドされているので、必然的にもう片方の、右の手を使うことになる。左にいる一色に右手を伸ばす形になり、自然と互いが向かい合うような状態になった。ということは視線的に距離が近くなり、排除目標である緑の欠片の近く、彼女の唇をすぐ近くで視認することになる。

 プルリとした血色のいい二枚貝は、リップでも塗っているのか太陽の光をわずかに反射させてより立体的に見える。時折その結び目がほぐれるたびに、貝の合わせ目からちらりとより紅い何かが顔をのぞかせた。

 ――とくん、と。

 かすかにそんな音が聞こえた気がした。果たしてそれは何の音で、誰が発した音なのか。熱さを孕んだ風が俺の身体を包み込んで、その熱を身体の内に内にと浸食させてくるような錯覚を受けた。

 

「……ほれ、取れたぞ」

 

 頬についていた緑片を二人の間に落とすと、少し頬を赤らめた一色がはにかみながら、俺の腕に乗せていた手ににぎにぎと強弱をつけてくる。かすかに筋肉が圧迫される感覚が少しくすぐったかった。

 

「あ、せんぱい今照れましたね?」

 

「……照れてねーよ、ばーか」

 

 向かい合っていた状態から元の空を見上げる体勢に戻って、心持ち視線を右の方に流す。左の方からクスクス聞こえてくるあざとい後輩の声は、この際無視することとしよう。

 恋に落ちる音が聞こえた気がしたと歌ったのは、どんなシンガーのどんな曲だったか。そんなものが存在するなら、万年発情期で恋愛脳な人類の恋に落ちる音で、地球は常時音楽会になってしまうに違いない。

 けれど、そう鼻で笑っていても。

 ――とくん。

 もう一度聞こえてきた、さっきよりもいくらかはっきりとした俺にしか聴こえない音は、どこか安心できて。それでいて俺の鼓動を早くしてしまうのだった。




暗殺クロスを書いていた時期に息抜きでちょこちょこ書いていた八色のお話でした。
こう、無自覚なイチャイチャと言うか自然な交流をさせて、ふとした瞬間にそれが恋心に変わる瞬間を書こうと思って書いたお話でした。

久しぶりに書くとやっぱり八色は楽しいなぁと。遠慮がないやり取りというか、そういうものを書けるのが八色の魅力ですね。

それでは今日はこの辺で。
ではでは。

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