十二月の上旬。
全シナリオを書き終えたほんの数日後の朝。安芸倫也は電話で先輩の霞ヶ丘詩羽が風邪を引いたことを知って……。

※『冴えない彼女の育てかた』の五巻終了後のお話になります。

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初めまして、そしてこんにちは、フリューゲルです。

今回は『冴えない彼女の育てかた』のSSを書かせていただきました。
基本的には倫理君と詩羽先輩がいちゃいちゃしている話だと思います。

それでは、ご覧下さい。


雨降って、雪は降らずに、地は固まる

 窓から差し込む光と一緒に、突き刺すような寒さが体を振るわせる十二月上旬の朝。

 

「……えっ、詩羽先輩、風邪引いてるんですか?」

『そうなのよ~、TAKI君。詩ちゃんも歳をとったものよね、納品を一つ終わらせたくらいで体調を崩すなんて』

 

 そんな爽やかな朝の空気に相応しい軽めの口調とは裏腹に、その声音は気だるさと、そして若干の高ぶりのせいで、やたらと上滑りしているように聞こえる。

 このぱっと聞くと気さくなお姉さん(おばさんではない)こそ、不死川書店所属、霞詩子の編集者こと町田苑子女子。

 缶コーヒーと栄養ドリンクを常備し、他人の納期を厳守させ、自らの納期を極限まで引き延ばしながらその辣腕を振るう社ちk……もとい社会人の鏡。

 俺みたいな消費型オタクとは、本来なら出会うはずの無い人だけど、こうして朝っぱらから世間話を交わす仲になったのは、とある売れっ子作家が関係していて。

 

「いや先輩、俺と一つしか歳違わないし。そもそも風邪と年齢ないから」

 というか、まだ時計は七時を回ったばかりなのに、電話の向こうから話し声やら打鍵音が聞こえてくるような……。

『関係あるわよ~。こんな寒い時期に詩ちゃんと初めて同士初々しく、溜まったものを出して、それこそ昇天しそうになりながら、作品作り(こづくり)したんでしょ。そりゃ風邪も引くわよ』

「いやいや、そんな紛らわしい行為はしてないですし」

『あらそう? でも、詩ちゃんからTAKI君と合体したって聞いたけど』

「それ、ペンネーム。名前だけだから!」

 

 今年の春、坂の上で運命の出会いを果たした俺は、最強のギャルゲーを作成するべく、ある組織を立ち上げた。

 それこそ、俺は代表を務める同人サークル『Blessing Software』であり、苦心惨憺しながらメンバーを集めゲームを作り続け、冬コミ一ヶ月前に『二度目』の全シナリオ完全アップを果たした。

 それについてはっまあ、紆余曲折(原作五巻参照)があった訳だけど、最終的に俺もシナリオの一部を書き、メインシナリオを担当した作家と合同ペンネームを使うこととなった。

 商業作家からすれば、進捗状況を編集に報告するのは当然かもしれないけど、なんで一番大事なとこが抜けてんのさ。

 

『……それで、その詩ちゃんが書いたシナリオは、TAKI君はどう思ったの』

「俺が答えていいんですか?」

『そりゃTAKI君は管理する立場なんだし、それに詩ちゃんの一番のファンじゃない』

 

 俺の若干の戸惑いを町田さんは、優しくほぐしてくれる。やっぱりこの人は編集者だから、俺もそれにしっかりと答えなければいけないと思う。

 

「……ほんっ」

『TAKI君?』

「本っ当に凄かったですよ! もう何であんな切ない話が書けるのかってくらい」

『うわっ、面倒な反応だわ』

 

 そんな俺の暑苦しいオタク語りに、町田さんはある意味予想通りな反応をしてくれた。

 

「巡璃も瑠璃も本当に可愛くて、切なくて。瑠璃のあの前世の悲恋を引きずったヤンデレ具合とかもう本当にリアルで」

『そりゃ、書いている本人が過去の恋愛を引きずったヤンデレなんだし……』

「……で、そのヤンデレ具合がまた可愛いっていうか。ああでも、瑠璃のフラットな感じもすんごく可愛くてどっちも選べないっていうか。これぞまさに霞詩子ワールドっていう感じで」

『なるほど。そうやって詩ちゃんを未だ生殺し状態にしているわけね』

 

 というか、その反応がやたら耳に痛いというか……。

 

「あのさ、町田さん」

『どうしたのTAKI君?』

「意味ありげに呟くんだったら、もっと小声で言ってよ」

 

 さっきからこの人、ぎりぎり俺が拾える声で返事をするんだよね。

 

*****

 

『そう、詩ちゃんのシナリオの出来は良さそうね』

「……そうですね」

 

 先ほどの不毛なやりとりからいったん時間をおいて、いや実際時間ほとんど置いてないけど、互いの気持ち(主に俺の)を落ち着かせてから、会話を再開させる。

 

『まあ内容のほうは、そこまで心配していなかったけど』

「いや、心配してあげて下さいよ』

 

 先輩はああ見えて、自分の作品のことについては割と気にする人なんだから。

 

『だから編集者の立場からすると、詩ちゃんのよりもTAKI君の書いた部分のシナリオが読んでみたいんだけど』

「いや、そんな期待されるようなものじゃないし」

『詩ちゃん褒めてたわよ~。陳腐で、夢見がちで、キャラも少し崩壊してて、それまでの流れをぶった切ってるって』

「それ、全然褒めてないから」

 

 それだけでこの前の夜のあの修羅場を思い出して、若干震えてしまう。

 ちょっとだけ空いた空白の時間に、町田さんは大人っぽいため息を吐いて、

 

『……でもキャラクターが最後にはみんな笑っていて、不思議と幸せそうだったって。だから自分じゃ絶対に書かないし、書けない物語だって、霞詩子先生は言ってたわよ』

 

 さっきまでからかう口調ではなく、編集者として、一人の大人として優しい口調になっていく。だってほら、詩ちゃんじゃなくて、先生って言ってるし。

 

『だから、詩ちゃんに代わってお礼を言わせて欲しいの。ああ言った物語に触れられたことは、今後の作家人生で絶対に役に立つはずだから』

「……いえ、むしろお礼を言いたいのはこっちです。それに随分長く先輩を拘束しちゃったし」

『そんなことは別にいいのよ』

「そうだ、何か手伝える仕事とかありますか? そのくらいしないと気が休まりそうにないし」

 

 そんな俺の提案に町田さんは『そうね』と思案すると遠慮がちに、

 

『じゃあ悪いけどお願いしちゃおうかしら。……あのね、今日の帰りに詩ちゃんのお見舞いに行って欲しいの』

「えっ、そんなんでいいの?」

 

 それじゃ、町田さんへのお礼になってない気がするけど。

 

『本当は私が行くべきなんだけど、生憎と今日は有給を取っちゃって。悪いけど頼まれてくれないかしら』

「分かりました。不肖ながら安芸倫也、この仕事を立派に勤め上げてみせます」

 

 一瞬だけ強烈な違和感が頭をよぎったけど、それはすぐにこの後の予定で塗りつぶされる。

 一応冬コミまで残り一ヶ月を切ったけど、それでも今日お見舞いするくらいの時間はとれるはずだ。

 加藤に一言入れて、英梨々に思い切り頭を下げて、美智留の言うこと一つくらい聞いてやれば、何とかなる……はず。

 

『ありがと、助かるわ~。それでね、他の仕事のことなんだけど』

 

 ……他の?

 

「とりあえずいくつかの校正をやってもらおうかしら。ああ大丈夫、冬コミの前に仕事は入れないから、ゲーム制作に支障はないはずよ。あとは仕事に慣れるために、インタビューに同席してもらうのもありね。それと』

 

 …………それと?

 

『詩ちゃんの新作は三月発売予定だから、一月と二月はしっかりと予定空けといてね。いや~助かるわ、最近中途で入った奴がク○使えなくて困ってたのよ~。……ああ、時給? 時給のならたんまり出すから安心して良いわよ』

「い、いや時給の問題じゃなくて」

 

 そっちも、もの凄く大事なことだけど。

 

「あ、あの。もしかして、先輩を長いこと拘束してたこと割と怒ってます?」

『そんなことないわよ~』

「そ、そうですか」

『別に詩ちゃんがTAKI君に捕まって原稿が遅くれただけだし、その尻拭いで部内のあちこちに借りがあるだけだし、その借りを返すために、かなりの仕事をこなさなきゃいけないなんてことないわよ~』

 

 うわ、この人めっちゃ怒ってる。

 

「……そういえば、一個気になったんですけど」

『何かしら?』

「町田さん今、会社ですよね。午後から有給とったんですか?」

 

 電話をしている最中も、向こう側では怒号が飛び交い始めたり、出社の挨拶をしている声が聞こえたり、電話の着信音が聞こえたりする。

 一応ホームページには九時出社になっているはずだけど、こんな朝から仕事をしているということは、あのネットでの評判(出版社はブラック)は本当なのかもしれない。

 

『TAKI君は大きな思い違いを一つ、しているわ』

「は、はあ」

 

 そこで町田さんは、ひどく沈鬱なため息を大きく吐くと、

 

『昨日の夜からずっと会社にいて、今から家に帰るのよ……』

「……」

 

 やっぱ出版社って……。

 

*****

 

 そして放課後。真っ赤な太陽はもう半分ほど顔を隠していて、辺りがオレンジ一色に染まり始めたころ。

 

「……ここがあの女のハウスね」

 

 目の前にそびえ立つ、普通の一軒家を目の前にして思わず呟いてしまう。

 こうやって同年代の女性の家に訪問するのは実質初めてで、それ故にどうしても身が竦んでしまう。……幼馴染や従姉妹はノーカンね。

 

 

「つーか詩羽先輩、電話出ないし」

 

 学校を出てから何度か先輩に電話を掛けてみたけど、結果は留守電につながるばっかりで、返信はなし。

 だからといって流石にインターホンを押してみても、先輩がわざわざ出てくるとは思えない。

 うんうんと唸りながらもう一度電話を掛けるという結論に至り、画面に踊る先輩の名前に触れる。すると今度は、通知音が二回鳴っただけですぐに途切れて、聞き慣れた声が耳をくすぐる。

 

『……もしもしぃ、こんな時間に、何の用よお』 

 

 所々が間延びした、思いっきり眠そうな声だった。

 

「ああ先輩? 倫也だけど」

『倫理君?』

「……倫也です。あと今午後の五時過ぎてるんだけど」

『そんなの作家からすれば早朝よぅ。それで、何か用でもあるの?』

「いやお見舞いに行こうと思って、今先輩の家の前にいるんだけど……」

『はい?』

 

 一段と声が低くなるとともに、もの凄い勢いで二階の隅の部屋のカーテンが開かれる。さっきまでオレンジに染められていた場所には、寝癖で髪がぼさぼさになった先輩が目を見開いて立っていた。

 そうして目が合うと、開いたときと同じ位の早さで、カーテンが湿られる。

 

『……一時間後』

 

 わなわなと声が震えながら、

 

『一時間後にもう一度来なさい』

「あの、ポカリとか買ってきたから結構腕にキててさ。できれば先輩の家に荷物だけでも降ろした……」

『いいから、一時間後にもう一度来なさい』

「了解しました!」

 

*****

 

「あら、わざわざ来てくれて嬉しいわ、倫理君」

 

 きっぱり一時間後に、ぷるぷると震える腕をどうにか動かしてインターホンを押すと、ネグリジェにカーディガンを羽織った姿の先輩が玄関から顔を覗かせた。

 いや、その服だと絶対寒いよね。

 とりあえず玄関に入って、お見舞いの挨拶をする。

 

「詩羽先輩が体調を崩したって町田さんから聞いたんだけど、調子はどう?」

「わざわざありがとう。調子は、少し悪いかも。全く、この前に倫理君があんなに責め立てたせいね」

「いや、そんなことしてないから」

「あの夜に嫌がる私に無理矢理したのを忘れたの? そのせいか最近ずっと腰が痛いの」

「一緒にシナリオ書いた話だよね? そうだよね!」

 

 開口一番に際どい下ネタを飛ばしてくる御仁こそ、俺のサークルのシナリオ担当の霞ヶ丘詩羽。

 黒髪ロングと黒ストがとっても眩しいこの人は、高校の先生方の不満を全く介すことなく、学年一位の立ち位置を三年間崩すことなかった超優等生。……というのは表の顔で。

 その裏の顔は、高校一年のときに処女作『恋するメトロノーム』を出版し、全五巻で五十万部を売った、新進気鋭のライトのベル作家。

 そんな売れっ子作家『霞詩子』は、今日も変わらず、切れ味鋭い下ネタを振りまいていた。

 

「でも倫理君が初めての私を手取り足取りリードしてくれたからこそ、私も色々膜を破って、大人になることができたのよね」

「だからそんな紛らわしい言い方しないでよ! 殻だよね、破ったのは?」

「そう、その『殻を破る』という表現こそ、ある表現の隠語で……」

「と、とにかく。結構心配してたから、元気そうで良かった」

 

 けらけらと怪しく笑い始める先輩は、風邪じゃなくても立派に病気に見えて、慌てて話題を変える。

 

「あら、心配してくれたの?」

「そりゃ、するよ。最後の最後でキツいリテイイク出しちゃったし。俺が風邪引くんだったらいいいけど、先輩が病気になるのはイヤだよ」

「そ、そう、ありがとう」

 

 照れるように頬を軽く染めてそっぽを向き、少しつっかえながら先輩は答える。そしてこほんと可愛らしく咳をした。

 そうしていれば、本当にただの黒髪美人なんだけどなあ、この人。

 

「まあでも、本当にありがとう。立ち話も何でしょうから、中に上がってちょうだい」

「うん、お邪魔します」

 

 そう言ってから靴を脱いで玄関を上がる俺とは対照的に、詩羽先輩はサンダルをつっかけると、さっきまで俺がいた土間へと下りた。

 そしてサムターン式の鍵を上下二個ともしっかりと閉める。しかも鍵がちゃんと掛かってるか、めちゃくちゃ丁寧に確認してるし。

 

「ねえ先輩、何してるのさ?」

「何って、鍵を掛けてるのよ。こんな年頃な女の子が一人でいるのに、だれかが押し入ってきたら危ないじゃない」

「そ、そうだよね!」

「……それに倫理君に簡単に逃げられても困るし」

「その怖い呟き聞こえてるからね」

 

 というかこの芸風は、間違いなくあの敏腕鬼畜編集者から譲り受けているような……・。

 先輩はというと玄関を上がって、廊下で呆然と立っている俺の隣に並ぶと、柔らかく微笑みながら、俺の耳元に顔を近づけると、吐息混じりの声で、

 

「大丈夫よ、倫理君。今日はお父さんもお母さんも帰ってくるのが遅いから」

「それ、全然大丈夫じゃないよね」

 

*****

 

「ねえ、先輩?」

「どうしたの、倫理君?」

 

 カーテン越しに入り込む夕陽……は、もう消え去って外はもう真っ暗闇に包まれたころ、俺の言葉に返事をして、詩羽先輩は身じろぎを一つして、ポチポチと触っていてスマホをガラステーブルへと放り投げた。

 

「風邪、引いてるんでしょ?」

「そうね、風邪よ。水分をとって、薬を飲んで、暖かくして寝るのが最善の治療法という風邪ね」

 

 そうして体を揺らしたせいで、艶やかな黒髪がくすぐったく肌を撫でる。

 

「だったら、ちゃんと布団で寝てよ!」

 

 先輩の家のリビングに通され、ふかふかの赤い革製のソファーに座らせられると先輩は、そのまま俺の膝の上に頭を乗せて、仰向きで寝ていた。

 そうしてしばらく、夕陽が完全に沈むのを眺めていたけど、だんだんと足が痺れてきた。

 

「あら、これもちゃんとした布団よ。徹夜したあとに、ここで倒れ込むととっても気持ちがいいの」

「いや、それ絶対体に良くないよね。むしろこれが原因で風邪を引いてるよね」

「かもね。でも風邪を移すと治るとも聞くし、この体勢でもいいんじゃないかしら」

「……あま、俺に移して治るなら、それでもいいんだけど」

「そう、嬉しいわ」

 

 表情を変えずに先輩は答えた。

 俺みたいなただの高校生が一日休むなら大して支障はないけど(いや実際あるけど)、でも商業作家として自分の作品が何千万の売り上げに関わる先輩にとっては一日休むのは大きな痛手になる。

 

「それにしても、こうして病気のときに男の子がお見舞いに来てくれるなんて、それこそラノベみたいよね」

「……そういえば、『恋するメトロノーム』でお見舞いイベントとか無かったよね」

「そうね。不幸にして倫理君も私も風邪を引かなかったわけだし。まあ、当時のヘタレな倫理君がお見舞いに来るわけないし」

「いや、ちゃんと行きますから」

「そうね、こうして来てくれたわけだし。新作にそういう場面を挿入するのもいいかもしれないわね」

 

 柔らかく微笑みながら、頭をごろごろと動かす。

 霞詩子の処女作『恋するメトロノーム』は胃が痛くなるような三角関係を書いていたけれど、今度の新作はハーレムラブコメだ。お風呂イベントなどのうっかりスケベも完備。

 お見舞いイベントなんてあざといイベントも、もしかしかしたら、合うのかもしれない。

 

「そうだよ! 風邪を引いたヒロインために、主人公が不器用ながらもお粥や雑炊を作るとか、めちゃくちゃいいじゃん」

「また別のヒロインに電話してレシピを聞きながら作って、プチ修羅場とかもいいわよね」

「……逆に主人公が風邪を引いて、ヒロインがお見舞いに来るとかもいいよね」

「ああ、幼馴染のツインテかませヒロインが先にお見舞いに来ていて、正妻系黒髪ロングが後で来たから、箪笥に隠れて二人のいちゃいちゃを目撃する羽目になると、最高よね」

「なんか、参考にする例がやたら偏ってない?」

 

 主に某三十禁ライターの作品に。

 

「いいじゃない修羅場は恋愛物の王道展開よ」

「折角なんだから、もっとイチャイチャしたやつとかないの? 結構ベタな展開とかあるでしょ?」

 

 それこそお見舞いイベントなら、属性によってかなりのイベント数を用意できるはず。普段強気なあの子が、風邪でちょっと大人しくなっているとか、もう最高。

「ベタな、展開かあ……・例えば、一人暮らしをしている子に主人公が差し入れをするとか?」

「そうそう、そんな感じなの」

「それでそのまま○ックスをして体液を交換したせいで、主人公の方の風邪が移るとか?」

「いや、アウトだから」

 

 何でラブコメなのに、ベッドインしてんの。

 先輩は何かのスイッチが入ったのか、がたがたと貧乏揺すりをし始めると、怪しく口元を歪めて、うわ言のように呟いていた。

 

「うん、いいわね。是非今度の作品にこういうシーンを入れてみましょう」

「絶対駄目だから」

 

*****

 

「ねえ、先輩のお母さん。まだ帰ってこないの?」

 

 窓の外はとっくに暗闇に包まれていて、カーテン越しに街灯の明かりがぼんやりと見える。遠くの空にはオリオン座を始めとした星座が描き出されているのにも関わらず、未だに先輩の両親は帰ってこない。

 いや、うちの親も色々な都合でほとんどいないんだけど……。

 

「どうしたの、倫理君。ヘタレの汚名を返上して、私の両親に挨拶でもしたくなったのかしら?」

「いや、できる限り早く、この状況を脱したくて。そろそろ足の痺れが大分キツいし」

「……まあ、そんなところよね」

 

 伸ばしていた足を一度組み替えると、先輩は上体を起こす。そうして座り直してソファーの背もたれに体を預けると、こつんと俺の肩に頭を乗せた。

 くすぐったくも幸せな感触が服越しに伝わってくる。

 一瞬だけ降りてきた小さな沈黙を溶かすように、口を開く。

 

「でも、一人娘が風邪を引いてるのに帰ってくるのが遅いなんて、先輩のお母さんも呑気じゃん」

「まあね。前に倫理君に話したでしょ。これでも、結構信頼されてるの。成績優秀だし、あからさまに問題起こさないし、お父さんより納める税金多いし」

「お父さん可哀想だね」

「まあだから、昔からこんな時には一人で任されるのよ。……全く困ったものよね」

「でも、あんまり困ってないでしょ?」

「……どうして?」

「だって、全然嫌そうにしてないから」

 

 毎週のように、ある作品についてファミレスで語り合ったころ、たまに子供のころの話をしてくれたことがあった。

 両親が共働きで、家に一人で留守番をしていることが多く、よく昔のドラマの再放送をみたり、小説を読んでいたそう。そんな話を眠そうな目をこすりながらぽつぽつと語ってくれた声音に愚痴っぽさは全然なくて、むしろ懐かしさが入り交じっていたから。

 

「……そうね。作家だったらもっと壮絶な過去があったほうが、話題性があっていいんだけど……」

「でもさ、俺はそんな霞詩子ワールドが好きだよ」

「倫也君、私の話聞いてるの?」

「聞いてるよ。目立った産業のない街で、普通に暮らしながら恋や愛に憧れて、振り回される。そんな物語だから、俺はあんなに『恋するメトロノーム』にハマったと思ってる」

「…………」

 

*****

 

「……町田さんの仕事を手伝うことになったって、倫理君、あなた本気で言ってるの?」

「……うん、本気だよ先輩」

 

 さらに夜が深まって、しんとした静けさが街路を包んでいるころ、俺はまだ先輩の家にいた。

 手を繋ぎながら、今日の朝にあった出来事を先輩に伝えると、握っていた手をぎゅっと強くされる。

 

「もしかして、町田さんに何か弱みでも握られたの? ……ああ、サークルのこと」

「いやまあ、それもあるんだけど。町田さんには迷惑掛けちゃったし」

「それは私が掛けたんだから、倫理君が責任を取る必要はないじゃない」

「かもね。でも、やりたいんだ」

 

 手のひらと声音から伝わってきた戸惑いと怯えを打ち消すように、ぎゅっと握ると、先輩は預けていた頭を話して、体を横向けにする。

 揺れた瞳と目があって、どきりとした。

 

「今年の春に加藤と出会ってさ、最強のギャルゲーを作ろうって言って。先輩と英梨々と美智留っていう最高のメンバーを巻き込んでさ」

「こうやって聞くと、最低の女たらしに聞こえるわね」

「……一年前はただの消費型オタクでさ、自分の好きな作品が自分色に染まるのが怖かったんだ。それで、ちょっと前までは、やっぱり怖かったんだけど」

「……っ」

 

 好きだけれども、自分の思い通りになって欲しくない。その感情はきっと誰にでもあるものだと思う。自分の想像の範囲外だからどきどきして、感情を揺さぶられる。

 だって、もし自分の想像通りだったたら それは妄想の中で済んでしまうから。

 

「でもさ、プロデューサーをやって一つ分かったんだ」

「何が?」

 

 指を絡めて、手のひらを擦りあう。

 

「先輩と一緒にシナリオについて色々議論して、注文をつけて怒らせながら一緒に作ったものは、やっぱり先輩の作品だったんだ」

「どういう意味かしら?」

 

 二人きりのリビングはびっくりするくらい静かで、北風が窓を叩く音以外聞こえてこない。

 くすぐったい感触がしたので見てみると、先輩が俺の手の甲を指でなぞっていた。

 

「いつまでも俺の心を離さないってこと。たとえ俺が編集の仕事をしたって、霞詩子の一番のファンであるのには変わらないから。だから、やりたいって思ったんだ」

 

 先輩は何も言わない。何回か瞬きするとただ窓の外の暗闇をじっと見つめていたけど、目尻を下げて「雪」と呟いて、外を指さした。

 

「……あっ」

 

 とうとう降ってきた。一年前の別れと同じように、俺たちの分岐点には決まって真っ白なゆきが……。

 

「って雪降ってないじゃん!」

「あら、見間違いかしら。私たちの出会いや別れには決まって雪が降るから、勘違いしてしまったわ」

「いや。俺たち出会ったの冬じゃないから」

 

*****

 

「ねえ、倫理君」

「……なんですか?」

 

 さっきから先輩の瞼が落ち始めて、うつらうつらと船をこぎ始めたころ。

 

「私、創作に関しては妥協しないわよ」

「よく知ってる」

「編集の仕事って相当キツいらしいわよ」

「かもね。でも先輩と一緒なら何とかやれると思う」

「私のいうこと、何でも聞いてくれる?」

「変なお願いじゃなければ」

 

 少し緊張しながら答えると、先輩は少し照れくさそうに頬を染めると、思い切り肩にしなだれかかってきて、

「じゃあさっき話した、風邪を引いているときにセッ○スをして、風邪移してしまうイベントの体験取材を……」

「せっかく良い雰囲気なんだから、ぶち壊さないでよ!」

 

 それでも先輩は俺の突っ込みに安心したように目を閉じると、

 

「じゃあよろしくね、見習い編集君」

 

 そう言って、すぐに眠りに入った。

 リビングには規則的な寝息しか聞こえない。冬の静けさは空気までがしんと冷えてしまったように停滞していた。そんなせいかだんだんと俺まで眠くなってきて……。

 

「ただいま~、遅くなっちゃってごめんね~」 

 

 そうして俺もだんだんと船を漕ぎ始めていると、居眠りしている先輩とよく似た、けれども先輩にはない親しみのある声が玄関のほうから響いてきて。

 しかもちょうど先輩がもたれかかっているから、うかつに体勢を変えられないわけで。

 

「ね、ねえ先輩、起きてよ。先輩のお母さん帰ってきちゃったんだけど」

 そんな俺の切実な声は、すぐに熟睡してしまった先輩には届いていないわけから、ただ虚しく響いて……。

 

「……このまま急にヒロインの母親と対面した主人公の反応も、取材してみようかしら」

「あんた、ホントは起きてるだろ」

 

*****

 

「……ゲホッ、悪いな加藤」

『安芸君。大丈夫?』

 

 だんだんと日が昇るのが遅くなってきて、朝には霜が降りてくる十二月上旬の朝。

 寒いながらも澄んだ空気は、自然と頭をしゃっきりさせる爽やかな朝。そしてそんな爽やかさに似つかわしくない濁った咳が、ポスターだらけの部屋に積もっていく。

 

「冬コミまでもう一ヶ月を切っているのに、代表の俺が風邪を引くなんて」

『まあ、一日くらいだったら私がスクリプトやっておくから大丈夫だと思うけど……』

「流石加藤、頼りになるな」

 

 俺がこうしてダウンしていても、ため息一つで引き受けてくれることとか。

『あっ、あとね安芸君。今日の授業のノートなんだけど……』

「おう、悪いな」

『今教室で上郷君が取ってくれるっていうから安心してね』

「逆テンプレをありがとう」

 

 こうしてちょろいようで、フラグを折り続けてくれるヒロインこそ、加藤恵だ。英梨々だったら、十分くらい説教されそうな気がするけど。というか今キャッチで電話入っているし。

 加藤は何かを考えたように一瞬間が空くと、

 

『そういえば安芸君って、風邪引いたんだよね』

「そうだな」

『霞ヶ丘先輩って昨日に風邪引いてたんだよね』

「そ、そうだったけか?」

『昨日、安芸君は霞ヶ丘先輩のお見舞いに行ったんだよね』

「ま、まあな」

『……もしかして』

「ゲホッ、ゲホッ。あ、急に電波が悪くなってきた。このまま話すとお前に風邪を移しそうだから切るな」

 

 急いで電話を切って、ベッドに投げる。加藤のことだから、わざわざ明日に改めて聞くことはないだろう。たぶん。

 あのツンデレ幼馴染は、どうしようか。

 もう一度寝ようと思って布団に入ると、携帯電話が震えていることに気づく。英梨々かと思って画面を見ると、そこには昨日会ったばかりの名前が踊っていた。

 

「……もしもし」

『ああ倫理君? どうしたの、その声? もしかして風邪引いた?』

「ああ、うん」

『やっぱり風邪のときにヤると移るっていう都市伝説は本当だったのね』

「いや、ヤってないから」

 

 




ご覧いただきありがとうございます。

原作の一巻を読んだときから、ヒロインの中で先輩が一番好きで、ずっと書きたいと思っていたりしました。
丸戸先生のヒロインは基本的に主人公にベタ惚れなんですけど、めんどくさかったり、ダウナーだったり、ツンデレだったりと、ダメ人間の要素が入るのがたまらなく可愛いんです。

今回で先輩のめんどくささが上手に伝わってくれると嬉しいと思います。


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