オーバーロード二次「+α」   作:千野 敏行

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六話

 空腹とは健康の証明だ、アッバルはとても健康である。解凍された人間の腕の肉をもっちゃもっちゃと噛みながら、言葉の通りに幸福(にく)を味わうアッバルはいま、ユリに世話を焼かれつつ食事中だ。蛇だというのに羊のようにウメェウメェと鳴いている。

 

 ハムスケを保存食……非常食……いや、動く肉の塊として配下に加えたあと、四時間ほどしてカルネ村へ着いたアッバルら一行。まだ日没まであるとはいえこれからが暗くなるところ、今日は休むべしと、先日の襲撃もあり空き家となった家をそれぞれ割り当てられた。哨戒は小鬼らが行っているため不要だといい、アッバルにとってはただ着いて行って着いて帰るだけの簡単なお仕事の折り返し地点を、固いとはいえベッドの上で過ごすことになった。

 だが、それにママが――ママ志望の者は別にいる、止めよう――いま現在ママのような立場のナーベが否やを唱えた。彼女曰く、こんな薄い布団ではアッバルが冷えてしまう。昼夜の区別などないアインズやそれに従うつもりのナーベは布団で眠るわけがなく、アッバルは一人寝になる。それはいけない。小さい蛇の身一つではすぐに冷えて冬眠してしまうに違いない。

 

「ですので、一度アッバル様にはナザリックへ戻って頂くべきではないかと」

「なるほど一理ある。――アッバルさん、ナザリックで寝ますか?」

「うーん……そうですね、大事をとってナザリックで寝ます。朝になったらまた戻って来たら良いんですよね?」

「ええ」

 

 アッバルの頭の中でパチパチと打算のソロバンが打たれた。――ナザリックへ戻れば肉がある。それをもらえば腹ごしらえになるだろう。なにしろオヤツに最適なお肉(しっこくのつるぎ)良い匂いのする非常食(ハムスケ)が身近にあるのだ、胃はぐぅぐぅ鳴っている。アッバルはいまや餌の乗った皿を前に待てを命じられて一時間の犬のような心地で、この後はもうどうなっても良いから漆黒の剣でもンフィーレアでも食べてしまいたいと思うほどだ。

 どうせ一人寝をすることになるならば、空腹と交流を深めパーティーメンバーに悶々とする夜を送るより、満腹をもって気持ち良く眠りの世界に誘われたい。

 

「分かりました。じゃあ戻ってますね」

 

 そうして今に至るわけだ。ナザリックへ〈転移〉すればすぐにプレアデスへ連絡が行き、アルベドとユリらがアッバルを出迎えてくれた。いまユリは嬉々とした様子でアッバルへあれこれとしてくれている。

 

 アッバルには食事のテーブルを和気あいあいと囲んだ覚えなど薄い。金の力を知っている者は時として、己の身が「家」の金儲けに不要と判断すれば、自身や自身の子すら粗末にできる。彼らはそれを当然として、当然のように生きている。そこに疑問を持つことはない。彼らもそうして育ったのだから。

 母親の悪く言えば放置気味な、良く言えば個々の時間や予定を勘案して各々の自由に任せた三食の提供に慣れたアッバルには、ユリの世話焼きは「そういうこともあるんだな」程度の認識だ。投げやりと言うべきか、自身が面倒な思いをしないのであれば好きにしてくれと考えている。

 

 とはいえ、これはやりすぎではないかとアッバルも思わなくはない……わざわざ部位毎にスライスして提供されなくとも、丸ごと出してくれれば一瞬で腹に消えるのだ。さあ味わって食えとばかりにスライスなどされたら、味わって食べるしかないではないか。三人は食べたいのをこうもチマチマと食べても物足りないこと物足りないこと、良いからさっさと寄越せとキレないアッバルの忍耐力は褒められて良いはずだ。求めているのはおフランスのコース料理などではない、マンガ肉なのだから。

 

「味はいかがですか?」

「あ、はい。美味しくいただいてます」

 

 口の中の生ハム、ではなく生肉を飲み込んだ調度にそう聞かれ、アッバルはコクコクと頷いた。ブラッドソーセージよりは癖がなく、血の滴るレアステーキをより生っぽくしたような――と言うより生だ。少し冷たいのが腹に来るため明日は下痢になること確実、やはり踊り食いが一番なのだろう、生きていれば適度に温かい。

 確かに、スライスされた肉はそのまま食べるよりも温かくなる。コキュートス冷凍庫から出して暫くしたとはいえ、芯はまだ微妙に凍っていて固い。それが薄切りにされることで表面積が増えるため解けて柔らかくなるのだ。分かっているのだ、ユリがそのつもりでスライスにしていることくらい。だが一つ、ユリは勘違いしている。

 

 瞬間消化吸収には多少の冷たさなど関係ない。時間をかけてもっちゃもっちゃと食べる方が冷えるのだ。

 

 アッバルは空気を読める。体が冷えるのではと心配して、部位毎に切り分けるだけでなく甲斐甲斐しくスライスにまでしてくれているユリの心遣いを無視できるほど、アッバルは無神経ではない。一枚一枚丁寧に味わって食べる他ないアッバルは「美味しい」やら「柔らかくて舌の上で肉がほどけるようだ」やら「降り積もる雪の中に出会った秘湯に足の指先をチョンと浸けたその瞬間のような美味さ」やら「うーん、マン○ム」などと、給仕のユリに飽きを来させない感想の工夫に精神力をすり減らした。途中からもう自分が何をどう言っていたのかなど思い出せない。とりあえず色々と言った。

 

 ようよう騎士を二体食べた頃には既に夜明け近く、アッバルはカルネ村にあるベッドから目を逸らして外を見た。眠る時間はもうなく、そして……なんだか腹が痛かった。

 

 

 ンフィーレアがポーションの秘密を探るため近づこうとしたバァルの親モモン、いや、アインズ・ウール・ゴウン。第三位階の魔法を使い、自身ほどもある大剣を振り回し……モモンは単なる英雄ではない、伝説の英雄になるべき存在だ。そんな彼と彼の娘を利用しようとしたことが恥ずかしく、謝罪を受け入れられたあともやはり気は沈んだままだ。

 こちらへ来た時にはいつもエンリの家の軒を借りているのだが、小鬼がいるとはいえ少女二人と同じ屋根の下で一晩を過ごすのは憚られた。しばらく前までは仲良し老夫婦が暮らしていた家を借りて布団に入るも、眠れない。頭が冴えてしまったのだ。

 

 カルネ村へ着いた時は本当に驚いた。小鬼が柵なんて立てて警護しているし、それを従えているのはエンリだという。先日襲撃を受けて村は一度半壊したものの、小鬼の活躍によって以前よりも防衛などの面が強化されたとか。そして――エンリたちを治したアインズ・ウール・ゴウンの真紅のポーション。偶然とは思えなかったのだ、神のポーションに辿りついた者がもし多くいるならば、既にその噂が広まっていてもおかしくないのだから。

 ンフィーレアは鎌をかけ、そして正解を引き抜いた。圧倒的な力で森の賢王を下したモモンはアインズ・ウール・ゴウンであり、アッバルは彼の娘にしてポーションマスター……いや、火炎の錬金術師、妻にして戦士のアルベド、従者であり剣士であるナーベ、そしてペットはまさかのバジリスク。バジリスクをペットにするなど前代未聞、幼生だとしても麻痺の魔眼と致死の毒を持つ生き物なのだ、従えるならまだしもペットとは。

 

 偉大な英雄には、そうならざるを得なかった理由がある。詳しい伝承は知らないが、かの十三英雄も何かしらを背負っていたという。英雄には英雄にしか背負えない責があり、その責を負いながらたった二本の足で立てるからこそ、人を惹きつけ嵐の目となれるのだろう。

 ならば。アインズ・ウール・ゴウンはどのような責を負っているのだろうか。娘の心の成長速度だろうか、それとも他に何かあるのだろうか。

 

 思考に浸かれば、余計に眠気が遠のいて行く……ンフィーレアは半身を起こした。窓から差し込む月光は冷たく、さっさと寝ろと言わんばかり。月の女神が冷徹に描かれるのはこのせいだ、柔らかい月の光などと言う者は多いが、案外あの女は冷たい目をこちらに投げかけている。日光ほどではないが目に突き刺さる月光、ンフィーレアは窓に頭を向け室内を見回す。

 先ず視界へ飛び込んでくるのは老夫婦が使っていたため、背が低く丸みを帯びたテーブルだ。長年の使用で表面は傷だらけ。あのテーブルの上で老夫婦はチーズや堅パンを切り、果物を剥いたのだ。ンフィーレアも小さい頃はお世話になった二人――彼らと会うことはもう二度とない。長らく平和で、他の村に比べてモンスターとの悪縁が浅かったカルネ村、ここを襲ったのは人間だ。

 何故人と人は手を取り合えないのだろう。国同士はしのぎを削り合うのだろう。人が人を傷付けるのだろう。明確すぎるほどに明確な人類の敵がいると言うのに。人類の敵は冒険者が倒しているから、自分たちは陣取りゲームをする、というのはあんまりだ。

 

 それはつまり、人類が纏まらねばならない共通の敵がなくば、人類はいがみ合う道を歩むということではないか。

 人類に必要なのは英雄ではなく、魔王だと言っているようなものではないか……。

 

 ンフィーレアは頭を振る。馬鹿らしい、魔王などいないし、現れて欲しくもない。どうにもならないことを青臭く主張したところでなんになる、力もない癖に口だけは達者な馬鹿がと嗤われるだけだ。理想や義、道に燃え剣を振りまわしたところで、平民出身者がなれるのは騎士まで。村や街の若者がいくら声高く理想を謳ったところで、どうせ志半ばにして死ぬ。そういうものなのだ。

 掛け布団から足を抜き、靴をひっかけてテーブルへ。年代を感じさせる古いテーブルだ、傷だらけなのにささくれだったところなどなく、触れれば柔らかくンフィーレアの指を押し返す。何年も撫でられてきた木の温もりにフゥと一つ息を吐く。

 

「僕は……」

 

 志半ばで死にたくはない。剣や魔獣と相対する勇気などないし、武器を振り回す才能もない。マジックアイテムを十全に使えるタレントはあれど、それを使いこなせる器用さもない。

 テーブルを撫でる。優しい触り心地。

 

「明日も早いんだ、寝ないと」

 

 自分に言い聞かせるように口にする。明日は朝早くから森で薬草の採取だ。昼過ぎにカルネ村を起てば、明日の昼頃にはエ・ランテルへ戻れるだろう。

 そうだ、森の賢王をアインズ・ウール・ゴウン……モモンが下したため、もしかすると薬草の群生地などに案内してもらえるやもしれない。今まで入れなかった場所へも行ける。

 

 そうとも、明るいことを考えよう。不安になることばかり考えているから眠れないのだ、希望に満ちたことを考えていれば、次第に眠気もやって来てぐっすり寝られるはずだ。――ンフィーレアはぎこちない笑みを口許に掃いた。子供ならば誰もが憧れ、一度は我こそが次の英雄よと箒の柄を振り回すもの。しかし現実はどうだ、真の英雄というものは人智を越えた地点にいるのだ。魔法にも精通した剣士は人食い大鬼を息切れ一つなく倒し、従者は第三位階魔法の使い手、その娘は心の成長に難を抱えているとはいえ見事な炎の蛇を操る錬金術師兼魔法使い。

 新たな神話はいまこそ始まる。ンフィーレアはその見届け人の一人として、物語の端からそれを垣間見るのだ。

 

 窓から差し込む月明かりは冷え冷えとして固く、どうせお前は部外者なのだと囁く。お前には無理だ、無理だ、無理だ……馬鹿め。

 神の血に、神の智にほど遠いくせに。お前にそんな価値があるとでも思っているのか? 貴き色の薬(れっかするポーション)しか作れないくせに駄犬は良く吠える。見よ、思い出せ、あの命そのものの色をした薬(まことのポーション)を。あの高みに近づけてさえいないのだ、ポーションの街と他から称えられるエ・ランテルの誰も! お前もお前の祖母も!

 ンフィーレアの笑みがひきつる。

 

「なら……ならどうしろっていうんだよ!」

 

 ンフィーレアがテーブルを叩けば、脚の長さが不揃いなそれはガタガタと鳴った。はっとなり殴った手を片手で包み込む。物に当たってどうする。

 

 月光は応えない。ただ冷え冷えと乾いた目をこちらへ投げやり、声に出すことなくこう言うのだ。

 その貧相な頭はなんのためにある、と。

 

 ンフィーレアは窓を――月を振り返る。目を閉じても視界は明るかった。




次話は1000文字程度のものを連ねた番外です。

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