一話
アッバルはいま現在、ハニワ顔にかっちりとした軍服、大げさなほどの振る舞いのNPC――パンドラズ・アクターの腕の中で溶けたチーズと化していた。
「むわー」
「
「あー……ぐーと」
「うちの娘が
始まりはごく普通、アインズからの紹介だ。武器で出来た眩しい連山を通りすぎ、一つ気合いを入れて墳墓への入り口へ足を踏み出す。
「パンドラズ・アクター」
「これはこれはアインズ様……と、横におられるお嬢様は初めてお会いする方ですね」
入り口から三歩ほどの位置で止まり呼び掛ければ、ソファーからくるりと回転しつつ立ち上がり、流麗な動きと言うには大げさでワザとらしすぎる礼――パンドラズ・アクターは顔だけをあげてアインズらの方を見やる。ハニワ顔のため表情は分かりづらいが、なにやら興味津々の様子だ――そしてアッバルもパンドラズ・アクターを目を丸くしながら見ている。
パンドラズ・アクターからの呼び掛けが「アインズ様」ではなく「アインズ秋刀魚」に聞こえるのはきっとアインズの耳がおかしいからではない。
「こちらはアッバルさん、私がナザリックの外で世話になっていた方だ。お前にも紹介しておかねばと思い、彼女の気晴らしもかねて連れてきた。彼女へも私へと同じように扱え」
「かしこまりました、アインズ様。わが創造主たるアインズ様の恩人は私の恩人も同然、
「ドイツ語使うなって言ってただろうがパンドラズ・アクター。アッバルさん、これはパンドラズ・アクター、私の作っ――」
「Du bitte!」
「アッバルさん!?」
アッバルを引き留めようとしたアインズの手が宙をさまよった。とても空しい。
「はしたないとお思いですか、出会ってすぐに
「
「遠い……アッバルさんが遠くへ行ってしまった……」
ワルツでも踊りだしそうな、そんな滑らかな動きでアッバルの腰へ手をやり自分にもたれかからせるパンドラズ・アクターの手際にはもはや感動しか覚えない。親が童貞を捨てられないままダラダラと三十年近く生きているというのに、どこでそんなスケコマシな技を覚えてきたのか。アインズが遠い目をする中、パンドラズ・アクターとアッバルの
「そう、私たちが出会ったのは
そしてアッバルを抱えたまま、自身を軸に華麗なターン――と思えば、気づけば跪いてアッバルを見上げている。アインズは顔を覆った。もう見ていられない、恥ずか死ぬ。
「ああ、名乗りを忘れた無礼な私をどうかお許しくださいお嬢様。私はパンドラ、パンドラズ・アクターと申します」
「やめて、おれのさんちはもうぜろよ」
「私はアッバルです、Herrパンドラズ・アクター」
「アッバルさん厨二病だったとか知りたくなかった」
手の届かないところに手と手を取り合って飛んで行ってしまった二人を見送りながら、アインズは顔で笑って心で泣いた。帰ってこい、パパはここだぞ。
草臥れた様子のアッバルの気晴らしになればとナザリックの……いや、アインズの汚点、黒歴史の体現、思い出したくない過去の生産物の元へと連れてきたは良いが、まさかここまでハイテンションになるとは予想もしなかった。キャアキャアと嬉しそうに瞳を輝かすアッバルに喜べば良いのか嘆けば良いのか、アインズには分からない。
――アインズがシャルティアへの対応に追われている間、アッバルにはデミウルゴスの配下……エロかったり怖かったりするあれらの元でレベル上げをしてもらっていた。エルダー・バジリスクの種族レベルを5にすればグレーターへの扉が開けるのだが、やはりゲームとは違い疲れは溜まるし怪我もする、それに加えてアッバルはポーションや矢を投げたり射かけたりして弱ったところを倒す戦闘スタイルだ。レベルを1上げるのに純粋な戦闘職プレイヤーの十倍以上の時間がかかる。睡眠時間に八時間、三度の食事に二時間、残る十四時間のほとんどをレベラゲに使ったものの、二日で上がったのは3レベル。まだ2レベル足りない。
アッバルは頑張っていた。強くならなければ死ぬとでも言わんばかりに必死な彼女の姿には何故だろう、憐れみを誘われるほどだった。
だから気晴らしに誘ったのだ。ニグレドは初見ではチビること間違いなしのホラーハウスだから止めて、ギルメンたちの面白い話などの出来る武器庫を選んだ。が、武器や話にももちろん目を輝かせていたが、アッバルがより喜んだのは武器ではなくパンドラズ・アクター。これほど興奮されるとは思いもしなかった。だがまあ……厨二の病を患っているなら仕方ない。
「ああ、申し訳ありません、Frau。貴女がお疲れだと気づくのが遅れてしまった私をどうぞお許しください――ソファーがございます」
アインズの精神へ絨毯爆撃どころかクラスター爆弾すら投下して一面を火の海へ変えるパンドラズ・アクターの一挙一動。どこで身に着けたのだか知らないが、少なくともアインズが教えたはずもない大仰なかつ流れるような動作でアッバルを掬い上げプリンセスホールド、そしてソファーへと座らせる。
『アッバルさん』
『はい?』
『楽しいですか?』
『かなり楽しいです!』
『あ……そう?』
〈伝言〉で尋ねれば即座に返された肯定の言葉。アインズは精神攻撃でしかない場面に目を閉じた。アッバルが嬉しいなら良かったのだ、そうだとも。アッバルが楽しいのならアインズだって嬉しいとも、たとえSAN値がガリガリと削られ、マイナスに突入そうであってもだ。気晴らしという目的は満たせたではないか――うん、そういうことにしよう。
アッバルの頭をぐいぐいと押してマッサージを始めたパンドラズ・アクターを見ながら、そういえばこいつは自分を無視して平気なのかと考える。しかし、すぐにそれに頭を振った。
アインズは、自分が人に合わせるタイプだと知っている。体調が悪そうだと思えば、自分の欲や望みを押し殺してしまう。サービス終了前のヘロヘロとの会話だってそうだっただろう、あと数十分、三十分で良い、ログインしたままでいてくれれば。共にサービス終了を迎えてくれれば……そう望んでも、口には出せなかった。疲れ切っているヘロヘロの睡眠時間を削るのは申し訳なかったからだ。
アインズの創造物たるパンドラズ・アクターもその気がある。パンドラズ・アクターはやはりアインズの方を気にしていて、だが疲れているアッバルを優先してやりたいとの思いからソファーに彼女を導いたのだ。その証拠にチラチラとアインズを見ている。
アインズは手を振ることでそれに応え、アッバルはしばらくここで休ませていてやろうと足を伸ばす。つい先日入ったばかりだが、霊廟とその奥、ワールドアイテムをぐるりと見て回ってからまたここへ戻ってこよう。趣味が合って気遣いの上手い(と思う)パンドラズ・アクターと共にいればストレス解消になるだろうし、アインズがここにいて出来ることはない。半時間ほどぶらぶらと時間を潰しても良かろう。
霊廟へ〈転移〉すれば、元の姿からは微妙にズレた姿を晒すギルメンたち……の姿に似せたゴーレムの列。ゆっくりとした靴音を響かせながら進む。
悲しい場所だ、ゲームを去っていったメンバーの姿を残しておきたくて作った。冷たい場所だ、高い天井に足音が掻き消えていく。まるでこの場所は死体以外の何も、動物だからこそ出す音など許さぬとばかりに。
存在自体が寂しすぎる霊廟を通り抜け、ワールドアイテムを置いた個室に着いて――振り返る。いつか誰かがこのナザリックへ転移してくることがあったら、ここで目覚めるのだろうか。アインズはここを霊廟と名付けた。ならば帰還すべき場所はここしかない。ここで目覚めれば良い。アインズの寂しさを知れば良い。生命としての輝きの全く失せた、人形に息を飲めば良い。アインズは呪詛を口にする。
「目覚めるなら、ここで目覚めてくれ」
呼吸する方法すら忘れそうな、人形を相手に暮らす苦しさを知ってくれ。生きながらにして死んでいくような、無為に響く独り言の悲しみを知ってくれ。理解してくれ。苦しみ、嘆き、俺と同じ痛みを感じてくれ。そして抱き締めてくれ、すまなかったと。待たせたなと。そうしたら両腕を広げて抱き締め返し、お帰りと言える。
ワールドアイテムの棚は先日見たばかりであるし、パンドラズ・アクターが常に管理をしているのだ、特段これと言った発見があるはずもない。そろそろ半時間過ぎたろうかという頃、アインズは再び墳墓の出入り口――パンドラズ・アクターの元――へUターン、そして彼の視界に飛び込んできたのは、ソファーの上でぐずぐずに溶けた、というと
「お嬢様、とてもお疲れのようですね。腰から肩にかけての筋肉が強張っています」
「んあー」
「ここはどうです」
「うあー」
「ここにあるツボを刺激してやると、肩から頭にかけて走る筋を上手くほぐすことができるのです」
「おあー」
声の長い猫のような声の響く空間。アインズはどんな顔をすれば良いのか分からない、骨に表情はないが。
アッバルは人型を保てず八本足の蛇に戻っており、足の一本一本をモミモミと揉まれて気持ち良さそうに鳴いている。ここ数日アインズに揉ませてくれないくせをして、パンドラズ・アクターが相手なら揉ませてやっているとは何事だ。思春期なのかなと少し残念に思っていたのに、なぜアインズが駄目でパンドラズ・アクターは許されるのか。人徳の差か? いやいや人徳で言えばアインズが負けているはずがない。そう信じたい。何故だ、どうしてだ。
娘がどこぞの馬の骨に取られる気持ちとはきっと、こういうことを言うのだろう。まだ嫁に出すなんて許さん。デミウルゴスが相手ならまだ許せた、彼なら、まだ、もしかしたら。だが
アインズは再び、飛び込むように霊廟へ引き返す。今度は憤然と、がつがつと歩く。霊廟に響くのは癇癪を起した男の足音だ。デミウルゴスに言いたい、
アインズに自覚はない。その気持ちは嫁の胸を赤ん坊に取られて「嫁さんのおっぱいは俺のなのに!」と嘆く夫の心境そのものだということを。目を掛けていた部下に気づいたら娘を掻っ攫われてしまい「うちの娘をいつの間に! あの野郎いびってやる!」と発泡酒で管を巻く部長の心境そのものだということを。
アインズは沸き上がる苛立ちに霊廟を何周もする。もはや霊廟に先程までの静謐はない。入り口に戻る度に娘が公然とセクハラされているのを見させられるのだ、腹立ちは収まらない。落ち着いてはむかっ腹を立て、気を静めては憤る。ようやっと執務室に戻っても椅子の肘掛けにガツガツと指を叩きつける音が気忙しく響く。うちの子はあいつだけにはやらん。絶対にだ。
真面目腐った顔で「アッバルさんの婚約者候補はお前とマーレだ」と言い放ったアインズの正面、呼びつけられて執務室へ出向いたデミウルゴスの困惑は如何ほどのことか。
「アインズ様、それは一体」
「お前ならば私の言いたいことを理解してくれるはずだ」
「はっ……」
「下がって良い。マーレへもお前から伝えておくように」
「畏まりました」
デミウルゴスは執務室を辞し、顎に手を添える。マーレへ伝えに行かねばならない。だが、アインズの考えとは? 〈転移〉でテアトルムへ移ればアウラが獣と戯れており、彼女を介してマーレを呼ぶ。
「一体どういうことなんでしょう……?」
婚約者候補の話をすれば、困り顔で眉をハの字にするマーレ。
「アインズ様のお考えは我々のできる予想など越えて深淵なもの。一つ思い付きはしましたが、きっとアインズ様のお考えの表層しかなぞれていないでしょう」
「えっと、どんなものなのでしょうか」
デミウルゴスはマーレのつむじを見下ろす。アッバルとマーレ、寄り添う二人の姿はまだ想像の中でしかないが微笑ましい。
「考えてみなさい、アインズ様が連れて来られたとは言えアッバル様は外様の方。アッバル様は我々に対して今なお緊張されています。婚約という形で身内となったと明確にすることで我々との間の壁を取り払い、よりナザリックへの親近感を覚えさせるおつもりなのでしょう。アッバル様は未来の戦力となる存在、放流してしまうのは惜しい、と」
「な、なるほど!」
年はマーレの方が近いのだ、普通に考えればマーレと婚約を結ばせれば良いだけの話。だがデミウルゴスをも候補に入れるとはどういうことなのか。彼は口には出さなかったものの、一つ、結論を導き出していた。
マーレで堕とせないようであれば、デミウルゴスがアッバルを堕とせ――アインズはそう言うつもりなのだ。大変な仕事だ。だが、デミウルゴスであれば出来ると信頼されているからこそ任されたのだ。
デミウルゴスは手を握りしめる。責務の重さと信頼の深さに、彼の胸は熱かった。
同じ頃、蛇は悪夢に魘されていた。心地良いはずの眠りは乱され、おぞましいものに飛びかかられて悲鳴を上げる。
「この展開知ってる、エロゲとかで知ってる!」
迫り来る巨大なヒキガエル。アッバルの服をその鋭い舌捌きでビリビリに引き裂き、ニチアサの戦う美少女たちの変身シーンがいかに健全であったのか火を見るより明らかなあられもない格好、湯煙もしくはジャ○プのヒゲマーク必須の姿へ剥いていく。餌の癖に生意気だ、蛙は黙って蛇に食べられていろというのに。
「アヘ○ダブルピースだけは、それだけは避けたいッ!」
パンドラズ・アクターに起こされ、悪夢から逃れるまであと二分。
SieとDuの違いですが、前者はビジネスライク、後者は友人関係以上の間柄を示す二人称です。また、HerrはMr.と同じ意味です。
※How about アッバルの挿し絵を差し替えました。