汚れた手だけが花を   作:Klotho

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多忙につき遅れてしまったこと、申し訳ありません。


『にのみや』

 

 

割れた窓から吹く風でカーテンが揺れる。

 

「……ふぁ」

 

 我ながら情けない欠伸をして起き上がった。昨日、隣の準備室を『掃除』した後そのまま解散し、この化学実験室の机で寝たのだ。……とそこまで思い出してから、俺は腕につけている腕時計を確認する。

 

現在時刻、六時五分。

 

「ふむ」

 

割れた窓から外を眺め――ゾンビ達の数が減っている事に気付いた。

 

 昨日此処へ来る途中でも薄々気付いていた事だが、どうやら此方の方のZQN……ゾンビ達にも、ある程度生前の習慣を真似する動きがあるのは間違いないようだ。自分の家まで帰ったりはしないものの、多分夜になれば近くの家なんかに入るのではないだろうか。

 

つまり早起きの習慣は無駄にならないと、そういう事らしい。

 

「さて、隣の片付けと周りの確認だな」

 

寝袋を畳み、昨日使っていない残りの包丁二本をパッケージから取り出す。

 

それらをポケットへと仕舞って、化学実験室を後にした。

 

「さて、と」

 

 廊下へ出て前後を確認。彼女達学園生活部の面々が起きているのか分からないので、とりあえず時間潰しに昨日良く見ていなかった物理実験室の方へと足を進める。一応準備室の方もノックで確認するのは忘れない。

 

「お邪魔しますー……」

 

カラカラと実験室の扉を開ける。中は他と変わらない程度に荒廃していた。

 

「バネばかり、音叉、滑走台……これは、何だっけ?アレだ、スコープ……なんちゃらスコープ」

 

 戸棚の中の器具を確認してみる物の、此処には然程使えそうな物は入っていなかった。当然と言えば当然、此方の教室は生徒も良く立ち入るのだから、安全で安心な器具しかないのは道理だ。

 

残りの引き戸やケースの物色を諦めて再び廊下へ。

 

「で、残りは教室……と」

 

 奥からD、Cと若くなっていくアルファベット。自分の所は数字だったなぁ等と適当な思い出に浸りつつ、軽く教室内を確認して奥へと進んで行く。

 

――そして、資料室。

 

丈槍由紀、恵飛須沢胡桃、若狭悠里の眠っている部屋があった。

 

「……ゴクリ」

 

無意識に生唾を飲み込む。

 

 今は朝早く、学業に励む学生達はまだ後数十分は寝ている時間。……たった数メートル歩いて、そっと扉を開ければ良い。それだけで、女子高校生三人の寝顔を拝見できるのだ。

 

それは、二十代とはいえ彼女の居ない二宮にとっては魅力的で。

 

「開けよう」

 

迷わなかった。

 

そろりそろりと近付いて扉の前に立ち――とりあえず中の音を聴こうと耳を扉に付ける。

 

ガラリと扉が開いて恵飛須沢が現れたのは、その次の瞬間。

 

「何やってんだ」

 

「……あは」

 

 

思い切り右ストレートを喰らった。

 

 

 

 

「うー、痛てて」

 

「言っとくけど、謝らないからな」

 

 場所は変わって生徒会改め学園生活部。シャベル片手に椅子に腰掛ける恵飛須沢と、ダンボールを開けて何やら中身を確認しているらしい若狭。その二人から遠ざけられるように、俺の椅子は端っこにポツンと置かれていた。

 

覗きは犯罪、非常時でも。

 

「いやぁ、本当は二人に挨拶するつもりで来たんだけどね」

 

「……聞き耳立てる必要はないだろ」

 

無視。

 

「とりあえず若狭さん、恵飛須沢さん、一泊させて頂き有難う御座いました」

 

 立ち上がり、二人に向けて深く頭を下げる。一日を過ごすだけならば何処でも出来るとはいえ、自分が置かれている現状を把握出来たのは彼女達のお陰だ。状態は悪いにしても、状況が悪いという訳ではない。『多少危険はある』が、今日中にショッピングモールに――

 

そう思い頭を上げようとした所で

 

「出て行くつもりなんですか?」

 

声を上げたのは、今まで黙っていた若狭だった。

 

「……そうなのか?」

 

「えぇ、まぁ。元々救助目的でしたし、一応残りの高い建物も見に行こうかと……」

 

 そう言うと、何故か二人共若干渋い顔をする。確かに彼女達はこの状態になって一週間足らずと言っていたが、変態と一つ屋根の下で暮らすよりはマシなのではないだろうか。勿論自分としても女子高生三人を残して去りたい訳ではない。

 

それでも、彼女達を連れて歩くことは余りしたくなかった。

 

「先に言って置きますけど、連れては行けませんよ」  

 

「……一応聞いて置きますが、どうしてでしょうか?」

 

若狭の疑問は恵飛須沢の内心も代弁していた。

 

……理由かぁ。

 

正直あまりこの子達に教えたくはない理由では、あるのだが。

 

「……聞きたい?」

 

「いや、なんかそう振られると聞きたくないなぁ……」

 

そういいつつも、彼女達は俺の言葉を待っているようだった。

 

「じゃあ、先に宣言して置こう。今から話す理由は仮定の物であって、故に証拠はない。根拠はあるけれど証明は出来ない、それだけ留意してくれ」

 

「……」

 

「……分かりました」

 

無言で頷く恵飛須沢と、手を止めて椅子に腰掛けた若狭。二人の顔を見てから、俺は口を開いた。

 

 

「罠の可能性がある」

 

 

「――」

 

「――」

 

必死に生きてきたこの子達には、多分辛い事実ではあるだろう。

 

 現に二人とも険しい顔をしていた。困惑と驚愕の入り混じった、昔の自分達みたいな表情。そんな表情を彼女達にさせてしまっている事に少しだけ後悔しながら、言葉を続ける。

 

「証拠がないのは言ったとおり。次に根拠なんだけど……つまり、俺の居た場所で同じ事が結構あったのさ。人を助けに来るようなお人よしは大体無用心だし、人を助けに来る余裕のある奴は意外と物資を持っているからね。俺の方でそれが起こったのは、事が始まってから一ヶ月位後の話だけど」

 

だから可能性は低い、と付け加えて彼女達の反応を待つ。

 

「そ、それって、殺し……って事、だよな……?」

 

「まぁ、身ぐるみだけ剥がされても結果は同じさ」

 

 最初の一、二週間は団結していても、それ以上続くとひび割れる事が多い。それは例えば、エレベーターに閉じ込められた時の人間の心理のような物であり、つまる所『自分の空気を盗られたくない』という感情から来る物なのだろう。それはどの世界でも同じ。一人減れば、その人間が以降食べる分は用意しなくても良いのだ。供給源が絶たれた状態で出来ることは、それしかない。

 

だからといって、やって良い事ではない。強盗も殺人も犯罪である。

 

「……二宮さんの世界は、じゃあ今は――」

 

「ハッキリ言うなら、今はZQNに殺されるより人に殺される事の方が多いかもね」

 

今度こそ二人は表情を恐怖へと変えた。絶望と言っても良いのかも知れない。

 

そんな二人の顔を見ないように、俺は立ち上がった。

 

「……もし生存者が居たら、その時はこっちに連れて来ると思う。これだけの設備があるなら、多分何人か増えても大丈夫だろう。まぁ、君達が良いと言えばだけど――」

 

「それはっ、構わないけど……本当に一人で行く気なのか?」

 

「……」

 

 二人は本気で自分の事を心配してくれているらしかった。素性の分からない包丁持ちのオッサンを、それでも彼女達は心配していた。だから彼女達を連れていくことは出来ない。敵意を持って対峙してきた人間に対して、()()することの出来ない優しい彼女達だけは。

 

だからせめて学園生活部が楽しい部活のままであるようにと、そう祈った。

 

扉に手を掛ける。

 

「――待って下さい」

 

「……」

 

「りーさん……」

 

何時の間に席を立ったのか、若狭悠里が目の前に居た。

 

扉と俺の間を塞ぐように。

 

「貴方の言うとおり、いつかは人同士で奪い合いが起きるのかもしれない。それは今の状況を考えれば、分かります」

 

「……」

 

少女の瞳は、何処までも先を見据えて。

 

「だから私達には貴方が必要なんです!『この世界』で生きる術を、私達に教えて下さいっ!」

 

 別の世界から来たかも知れない男に自分達の世界で生き延びる方法を請う。本来なら逆の立場である筈なのに、それでも多分彼女達より俺の方がこの世界については詳しいのだろう。

 

一つの世界が崩壊した。

 

新しい世界は、想像もつかない程凄惨だった。

 

「……犯罪も、多少は含まれるけど」

 

「望む所です」

 

背後を振り返る。恵飛須沢はジッと此方を見つめていた。

 

「……」

 

「……」

 

「悪戯なんかも、たまに――」

 

「駄目だ」

 

ぐぅ。

 

 しかしまぁ、今後の動きは決定してしまった。こんな可愛い子に教えて下さいなどと言われて、しかも他に二人も女子高生を残して居なくなるなんて事は出来ない。良心的にも、下心的にも。

 

俺は扉から手を引いて、再び椅子へと戻った。

 

「そこまで言われると断れないよなぁ……俺としても、屋根は欲しいし」

 

「おっ」

 

「じゃあ――」

 

期待を込めた眼差しで此方を見る二人を鑑賞しつつ、程度で切り上げて――

 

 

「暫くは、此処で厄介になるとするか」

 

多分少しくらい好感度上がったんじゃないだろうか。

 

 

 

回想終了、現在に至る。

 

 

「おーい、二宮!……先生!」

 

「んー?」

 

「あー!くるみちゃん!」

 

 出来る限り綺麗に片付けた化学実験室に彼女の声が響き渡る。入り口を見れば、そこには愛用のシャベルを持って扉から顔を覗かせている胡桃の姿。それに気付いた由紀がガタリと立ち上がり、俺は今日の勉強がこれで終わりになった事を理解してチョークを置いた。

 

実際にはもっと色々な話もあった。

 

佐倉慈という先生の話や、彼女達学園生活部の話。それに、俺の事なんかも。

 

けれどそれはまたの機会に。

 

「時間だ時間、ゆきがあまりにも残されてっから次の私達の授業が始まらなねえんだ、よっ!」

 

「あうっ!いたた……ごめんなさーい」

 

 近寄ってきた由紀に容赦なくデコピンを放つ胡桃。そんな彼女達から視線を外して時計を確認……十時十五分、由紀とは九時から授業を始めたから、既に一時間は経過しているらしい。

 

俺は黒板を素早く消して、同じく胡桃の方へと歩みを進めた。

 

「よーし丈槍、今日はもう良いぞ」

 

「本当っ!?」

 

「その代わり、次までにちゃんとあれ位覚えてこい」

 

 はーい、と返事をして去って行く由紀を見送ってから、俺と胡桃は彼女が向かった教室とは反対方向へと歩き始める。

 

「すっかり板についたな、二宮先生?」

 

「いやいや、白衣も案外悪くないよ。ポケットも多いし、何処に血がついてるか分かる」

 

 物理実験室にかかっていた白衣の裾をヒラヒラと動かしながらそんな事を答える。実際、この格好をしている事で結構役に立っている。先に述べた事もそうだし、丈槍に授業を教える時なんかも疑われなくて済んでいるのだ。

 

内装のセンスは壊滅的なままなので、寧ろ脱ぎたくない位には気に入っている。

 

「しっかし範囲が広いよなぁ……私は『生物学』だけど、ゆきとかりーさんは何だっけ?」

 

「悠里ちゃんに教えてるのが『化学』、由紀ちゃんに教えてるのは常識だ」

 

ぷっ、と隣で小さく噴出した胡桃。

 

 勿論、胡桃と悠里に教えているのは言葉通りの授業ではない。悠里に教えているのは化学物質を使った錯乱……例えばマグネシウムリボンの発光や、アルコールの発火を利用した誘導。後は外を出歩いている彼等の癖や性質なんかも、たまに話し合ったりしている。

 

由紀は論外。彼女には普通の授業を教えている。

 

「……よし」

 

そして、胡桃に教えているのが――

 

「んじゃ、私はジャージに着替えてくるから……覗くなよ?」

 

「はいはい――っと」

 

 カラリと資料室の扉を開けて入って行く彼女を見送り、そちらに足を一歩進めて――反転して階段を降りる。何も釘を刺されてからシャベルで殴られる必要もないだろう、味方に殺されでもしたら目も当てられない。

 

踊り場を過ぎて、更に下。

 

三段に詰まれた机と、それを固定しているワイヤーを見据えた。

 

「……一応、見てない証拠でも作って置くか」

 

 

顔に布、右手に包丁。白衣のポケットを、一度確認して。

 

「よっ」

 

 

 

 

「生活圏の確保……ですか?」

 

「そうそう」

 

二宮はウンウンと大袈裟に頷く。

 

「なんだそりゃ?」

 

「つまり、三階だけだと少し厳しいって事さ。とりあえず、売店のある二階は確保したい」

 

 言われて先ほど二宮が私と悠里に尋ねていたことを思い出す。二階と一階の教室や設備、階段の場所……恐らくは、この話に繋げる為の布石だったのだろう。

 

二宮は靴で地面を叩いた。

 

「バリケードは二階から三階へと続く階段のみ。二階と一階は、未だ未知数の奴等とその行き来を自由にしている階段がある……此処を制圧した時は、どうやったんだい?」

 

 彼からすれば、それはきっと然程意味を持たない質問だった。ある程度以前の動きも参考にしようとか、多分そんな感じで聞いた筈――けれど、私達の脳裏には嫌でもあの光景が蘇る。

 

佐倉慈。巡々丘学園高校の、国語教師。

 

「――いや、不躾な質問だったね。少しだけ考える時間をくれ」

 

「……」

 

「……」

 

 そんなことを言って顎に手を当てる男、二宮の不思議な所は決して他者の領域に踏み入れようとしないことだった。誰でも気になり、聞きたくなるようなことも訊ねない。それと同じ位、彼は自分の心に相手を踏み入らせようとはしない。聞けば必ず答えてくれて、それでいて最低限。その距離感に、私はどうにも救われているような気がした。

 

この飄々とした男が本当は何を考えているのか。最近はそればかりが頭に浮かぶ。

 

「……よし、大体はこんな感じか。悠里ちゃん、バリケードのワイヤーの解き方は分かるかな?」

 

「えぇ、結んだのは私ですから」

 

二宮は満足気に頷き、次に私を見た。

 

「胡桃ちゃん、あいつ等を倒せる自信は?」

 

わざとらしい。

 

 先の質問を否定した時点で、私達が此処の制圧を行ったことには気付いている筈だ。現に二宮の視線は何処か挑発的で、悠里の視線も呆れ半分といった具合に。

 

私は椅子の横に置いてあった相棒を引っ掴んだ。

 

「へっ、二宮より倒せると思うぜ」

 

「おーけー、その発言は後々使えそうだけど、先に作戦から話して置こうか」

 

後の祭り。若干の危機感を覚えつつも、二宮が手を動かすホワイトボードに視線を向ける。

 

「さて、これが今の状態な訳だけど――」

 

 

 

 

「よっ」

 

「ほっ」

 

「っと、ごめんねー」

 

背後からそんな間抜けな声が響く中、ワイヤーを巻き続ける。

 

「……」

 

 二宮の提案した作戦はとても単純で、かなり難易度の高い物だった。今二階から三階へ続く階段を塞いでるバリケードを、すぐ隣の一階と二階を繋ぐ階段に移すという作戦。……聞こえだけは良いが、当然机を動かすのにも積み上げるのにも労力が要る、音が鳴る、作業と戦闘を同時に行えないと、そういった危険なリスクの方が多いのだ。故に私も悠里も、思いつかなかった訳だが。

 

しかし今は状況が違う。私が振るう筈のシャベルは脇に立てかけてあった。

 

「胡桃ちゃんっ、少し交代!」

 

「っ、うし!了解!」

 

二宮の小さな叫び声を聞きすぐさま机から降りてシャベルを手に取る。

 

そうして教室側を振り返れば、足元には床を埋め尽くす程の死体。

 

「ごめんっ、休憩させてくれぇっ!」

 

 顔を覆った布から出ている額に汗を流しながら、二宮は情けない声でそう言って私の横を通り過ぎる。それでもこの男は、既に三階に居た数の二倍近くを倒していた。その微妙なギャップは自然と畏敬の念よりも苦笑を誘って――それを振り払うようにシャベルを強く握りなおす。

 

ふらふらと近寄ってくる彼等を見据えて、一瞬だけ視線を背後に送る。

 

「……」

 

「さーて、期待を裏切る訳にもいかないし――」

 

二宮は此方を見向きもせずワイヤーを机に巻いていた。私が負ける事など、考えずに。

 

「負ける訳にも、いかないよなっ!」

 

だから私はシャベルを振りかざした。

 

 

 

彼がこの地獄のような場所で飄々としている理由。

 

自分が戦っていた相手が本来ならもっと強くて危険だから、と。そう結論付けた。

 

 

果たしてそうなのだろうか?

 

 

「二宮さんって――」

 

「んー?」

 

 場所は屋上の園芸部用菜園。そこで小さな園芸用のスコップを片手に私と二宮は隣合って土を弄っていた。由紀は授業中、胡桃はバリケードの確認と由紀の見張り……唯一手が空いていたのはこの男だったので、結果的に彼は此処へと来ているのだ。

 

だから、私も然程内容を気にせず続けてしまった。

 

「奥さんとかは居ないの?」

 

多少変態混じりとはいえ、一般的に彼は面白くて優しい人物に当て嵌まる気がする。

 

「あー、ないない。年齢イコール彼女居ない歴ってのは、俺みたいな奴の為の言葉なんだよ悠里ちゃん」

 

「……でも、不思議。二宮さんって、ゆきちゃんと話す時はお父さんみたいに話していません?」

 

 私や胡桃には知性と本能剥きだしで振舞うのに、由紀の目の前になると二宮はまるで自分の娘を相手にしているかのように空気が柔らかくなる。こう言うのもなんだが、いきなり由紀のペースに合わせられている訳ではないだろう。

 

二宮は少しの間無精髭を撫でてから、ポツリと呟いた。

 

「まぁ、家族は居たからねー」

 

しみじみと、懐かしむように。

 

「家族……両親以外にも、ですよね」

 

「そう、親父とお袋の他に中一の妹が居るんだ。勿論俺は一人暮らしだからそんな頻繁には会ってないけど、まぁ普通に仲は良かったよ」

 

何処か諦めたように、後悔するように。

 

「死んじゃったんだけど」

 

「え――」

 

カシャリと、自分の持っていたスコップがスルリと抜けて地面に落ちた。

 

 薄々だけど気付いていた。けれど、こんなにアッサリ言われるとは思っていなかった。現に二宮の表情は悲嘆ではなく苦笑で、だから私も彼の境遇に身を重ねることが出来ない。まるで自分以外のことを話しているかのような、そんな感覚でこの男は自分の家族の死を語っているのだ。

 

「都会の一人暮らしだったんだけど、流石に感染者を初めて見た時は焦った。情けなく隠れて逃げ回って、ふと家族のことが思い浮かんだからそのまま確認をしに行って、そこで俺が殺したのさ」

 

それでも悲しんでいない訳ではない。それは表情で分かる。

 

「……」

 

「もしかしたら治せたかも知れない、俺だけが幻覚でも見てるのかも知れない、なんて考えたこともあったんだけどね。それ以上に、多分俺はあんな姿になってまで家族に動き続けて欲しくなかったんだろうな。自然と手は動いたよ」

 

けれど私は――

 

黙々と作業を続けながらそんな風に家族を語るこの男が、どうにも許せなくて

 

「でも、現実でしょう?」

 

「……」

 

「貴方は自分の家族を自分で殺した。けれど、そこには貴方なりの愛情があった。……家族が人を襲い回ることを、良しとしなかったから」

 

 実際に私が同じ立場に置かれた時どうするかは分からない。勿論、状況は分からないが家族が無事であることを祈っている。けれど、この男が対面した状況と下した判断だけは現実で起こった物なのだ。

 

どうやら、私は自分を卑下したようなこの男の言い方が気に食わないらしい。

 

「だから、何時までも悲しんであげて下さい」

 

「……そうだね」

 

「思い出にはしないで下さい」

 

「……分かってる」

 

 まだ私達は二宮について何も知らない。けれど、彼もまた私達と同じように地獄を体験して生き抜いてきた人間なのだ。

 

その生き様を、思い出にはして欲しくない。

 

「……おっさんになるとね、若い子から学ぶことも沢山出て来る物なんだよ。高校時代の友達とか大学の研究仲間が死んじゃうなんてこともザラだし、段々とそれが『そういう物』なんだって勝手に割り切っちゃうのさ」

 

「……」

 

綺麗に整えられた土をパンパンと軽く叩き、男は立ち上がる。

 

「でも、確かに思い出にはしない方が良いんだろうな」

 

「……私は、そうして欲しいです」

 

 視界の先に見える十字架と白いリボンを眺めながらポツリと私は呟いた。二宮に聞こえていたのかは分からないが、彼はウンウンと頷いてクルリと背を向け、屋上から三階へと続く扉に向かって歩き始めた。

 

「さって、久し振りに線香でもあげますかね。奴等匂いには鈍いみたいだし」

 

ガチャリと扉の開く音。

 

「ありがとう、悠里ちゃん」

 

バタンと扉の閉じる音。

 

「……」

 

ゆっくりと背後を振り返り、既に二宮が下りたことを確認した。

 

「……はぁー」

 

今考えれば出過ぎた真似だった。

 

 二宮だって当初は思いつめていたに違いない。その上でああいう表情にまで落ち着いていたのだろう。それを私が自分の感情に任せて否定するのは、どうにも可笑しい気がする。

 

そうしてしまったのは、自分が同じ立場になるかも知れないからか。

 

「本当、人生って辛いのねぇ……」

 

落としたシャベルを拾い上げ、自分の担当分である土を綺麗に整え始める。

 

視界の隅では、十字架のリボンが風に吹かれてはためいて――

 

「……」

 

 

終わったら、皆の顔を見に行こうと思った。

 

 

 

線香の匂いというのは別に嫌いではない。

 

 死者への弔いとか化学の実験を差し引いても、だ。街中を歩いている時にふと香ると、流石に少し不安になるけれど。一度火をつけたら、消えずにそのまま一番下まで燃え尽きるのを見るのが好きで、途中で消えてしまうことが嫌いだった。

 

生命()が途中で消えてしまうことが、嫌いだった。

 

「……余計なこと言っちゃったかなぁ……」

 

化学準備室から拝借した線香が一本、立ち上る煙を眺めながら呟く。

 

 思い出すのは先ほどの屋上での遣り取り。幾ら彼女が他二人に比べて聡明だからといって、柔らかく砕かずに真実を伝えたのは間違いだったかも知れない。恐らくだが今頃、彼女の脳裏には家族への不安と友人達を失う恐怖で一杯になってしまっているだろうから。それはどう考えても高校三年生には早過ぎて、大人になっても頃合なんて存在しない出来事なのだ。予期せず唐突に理不尽な理由で来る……それ以外は、無いと思っていたのに――

 

思い出すのは、更に遠く。自身の最初。

 

「……」

 

 悲哀に満ちた過去を語るのは好きではない。どうせなら周りも笑顔になれるように、面白い話をするのが好きだ。同情よりも友情、悲哀よりも慈愛。自分の体験した嫌な思いを子供にはさせない、それが大人としての役割だろう。

 

だから、この学校でくらすことにした。

 

「おーい、二宮……うわ、線香くさ!何やってんだ?」

 

「じっけーん、あいつ等が匂いに反応するのかってね」

 

少なくとも三人、まだそれを体験していない子供が居る。

 

 本当は助けられたかも知れない子供を見捨てたことがあった。先に行けと言われて振り返らず走ったことがあった。救援要請を無視して、遠くから襲われる様子をただ眺めていた時もあった。

 

けれど――

 

「で、効果は?」

 

「辛気臭くなっただけだねぇ」

 

確かにな、と胡桃は笑う。

 

この笑顔が何時までも見られるのなら、男冥利に尽きる。

 

「なぁ、胡桃ちゃん」

 

「ん?」

 

線香の火が、風に吹かれて消えた。

 

「出来ると思う?」

 

「……」

 

前触れもなく唐突に。答えが返ってくるとは思ってもいない質問。

 

彼女は答えた。

 

「出来るに決まってるだろ」

 

「……さいですか」

 

パッと手から線香を放すと、それはクルクルと回りながらグラウンドへと落下する。

 

 

今はまだ線香片手に死者を嘆く時ではない。

 

「さて、それじゃあ再開しますか」

 

「了解っと、着替えてくるから覗くなよ!」

 

守るべき花が、手の届く場所にあるのだから。

 

守れそうな位置に咲いているのだから――

 

「――さぁて」

 

清潔なタオルを何時ものように顔に巻き、普段通り包丁片手に歩き出す。

 

「まだまだ消える訳にはいかないんだな、これが」

 

 

もう少しだけ、この手を汚してみようと思った。

 

 

 

 

 

 


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