獣二匹、疾走す   作:はぎのつき

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獣二匹、練習中

 その日の朝、トブの大森林の西側を支配する魔蛇、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンは、配下のナーガの怯えた声によって目を覚ました。まだ日も昇るか昇らないかの薄暗い時間。

 

「リュ、リュラリュース様、お休みのところ失礼します。リュラリュース様」

「……なんじゃ、騒々しい」

 

 むくりと眠い目を擦って体を起こせば、部下の一匹がこちらを縋るような目で見つめてきていた。こいつの名はなんと言ったか。いや、そもそも名前があるような上等なナーガだったか? 寝起きのせいか、どうにも思い出せない。「ああ、リュラリュース様……」目覚めたリュラリュースに、部下が安堵の声を漏らした。

 

「あのトロールが怯えて動こうとしないのです。風がどうとか…どうにも要領を得ないので、リュラリュース様のお知恵をお借りしたく」

 

 トロールが怯えている? リュラリュースは首をかしげた。先日、群れを縄張り争いによって失い、たった一匹でさまよっていたところを捕獲した、あのトロールがか。

 

「化物でも出たのかえ」

「いえ、それらしきものは影も見えませぬ。ただやつは風が吹く、恐ろしい風が吹く、とだけ……」

「風! あの蛮勇しか能のないトロールが、風におびえていると?」

「はあ、どうもそのようで……」

 

 ますます奇妙な話だ。トロールというのは基本的に馬鹿で、暴力的で、自分がこの世で一番強いと信じて疑わない生き物だ。他者を見下す気持ちを隠そうともせず、野蛮で、醜い。まさに蛮族という言葉がふさわしい。トロールの間ではいつも争い事が絶えず、その群れは崩壊しやすい。奴らは敵と同じくらい味方を憎んでいるからだ。いつでもリーダーの寝首をかいて、自分の実力に相応しい地位に納まろうとしている。力は強いのがまた性質が悪い。強い再生能力と巨体に見合った膂力を持ち、その剛腕から繰り出される攻撃は並の者であれば一撃でバラバラに砕き散らすだろう。

 そんなトロールが、風に怯えている?

 考えを巡らせるが、答えは出ない。ため息を一つ。

 

「……直接話を聞くとするか。案内せよ」

「は、はい。こちらです」

 

 

 

 

 

 

 そのトロールは、自らに住処として与えられた森の一角で震えていた。住処と言っても特に何かがあるというわけではなく、ただここで寝ろと指し示されただけの狭いスペースに過ぎない。そこにうずくまるようにして、トロールは何かから隠れるように体を丸め、小さくなろうとしていた。

 明らかに怯えている。その姿には、やたらめったら棍棒を振り回し悪臭と雑言をまき散らす普段の様子は欠片も見えない。必死な姿がいっそ滑稽ですらあった。

 そんなトロールを、4匹のナーガが遠巻きに見つめている。彼女らはリュラリュースとそこに付き従うナーガの姿を認めると、主人の為に道を開け、頭を下げた。

 

「いつからこんな調子だい?」

「はっきりとしたところは……今朝、様子を見に来たらもうあのような状態で」

「やつはなんと言ってる?」

「こちらが何を言っても、ただ風が来る、風が怖いと震えるばかりでして。全く話になりません」

 

 ナーガはほとほと困った様子でトロールの方を見る。リュラリュースはうーむ、と一つ唸った。

 

「おい、トロール! 何を震えておる! そのような臆病な姿を晒させるためにお前を生かしてやっていたわけではないぞ!」

 

 リュラリュースの言葉に、トロールが少しだけ反応し、顔だけをナーガ達の方に向ける。酷い顔だった。いや、元々醜い顔なのだが、今は顔中の穴から汁という汁を垂れ流し、それが更に土でドロドロに汚れ、もはや顔と言うより顔に似た泥団子とでもいうようなありさまだった。

 

「カ、カゼガ……」

 

 震える唇で少しづつ話す。元々頭の悪い喋りで聞き取り辛い言葉が、今はさらに聞こえにくい。リュラリュースがトロールの近くまで寄る。

 

「風がなんだって言うんだい。トロールのお前が、何をそんなに恐れる?」

「カゼ……アサ、オソロシイカゼ、フク。コワイ、シロイカゼ……」

 

 絞り出すようにしてそれだけ言うと、トロールはまた縮こまってしまった。

 朝に吹く、白くて恐ろしい風? トロールの独特の隠語か何かだろうか。まさか本当に風を恐れているわけでもあるまい。

 

「白い風というのは、一体何のことじゃ? もっと詳しく……」

 

 言葉が途切れる。リュラリュースは顔を跳ね上げ、辺りを見渡した。

 何かがおかしい。

 何か違う。何かが変わった。

 見れば、トロールや他の5匹のナーガ達も異変に気がついたらしい。トロールはいよいよ声を上げて泣きだし、ナーガ達は不安そうにしている。

 一見、いつもの森だ。薄暗く、ひんやりと湿っていて心地よい、静かないつもの朝。

 いや、違う。リュラリュースは気付いた。静かすぎる。

 鳥のさえずりも、獣の足音も、それどころか、風が森を吹き抜け木の葉を揺らす、あのざわめきすらも。まるで死んでしまったように静かだ。

 

「おい、トロール。お前は何か知って……」

 

 知ってるのか? と続けようとしたところで、トロールが口を開いた。その目はうつろで、その言葉は声というよりも肺から絞り出された空気の断末魔に聞こえた。

 

「シ、シロイ、カゼ……フク、ダレカ、クワレル……」

「……食われる?」

 

 何を言っているんだ? そう聞こうとしたとき、視界の端を白い何かがフッと通り過ぎた気がした。

同時、ゴッ、とすさまじい音がして、強い風が辺りを吹きぬけた。トロールがビクリと大きく震え、固まる。

「あっ」

 という声が聞こえた。ナーガだ。

今度はなんだ。と若干の苛立ちを込めて振り返ると、何かおかしい。

 

 一匹足りない。

 

 四匹を順番に見渡す。本人達も何が起こったか把握していない様子で、しばらくはぽかんとしていた。だが、状況を飲み込むにつれ、震えだす。

 

「ラ……ラジーヤが……ラジーヤ? なんで……」

 

 ナーガが焦点の定まらない目で、空いたスペースを見やる。先程までもう一匹のナーガがいた所だ。それはリュラリュースを起こしに来た、あのナーガだった。

 ラジーヤ。そういう名前だったかと、リュラリュースは思った。

 

「白い、恐ろしい風……」

 

 小さな声でつぶやく。今、何が起こった?

 どっと汗が噴き出した。このトロールはアレを恐れていたのか。ナーガ一匹を瞬時に消し去るような、あの風を。

 いや、あれは風ではない。一瞬だけ……ちらりと白い影が見えただけだが、それでもわかった。あれは、風なんてものでは断じてない。リュラリュースにはそれが分かった。

 あんなものは知らない。この数百年、見たことも聞いたこともない。

 リュラリュースは立ち尽くす。

 気付けば森には、いつもの音が戻って来ていた。鳥のさえずり、木々のざわめき。ほどほどの静寂が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルでは気づかなかったことだが、ナーガというのは意外と食いでが悪い。

 かるかんは牙に挟まった小骨と肉の筋を鬱陶しげに掻きだそうとしつつ、朝のランニングを続ける足は止めず、走る。

 これはこちらに来てから毎朝続けている習慣だった。

 朝、日が昇るよりも早く起き出し、軽くひとっ走り。ものの数分で森の南端から北端まで走破したら、帰り道を流しながら適当に朝飯代わりの獣を狩って食べながら帰る。賢王はかるかんの食事も用意するつもりらしかったが、さすがにそこまで甘えるわけにもいかない。賢王自身は森の動物たちが献上してくる果実や、自分で取ってきた植物などを食べている。しかしそれはあくまで賢王の分であり、献上品にかるかんの分は当然含まれていないし、賢王に二匹分の食材を用意してもらうのも忍びない。よって現在、かるかんはこの朝の時間に適当な獲物で腹を満たすようにしていた。毎日ルートと狙う獲物を変えているせいか、意外と楽しい。平野と違い森の中を走るのは障害物走のようでなかなか刺激があるし、朝食を品定めする帰り道も豊富な森の生き物たちのおかげで飽きが来ない。ちょっとしたビュッフェ気分だ。なんてことのないトレーニングと朝食の時間もアイデア一つで意外と楽しくなるものだと自画自賛する。

 

「ただ、ハズレがあるのが難点だな」

 

 ちっちっ、と鋭い爪を楊枝代わりに使って牙をせせる。ナーガは味自体は淡白で悪くなかったが、骨が多く肉が少ない。あまり積極的に狙いたい得物でもないな、と頭の中でバツをつける。だがそれでもトロールよりはましだった。一体どんな味がするのか、もしかしたら珍味かもしれないとある日狙ったのだが、奴らはその見た目に違わず非常にまずかった。肉は堅く、腐ったような嫌なにおいがして、とても食べられたものではなかった。思わずその場に足を止めて吐きだしたほどだ。

 

「次は何を食べてみるかな……」

 

 悪霊犬(バーゲスト)なんか、いいかもしれない。以前ちらりと見かけたモンスターを思い出す。犬の肉は独特の風味があってなかなかうまいと聞いた覚えがあった。料理が出来ればもっといいのに、と考える。一度は獲物を火であぶったりして食べようとしたが、何度やっても失敗してしまった。たぶんだが、料理スキルを取っていないせいだろう。やり方もイメージできて、手順も把握しているはずなのに、なぜか料理に取り掛かるとぼうっとしてしまって、気付いた時には丸焦げだ。今の生活に不満はないが、よりよい食事を食べたい思いはある。 以前はユグドラシルで走るばかりで食生活の事など省みることもなかったが、こうやって〈かるかんしうむ〉として生きるうちに生活に張りが出て来た気がする。

 賢王は料理を覚えることはできるだろうか……と考えた辺りで、ちょうど賢王の住処に戻ってくることができた。以前は木に囲まれた鬱蒼とした場所だったが、今は周囲を綺麗に刈り取られ、ちょっとした広場になっている。賢王は顔だけを洞窟から出し、重たそうな瞼をどうにか持ち上げて目を半開きにしていた。

 

「おかえりなさいでござるよ。毎日精が出るでござるなあ」

「毎日やってないと、勘が鈍るからな」

「いや、それがしも見習いたいものでござる……というわけでかるかん殿、今日もお願いするでござるよ」

「よし、やるか」

 

 賢王が寝ぼけていた顔をキリリと引き締め、かるかんの前に立つ。頭のてっぺんから尻尾の先まで一本芯の通った緊張が走り、集中しているのが傍目にもわかる。

 一方のかるかんは二本足で立ち、両腕をぶらりとさせてリラックスした姿勢を取っている。

 この森にやって来てからはや一か月と少し。事の始まりは、自主練を続けるかるかんに興味を示した賢王が自分もやってみたいと言い出したことにある。

 自分の数百年の生涯において、強者として生まれついたゆえにか、そもそも獣にそういう考えは生まれないのか、賢王には「鍛える」という発想がなかった。より高みを目指して自分自身を磨き上げていく工程。はじめて出会うその概念に、賢王はいたく感銘を受けた。

 

――いや、かるかん殿、御見それいたしたでござるよ! それがしとそなたが互角など、とんでもない勘違いでござった!

――もしよろしければ、それがしのことも鍛えてはくださらぬか!? 思い返せば、森の支配者という地位に甘んじ、ただ惰眠をむさぼる日々……それがし、このままではいかぬと痛感したでござるよ!

 

 そういうことらしかった。

 仮にも支配者を自称するものがそこまで影響されやすいのもどうなんだ、と思わないでもないかるかんだったが、しかし向上心のあるやつは嫌いではない。

 周囲には敵らしい敵はいないが、同じ森の中にも賢王と同格程度の魔獣はいるというではないか。賢王にその気があるかどうかはともかくとして、将来そいつらとぶつかるようなことになった時などを想定して鍛えておくのは悪い考えではあるまいと思われた。

 そういうわけで、朝のランニングが終わったこの時間、賢王と組手の真似事のようなことをしているのだ。

 

「行くでござるよ!」

 

 賢王が駆け出す。はじめて会った時よりも、ずっと真っ直ぐで、速い。自分の体の使い方を掴んできた証拠だ。教え子の成長に少しばかりの達成感を感じつつ、賢王の突撃に合わせるようにして、かるかんは軽く裏拳を振るった。

 

「とあぁっ!」

 

 拳が激突するよりも先に、賢王が跳ぶ。

 勢いを利用した跳躍により、一瞬でかるかんのはるか頭上にまで到達した賢王。尻尾がビン、と硬く一直線に伸びる。次の瞬間。尻尾が幾重にもぶれ、

 ――降り注ぐ。

 

「ちぇすとあぁーッ!!」

 

 硬く、重い打撃が絶え間なくかるかんを襲う。最大まで伸ばせば20メートル近くにもなるかと思われる尻尾を最大限活用したラッシュ。固めた地面が瞬く間にめくれあがって土煙が上がり、かるかんの姿をぼやけさせた。

 超重量級の打撃はたっぷり10秒は続き……賢王が落下してくる。

 間髪入れずに、素早く引き戻した尻尾を、また限界まで、長く、長く、伸ばす。伸ばしながら、弓なりに反らしてゆく。

 体の前にまで戻ってきた尻尾を、前足でがっしと受け止める。尻尾に限界まで力を籠め、あえてそれを留める。溜める。溜める。

 先程は手数で攻めた。ならば次は――。

 弓なりに溜めた力を、解放する。

 

「食らうでござるよ!」

 

 鱗に覆われた尻尾が、朝日を受けてキラリと輝いた。一瞬。

 その輝きすらも切り裂いて、賢王の一撃が広場を両断し、爆砕した。

 土煙がもうもうとし、目の前も見通せない中に、賢王が達成感と共に降り立つ。

 届いたはずだ。今までで一番の打撃だった。

 どんな魔獣でも一撃の元に叩き伏せるであろうと思われる威力。

 しかし。

 

「……跳んだのは悪手だったな」

 

 ブン、という短い音と共に、土煙が降り払われた。

 現れたのはやはり、堂々たる佇まい。紫白の魔獣。かるかんしうむ。

 その体貌には汚れ一つなく、先程まで激しい攻撃に晒されていたことなど全く匂わせもしない。

 

「空中では基本的に自由が効かない。相手が私だったから良かったが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)なら格好の的だ」

 

 仮にもフルダイブ型のゲームで前衛として戦闘を重ねてきたため、かるかんのプレイヤースキルはそれなりに高い。そのため、賢王の動きに多少のアドバイスを加えることくらいはできた。

 

「ぐぬぬ……こ、降参でござる……」

「けど、さっきの攻撃は悪くなかった。いつの間にあんなに尻尾を鍛えたんだ?」

 

 賞賛の言葉に、賢王はふふん、と胸を反らした。

 

「あれがそれがしの本来の実力でござる! ……と言いたいのでござるが」

 

 ひげをへにょりと垂らしてやや照れくさそうにする。

 

「実はかるかん殿が出かけておられる際に、それがしも自主練という奴をやっているのでござるよ」

 

 尻尾をもっと器用に、素早く使えればきっと役に立つと思ったのでござる。と賢王。それを聞いて、かるかんは驚愕した。自分からバリバリ鍛練を重ねる賢王の熱心さもそうだが、何よりもその成長の早さにだ。

 ひと月前に出会った時には、尻尾の一撃はまさに低レベルモンスターに相応しいような気の抜けたもので、かるかんの尺度から言えば攻撃と呼ぶのも躊躇われるようなものだった。

 翻って、今の攻撃はどうだ。尻尾のリーチ、鱗に覆われたその堅牢さ、その重量。それらを存分に生かした、油断ならない攻撃だった。最後の一撃など、直撃であればかるかんを傷つけることすら出来たろう。

 

 すさまじい、などという言葉では収まらない成長の早さだ。これだけの事を、一か月自主練しただけで? 持って生まれた才能という奴だろうか。

 知らず、ぶるりと体が震える。恐怖ではない。歓喜からだ。

 今まで自分に追いつけるような存在はなかった。だからひたすら自分と闘い、自分の影を追い、自分に追いつかれまいと走ってきた。それでよかった。その事に後悔はない。何度思い返しても、思い返すたびに心地よい懐かしさ、親しみに包まれる。いい思い出たちだ。

 

 しかし同時に、競い合えるライバルが存在してほしかったと、そういう気持ちが全くなかったなどと、どうして否定することができるだろうか?

 

 夢想したことがなかったわけではない。全力で走る自分、その自分の後ろに、あるいは前に、あるいはすぐ横に、同じように駆ける存在がある。自分はそいつに負けまいと更に加速する。そいつも、張り合うようにして速度を上げる。そうして走り終わった後には、お互いの健闘を称えて語り合ったり、次は負けないぞと約束を交わしたりするのだ。

 そんな夢を見る度に、頭を振って笑い飛ばしてきた。

 

(俺に追い付けるやつが、世界のどこにいる? 冒険が主題のゲームで、一緒に世界最速など目指してくれるやつが、どこにいるというんだ?)

 

――こいつが、「そう」かもしれない。

 虫のいい妄想だということは分かっている。こいつは単に体を鍛えているだけで、速く走るなんてことには全く無関心かもしれない。しかし……。

 

(期待するぐらいは、したっていいだろう?)

 

 淡い希望だ。そう思いながら、しかしかるかんの胸には確かな喜びがあった。良きライバルとなるかもしれない存在。それを自分の手で育てていけるという幸運。

 

「……賢王」

「む?」

「お前、もしかしたら俺よりも強くなるかもな」

「お、俺? いやそれよりも、本当でござるか!?」

 

 興奮で毛を逆立てて、賢王が喜びに目を潤ませる。

 ほめられたでござる! ほめられたでござるよ! とはしゃぐ賢王にこちらが恥ずかしくなって、その背中をばん、と叩いた。

 

「いやあ、動いて喉が渇いたな! 休憩にしないか?」

「そうでござるな! いやー、それにしてもかるかん殿がそれがしを……」

 

 やいのやいのと話しながら、二匹連れだって水場に向かう。

 すぐに追い越して見せるでござるよ! と意気揚々の賢王を、調子に乗るなとたしなめながら、しかしかるかんは笑っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

「……いつ見ても、きれいだなあ」

「そうでござるか? それがしにはいつもと変わらないように見えるでござるが……」

「お前には、風情ってもんがない」

 

 フゼイ? と首をかしげる賢王にいいから静かにしてろとだけ言って、広場に寝転がる。単に運動の邪魔だから樹を除いて整地したのだが、こうやって星空が見られるのは思わぬ副産物だった。

 生の星空など生まれてこの方見たことがなかったかるかんに、この光景は衝撃だった。

 かつて一度だけ招かれたナザリック地下大墳墓にはこのような空を再現した階層もあったが、これは、製作者(確か、ブルー・プラネタリウムとかそんな名前だった気がする)には悪いがそんな作り物の空をはるかに超える迫力だ。

 吸い込まれそうに高い暗闇に、宝石のような星々が散りばめられて煌めいている。大きくまんまるな月が、鋭く青白い光で夜闇を切り払っていた。その光景に、自分がその光を浴びているという事実に、涙が出そうになる。体の内側から洗われてゆくようだった。かつては天体観測と言って、こうして星を見て楽しむ趣味があったと伝え聞くが、なるほど納得できる話だ。きらきらとした星はいつまで眺めていても飽きない。

 ひたすらに速度を追い求めてきた自分だが、たまにはこうしてゆっくりした時間を持つのも悪くない……と浸っていると、無粋な声が優雅な趣味の時間を引き裂いた。

 

「かるかん殿」

 

 急速に現実に引き戻される感触に、大げさにため息をつく。

 

「あのな賢王、俺は静かにしろと……」

「何か、おかしくないでござるか?」

「……?」

 

 いやに真剣な声色に、かるかんも警戒を強める。

 

「何か見えたか?」

「いや、何も見えないでござる。ただ、何か妙な感じがするでござるよ」

「妙な感じ……?」

 

 特殊技術(スキル)を発動させてみるが、それらしいものは引っ掛からない。見える範囲には、当然不審なものなど何もない。

 

「俺にはいつも通りに思えるが」

「そうでござるか? かるかん殿にも分からないことがあるのでござるなあ」

 

 やや得意げに鼻を鳴らす賢王。

 

「そもそも、妙な感じってなんだ?」

「いや、それがしにもよくわからないのでござるが……とにかく、なにか空気が変わった気がするのでござる」

「急にか?」

「急にでござる」

 

 根拠は何もないだろうに、賢王は確信を持っているようだった。長年住んでいるものとして、何か感じるところがあったのであろうか。

 かるかんは虚空に向けて鼻を鳴らしてみる。やはりそこには何もなく、ただ冷たく湿った森の夜を感じるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、やや後。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンの名が世界に轟けば……」

 

 フルプレート身を包んだスケルトン……否、死の支配者(オーバーロード)が、星空の下、密かに決意を固める。同じ星空を見ている存在(プレイヤー)がいることを知らないまま。

 傍には恐るべき悪魔が控え、眼下には神殿にも似た墳墓があり、その墳墓を大地が波打って包み隠そうとしている。

 

 森や平原の生き物は、その夜「何か」が現れたことを無意識に悟り……その「何か」について囁き合い、不吉な予感に眠れぬ夜を過ごした。

 

 まるでそれがおそろしいものだと知っているかのように。

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン。およびナザリック地下大墳墓。

 その絶対支配者、モモンガ。

 降臨。

 

 

 

 

 

 


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