比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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俺が修学旅行でホームシックになるなんてありえない

「修学旅行……なぁ……」

 

 学校生活で必ずある修学旅行だが、プロぼっちである俺には地獄のようなイベントである。なぜなら基本的にクラス行動なりグループ行動を強要され、空気の読める俺は迷惑をかけないようにグループの三歩後ろを気配を消して歩くようにするのだが、じっくり見たいところに限って皆興味ないとばかりにスルーし、お土産屋で行動時間の大半を消費するのだ。学校に金払わずに、一人で同じところに行った方が数十倍は楽しめそうなんだよな。

 ちなみに総武高校の修学旅行は京都だが、個人的には海外より全然いい。海外の世界遺産とかも興味がないわけではないが、水とか食べ物が合わなそうなのが怖いからな。日本人観光客はぼったくりにあいやすいって聞くし。

 

「……めんどくせ」

 

「もうお兄ちゃん、せっかくの修学旅行なんだから楽しまないと損だよ」

 

 配布されたしおりをぺらぺらとめくりながら呟いた俺に、受験勉強の休憩がてらコーヒーを注いできた小町が呆れた声を漏らした。

 しかし、楽しむったってなぁ。

 葉山から渡された一日目、二日目のスケジュールを見る限り、有名どころを抑えている感じではあるが、あーしさんも一緒だから、あいつが飽きたらすぐに切り上げられそうで怖いな。というか、なんで葉山達と一緒のグループになったんだっけ? 戸部……告白……それは別世界線の話だな。俺と戸塚がどのグループに潜り込むか決めあぐねているところを由比ヶ浜に引っ張り込まれたのがアンサーです。全く知らない奴らよりかは幾分マシだからいいけどね。

 

「大丈夫、お兄ちゃんにはVitaちゃんがついてるよ」

 

「それ、京都楽しむ気ない人間のアイテムだよね?」

 

 さすがに神社仏閣などいろいろ見るところの多い京都でそれはいかがなものか。極論スマホの電子書籍で時間を潰そうかとは思っていたけれど……せっかくの戸塚との旅行なのだ! 京の街並みと戸塚とのコントラストを眺めるだけで時間を潰せるのではと俺は睨んでいる。大天使トツカエルが清水寺なんかに行った日には神格化して崇め奉られるかもしれん。

 ……ないか。そもそも宗教的に違うか。

 

「あ、そだそだ。お兄ちゃん、はいこれ!」

 

 突然ハーフパンツのポケットをごそごそ漁りだして、小町が差し出してきたのは折りたたまれた紙きれ。妹にゴミを渡されてお前とこいつは仲間だよ、なんて言われたのかと一瞬凹んだが、綺麗に畳まれているところを見るとそうではないらしい。どうやら開いて中を見ろと言うことのようだった。

 

「早く見てってばー」

 

「はいはい」

 

 何か伝えたいのなら目の前にいるのだから直接言えと思ったが、女子というのはこういう回りくどいことが好きなのだろう。観念して中身を確認した。

 

 小町おすすめ! おみやげリスト!

 第三位! 生八つ橋

 第二位! よーじ屋のあぶらとり紙(ママンの分も!)

 第一位! 発表はCMのあとで!

 

 …………いや、これくらいマジで口頭で言えよ。あぶらとり紙ってあれだろ? 弾丸も止めちゃう最強の紙。小町とお袋は何かに狙われてるのかしらん?

 というか、一位の切り方がめちゃくちゃムカつく。

 ムカつくから、触れないことにしよう。

 

「生八つ橋はどの店でもいいのか? 京都ならどこにでも売ってそうだが……」

 

「そのノリの悪さが、ゴミいちゃんのゴミいちゃんたる所以だよねー」

 

 酷くない? どう考えてもこんなウザいノリに付き合せようとしてくるマイシスターが悪いはずなのに、あたかも俺が悪いみたいなその言い方酷くない? 俺は悪くねえ!

 しかし、ここで折れないと延々ゴミいちゃんを連呼してきそうだ。それはお兄ちゃん的にとても辛いから折れざるを得ない。俺の家庭内カーストはやっぱり低いのんな……。

 

「……で、一位は?」

 

「そ・れ・は、お兄ちゃんの素敵な思い出だよ!」

 

 …………うぜえ。

 

「アホなこと抜かしてないで、お前は勉強でもしとけ」

 

 頭を少し強めにわしゃわしゃ撫でると、わーきゃー言いながら逃げだしていった。チッ、逃げ足の速い奴め。

 

「あ、そうだお兄ちゃん。小町がいなくて寂しくなっても電話かけてきちゃだめだよ?」

 

「んなことするか」

 

 まったく、こいつは兄をなんだと思っているんだ。

 

 

     ***

 

 

「はちまーん!」

 

 駅についたら天使がいました。

 中学の頃と明らかに違うのは修学旅行中ずっと戸塚と一緒ということだ! 何を修めた旅行なのかと鼻で笑っていたが、これは神イベントに違いない。ありがとう、修学旅行という行事を考えたどこかの誰か。

 

「京都楽しみだね!」

 

「ああ、戸塚との京都は楽園かも知れんな」

 

「もう、冗談言わないでよ八幡」

 

 冗談のつもりはなかったのだが……戸塚に想いが届かなかったようで、八幡悲しい。ほんとなんで戸塚は男なのだろうか、天使なのに。いや待て、天使は両性具有と聞くから、実は戸塚は女の子にもなれる……?

 

「はっちまーん!」

 

「どちら様ですか?」

 

「は、はちまーん!?」

 

 突然知らない人間に下の名前で呼ばれた。今のは一体誰だったのだろうか。

 

「うわぁ、中二あいかわらずだ……」

 

「よう、由比ヶ浜」

 

 材木座の声で俺達を見つけたのか、駆け寄ってきた由比ヶ浜に声をかけると、おはよーと返してきた。毎度思うのだが、こいつの中で「おはよう」と「やっはろー」はどこで区分けされているのだろうか。アホの子の考えることは俺にはわからん。

 

「そういえばヒッキーって、三日目はどうするの?」

 

「三日目か……」

 

 三日目は自由時間なのだが、どこに行くかは決めていなかったな。小町の言っていた八つ橋とあぶらとり紙を買うのとどこかで学業お守りを買っておこうとは思うが。俺の自由時間小町に取られすぎじゃね?

 

「特に決めてないな」

 

「そっか……そっかー、まあヒッキーだもんね」

 

 なんで俺貶されたのん? 誰とも一緒に行く予定がないから? 戸塚と色々見て回るという選択肢もなくはないが、なんだかんだ二日目まで一緒だし、一人で色々見てみたい気持ちもあるんだよなぁ。

 まあ、ここはプロぼっちらしく一人で散策すると予定に入れておきますか。

 新幹線に乗る時に戸部がべーべー騒がしかったが、周りもテンションが上がっているのか同じくらい騒がしいから問題はないだろう。いやほぼ貸し切り状態だから苦情は出ていないが、公共交通機関で騒ぐなよ。

 周囲に配慮する常識人の八幡君は静かに窓から見える景色でも眺めようと思って――ぶっちゃけ景色を愛でる趣味はなかったのでそのまま夢の世界に旅立った。

 目が覚めたら天使が隣で眠っていて、ちょっと幸せになりました。

 

 

 

 一日目はクラス単位で行動する。本日の予定は無難な京都スポットである清水寺らしい。材木座が中二を拗らせて清水の舞台から飛び降りないか心配だ。そんな事があったら戸塚との修学旅行が中止になってしまうからな! かっこよさそうとか言って飛び降りるなよ? あいつにそんな度胸ないか。

 

「列長いね」

 

 平日の昼間、紅葉も盛りを過ぎた時期だがさすがは天下の清水寺、観光客が多い多い。拝観入口はうちの生徒と観光客がごった返し、結構な列になっていた。

 団体入場口は別にあるが、それでも複数のクラスが待機しているところを見ると当分入れなさそうだ。

 季節が秋でよかった。夏や冬なら死人が出ていたかもしれない。

 

「ヒッキー! 面白そうなところ見つけたから、ちょっと行ってみようよ!」

 

 なぜ由比ヶ浜さんは列から外れているのでせうか。団体行動乱すなって学校で教わるでしょ? ガハマさんそういうの全部聞き逃すか忘れてそう。

 

「大人しく並んどけよ。ちょっとだけとか言ってはぐれたりしたら周りから白い目で見られるぞ」

 

 ソースは中学の修学旅行の俺。ちょっとじっくり観光スポットを見学していたら、いつの間にか誰もいなくなっていた。影が薄すぎてついに幻想送りされたのかと結構ガチで不安になったのは内緒だ。

 

「大丈夫だって。そんなに時間かからないっぽいし、隼人君達も行くって言ってるから」

 

 それはグループの一員として一緒に行動しろということだろうか。残念ながらそのグループは二日目のだから、葉山グループのお前らだけで言ってくださ――

 

「八幡、僕もちょっと興味あるかな」

 

「よし行こうすぐ行こう、急ぐぞ由比ヶ浜」

 

「ヒッキー変わり身早すぎ!?」

 

 戸塚が行きたいと言うのなら、俺に行かないと言う選択肢はないに決まっているだろう由比ヶ浜。

 先導役のはずの由比ヶ浜すら置いていく勢いで列を飛び出して進むと、威勢のいいおじさんが呼びこみをしている小さなお堂が見えた。どうやら胎内めぐりというものらしい。暗いお堂の中を巡ることで御利益があるとか。

 

「あ、ヒキタニ君たち遅いっしょー! 早く早く!」

 

 お堂の前には既に葉山、戸部、海老名さん、三浦、川中が待っていた。というか、戸部がすっげーナチュラルに呼ぶから一瞬友達かと思っちまったわ。名前間違えてるけど。

 

「悪いな。つうか、学校だと俺の事ネタにしてたのに、外だと普通なのな」

 

 文化祭の件で浮いた俺を一番ネタにしていたのは他ならぬこいつだった。というか、あまりにもくどくネタにするせいで周りからもちょっとウザがられている節すらあったが。

 

「いやー、その話はメンゴ! けど、やっぱりせっかくの修学旅行だし? 一緒のグループになったんだから、やっぱ仲良くしなきゃでしょー! 今までのことも全部水に流す感じで、清水寺だけにさ!」

 

「……それ全然うまくないからな?」

 

「マジで!? っかー、ヒキタニ君のダメ出しまじっべーわ!」

 

 うん、やっぱこいつめちゃくちゃウザい。まあ、いい奴なんだろうけど。やっぱウザいな。材木座とは真逆のベクトルでウザいわ。

 

「それじゃ、せっかくだし男女ペアで入ろうよ!」

 

 なにがせっかくなのか分からないんですけど? 男女ペアとかガハマさん俺を殺す気ですかね? 俺は何も悪いことをしていないはずだが……まさか、普段馬鹿にしているのを怒っている!? 事実を怒るのは理不尽じゃないか!

 一人戦慄している俺をよそに、由比ヶ浜の「男女ペア」という言葉を聞いてあーしさんは葉山に、戸部は海老名さんに声をかけていた。ほーん、葉山三浦は妥当として、戸部と海老名さんは少し意外な組み合わせな気がする。そういえば千葉村で海老名さんに興味があるとか言ってたっけ。案外、あれ本気なのかもな。

 さて、そうなると俺は……。

 

「戸塚、一緒に行こう」

 

「ヒッキー、人の話聞いてた?」

 

 戸塚の手を引いてさっさと向かおうと思っていたら、ジト目のガハマさんに釘を刺されてしまった。いや落ちつけ、残っているのは由比ヶ浜に川島、そして戸塚だ。この中で一人を選ぶのなら戸塚一択だろう。え、違うのん?

 

「わーったよ。それで、どっちと入ればいいんだ?」

 

「えー、と……サキサキはどうする?」

 

「サキサキって呼ぶな。別にどっちでもいいけど、あたし戸塚とあんまり接点ないし……」

 

 確かに川端は戸塚とあまり接点がない。実は一学期のサキサキ不良化阻止作戦に戸塚も一枚噛んでいるのだが、本人と直接会って交渉したのは奉仕部の三人と小町だけだったからな。かと言って俺と組むのも躊躇われるのだろう。遠慮がちにチラチラとこっちに視線を送ってきていた。

 

「ぁ……じゃ、じゃあ、じゃんけんで決めよう! 負けた方がヒッキーとね!」

 

 おい、ナチュラルに罰ゲームの景品を俺にするのはやめてくれないか。

 

 

 

 お堂の中は予想以上に暗い。暗いというかマジで何も見えないぞ、これ。数珠状になった手すりを掴んでおかないと方向感覚を完全に失ってしまいそうだ。

 耳を済ませると数歩先で三浦が念仏でも唱えるように「暗い」と「やばい」を連呼していて、三浦自身の方がやばいまである。大丈夫? 取り憑かれたりしてない? ペルソナ発動とかしない?

 

「マジで何も見えねえな」

 

「そ、そそそそそ、そうね……」

 

 ………………。

 

「あの、サキサキさん……何をやっているのでしょうか」

 

 じゃんけんに負けて俺と組んだ川西は視界がほぼ完全に暗闇に包まれたあたりからずっとシャツの裾を握りしめてきていた。真っ暗で確認はできないが、女子にしては高身長な身体を限界まで縮こまらせているのではないだろうか。ちょっと小刻みな振動も伝わってくるんだが。

 

「べ、べべべ別に……なんでも……」

 

 もはやサキサキ呼びを訂正する余裕もないようだ。こいつ、怖いの苦手だったのか。意外に乙女チックですね川越さん。ここ別にお化け屋敷じゃないけどね。

 こうやってしがみついてくる感触には覚えがある。そういえば、昔小町とお化け屋敷に行った時もずっと服の裾を握りしめられてたっけか。お化け屋敷の中で終始瞼を固く閉じていたのには思わず笑ってしまいそうになったが、千葉のお兄ちゃんはそんな無粋なマネはしない。

 

「ったく、ゆっくり歩くから、ちゃんとついてこいよ」

 

「わ、わかった」

 

 特にいつもの彼女の位置よりかなり低い位置にある頭にぽふっと一回だけ手を乗せて、心持ちさっきよりゆっくりと歩を進めた。

 足元からぞわりと上ってくる冷気に俺自身わずかに恐怖を覚えつつ、黒に塗りつぶされた通路を何度か曲がっていると、単色だった世界にぼんやりと仄白い灯りが現れた。

 灯りの近くにまで歩み寄ると、灯りにライトアップされるように丸い石が置かれていた。その上部には、何やらよく分からないマークが掘られている。確か入口に石を回して拝めって書いてあったな。これがその石か。

 

「ここで石を回して拝むみたいだぞ」

 

「ぇ? あ、ああ……わかった」

 

 ひょっとして川岡さん、今までずっと目つぶってました? ぶっちゃけ、目を開けてても変わらない暗さでしたよ?

 ようやく裾を離してくれた川内と石を回そうと手を伸ばして、はて、そういえば願い事とは何をするべきなのだろうかと疑問にぶち当たった。うーむ、特に信じていない神様に何をお願いしてやろうか。

 まあ、とりあえずはこれかな?

 

「いくぞ?」

 

「ん」

 

 川崎の同意を得て中華テーブルのように石を回す。あ、そう言えばこいつ川崎って名字だったわ。

 ところでこれって、回し終えてから拝むのか、回しながら拝むのかどっちなんだろうか。きちんと説明しなかった方が悪いから、勝手に回しながら拝むということにしておこう。

 

「……さて、行くか」

 

 石を離れると、出口へ続くであろう道はまた暗闇だ。当然のように川崎は俺の裾を掴んできたが、どうやら出口はすぐそこのようですぐにぼんやりと光が見えてきた。

 そういえば、相手にとっては罰ゲームとはいえ、ペアになった相手だ。どんな願い事をしたのか多少の興味がないこともない。川崎は何を神頼みしたのだろうか。

 

「ぷっ……」

 

「……なに?」

 

 そこまで考えて、案外あっさり答えが出てしまった。つい笑いが漏れてしまった俺に川崎が不機嫌な声をあげる。別にお前の怖がりな一面を笑ったわけではないから安心してほしい。

 

「なんでもねえよ、ブラコン」

 

「っ……ふんっ、あんたには言われたくないね、シスコン」

 

 受験生の妹弟を持つ兄姉の願いなんてほぼ一つだろう。

 ちなみに白い目をされることはなかったが、クラスには少し遅れてしまった。ガハマさんの大丈夫は信用ならない。八幡覚えた。

 

 

     ***

 

 

「ただいまー。……あれ?」

 

 塾が終わって帰ってみると、家がやけに静かだ。いつもこれくらいの時間ならお兄ちゃんがリビングで読書しているかVitaちゃんと戯れているはずだけど。

 

「あ、そうか。今日からお兄ちゃん修学旅行だったっけ」

 

 完全に失念していた。朝の事を忘れるなんて小町、自分の頭がちょっと心配になってきた。もっと勉強に力を入れよう。

 

「お兄ちゃんがいないと静かだね、カー君」

 

 とてとてと寄ってきたカー君を抱き上げると不機嫌そうに「なー」って短く鳴いた。たぶんお腹が減ってるんだな。小町のお出迎えをする良い子かと思ったら、給仕係を待っていただけのようだ。ふてぶてしい。けどかわいい。

 

「わかったよカー君、今ご飯用意するから待っててね」

 

 リビングでカー君を下ろすと、餌皿の前に直行してテシテシとお皿を叩きだした。待っててねって言ってるでしょ。君はいつからご飯をせびるルフィみたいになっちゃったのん?

 キャットフードを取り出して餌皿に盛ると、もそもそと食べだす。ご飯を食べる姿までふてぶてしい。いっそ貫禄があるまである。少しの間そんなカー君を眺めて、鞄を自分の部屋に置くとお風呂へ直行。だいぶ涼しくなったけど、晴れの日のお昼とかは結構温かいから、しっかり汗を流さないとね。女の子のたしなみです。

 ちゃんと全身を洗い流して浴室を出るとタオルで水気を拭き取る。おお、最近あんまりお外で干せなかったけど、このタオルふかふかだ。これは新しい柔軟剤が効いてますね。お母さんとリピートを検討せねば。

 あらかた拭き終わっていつもパジャマ代わりにしているお兄ちゃんのお下がりジャージに袖を通す。お下がりって言っても、小町が勝手にもらっただけだけど。

 

「今日から三日もお兄ちゃんいないのか」

 

 何気にお兄ちゃんがそんなに家を空けるのは初めてだ。一番長かったのはたぶん中学の修学旅行で二日。小町もあんまりお泊りとかしないから、何気に三日は比企谷兄妹の新記録だ。なにその新記録、すっごいどうでもいい。

 普段あんまりしゃべらないお兄ちゃんだけど、それでもいなくなったら予想以上にうちが静かになるんだなー。ちょっと新発見。心なしかリビングも広いように感じる。引っ越しのために荷物をまとめた時に「あれ、この部屋こんなに広かったっけ?」って思うらしいけど、それと同じかな? 別にお兄ちゃんが荷物って意味ではないけどね。ゴミいちゃんではあるけど。

 

「とりあえずご飯食べよー」

 

 今日は結構遅くなっちゃったし、簡単なメニューですませちゃおうかな。確かお魚がチルド室に残っていたはず。

 お兄ちゃんがいないって、小町もプチ旅行してる気分。旅行してるのはお兄ちゃんなのに、変なの。

 

 

     ***

 

 

 修学旅行二日目はグループ行動の時間である。俺達のグループは映画村に行くことになっていた。時代劇テーマパークである太秦映画村は精巧なセットだけでなくコスプレ体験や忍者屋敷なんかのアトラクションもあるようだ。USJとはまた別の意味で楽しめる娯楽観光施設といえるだろう。

 しかし、完全に油断していた。まさか、映画村までが地獄だったとは。

 

「八幡、大丈夫?」

 

 映画村までのバスがこんなにぎゅうぎゅう詰めだとは!

 わずか五百円で一日市バスが乗り放題になるというフリーパスに惑わされて利用してみたら、乗車率百五十パーセントは超えるであろう満員バスにすし詰めである。実はここ、通勤ラッシュの京葉線なのではないだろうか。やば、マジで押し潰されそう。

 そんな混雑の中に戸塚を放り込むわけにはいかない。俺は身を呈して戸塚を守っていた。

 

「安心しろ戸塚、小町から満員の乗り物ではスペースを作ってあげなきゃだめだよと言われているからな。戸塚は俺が守るぞ!」

 

 あれだよね、今までは正直馬鹿馬鹿しいと思っていた小町のアドバイスが、今年に入ってからすっごい役に立ってるの。小町、お兄ちゃんは小町の力を借りて戸塚をしっかり守れてるよ。

 

「それって普通女の子相手にするもんじゃないの!?」

 

「何を言っているんだ由比ヶ浜。お前らは三浦と川崎に守られているだろ? だから俺は戸塚を守っているんだ。無駄のない役割分担ってやつだ」

 

「そう、かな?」

 

 そうだよ。

 実際、由比ヶ浜と海老名さんは周囲を威嚇しまくる三浦と川崎によって作られたサンクチュアリによって完璧な守護を受けていた。まあ、仮にサンクチュアリが存在しなくても俺が女子を守るとかありえない。だって女の子怖いもん。

 そういえば、前に小町と出かけたときに満員電車に巻き込まれたことがあり、今と同じような体勢を実践したことがあるのだが、その時はなぜか小町が抱きついてきてせっかく作ったスペースが無駄になったんだよな。兄の配慮を無にする妹、八幡的にポイント低い。

 

「次で降りるから忘れないでくれよ」

 

 この苦行も後一駅か。最後まで戸塚を守りきらねば。

 さっきからエルボーかましてくる戸部は許さん。この満員バスの中だから仕方がないけど、許さん。

 

 

 

 満員バス地獄を抜けると、そこは映画村でした。ところで、どうして京都にあるのに江戸の街並みなのだろうか。それ、日光江戸村でよくない? 江戸村行ったことないけど。

 まあ、そんな事は置いておいて、おいらん道中や突然始まる殺陣指南など、中にいるだけでなかなかワクワクしてくる。戸部が「刀で斬り合いとかマジ興奮するわー」なんてはしゃいでいたが、否定できねえな。日本刀はロマンだ。

 

「小町もこういうとこ好きだよなぁ」

 

 村というよりはアミューズメント施設に近い映画村は、いかにも小町が好きそうだ。けど、さすがに京都はほいほい来れないよな。千葉に映画村を作ろう。雪ノ下議員がんばって!

 

「ヒッキー、こんなところでも小町ちゃんのこと考えてるし……」

 

 由比ヶ浜、お前はなんて失礼な奴なんだ。……いつでもどこでも考えているに決まっているだろう?

 

「ははは……あ、八幡! お化け屋敷あるよ!」

 

 なぜか乾いた笑いを漏らしていた戸塚が通りの先を指差して声を弾ませる。その先にあったのは史上最恐のお化け屋敷なるものがあった。自分からハードルを上げるあたり……できる!

 

「戸塚、お化け屋敷とか好きなのか?」

 

「うん! ホラーゲームとかも好きなんだ!」

 

 やけにテンションが上がっていると思ったらそういうことらしい。天使の意外な一面を見てしまった、かわいい。

 

「お、お化け屋敷とか激アツっしょ!」

 

「いいね。行ってみようか」

 

 葉山達もだいぶ乗り気のようだし、三浦や海老名さんも反対ではないらしい。というか、三浦に至っては葉山の服を掴んで怖いアピールをして楽しんでいる。あざとい、あざといぞあーしさん! お前はおかんキャラだったはずなのに、ギャップ萌えなのか!?

 戸塚が行きたいと言っているのだから、俺だって拒否する理由はない。しかし……。

 

「お前……外で待っとくか?」

 

 川崎は昨日の胎内めぐりだってあの調子だったのだ。さらに驚かし要素のあるお化け屋敷に放り込んだ日には、屋敷内のスタッフを殴って傷害事件に……いやさすがにそれはないか。

 

「は、はあ!? べ、別に怖くないし! あたしも行くよ!」

 

「いや、意地を張るところじゃ……」

 

「意地なんて張ってないし! ほ、ほら、行くよ!」

 

 本人が大丈夫って言うならいいけどさ……史上最恐だぞ? 後悔しても知らないぞ?

 

 

 

「ひっ! い、今……ひいぃぃぃぃ!」

 

 だから言ったじゃないですかサキサキさん。本当にどうしてあそこで意地を張ってしまったのか。

 胎内めぐりのお堂よりかは幾分明るい通路に入ってから、川崎はずっとこの調子だ。昨日のように俺の上着を握りしめて――あの、あんまり引っ張ると脱げるからやめてほしいんですが。

 

「しかし、本格的だな。史上最恐の名前に偽りなしだ」

 

 恐らく江戸時代をモチーフにした通路はところどころにおどろおどろしいシンボルが配置されていて、最小限の灯りがそこに視線を巧みに誘導してくる。

 なにより演者のスタッフの動きがプロい。どうすれば客が驚いて叫び声を上げるか理解しつくしているようだった。

 

「やばい! ここやばいって! ひいっ!」

 

 今は川崎が過剰なまでに驚いて騒いでくれているおかげであまり怖くはないが、一人で入っていたららしくもない叫び声を上げていたかもしれない。

 

「ヒッキー結構冷静だね。ヒッキーも彩ちゃんみたいにお化け怖くない系?」

 

「いや、怖いもんは怖いだろ」

 

 西洋ホラーのようなビックリ系は初見なら盛大に肩が跳ねるし、和製ホラーのじわじわ迫ってくる恐怖は背筋に嫌な汗が流れてしまう。ホラーゲームやホラー映画は嫌いではないが、それと怖くないはイコールではないのだ。

 

「ただ、お化け屋敷は実質二回目だからな。小学校の時に小町と行って以来か」

 

 今思うとそんなに怖くないちゃちなお化け屋敷だったが、当時小学校低学年だった小町がワンワン泣いてしまって、お化け屋敷を出てから帰るまでずっと怒られた。行きたいって言ったの小町なのに。

 それ以来完全にお化け屋敷嫌いになってしまった小町とこういうアトラクションに行くことはなくなった。ディスティニーランドのゴシック風マンションにも入ったことねえんだよな。さすがに夢の国だからそんなに怖くはないと思うが。

 

「ヒッキーって小町ちゃんのことばっかり話すよねぇ……」

 

 え、なんでそんな呆れた顔されてんの? ここお化け屋敷だからもっと怖がってあげなよ。

 

「八幡達は仲良しだもんね」

 

「けど、あんたのシスコン話のおかげであたしも冷静にひいぃぃぃぃ!」

 

 よく分からんが冷静になったらしい川崎が俺の服から手を離した瞬間、通路の影からグワッと血みどろの女性が現れた。完全に油断していた川崎は脇目も振らず全力疾走。呼び止める暇もなく闇の中に消えてしまった。

 

「すごいなあいつ。小町でもあんなにビビってなかったぞ」

 

「やっぱり比較対象小町ちゃんなんだ!?」

 

 あたりまえなことを言う奴だ。俺の対人経験の八割は小町で占められるから当然だろう。

 やけに騒ぐ川崎がいなくなると、怖さのレベルがぐっと上がった。なるほど、ここからがこのお化け屋敷の本番なんですね。サキサキカムバック!

 

 

 

 映画村である程度遊び倒した俺達はタクシーに乗って仁和寺……を軽くスキップして龍安寺に来ていた。マジでほとんど滞在しなかったぞ仁和寺。なんでコースに入れた葉山……。

 龍安寺に入ってすぐの鏡容池と呼ばれる大きな池を通り過ぎ、石段を上っていく。方丈というお堂に入ると、龍安寺の名物とも言える石庭、枯山水がある。虎の子渡しの庭や七五三の庭などの別称もあり、配置されている石はどの位置から眺めても必ず一つの石が見えないようになっているんだとか。

 そんな事を言われたら、きっとどこかに全部の石が見えるところがあるのではないかと考えてしまうのが、斜に構えた比企谷八幡だ。割と広い石庭、隙はどこかに存在するはずだ。……俺はいったい何と戦っているのん?

 

「なにをしているのかしら……」

 

 少しずつ位置をずらしながら全ての位置を確認していると、よく澄んだ声を呆れた感じでかけられた。振り返ると予想通り、奉仕部部長の雪ノ下雪乃が佇んでいた。こいつ、割と着物とか似合いそうだからお堂とか枯山水の背景が合うな。一応断っておくが、似合うと言うのは胸部的なサムシングではない。こうね? 雰囲気的なやつだから。

 

「お前も来てたのな」

 

「ええ、有名所だからね。それで、あなたは何をしていたのかしら?」

 

「いや、どっから見ても全部の石は見えないって言うが、絶対見えるスポットあるだろと思ってな。見つけたら小町に自慢できるかもしれん」

 

 いやしかし、本当に見つからん。作った人すごすぎるだろ。どうやったらこんなもん考えつくんだよ。あれか? この庭と一緒で人間も全ての部分を見ることはできない的なやつか? 昔の人が俺と同じ思考だった説が微粒子レベルで存在している?

 

「こんなところでも小町さん中心で動いているのね……」

 

 なぜか雪ノ下に盛大に呆れられてしまった。

 

「由比ヶ浜達にも言われたが……俺そんなに小町のことばっかり話してるか?」

 

「今までもそんな調子だったのね……」

 

 いやいや、確かに小町は大事な妹ではあるが、そこまで小町小町言っているわけではないはずだ。どうせ小町は神社仏閣には興味がないだろうから、興味を引きそうなネタとして考えていた節はあるが。いや確かにそう言われると小町中心で動いている説は無きにしもあらずだが、それは小町が思い出をお土産に待っていると言っていたからだ。あれ、それって小町中心ってことじゃない? なんでそうなってるの?

 

「学校でも小町さん至上主義な調子だったけれど、今のあなたは輪にかけてそれが強くなっているわね。まさか、ホームシックにでもなっているのかしら?」

 

 え…………?

 ホーム……シック……? 小町と離れて……? いやいやいやいやちょっと待て。

 

「そんなこと……あるわけ……が……」

 

 確かに小町と三日も離れて過ごすのなんて初めてだが、さすがにたかが三日だぞ? それでホームシックとかないないありえない。いやけど、昨日の夜は小町の夢を見た気が……しなくも……。

 

「まさか……そんな……」

 

 いや、そう考えたら無性に小町に会いたくなってきた。たった二日、されど二日だ。あと二日も小町に会えないなんてありえないだろう。誰だよ、戸塚と三泊四日の修学旅行が神とか言ったの。

 

「あの、比企谷君……?」

 

「ヒッキー……?」

 

 二人が心配そうに声をかけてくれているようだが、今の俺にはまったく聞こえてこなかった。ああもう駄目だ。頭の中が小町でいっぱいで、もはや見えない石とかどうでもよかった。小町に早く会いたい。俺小町好きすぎない? 好きだよ当たり前だろ! あんなかわいい奴好きじゃないわけがないじゃないか!

 あぁ、これマジでやばい。心の中で叫んでいただけのはずなのに酸欠で頭がクラクラしてきた。

 

「すまん由比ヶ浜、先にホテルに戻っとくって葉山達に伝えといてくれ」

 

「ぇ、あっ、ちょっとヒッキー!?」

 

 ふらつく足をなんとか進めて、方丈を出る。もう、早くホテルに泊まって寝たい。寝て起きれば朝だ。それでもう一回寝れば千葉に、小町のところに帰れる……。

 

 

     ***

 

 

「あっ……しまった……」

 

 お兄ちゃんがいないのを忘れていて、夕ご飯を作りすぎてしまった。しかも、それに気付いたのが作ったハンバーグを二つの皿に盛り付けたあたり。ちょっとうっかりにしては気付くのが遅すぎないかな?

 仕方がない。お兄ちゃんの分として作ったハンバーグは明日の晩御飯に取っておこう。小町の手作りハンバーグが食べられないとは、お兄ちゃんも残念だったね!

 

「いただきまーす」

 

 いつもは小町の声に紛れるようにぼそぼそ呟く声はない。お兄ちゃんは今頃京都のおいしいご飯を食べているに違いない。小町の手料理より京料理ですかそうですか。いや、お兄ちゃん全然悪くないけど。

 ハンバーグを箸で一口大に切り分けて、あーんと口に運ぶ。

 

「……あれ?」

 

 なんだろう。おいしいにはおいしいんだけど、なんかいつもよりいまいちな味だ。いつもと同じように作ったはずなのにおかしいな。けどまあ、作っちゃったものはちゃんと食べないとね。

 もぎゅもぎゅとハンバーグを食べる。うーん、やっぱりいまいち。本当に何やらかしたんだろ。

 っていうか、さっきからずっと感じる違和感は一体……。

 

「ぁ……」

 

 そうか、目の前にいつも座っているお兄ちゃんがいないから、目の前がどこか殺風景なんだ。お兄ちゃんがいないだけでこんなに違うとか、ちょっと小町やばくない? ひょっとして、お兄ちゃんがいないからご飯がおいしくないんじゃ……。

 ……いやいやないない。

 それはちょっとブラコンすぎて小町的にポイント低いし。

 なんかどんどんおいしくなくなっている気がするのも、気がするだけだろうからさっさと食べて勉強しよーっと!

 

 

 

 むぅ、全然勉強分からないなりぃ。

 いや嘘、小町も総武高校を狙う受験生だし、全然分からないなんてことはない。けど、英語はちょっと苦手。なんで述語が主語の後に来るの? 現在完了って過去形とどう違うの?

 分からないところが出ると、途端に集中力も切れちゃう。これは家庭教師を無料で雇った方がいいね!

 

「お兄ちゃーん、ちょっとここ教え……ぁ」

 

 またやっちゃった……。お兄ちゃんがこんな時間に家にいないなんてありえなさ過ぎて、全然小町の頭の中で切り替えができてないよ。

 なんか余計に勉強する気がなくなっちゃった。お兄ちゃんのラノベでも読もうかなと思って適当な本を取り、ベッドにポスッと腰を下ろす。パラパラとページをめくっていると、どんどん身体が布団に沈んでいって、最終的に仰向けの状態に落ちついた。最近のラノベって異世界物多いよね。それでも面白いものは面白いし、人気だから多いんだろうけど。

 それにしても、このベッドはやけに落ちつく。どことなくお兄ちゃんの匂いがするからかも……いやちょっと待って!

 

「ほんと、今日の小町おかしくない?」

 

 お兄ちゃんの匂いで落ちつくなんて変態ではないか。いや、だけど……けど……。

 本を閉じて今度はうつ伏せになる。枕に顔を埋めてゆっくり深呼吸をすると、十五年連れ添ってきた匂いが肺いっぱいに入ってきて、それだけで少し幸せな気分になってしまう。

 これじゃあ、お兄ちゃんに会いたいって言ってるようなもんだなぁ。一度認識しちゃうと会いたくて会いたくて震えてきちゃう。ひょっとしてお兄ちゃんは危険なお薬の可能性が……それだと、お兄ちゃんが規制されちゃうよ……。

 

「お兄ちゃん、連絡くらいくれればいいのに……」

 

 そう思ったけど、よくよく考えたら連絡しちゃだめだよって言ったの小町だった。だってしょうがないじゃん。お兄ちゃんはともかく、小町までこんなになっちゃうなんて思わなかったんだから。

 お兄ちゃんは明後日まで帰ってこない。後たった二日だけど、このままじゃ小町自身が持つ気がしないよ……。

 

「だから……ちょっとくらいいいよね」

 

 頭から布団を被ると、全方位からお兄ちゃんを感じられて、まるでお兄ちゃんに包まれているみたいだ。これなら、とりあえず今日一晩は持ちそう。

 

「お兄ちゃん、おやすみ……」

 

 感じないはずの温かさを感じながら、小町の意識はゆっくりと夢の世界に沈んでいった。

 

 

     ***

 

 

 

 目が覚めたら家だったらよかった。そんなことはあり得なくて、昨日泊まったホテルの布団からのそりと体を起こす。部屋をぐるりと見渡すけれど、当然最愛の妹の姿はない。

 

「あ、八幡おはよ」

 

「あぁ……おはよう」

 

「どうしたん、ヒキタニ君。まだ調子悪いべ?」

 

「大丈夫か? 無理そうなら先生に言いに行くけど」

 

 天使が挨拶をしてくれたのに、いつもみたいな返事ができていない。そんな俺に同室の連中も声をかけてくるけれど、ほとんど頭が理解していない。起きた瞬間から思考の大部分は小町で埋め尽くされていた。

 なんとか理解できた葉山の言葉に首を振って答える。さすがにこれで休むなんてありえない。そんな俺を見て葉山は息をついて、朝食に促してきた。食欲はないが、少しは食べないと今日の活動に支障が出るだろう。なんとか着替えて、葉山達についていく。

 朝食はバイキング形式だったのでバターロール二個と牛乳を取って適当な席についた。他にも色々おいしそうなおかずとかあったが、ぶっちゃけこれですら食べきれるか分からなかった。

 

「おはよー! ……ヒッキーまだだめみたいだね……」

 

「ヒキタニ君それはさすがに少なくない?」

 

 遅れてやってきた女子メンバーが俺の目の前に置いてある皿を見て声を上げる。俺だって普段はしっかり朝食を食べるのだ。しかし、今はちょっと、というか全然――

 

「……食欲ない」

 

「朝はちゃんと食べなきゃダメだし! そんなに調子悪いなら休んでたら? 先生たちが付き添ってくれるだろうし」

 

 あーしさんが優しすぎてマジおかんみたいに見えてきた。ていうか、こいつら皆いい奴すぎる。

 

「いや、それはだめだ……」

 

 しかし、三浦たちの好意を受け取るわけにはいかない。

 三日目は各自自由行動だ。小町リクエストのあぶらとり紙と生八つ橋を買わなきゃいけないし、学業のお守りも買わなくてはならない。それに、それになにより……。

 

「小町に聞かせる思い出を、作らないと……」

 

 なんと言っても小町のお土産ランキング一位だ。今のところほとんど京都らしい思い出を作れていない。その上自由に散策できる今日を休んで過ごすなんてすれば、なんとか明日帰っても小町を楽しませることができない。

 

「……ここまで沈んでると、シスコン乙とも言えないね」

 

 いやほんとごもっともです。全校生徒敵に回すメンタルを持っていたはずなのに、今の俺はちょっと雪ノ下の罵倒を食らっただけで死んでしまうまである。八幡君HPが既に一しかないよ……。

 

「はあ……しゃーない。結衣と戸塚はヒキオと一緒に行ってやんな。できるなら雪ノ下さんも連れて」

 

「ゆ、優美子?」

 

 きっちりと決めている縦ロールを指先でクルクル弄りながら、少し不機嫌気味な声を三浦が漏らす。おそらく、できるなら由比ヶ浜と一緒に回るつもりだったのだろう。

 

「そんなヒキオ放っておけないっしょ。この中ならあーしらじゃヒキオの対応分からないし、あんたらが適任でしょ」

 

「そうだな。妹さんのことになると、ヒキタニ君は頑固だし、お願いできるか?」

 

 三浦と葉山に頼まれて断れる人間はそうそういない。というか、由比ヶ浜はともかく戸塚はそのつもりだったようで、天使の微笑みを浮かべて了承した。それを見て由比ヶ浜もしょうがないなぁと首を縦に振る。

 

「後は雪ノ下さんがいてくれればもっと安心なんだけど……」

 

「大体の話は理解したわ」

 

 噂をすれば影が立つ、という奴だろうか。いつの間にかバイキングスペースに入ってきていた雪ノ下の声に全員が振り向く。平常時の俺ならトレイを持つ姿も嫌に様になってるなとか思っていたかもしれないが、残念ながら今の俺にその余裕はない。

 

「うちの部員の事ですもの。部長が面倒を見るのは当然のことよ」

 

「そ、じゃあヒキオのこと任せたよ。本当に無理そうなら先生とか呼びな。別にあーしでもいいけど」

 

 あーしさんマジ頼りになる。マジおかん。

 

 

 

 その後、三人に気遣われながらあぶらとり紙や生八つ橋を買って、北野天満宮で学業祈願のお守りも確保した。その後は学校の誰よりも事前調査をしていた雪ノ下のおすすめスポットを巡った……はずなのだが、全然覚えていない。

 一歩歩くごとに思考が小町に埋め尽くされていくのだ。金色に輝く小町が現れたと思ったら、金閣寺だったときはさすがの雪ノ下も全力で心配してきた。皆優しいのに、その優しさを感じるよりも小町に会いたくて仕方がなくて、それがさらに申し訳なかった。

 

「ごめんな、お前ら……」

 

 もうね、いろいろ迷惑かけたことはあるけれど、こんな迷惑のかけ方初めてで八幡マジで泣きそう。

 

「いいよ、八幡。小町ちゃんとあれだけ仲がいいんだから、こんなこともあるって。僕は気にしてないよ?」

 

「ヒッキーはいっつも一人でなんとかしようとするんだから、たまには頼ってよ」

 

「文化祭ではあなたに頼ってしまったから、その借りとでも思ってちょうだい」

 

 ほんとなんなんこいつら。優しいよ、優しすぎるよ。八幡頑張る。この捻くれ体質少しでも治して、少なくとも今回世話になった奴らと仲良くできるように努力する。

 けれど、そう思いつつも今はどんどん小町に会いたい想いが溢れてきて、どうしようもなかった。

 

 

     ***

 

 

「小町ー、……大丈夫?」

 

「ふぇ?」

 

 登校早々友達に心配されました、小町です。大丈夫ってどういうことなんだろうか。頭? 頭なの? 小町そんなに心配されるほど頭悪くないから!

 

「なんかすごい疲れてるみたいだけど、寝てないの? テストでもないのに徹夜で勉強でもした?」

 

「えっと……その……」

 

 確かにいつもより睡眠時間は少ない。昨日、お兄ちゃんのベッドで寝付いたまではよかったけれど、純度百パーセントのお兄ちゃんの夢を見て途中で目が覚めてしまったのだ。お兄ちゃんが壁ドンしながら「愛してるぞ、小町」なんて言ってきた時には、夢の中なのに卒倒しそうになった。あんなお兄ちゃんだったら小町普通の生活送れてない。いや、今も若干普通の生活送れてないけど。

 まさか本当の理由を言えるはずもなく、ちょっと寝付けなかっただけだよとはぐらかすしかなかった。友達は何か言いたげだったけれど、ちょうどチャイムが鳴って担任の先生が来たので、何も言わずに自分の席に戻っていってくれた。

 

「じゃあ出席を――比企谷さん、大丈夫かい? 少し顔色が悪いようだが」

 

「い、いや……大丈夫、です」

 

 先生が生徒の中から見咎めるほど、今の小町の顔色は酷いのだろうか。寝不足だけならともかく、お兄ちゃんと会えないだけで顔色にまで影響が出るとか普通ありえないでしょ。いや、お兄ちゃんと三日会えないだけで寂しくなっている時点でかなり普通から逸脱しちゃっていると思うけど。

 いけない。あんまりお兄ちゃんのことを考えたら、お兄ちゃん会いたい病が進行してしまう。それにしても、小町が見咎められてしまったのはクラスでそこそこ目立っているからかもしれない。お兄ちゃんみたいにステルスヒッキーを発動できれば……って考えないようにって考えてたばっかりなのに、もう考えちゃってるじゃん!

 けど、明日にはお兄ちゃんも帰ってくるし、明日は休みだからすぐに会える。実質今日一日の我慢なのだ。そんなこと考えたら今日一日がものすごい苦痛になっちゃいそう。むしろ現時点で死ぬほどつらい。

 お兄ちゃんの事考えない作戦は無理だ。もう考えてない時間がないもん。会いたい、会いたいよお兄ちゃん。

 

「小町、あんた本当に大丈夫? なんか目の焦点合ってなくない?」

 

 目の焦点というか、気を抜いたら泣きそう。会いたくて泣きそうになることがあるなんて……人の感情ってすごい。というか、小町のお兄ちゃんへの兄妹愛がすごい。

 

「なんか昨日も様子変だったし、受験前に風邪引いちゃったら元も子もないから、無理は禁物だよ」

 

 え、昨日も小町変だった? 自覚したのは昨日の夜だったけど、まさか昼のうちからお兄ちゃんレスの弊害が出ていたなんて……。

 まだ一時間目だけど、早く学校終わってよぉ。もう帰りたいよぉ。

 そんな駄々をこねても帰れるはずもなく、ホームルームが終わって一時間目が始まる。国語の授業はさすがにそこまで根つめて勉強をする必要はないので、頭の中をちらつくお兄ちゃんの幻想を意識の外に追いやるために、今の授業で扱われている物語を読むことにした。

 芥川龍之介の羅生門。有名な話だし、小町も一度お兄ちゃんに借りて読んだことがある。こういう暗めな話はいかにも捻くれたお兄ちゃんが好きそうと思うかもしれないが、お兄ちゃんはあんまり辛い話を好んで読まない。読まないことはないけれど、明るかったり切なかったりする物語を読んでいることの方が圧倒的に多い。

 そういう意味では、ハッピーエンドの多いライトノベルはお兄ちゃんとの相性抜群なのかもしれないな。それにしても、現実ではリア充爆発しろとか言ってるのに、ハーレムラノベの主人公にはほとんど言わないよね。ただし二次元に限るってやつかな?

 

「ああああああああああああああああああああ」

 

「!? ど、どうしました、比企谷さん!?」

 

 いえ、なんでもないんです先生。結局がっつりどっさりお兄ちゃんの事を考えていて、何のために教科書を読んでいたのか訳分からなくなっただけなんです。教科書は勉強するためのものですね。これはその報いですか、そうですか。

 お兄ちゃん、早く帰ってきて。せめて声聞かせて……。

 

 

     ***

 

 

「着いた。やっと着いた……」

 

 新幹線で東京駅まで向かい、流れるように京葉線に乗り込んで千葉に帰ってきた。本来であれば自宅の近くまでのバスを待つのだが、いかんせんその時間すら惜しい。そこそこの荷物を持っているが、それを運ぶ労力よりも小町に会いたいという想いが振り切る勢いで勝った。

 そう、俺は走った。根っからのインドア派とは思えない全力疾走で、休みも速度も緩めることなく駅から自宅まで走り抜いたのだ。今なら葉山にだって勝てるかもしれない。小町がいない状態じゃないと勝てないなら勝たなくていいです。

 息を切らしたまま玄関のドアノブを握って……いや、と思いとどまる。

 もう一刻も早く小町に会いたい、それだけの想いでここまで来たが、実際そう思っているのは俺だけのはずだ。落ちつけ比企谷八幡、ここで衝動のままに小町を抱きしめようものなら嫌われて小町成分を補充できない上に、既にオワタ式状態の八幡のHPが無に帰すのは必須だ。

 ゆっくりと深呼吸をして脳内シミュレーション。まず小町と会ったらただいまと言いつつ、いつものように頭を撫でよう。小町成分は一気に補給するのではなく少しずつ補っていく方向で。

 ドアノブを握り直し、意を決して扉を開ける。

 

「ただいま……ん?」

 

 三日もいなかった我が家に多少の感慨を抱いていると、二階の扉が閉まった音と共にバタバタと階段を下りてくる音が家中に響いた。だいぶ乙女らしくない足音を響かせて現れた小町は――

 

「お兄ちゃん!」

 

 なんかやけにテンション高かった。どうしたの小町ちゃん、何かいいことでもあったのかい?

 

「おう、ただい……うぉっ!?」

 

「おかえり!」

 

 さっきのシミュレーションどおりに実行しようとしたが、足早に迫ってきた小町は止まることはなく、そのまま俺に抱きついてきた。

 ん? んん? これはどういう状況ですか? 可及的速やかに小町成分が補給できるから、俺としてもこの小町の行動にはグッジョブと言いたいところだが、普段の小町なら突然抱きつくことはそうそうないはずだ。この後、俺はどういう行動を取るのが正解なんだ?

 分からない。分からないから、本人に聞くことにした。

 

「なんかあったのか?」

 

「…………寂しかった」

 

「は?」

 

 俺のみぞおちに額を擦りつけたまま発せられたその言葉を、最初理解できなかった。それは短い、一言だけのその言葉が普段の妹とは無縁のものだったからか、その声がわずかに震えていたからか。思わず聞き返すと、小町が顔を上げて――思わず息を呑んだ。

 

「お兄ちゃんと会えなくて……寂しかったの!」

 

 今にも涙がこぼれ落ちそうなほど二つの瞳は潤み、うっすらと朱に染まった頬はふるふると戦慄く小さな口に釣られてヒク、ヒクと震えていた。なんで泣きそうなの? 泣きそうなほど俺に会いたかったの?

 まさか、妹と俺が全く同じ想いを抱いていたなんて。三日も不安な気持ちにさせてしまった心苦しさを抱きながらも、俺と一緒にいれなくて寂しいと思ってくれたことが嬉しかった。

 

「俺も……」

 

 だからこの喜びを、今感じている喜び全てを表現するために右手を頭に、左手を腰に回してしっかりと抱きしめた。柔らかい髪を撫ぜるように右手を滑らせると、小町は甘えるような声を上げた。さすが我が妹、最高に可愛い。

 

「俺も、小町と会えなくて寂しかった。まさか、三日も離れるのがこんなに苦痛だなんて思わなかった」

 

 本当に思いもしなかった。小町と離れ離れになることがこんなに苦痛になるだなんて。

 

「えへへ、じゃあ一緒だぁ」

 

「一緒か? 俺なんて葉山達にまでめちゃくちゃ心配されたぞ?」

 

「小町は先生にも心配されたよ?」

 

 二人してククッと喉を鳴らす。お互いどんだけこの数日に周りに迷惑をかけたんだか。月曜には葉山達にもう一回謝っておこう、そうしよう。

 ああ、謝ると言えば、小町にも謝らないとな。

 

「すまん小町、お土産の楽しい思い出……あんまり持って帰れなかった」

 

 小町リクエストのお土産リスト一位を完遂できないとは、八幡一生の不覚だ。もう今思い出そうとしても、ほとんど小町の事を考えていたことしか思い出せない。俺は本当に旅行をしていたのだろうか。

 

「いいよ」

 

 しかし、当のマイリトルシスターはいつものようににひっと笑って、なんでもないようにまた俺の胸に顔を埋めた。

 

「お兄ちゃんが元気に帰ってきてくれただけで十分だもん」

 

「そっか……」

 

 まったく、この妹はどれだけ俺に妹分を補給させれば気がすむんだ。可愛すぎるから際限なく補給で来てしまうぞ。

 

「けど、それだとお兄ちゃんはあんまり京都観光できなかったんだね」

 

「まあ、そうだな」

 

「じゃあ、いつか二人で行こうね!」

 

 それはそれは。なんて嬉しい申し出だろうか。インドア派の俺だが、妹からの旅行の申し出ともなれば話は別、断る理由なんてない。

 

「そうだな。次は一緒にな」

 

 もう一度シンクロするように笑いあって、小町の腰に回していた腕を引き寄せた。

 絹のように柔らかい髪も、細くて大切に扱わなければ壊れてしまいそうな身体も、そこからふわりと香る匂いも俺を安心させるもので。

 俺は、俺達は三日ぶりにいつも通りを取り戻したのだった。




小町の誕生日だし、久しぶりに千葉の兄妹を全力で書きたいなと思って書いてみました。ちょっと予定より文量が増えてしまって、前後編に分けようかとも思いましたが、せっかく書いたし一気にということで。

当初はもうちょっと穏やかなホームシックにするつもりだったんですが、気がついたらこんなことに。後一日修学旅行が長かったら、二人とも廃人になってしまっていたかもしれません……。

たぶん原因は、最近一気に読破したノゲノラ。最近兄妹物が好きすぎて仕方がない病気にかかっています。


そういえば、最近Vitaちゃんのヴァーチャルコンソールでメガテンをやっているのですが、やっぱりあのダークなストーリーいいですね。自分の作品で暗いストーリーってあまり書けないので、あんな感じのシナリオよく書けるなぁと尊敬しちゃいます。


ではでは、またどこかの作品で。

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