オーバーロード二次「+α」   作:千野 敏行

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二話

 ニンジャな悲鳴をあげたアッバルにモモンガは両手を上下に振る。

 

「どうどう、アッバルさん落ちついて」

「餅ついてなどおられんですたいモモンガさん!」

「え、も、餅? 臼と杵がないとどうにも……」

 

 自分よりも混乱したアッバルを見たモモンガはこの非常事態において落ちついていた。多くの場合において混乱は伝染するものだが、モモンガはそうでなかったらしい。

 

「サーバーダウンが延期になったのかもしれませんよ。ね?」

 

 モモンガは八本足の蛇がごろごろと右へ左へと転がるのを止め、そのまま抱き上げて玉座に再びすっぽりと座る。バジリスクは成猫から中型犬程度の大きさの小型モンスターであり、その中でもアッバルは一番小さい成猫サイズであるため抱き上げての移動も可能なのだ。ひんやりとして冷たい蛇の肌が手に心地良い――モモンガは無意識のうちにアッバルの柔肌をふにふにと揉んでいた。部位は腹である。

 腕の中で「ちょ、そこは乙女の秘密の場所ですよ!」だなんだと騒いでいるアッバルをまるで無視し、GM側の発表を確認するためコンソールを表示させようとしたモモンガはあんぐりと口を開く。コンソールが浮かび上がらないのだ。

 

「何が……」

 

 自然と手の動きも大胆になり、腕の中から「モモンガさんのセクハラ! 訴えて勝つよ!」などという悲鳴が上がる。水を吸った肉まんに似た弾力と手に吸いつくような肌触りのアッバルは、モモンガにとって揉むに最適なぬいぐるみに他ならない。まさに揉みしだく精神安定剤。――そこで、モモンガは気が付いた。

 

「なんで揉めるんだ」

 

 肩を叩くなどの接触は可能なユグドラシルだが、今のモモンガのように相手の腹を揉みまくるといった行為は出来ない。いや、することは可能なのだが、そういった接触はGMから注意勧告を受ける。勧告を受けるのは十秒以上のハグ、肩を組む、腰や太ももに触れる……といった、誤って・偶然触れたとは言い難い接触全般だ。

 サブミッションを攻撃手段とする前衛もいるため秒数が多目に取られているが、基本的には三秒あたりからアラームが鳴り響くよう設定されているらしい。もちろんのことだが、より性的な色の強いスカートめくり・手のひらでのパイタッチなどは問答無用で垢BANの対象となっている。一度足裏でのパイタッチを試した猛者がいたが、彼は三秒後にユグドラシルから消滅したきり帰ってこなかった。

 今のモモンガの行為はGMによるアラームが鳴り響いていても当然だろうレベルの接触、何もないのはおかしい。

 

「アッバルさん、何が起きたか分りますか?」

「今この場でセクハラが起きてることは分ってますよ」

「あ……。すみません」

 

 体が勝手にという台詞は、某華撃団の隊長ではないのだから言い訳にならない。体が勝手に風呂場を覗くのだから、隊長さんは何者かに洗脳されている可能性がある。しかしモモンガはそうではない。彼は両手をホールドアップして悪意がなかったことを示した。

 

「もしかしてユグドラシルⅡに移行したんでしょうか」

「それならもうとっくに運営から垢BAN一歩前アラームが鳴り響いてると思いますよ」

 

 モモンガが見下ろしたアッバルの瞳は、シャンデリアの光を反射しスノーボールのようにキラキラと輝いている。目の上下のくぼみは柔らかそうで、時折ぱちぱちと瞬きする薄い瞼が皺になっている。口許からチロチロと覗く舌が愛らしい。蛇や爬虫類の愛好家が何故あれらを好むのかモモンガにも理解できそうだ。

 その蛇がジト目になっていると何故か理解できたモモンガは頭を掻きながら小さく頭を下げる。

 

「ですよねえ、本当にすみません。あ、アッバルさんもコンソールを確認してもらえます? どうにも私のコンソールが浮かばなくて」

「私も浮かばない様な気が……浮かびませんね」

 

 二人して予想外の事態に頭を悩ませていると、耳にするりと届く上品な女性の声が響いた。

 

「どうかなさいましたか? モモンガ様、アッバル様」

 

 知らぬ声に名を呼ばれ二人が顔を向けた先にいたのは、プレイヤーの指示に従うだけのNPCであるアルベド……彼女だった。

 

 

 

 アッバルがユグドラシルを始めた際、彼女にはどうしようもない「不足した物」があった。同レベル帯の仲間だ。周囲が高レベルプレイヤーばかりでは、仲間と隙を補い合って高レベル帯のモンスターを倒すといったチームプレイが出来ない。よってアッバルは自然とソロプレイヤーとしての道を歩むことになった。

 

 ユグドラシルでは敵対モンスターを倒すと「スラッシュ」や「AGL+10」などのデータが詰まったクリスタルが手に入る。そのクリスタルを加工することでより強い武器を作ることができるのだが、ここで残念なお知らせがある。かつては多くのアマチュアらが無料で配布していた外装データが有料になっていたり、配布を終了していたりしたのだ。それに加え、現在も配布されている外装データは多くの個人が発表した物であるため、外装に統一性がない。美術の成績ギリギリ2なアッバルに、それらの中から似た外装データを取捨選択するセンスを求めるのは間違っている。武器や防具がなければ高レベルモンスターと戦うのは難しい……。彼女の前に立ちふさがる壁は高い、かに見えた。

 錬金術師。これはチームの後方支援に見えて、実はソロプレイヤーにとって有難い職であった。なにせポーションとクリスタルを組み合わせて手榴弾やドーピング剤を作ることが出来るのだ。投げ付ければMPの消費なく魔法が発動し、飲めばINTが+10。たとえば後衛である魔法職を選ぶなら、適当にローブを着ていればそれらしいロールプレイが可能になる。

 アッバルはウィキでその情報を得るやすぐさま薬師と錬金術師の職業を取得。新たなソロプレイヤーの誕生となった。

 

 ――そんなソロプレイヤー(ぼっち)のアッバルでさえ、NPCはここまで万能ではないことを知っている。当然だ、村や街にいるNPCに話しかけてみれば分る。何度死に戻りしても同じ言葉しか繰り返さない王様を想像すれば容易いだろう。おお勇者よ死んでしまうとは情けない。

 

「何か問題がございましたか?」

 

 繰り返し訊ねる美女、アルベドは、愛しい人に駆け寄る恋人の様に色っぽくモモンガに迫った。そこでモモンガも今まであえて無視していた事実に気付かされる。彼女の口が動いているのだ。

 

「ば、ばいんばいんやでぇ……」

 

 モモンガの膝からアルベドを見上げているアッバルの発言も実は重要な点といえる。ゲーム内では乳揺れなどなかったのだ、歩くたびに上下左右に揺れる胸など戦闘の邪魔でしかないのだから。

 モモンガも自身の口元に手を当てる。何が起きたんだ、動かないはずの部位が動いている。自分のも、アルベドのそれも。アッバルなど舌が何度も口から出入りしている。

 

 垢BANされてもおかしくない接触、やけにリアルな感触、動く瞼に口に胸。ありえないはずのことがモモンガやアッバルを囲みこんでいる。まるで現状を自覚しろ、理解しろと言わんばかりに。

 

「どうすれば……」

 

 顎を引き拳を握りしめたモモンガの視界に、成猫サイズしかないアッバルが映る。モモンガはハッとした。ここにはアッバルが、モモンガが庇護すべき年下の少女がいる。自分がしっかりしなくてはならない。

 アッバルはどうやらアルベドに身惚れているようで、視線がアルベドの胸に固定されている。それが無い者による有る者への憧憬、憎しみ、欲望を含んだ視線だとモモンガが知ることはきっとこれからもないだろう。

 

 最善の策は何だ。このどうしようもない感情を誰にもぶつけたりなどできない。モモンガはアッバルをポンポンと撫でると顔を上げ、下座に跪いた男を呼んだ。

 

「――セバス」

 

 モモンガの膝からでも、やはりセバスらの視線の位置は下にある。常にないモモンガの声色にアッバルは先ずモモンガを見上げ、次にセバスを見やった。玉座を――モモンガを見上げる視線の強さにアッバルは背中から転げそうな圧迫感を覚え、実際にモモンガの膝の上で転がった。息が苦しい。

 必要なことはなんだ、今しなければならないことはなんだ。この異常事態にすべきことは何なのか、モモンガは自問自答した。それは情報を集めることだ、と。

 

 プレイヤーとNPCの関係が変質したかも分らない今、隙を見せて与み易しと思われてはいけない。モモンガは普段よりも一つトーンを落とした声音で続けた。

 

「大墳墓を出て、周辺地理を確認せよ。もし仮に知的生物がいた場合は交渉して友好的にここまで連れてこい。交渉の際は相手の条件をほぼ聞き入れても構わない。行動範囲は周辺一キロに限定。戦闘行為は極力避けろ」

 

 アッバルの目に、モモンガのこの堂々とした態度は頼り甲斐のある大人のそれとして映った。この異常事態である、混乱するのが普通だ。混乱からすぐに持ち直し理性的な判断を下せるというのは、もちろん経験もあろうが、才能の一つである。

 セバスが深く頭を垂れ、モモンガの命令を了解する。モモンガは索敵にプレアデスを一人追加させるよう命令を加え押し黙った。

 

 次にすべきことは何か? 運営との連絡だ。だがコンソールが浮かばない。メールや運営からの公示が確認できない。連絡手段がない。

 

「モモンガさん」

「大丈夫です、アッバルさん。大丈夫です」

 

 アッバルはまだ子供だ。子供を不安にさせてどうする? アインズは自問する。引っ張っていってやるのが大人の仕事、義務じゃないのか。モモンガもアッバルも同じ事態に巻き込まれた被害者同士であるが、モモンガはそう考えていた。生来の責任感の強さだけが理由ではない。そう思い込むことで自分の心を守っているのだ。

 

「いえ、モモンガさん。大丈夫じゃないでしょう。私たちは、ギルドごと異世界に転移しましたよね。間違いなく」

 

 アッバルもなんら根拠なくこんなことを言いはしない。アッバルはアルベドの胸を、剥き出しの腰を、羽根を見た。単なるNPCであったときにはなかったものがあった。透き通るような白い肌の奥、薄らと青い血管があった。唇の皺があった。ノーブラの証拠もあった。

 ただユグドラシルに閉じ込められただけならば、NPCがここまでリアルになる理由が無い。NPCもPCも言うなればデータの塊、一体一体に指紋から何から作っていてはサーバーがパンクする。つまり、ここはユグドラシルの中ではない。

 

 ではここはどこなのか?――昔からあるではないか。異世界転移というジャンルが。異世界転移物といえば果てしない物語だろうが、小説に限らずゲームなどでもその類いのものはたくさんある。主人公が召喚によって異世界へ呼ばれ、悪を倒し王女と結婚するというストーリーは数多く物語られた。召喚された主人公が異世界で異能を得るのも良くある話、銅色のワンコインでゲームを手にした少年がわくわくとかどきどきするワールドで侍にライドオンしたりなんて展開はもはや王道だ。

 

 アッバルはときめいていた。異世界トリップきたわ、と。

 モモンガもときめいていた。アッバルさん恰好良い、と。


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