汚れた手だけが花を   作:Klotho

4 / 4
時間が空いてしまった事深くお詫び申し上げます。


『しんらい』

 

少し強めの風が吹き、己が服の裾をバサバサと揺らす。

 

 

「……これがヒーロ物なら、格好良かったんだけどなぁ」

 

残念ながら現実はそう甘くないと一人自嘲。

 

 自分が今立っている場所がアパートの屋根の上じゃなければそうだったかも知れない。或いは、この上下で色の違う迷彩柄の服と白衣が黒のコートだったら――いや、そこまで変える位ならそもそも自分が此処に立っていなくても良いだろう。

 

それに、誰かを救いに来た訳ではないのだから。

 

「バリケードはなし、と。チラホラ奴等の姿も見えるか」

 

双眼鏡から顔を離して、二宮は手帳を取り出しサラサラと何かを書き留める。

 

「バリケード無し、昼の時点で数多数、屋根間の移動は良好、と」

 

 そういって周囲を見渡す自分の他に今は誰もいない。スコップ少女がついて来てくれればモチベーションは保てたのだが、彼女は今学校にて部活動を行っている真っ最中。他の少女達も同様に各々活動している故に、こうしてオッサンが一人屋根を跳ね回る破目になっている訳だ。

 

しかしそれでも、ショッピングモールへの通り道は確立した。

 

「よし、覗こ――帰ろう」

 

 

巡ヶ丘学院高校へ。

 

 

ではそもそもどうして二宮が外に出る羽目になったのか。

 

それはつい昨日――唐突に化学実験室を訪れた丈槍由紀の一言から始まった。

 

 

「にっのみっやせんせぇーっ!」

 

 ガラリと扉を開けて入ってきた耳付きニット帽、丈槍由紀。彼女が授業以外でこの場所を訪れるのは珍しいなぁ、と……やはり授業目的で此処へ来た訳ではないらしい。それを彼女の表情から読み取って、俺は屋上で洗ってきた包丁を磨く作業を止める。

 

どうやら彼女は手に持つ物が見えているらしいから、尚更気を遣って。

 

「んー?どうした」

 

「えーと、めぐねえはもう許可出してくれたんだけど、くるみちゃんが一応せんせいにもって。ほら、『副顧問』だから!」

 

あーなるほど。

 

 理解、急速に理解。つまり胡桃は『学園生活部心得』で決められた通り、文字通りに俺の方へ流したって訳だ。若狭悠里と恵飛須沢胡桃をもってしても解決出来ない問題が送られてきたと、そういう事だろう。ニコニコと微笑む由紀の顔からはとてもそんな気配を感じないが――そんな推察は、次の彼女の一言によって粉々に砕かれる。

 

「遠足!学園生活部は遠足にいきますっ!」

 

「ごはぁ」

 

砕かれたそれを、更に磨り潰された気分だった。

 

遠足。

 

つまりそれは外に出るという事。経験のない女子高生三人を連れて――

 

……無理

 

「……よし、分かった。じゃあ俺と佐倉先生で詳しい打ち合わせしとくから、由紀ちゃんは二人に知らせてくるように」

 

「らじゃりましたっ!」

 

ビシっと可愛らしく敬礼をして、彼女はスキップ混じりに廊下へと消えた。

 

まるで嵐が過ぎ去ったようだった。

 

「いや、これから来るのか」

 

笑えない冗談である。

 

 

 

 

一応職員室に立ち寄って、部室へ行ったのは由紀が授業へ行った後。

 

 

「『学校を出ないで暮らすのが学園生活部。――でも、学校行事なら出たことにならない!』」

 

「いや、全部復唱しなくても良いだろ。というか裏声出すな!」

 

由紀ちゃんのにこにこ笑顔を真似していたら殴られた。何故に。

 

 案の定というべきか、二人も由紀が居なくなった後で遠足について話し合っていた。由紀にとっては唯の楽しい遠足でも、他の学園生活部の面々や俺にとっては命懸けの大移動でしかないのだ。リスクとリターン、それが正しく釣り合わなければ安易に頷くことすら出来ない計画である。

 

――とまぁ、俺の視点から見た都合はこんな感じだけど。

 

「悠里ちゃん、どう?」

 

「……欲を出して良いなら、行きたいとは思っています。ゆきちゃんの事も含めなくても、雑貨の方が不足しているのよ」

 

形式こそ答えている物の、その言葉は寧ろ胡桃に向けた説得。

 

「そりゃそうだけどさ……やっぱりゆきを連れて行くのは――」

 

リスクとリターンが釣り合わないと、胡桃はそう瞳で語っていた。

 

……ふむ。

 

「じゃあ、行き先はショッピングモールかな」

 

「――あ!」

 

「……?ど、どうしたりーさん?」

 

 どうやら気付いたらしい。口元に手を当てて考え込む悠里と気付いてないらしく首を傾げる胡桃。俺はしばらく二人の反応を待ってから、悠里が小さく頷き返したのを確認して口を開いた。

 

「胡桃ちゃん、ショッピングモールには何がある?」

 

「えーと……そりゃあ、服とか雑貨屋とかはあるけど」

 

 スコップの持ち手に額を押し当てて唸る胡桃。どうやら彼女はあまり頻繁にショッピングへ行く少女ではないようだ。……まぁ、性格的に分からなくもないのだが、殴られる必要もないので黙って置く。

 

俺は立ち上がり、ホワイトボードに置いてあったマーカーを手に取った。

 

「じゃあ分かり易く纏めよう。此処からショッピングモールへ行く利点は――

 

一、外の様子を知ることが出来る。

 

二、生活に必要な物を補給することが出来る。

 

三、救援メッセージの真偽が分かる。

 

四、ショッピングモールへのルートが確立する。

 

――と、こんな感じかな」

 

キュキュッと、お世辞にも綺麗とは言えない字で書き上げた。

 

 最後の一つはその一個前が真である場合の話なのだが、つまり万が一此処に奴等が入り込んでどうしようもなくなった場合に人が生活出来ていたショッピングモールへ避難する時の利点である。最初は書くかどうか悩んだ物の、多分胡桃は分からないだろうし悠里は口に出さないだろうから良いと判断した。

 

案の定というべきか、胡桃は前三つに感心を示していて。

 

「しまった、救援メッセージのことすっかり忘れてた」

 

「まぁ、信憑性は薄いからね。……悠里ちゃん、これでどう?」

 

「……」

 

 今まで黙ってホワイトボードを眺めていた悠里。俺と胡桃が視線を向けると、彼女は無言で立ち上がって別のマーカーを手に取った。

 

腕が細かく動いていくのを、二人でじっと見つめる。

 

細く綺麗な少女の腕が動いていくのを――

 

「どこ見てんだっ」

 

「ぐは」

 

肘鉄。

 

そうこうしている内に書き終えた悠里が椅子へと戻り、俺たちはボードを見上げた。

 

そこに書かれていたのは――

 

「もしかして胡桃ちゃんこれも盲点だった?」

 

「うっ……だ、だってあんまり行かないし」

 

あたふたとする胡桃を楽しみつつ、悠里と視線を合わせて結論を下す。

 

彼女は再び立ち上がった。

 

「じゃあ、学園生活部の遠足はショッピングモールで決まりね。詳しい話はゆきちゃんが戻って来てからにしましょう」

 

 

書き足されたショッピングモールへ行く利点の部分には

 

『ショッピングは女の子の特権!』

 

可愛らしい字でそう書かれていた。

 

 

 

 

「くるみちゃん、準備いい?」

 

「おう、いつでもいいぜ」

 

カチャリと背中の相棒が鳴る音を耳に残し、私は正面を見据える。

 

 少し離れた所でストップウォッチを構えた由紀。割れた窓ガラス。所々に残っている血痕や、私のシャベルによって欠けたコンクリートの破片。地面についた両腕、私の腕。お気に入りのハーフフィンガーグローブ。二宮曰く――

 

「よーい……」

 

由紀の声。

 

 それだけで全ての雑念が全て消える。視界がグンと狭まり、由紀を通り越した先しか見えなくなる。次の一言を待つために全身が強張るのを……高まるのを感じた。

 

例えどんな場所でも、どんな状況でもこの緊張感だけは変わらない。

 

私にとって走るということは

 

「――どん!」

 

「――っ!」

 

駆ける。前へ、前以外を見ないまま。

 

「――」

 

昔は結果ではなく手段だった。手段の為の陸上だった。

 

前へ

 

「――」

 

今は結果の為に走っている。私にとって、走りとは――

 

前へ!

 

「はぁ……はぁ……」

 

 何時の間にか由紀の立っていた場所を通り過ぎ、自然と肩で息をしながら私は背後を振り返る。カチリというストップウォッチの音は聞いたが、それが何秒後の出来事だったのか覚えていない。遅れてきた気だるさを振り払い、私は由紀へと歩み寄った。

 

この走りで、悠里や由紀を守れるのならば。

 

「タイムは?」

 

何処までも走り続ける、そう誓ったのだ。

 

「ん!」

 

「あちゃあ……」

 

五十メートル、九秒一八。

 

「どしたの?」

 

「いや、タイム落ちたなぁって。最近練習サボってたからなー……」

 

 練習というより走る機会が減ったと表現するべきだろう。校庭が使える訳もなく、自由に動けるのはこの三階だけ。しかもそこで生活をしているのだから尚更走る訳にもいかない。もしそうでなかったとしても、そこまで熱心に走らなかったとは思うが。

 

「……あのさ、くるみちゃん」

 

「ん?どした?」

 

「――背中のシャベル」

 

「っあ!そうだった!」

 

大袈裟だがこれは嘘。流石に背中のシャベルを忘れる程間抜けではない。

 

 ではどうして背負ったまま走ったのか。別になんてことはない、『背負ったまま走る』からだ。私が測りたかったのは自分の速さではなく、シャベルを背負ったままどの位素早く動けるのか……つまるところそれなのである。結果としては、五十メートルの全力疾走は辛いということが分かっただけだが。

 

だから、()()までにはもっと走れるようにする。

 

「忘れてたの?本当に?」

 

「うっ」

 

忘れてない。どころか態々付けたとは流石に言えない。

 

「い、いやほら!道具は身体の一部になるまで使いこなすっていうだろ!……お、奥義開眼って奴?」

 

「ふーん」

 

変な子を見るような目で見られてしまった。

 

……甘んじて受け入れる。

 

「どうする?シャベルなしの計る?」

 

「いや、いい。これなら行ける」

 

そういって由紀に軽く感謝して、私は彼女と反対方向へと歩き始める。

 

 元はと言えばこれもあの男……二宮が言い出さなければ考えもしなかった事だった。生き延びる為に技術を磨く、敵を倒す為に力をつける――つまり、本当にこの世界で生き延びる為の方法。今までの私達が何処か楽観的で、後ろ向きな考え方をしていた事を認めざるを得ないほどに厳しいそれを――

 

「……身につけない訳には、いかないよなぁ」

 

男はこう言った。

 

『今日からは手段を教えよう』

 

その背中を追いかけたいと思ったから、尚更。

 

 

 

 

「手段って言うのはつまり、奴等を殺すための方法。まぁ絶対やる必要はない我流だけど、でも意外と胡桃ちゃんなら出来そうだからね」

 

「それってあの回し蹴りとかのことか?」

 

今でも覚えている、この男が初めて奴等と対峙した時に見せた技。

 

まぁ見てて、と二宮は階下を見た。

 

「ほら来た」

 

「……っ」

 

無意識にシャベルを握る手に力が入る。

 

 階下から踊り場に姿を見せたのは一体だけ。恐らく下から偶然迷い込んで来たのだろう。ソレは暫く踊り場で立ち止まっていたが、隣にいる二宮が『パチパチ』と拍手をする音に気付いてズルズルと階段を昇って来た。

 

――って

 

「ちょ、何やってんだ!」

 

「まぁまぁ、大丈夫だって……多分」

 

最後に盛大な不確定要素を付け加えながらも、二宮はやめようとしない。

 

「――っ、増えてるし」

 

音に引き寄せられて下から更に二体、此方へと向って来ている。

 

二宮は手を止めた。

 

「さて、それじゃあ胡桃ちゃん。よく見て置いてね」

 

そう言いつつ二宮は片手で私に下がるように指示を出し、私は大人しく数歩下がる。

 

 そうしている内に最初の一体が階段を昇りきり、その身体をゆっくりと持ち上げ立ち上がろうとする。チラと二宮の背中に視線を送ったが、彼もまたゆっくりと立ち上がる様子を眺めているだけで動かない。動かない、動かない、動かない。もう向こうは立ち上がって、此方の姿を捉えているというのに。

 

ソレが一歩足を此方に踏み出そうと、片足を上げた瞬間に――

 

二宮が動いた。

 

「よっ」

 

一瞬。

 

本当に一瞬だけ、二宮は信じられないような速度で目の前まで移動して

 

蹴り飛ばした。

 

『ギッ……』

 

「接近は最小限に、相手の鈍さを利用して攻撃は一瞬に留める」

 

勢いを殺すように階段の手摺を掴み、二宮は階下を眺める。

 

「使える物は何でも使うこと。高低差、段差、落ちている物、重力、質量、摩擦……簡単に扱える物は、これ位しかないけれど」

 

「……」

 

私は初めて二宮を見た時、突き詰められた格好と称した。

 

そしてそれは本当に突き詰められていたのだ。

 

「僕が包丁を腰に差さない理由はね、胡桃ちゃん。つまり二本で対処出来ない相手には立ち向かわない戒めなのさ。注意を向けられるのは二方向まで、腕は二本だけ、目も耳も二つ。だから三つ目まで気を遣うのは危険って事。重い武器を振れば疲れるし、持ち歩けば速度が落ちる。だから包丁」

 

二宮が動かなかったのは、つまり片足が上がった状態の方が蹴り易いから。

 

「あまりこういう事を言っちゃうのもあれだけど、やっぱり生きるってのは単純じゃない。出来れば綺麗に殺してあげたいし、余計に攻撃したくないとは思ってる。だけど――自分の命を賭してまですべき事ではない」

 

「……分かってる」

 

 二宮によって蹴り落とされた者に巻き込まれて腕があらぬ方向に曲がったのが一人、それを見つめながら頷く。自然と、二宮の言葉は吸い込まれるように私の胸に広がっていった。

 

だから私は、二宮に下がるように合図を出す。

 

「……油断は禁物」

 

「あぁ」

 

二宮がそっと後ろに下がったのを確認して、私は正面から上って来たソレと対峙した。

 

「……」

 

『ギ、ギ』

 

 擦り切れた制服、男子生徒だったモノ。一年生か、二年生か、少なくとも覚えのある顔ではない。その顔も、今となっては確認するのが難しい。その口から発せられる息とも声ともつかない雑音が、酷く耳を揺する。腕は片方が曲がり、もう片腕には噛み跡が幾つか。さっきは気付かなかったがどうやら足の方も怪我をしているらしく、片足は地面に踝がつくように曲がっていた。

 

動かない。私も、相手も。ピタリと、フラフラと。

 

動――

 

「――っ!」

 

『ギッ――』

 

咄嗟に突き出したシャベルの先端は狂う事無く片足の上がったソレの体を押して。

 

まるでボールか何かを落としたかのように、感触なく階下へと落下していった。

 

ぐしゃり。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「それで良い。今はたった一体倒す事に全力を注いでいい。息をするようにそれが出来るようになったら、きっと――」

 

何時の間にか隣に二宮が立っていた。

 

息一つ乱れていなかった。

 

「だから、これは最後の手段として覚えて置いてくれ」

 

「……最後の」

 

「胡桃ちゃんは何時も通りスコップを振ってくれ、って事さ」

 

そういって笑う二宮は何処か寂しそうで、まるでそれが叶わない事を知っているかの様で。

 

思わず息を呑む程に、強い意志と覚悟を携えて。

 

「さて、じゃあ此処も塞いじゃおうか」

 

「……分かった」

 

まるでそれを押し隠すかのように、彼はニヘラと笑った。

 

 

 

 

「なんつーか、本当に不思議だよな二宮って」

 

「僕としてはこれ以上変なレッテルを貼るのは勘弁して欲しいんだけど」

 

帰り道。

 

 二階から三階へのバリケードを潜り、夕陽の差し込む階段を上りながら私と二宮は言葉を連ねていた。――レッテル。オッサン、変態、そして不思議。正当な評価だと思うのだが、どうやら彼はそれが気に入らないらしい。.0

 

「一体どこからあんな戦法を生み出してるんだ?」

 

「生きる為に必要な事って考えると意外と忘れないもんだよ。生き残りたきゃ体使おうが頭使おうが暴力だろうが自分の持ってる力、全部使えってね」

 

「ね、って事は誰かの引用なのか?」

 

まーね、と答えた二宮から少しだけ意識を外す。

 

 先ほど彼から聞いた向こうの世界の話。漫画家と女子高生の話や、一軒家に立て篭もる集団の話。ショッピングモール、高層ビル――まるで旅の光景を話すかのように、二宮はそれらの思い出をつらつらと語った。

 

今の言葉は、きっとその中の誰かに聞いた言葉なのだろう。

 

言い切った方が格好良いのに、と心の隅で思って置く。

 

「胡桃ちゃん?」

 

「……」

 

「くるみちゃーん」

 

「おわっ!?な、なんだ?」

 

「着いてるって」

 

気が付けば学園生活部の扉の前。中から漏れるのは明かりと二人分の声。

 

立ち止まった私に対して、二宮は普通に扉を開いた。

 

「ただいまー」

 

「……」

 

普段なら何気なく入れる筈の扉が、何故か遠くに思えて。

 

遠くに行ってしまうような、そんな気がして――

 

「――おーす、ただいま!」

 

 

強くなろうと思った。

 

 

遠足といえば何処を思い浮かべるだろうか?

 

 

 日帰りだからそこまで遠くに行くことは出来ない。大抵は往復二時間以内の、尚且つ学校側が保護者にとやかく言われない場所。確か自分の時は日光だったか――いや、それは修学旅行か。兎に角、歩き回る生徒の方からしてみれば退屈の一言に尽きる。面倒な監視の目と制限を掻い潜って出来ることなんて高が知れているからだ。ちなみに自分は休んだ。休んで近くのゲームセンターに行って遊んだ。今でも間違っているとは思っていない。

 

では、今年の巡々丘学園高校の遠足はどうだろう。

 

 

「お弁当なし、引率なし、武器あり、危険あり」

 

「おまけに移動手段は生徒自主の運転ってな」

 

 ストラップのついた車の鍵を指に引っ掛けクルクルと回しているのは我が校きっての不良、恵飛須沢胡桃。三年生。

 

チャラリ音を立てて鍵は彼女の手に収まった。

 

 彼女についての悪い噂は跡を絶たない。何に使うのかも分からないシャベルを背中に背負い、気に食わない生徒がいるとそれを振り下ろして威嚇するとか何とか。そんな人間に限って能力は高く、彼女は現在学校でも随一の運動神経を武器に良い様に振舞っている。

 

「更には教師への暴言、虐待……挙句の果てには生活指導をセクハラと――」

 

「……」

 

首元に冷たい感触、多分シャベル。

 

「やだなぁ胡桃ちゃん、軽い冗談だよ」

 

「じゃ、私も軽めにしてやるか」

 

一瞬感触が離れて――

 

風切り音。

 

「――どわぁ!?」

 

椅子から転げ落ちた。

 

 

 

 

「ふぅん、車の鍵……ねぇ」

 

「えぇ、慈先生の車の鍵です。職員室の引き出しに入っていました」

 

右手に持つのは熊のストラップが付いた簡素な鍵。

 

しかし、車かぁ……。

 

「ちなみに作戦は?」

 

「妥当な所で言えば二宮さんが運転をして私達が同伴……でしょうか」

 

若干言葉を濁しながらそう答えた悠里。その理由は様々だが――

 

「……厳しいねぇ。出来れば先に入って色々確かめたいんだけど」

 

罠かどうか、内部の様子、奴等の数。その他諸々。

 

 理想としては俺が先に先行してショッピングモールに入り、ある程度安全を確保した上で三人を入れるべきだろう。その為には彼女達と一緒に動く訳にはいかない。万が一にも由紀が突っ込んでしまった場合の、そのフォローの方が危険なのだ。

 

つまり、車での移動は不可能と。

 

「……えぇ、分かってます。私も是非そうして欲しい所です。――ので」

 

……ので?

 

「くるみに運転して貰います」

 

「おぉ、そうか!高校三年生ってことはもう――」

 

十八歳。自分も当時は飛び込むように免許を取りに行った物だ。

 

悠里はコクリと頷いた。

 

「無免許ですが」

 

「……」

 

……。

 

「でも、多分私達の中では一番くるみが上手だと思います。ゆきちゃんは心配だし、私も経験がありませんから――」

 

「ちょ、ちょちょっと待ってごめん整理が出来ないんだけど……胡桃ちゃんは経験あるの?」

 

「無いと思いますよ?」

 

……?

 

二人して首を傾げてしまった。

 

「それでも徒歩で移動するより遥かに安全だと思います」

 

「……」

 

確かに歩くより車の方が安全だろうが――

 

 しかし胡桃というところが嫌な予感を後押しする。運転というのが前方以上に周囲を気にしなければならない技術である故に。

 

彼女は暫くの沈黙の後、苦笑と共に肩を竦めた。

 

「……良く考えてみたら、無免許の胡桃と徒歩の移動だと互角でしょうか?」

 

「いや、前者の方が僕的には不安だね」

 

言って、二人で笑った。

 

 何はともあれ、何も危険を自覚していない由紀と共に歩き回るのは得策ではない。必然的に、前者の方法を取った方がマシになるだろう。その辺りは胡桃の方に後でゆっくり教えるにしても、残りの問題については触れられないままだ。

 

それは、即ち――

 

「さて、次にこの鍵についてだ」

 

「鍵、ですか?」

 

悠里は可愛らしく首を傾げた……いや、可愛く首を傾げた。

 

続ける。

 

「ほら、このタイプは無線じゃないから遠距離から開けられないだろう?普段だったら一個ずつ試すってのもありだけど、生憎外には奴等が居るからね。予め大体の特定はして置きたいと思ってさ」

 

「先生の車、ですか……」

 

 人差し指を唇に当てて唸る悠里。教師というのは生徒より来るのが早いことが多いから無理もないだろう。そもそも教師の車に注意を向ける者なんて余りいないだろうし、それこそ目立つ車でなければ――

 

……目立つ、車でなければ?

 

 

「赤いクーパS……」

 

「?」

 

「えーと、赤くてちっこい四人乗り……で伝わるかな。駐車場にあったんだけど」

 

 言いつつ、自身もそれを思い出す。他の如何にも四十代教師が乗りそうな銀色の車達に挟まれるようにして停められていた、あの赤い車の事を。

 

佐倉慈先生が正常で清浄な女性ならば、その可能性は高いのだ。

 

「――思い出しました!確かに、先生の愛車だったと思います」

 

若干興奮気味に答えた悠里。その笑顔を直視しないように顔を背けながら、窓の外へ視線を遣った。

 

全く、どういう因果で再び出て来たのやら。

 

 

 忘れもしないあの時の記憶、前に止めてあった車がミニクーパであった事を思い出す。あの車がなければ自分は多分ZQN達を振り切り、あの食料雑貨店に逃げ込むこともなかっただろう。どこまでが繋がっているのかは分からないが、不思議とあの時足を踏み外さなければ此処には来れなかった――そんな気がした。勿論それが原因であるなんて思ってもいないし、かと言ってあの店が切っ掛けであるとも考えていない。

 

けれど今度はその車によって助けられようとしている。

 

なんともまぁ狭い世界だと、内心で自嘲。

 

「じゃ、一番に試すのはそいつで決まりだ。一週間程度だったら、多分エンジンも大丈夫だろう」

 

「分かりました、くるみにはそう伝えて置きます。……あとは」

 

「四人乗りって所かな?」

 

彼女は無言で頷いた。

 

 残る問題は一つ、ズバリ『生存者が一人じゃなかった場合』だ。もし佐倉先生の車があのクーパだったとして、行き帰りで自分を勘定に入れなくても学園生活部だけで三人。例え生存者が居たとしても、連れて帰れるのは限界まで詰め込んでも二人が限度だろう。

 

しかし、その点も考えていない訳ではない。

 

「その場合は僕が残りの人と残るか学校に徒歩で向かうよ。車よりかは危険度が上がるけど、救援を待つような状態よりはマシだと思うからね。……またはくるみちゃんに迎えに来て貰おうかなー」

 

ちなみに自分としては後者を選びたい。生存者が二人居てくれればベスト。

 

どうせ己の人生だ、そう上手く行く訳はないが。

 

「もし一人だった場合は?」

 

「おっさんが一人寂しく帰路につくことになるね」

 

悠里はニコリと微笑んだ。否定してくれなかった。

 

 

 

 

突然で突拍子もない話だが、此処で少し運転について語ってみよう。

 

 自転車より自動車の方が危険運転が多いというのは有名な話。赤信号から青信号への切り替え時間を考えて突っ込んだり、制限速度を無視したり、路側帯と車道を勘違いして自転車に迷惑をかけたり……それでも自動車数に対して人身事故が少ない理由は、唯単に歩行者が車道にいる時間が極端に短いからだと声を大にして言いたい。自分もそこまで厳格に交通ルールを守っていた訳ではないが、しかしそれでも最低限の常識は弁えていたつもりだ。

 

つまり何が言いたいのかというと、常識ある人間こそ運転者に相応しいという事で。

 

 

「どうせ人とかいないし、ウインカーは使わなくてもいいよな?」

 

「……」

 

こんな大雑把な少女の為に発明された機械ではないという事だ。

 

 シャベルを回避し再び座席に戻った俺は何とか胡桃に弁解をして話を本題へと――即ち運転の仕方について教えていた。アクセルとブレーキの配置、ハンドルとクラクション、エンジンのかけ方、サイドブレーキ、バックの仕方……これで大体車は動かせる筈だが。

 

動くのと運転は違う。動かすのは小学生でも出来る。

 

「……一応言っとくけど胡桃ちゃん、絶対ゲームと混同しないように」

 

「わーってるよ!」

 

最初はゲームセンターの筐体で経験があるから大丈夫だと胸を張っていた。

 

……寧ろ全然知らないと言ってくれた方がマシだった。

 

「それと、道の途中には通れなくなった道とか乗り捨てられた車もあるから――」

 

「速度は出し過ぎないように、臨機応変に、だろ?」

 

ニヤリと笑った胡桃に対して頷き返す。

 

 それでもこの場に関しては彼女に任せる他ない。一番要領よく機転が働くのは間違いなく彼女恵飛須沢胡桃なのだから。

 

「お願い出来るかな?」

 

「なんだったら二宮と役割を交代しても良いぜ?」

 

 彼女には悪いがそれも魅力的な提案だ。彼女を抜きにしても二人、美少女女子高生と命懸けのドライブを満喫出来る。――その事に気付いたらしい胡桃は慌てて両手を振った。

 

「――ごめん、やっぱ嘘。此処は絶対に成功出来る二宮に譲ってやるよ」

 

あるいは絶対に信用出来ない二宮、か。

 

「それは『信用』として受け取っても良いのかな?」

 

「今でも意外と『信頼』してるつもりだけどな私は」

 

胡桃が何の気なしに言ったその一言だけ聞いて俺は立ち上がった。

 

 

「それじゃ、運転は任せたよ我が生徒」

 

「おーう、行ってこい似非教師」

 

 

信用は過去の積み重ね、信頼は未来への先行投資。

 

 

「……胡桃ちゃん、それは容易に使わない方がいい」

 

 聞こえている筈もないだろう、今自分が居るのは学校の外で更に学校からは四キロ程離れているのだから。けれどそれで良い、今はまだ人を信用し信頼し、全員を信じて共に生き抜く時間だ。

 

では、その時間は何時終わりを告げるのか?

 

「俺らくらいになると、やっぱりその一言は出せなくなる」

 

思い出すのは生が止まり死が動く世界。そこで見てきた、死が動くこと以上の禁忌。

 

……人殺しはどんな理由であれしてはいけないと思う。

 

月並みの意見だが。

 

「……もう一つ付け加えるとするなら、やっぱりこの包丁は()()用かな」

 

 既に死んでいる者達に対して、つまりゾンビに対して銃を乱射し刃物を振り回す――そんなことに意味がないのはとうの昔に判明している。彼等はそれらが自らを殺傷し得る武器だと気付いていないからだ。赤子の前に爆弾の起爆装置を並べるという言い回しがあるように、ソレが危険だと理解していない者にとってそれはやはり何の意味も持たない。だから、やはり彼女の持っているシャベルというのは間違いではないと思う。少なくとも自分の包丁よりはゾンビを殺傷し得ると確信出来る。

 

――人間が相手だった場合は?

 

 人は知っている。銃弾が当たれば死ぬということを。刃物が首に刺されば死ぬということを。だから彼等は避ける。目を瞑る。怯む。シャベルやなんかとは違い、下手な場所に当たれば生命すら蝕むそれを。だから自身の持っている包丁というのは間違いではない。少なくとも彼女のシャベルよりは人間を殺傷することが出来るだろう。

 

本当に、本当に皮肉な話だった。

 

「だから、その言葉を言える君達は素敵だ」

 

出来ればそのまま三人とも幸せになって欲しい。

 

月並みな願いだが。

 

「……」

 

目前に聳え立つのは、如何にもといった趣のショッピングモール。

 

 もしも救援メッセージが此処を示しているのなら、自分がこの世界に迷い込んできた理由が判明するかも知れない。その彼あるいは彼女なら、あのメッセージの発信者を知っているかも知れない。

 

だから、この包丁が手を離れることがない事を願う。

 

「さて、そろそろ時間かな」

 

空を見上げて、その陽光が真上から降り注ぐことを確認する。

 

彼女達が来るのは一時過ぎ程。その間にある程度の安全を確保するのが自分の仕事。

 

 

それでは、彼女達の為に手を汚すこととしよう。

 

「よっ、ほ、っ、と」

 

屋根からベランダ、ベランダから一階の屋根、電柱と。

 

そうして両足で着地して、暫くその衝撃からその場で立ち止まる。

 

 

やはり、自分にはヒーロー物は向いていないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに私は車の拘りがないのであまり判別がつきません。茸の判別のが得意です。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。