デスゲームでの日常を   作:不苦労

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遅くなってしまいましたが、二十九話です。




親友へ

75層のボス部屋。

その部屋が見つかったのは1週間ほど前のことだった。

 

今までの層と同じように、攻略組は偵察隊を組織した。情報収集を主目的とした、攻略組の中でも腕利きのメンバーを集めた合計22人の隊だった。今までの層と同じように…いや、クォーターポイントということもあって、今までの層以上に警戒して、今までの層以上に準備を固めて、偵察隊は出発した。

 

ヒースクリフからの依頼で、偵察隊には俺とアルゴも加わっていた。

 

といっても戦闘に参加するわけじゃない。ボス部屋の外からボスを観察し、情報を集めることが俺達の仕事だ。俺達が起用された理由は簡単な話で、相手の動きを見極めることに重点を置いた戦い方の俺と、情報の管理に長けたアルゴにボスを観察させることで、情報収集の効率をあげようとしたというだけだ。

 

組み立てた作戦も至って簡単。

最初に10名がボス部屋に入りボス部屋の中心まで到達。ボスの様子を一通り確認し、離脱すべきだと判断したタイミングで残りの10名がボス部屋に突入し、タゲを分散しながら全員で脱出するというものだ。今までの層もそうしてボスの情報を集めていたらしく、偵察隊のメンバーとの打ち合わせはスムーズに進行した。他の層と違うところと言ったら、俺とアルゴがついてきているってことぐらいだろう。

 

 

今まで通りうまくいく。全員がそう思っていた。

 

 

作戦は失敗した。

最初の10人がボス部屋の中心に到達した瞬間。ボス部屋の扉がゆっくりと重い音を立てて閉じてしまったからだ。何がなんだかわからなかった。俺もアルゴも残りの偵察隊メンバーも、まずい事態になったと気づいて行動し始めるまでに数秒の間が空いてしまうほど、予想外の事態だった。

 

中に入ったメンバーに慌ててショートメッセージを送る者、何とかして扉を開けようとする者、残された俺達はボス部屋に閉じ込められた10人を助けようと奔走したが、どれも振るわなかった。

 

不安を抱えながらも、時間は無慈悲に進み続け、5分ほど経った頃だろうか。俺達が何をしても微動だにしなかったボス部屋の扉が、閉まった時と同じように、ゆっくりと重い音を立てて、あっさりと開いた。

 

当然のように、俺を含む残された12人は慌ててボス部屋の中を確認した。

 

 

しかし、そこには何もなかった。本当にまったく、何もなかった。

おそらくかなりの強敵となるであろう75層のボスモンスターの姿も、10人の偵察隊の姿すら。

 

 

絶望的な空気の中、『閉じ込められた偵察隊は転移結晶を使って街に戻っているのかもしれない。生命の碑を確認するべきだ』と誰かが言った。望み薄なのはわかっているが、俺達はその言葉に突き動かされた。生きているかもしれないという僅かな期待にすがりつきながら。フレンドリストを確認すれば、そんなことすぐに分かるのに、それを口にする奴は1人もいなかった。

 

結果は案の定、生命の碑からは10名の名前が消えていた。

そこで改めて、俺達は痛感した。10名もの死者が出てしまったこと。ボスの情報が一切手に入っていないこと。

 

むしろ状況が最悪であることの裏付けが取れる情報だけが増えてしまった。今回のボス部屋は一度入ったら抜け出せない上に、偵察隊が転移結晶を使わなかったことからおそらく結晶無効化エリアのはずだ。それに加えて、74層のボス部屋と違って扉が閉まる。初手で逃げ場を一気に刈り取られるわけだ。

 

俺達の報告を聞いた攻略組たちは、目に見えて絶望していた。

当然だろう。情報が一切ない、数分で10人を全滅させるボスに挑まなくてはならないのだから。

 

圧倒的に戦力と情報が足りていないこの状況で、攻略組のメンバーが考えることは、当然ながら1つだった。足りないのなら補えばいい。情報は無理でも、戦力ならあてがある。

 

 

そうだ、あの2人を呼び戻さなくてはならない。

俺は、攻略組からだされたその提案を拒否することはできなかった。

 

 

 

 

 

.

.

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「なにぼーっとしてんの? 刀のメンテナンス終わったわよ」

 

「……………え?」

 

 

俺の愛刀を持ったリズの呆れ声で俺は現実に引き戻された。

窓から差し込む日差しと、水車を回す川の流れる音が静かに耳に入ってくる。リズに武器のメンテナンスを頼んでおいて、そのまま店で終わるのを待っていたんだが、知らない間に終わっていたみたいだ。それにしても随分長い間呆けていたらしい。

 

…すこし、嫌なことを思い出していたせいかもしれないな。

 

 

「いや、なんでもない。それにしても思ったより早かったな」

 

「耐久値もそんなに減ってなかったしね。珍しいこともあるのね、あんたいっつも耐久値ギリギリになるまで持ってこないのに」

 

「……まあ、そんなときもある」

 

「普段からこのくらいのペースで持ってきなさいよ。まああんたの刀の場合はもう少し長くてもいいかもしれないけど」

 

「はいはい、気をつけますよ」

 

「ほんとに分かってんのかしら……」

 

 

俺の刀は耐久値が異常な位あるし、そんなに頻繁にメンテナンスする必要もない。今まではほんとにギリギリになるまでメンテナンスを頼んだりはしてなかったが、今回は少し特別な事情(・・・・・)もあって早めに持ってきたわけだ。

 

 

「そういえば昨日アスナとキリトもメンテに来たわよ」

 

「そう、か………」

 

「あんたもしかしてまだ気にしてるの? アスナ達を前線に引き戻したこと」

 

「そりゃあな。あいつらの新婚生活なんてまだ2週間位だったんだぞ?」

 

「仕方ないじゃない。攻略組全体からの要望で、ヒースクリフが直々に依頼してきたのよ? アスナもキリトもちゃんと納得して戻ってきたんだから、気にすることないわよ」

 

「……まあそれはそうなんだが」

 

 

俺がキリトとアスナの家であいつらを前線に引き戻そうとした時、最初は少し戸惑っていた2人だったが、すぐに落ち着きを取り戻し、俺の指示に従ってくれた。

 

結局のところ、2人は遅かれ早かれ攻略組に戻されることを覚悟していたらしい。前線から離れる時、ヒースクリフが2人に言った言葉の意味を理解したんだろう。そして、最終的に俺が必要だと判断したのならおとなしく戻るということを2人の間で決めていたそうだ。

素直に戻ってきてくれたことに安心した反面、申し訳ないとも思った。他に方法がなかったとはいえ、あいつらの幸せな時間を俺が一方的に奪ってしまったような気がして。

 

 

「どちらにしても、明日のボス戦が終わったらまた前線から離れられるようになってるんでしょ?」

 

「ああ、ヒースクリフの了解は得た。キリトとアスナを引き戻す依頼の報酬を使ってな」

 

「『叶えられる範囲で2つ言うことを聞くこと』が報酬だったんだっけ? 随分破格の条件じゃない」

 

「あっちから言い出したことだ。もっとも、初めは1つだけって話だったが、交渉して2つにさせたんだよ」

 

「そうなの?なんでわざわざ」

 

「まあ……ちょっと私用でな。それに、ヒースクリフを言いなりにできる権利なんて多くて損ないだろう」

 

「なんか言い方が悪いわね…」

 

 

いつもいつもあの人の思い通りになっていくのはなんだか癪だからな。これくらいの反撃はさせてもらってもいいだろう。別に自分からメッセージを飛ばしてキリトとアスナを引き戻すことだってできたはずなのに、なんでわざわざ俺に直接迎えに行かせたのかが分からなかったが、終わってみて初めてあの人が考えていたことがわかった。

2人と交流が深くて、かつ攻略組じゃない俺がわざわざ出向くことで、今回のボス戦が本当に切羽詰まっていて2人必要であることを強調させたかったんだろう。

まあキリトもアスナも、呼び戻されたときの覚悟を済ませていたみたいだから、どちらでも結果は変わらなかったのかもしれないがな。

 

 

「それにしても、ボス部屋が見つかってから忙しいったらなかったわ」

 

「この時期の生産職大忙しだな。もう落ち着いたのか?」

 

「ボス戦本番は明日だし、一段落はついたわね」

 

「そりゃあお疲れ様。人気鍛冶職人は辛いな」

 

「ちゃかさないの。生産職が手伝えるのはボス戦が始まるまでだから、あたしにとってはこの時が本番なのよ」

 

「そう思ってるプレイヤーにメンテしてもらえるなら、攻略組からしても安心だろうよ」

 

 

リズに武器のメンテナンスをしてもらっている攻略組は少なくない。特に意識することはなかったが、攻略組が万全の状態で攻略に向かうことができるのは、こういった生産職のプレイヤーが支えていたからなのだろう。

 

 

「それで、あんたはどうなのよ」

 

「どうって?」

 

「万屋よ。この時期の万屋って忙しいものなの? 武具屋とかアイテム屋は想像つくけど、万屋がボス戦前何してるのかって想像つかないし」

 

 

なるほど、確かにイメージがしづらいってのは分かる気がする。

店のセオリーなんてのもそもそもないし、万屋っていう店自体SAOの中で俺しかやっていないことだからな。周りから見てボス戦前に何をしているのかなんてのは分からないだろう。

 

 

「ボス戦前はなかなか忙しいぞ。クエスト報酬でしか手に入らないバフ系のポーションとかを手に入れたいプレイヤーのためにクエスト手伝ったり、俺が持っていればそういうのを売ったりとかな。今まではそんな感じの依頼が多かった」

 

「なるほどね。そう言われるとやることはたくさんある気がしてきたわ」

 

「このタイミングになると情報を扱うことは殆どないし、ボス戦前の仕上げを手伝うって感じだな。アルゴがこの時期に走り回ってるのは異常事態ってことだ」

 

「そう……なのね」

 

 

ボス戦前日にもなって情報屋がボスモンスターの情報を集めているなんてそうそうない。低層で攻略のセオリーみたいなのが出来上がってない時期は結構あったらしいが、最近は全く無かった。

 

 

「今のアルゴは見てて不安なのよ。もう3日以上もぶっ続けで情報を集めてるらしいじゃない? 街に戻ってきても、メンテとアイテム補充を済ませたらすぐにフィールドに出ていってるし……」

 

「フロアボスの情報は基本的にフィールドか迷宮区にしか隠されてるか、クエスト報酬で手に入るぐらいだからな。クエストは偵察隊を送る前に散々探し回ったし、見逃しているとすればフィールドだと思ってるんだろう」

 

「それでも流石に無茶しすぎよ。軽く考えてるわけじゃないけど、もっと休みながらやらないと危ないわよ」

 

「あいつも俺と同じで、偵察隊メンバーとは直接関わってたからな。なんというか、責任みたいなものを感じているんだろう」

 

「責任って言っても、別に生き残った偵察隊のメンバーが何か悪いことをしたわけじゃないじゃない」

 

「その通りだ。俺達が何かしたわけじゃない。けど俺達は、何もしてやれなかったんだ(・・・・・・・・・・・・)

 

「それは………」

 

 

偵察隊のメンバー半分が扉の中に閉じ込められた時、俺達は何もできなかった。助けてやるどころか、助けようとすることすら許されなかった。扉があくまでの5分間に味わった不安感と絶望感は忘れられない。

生命の碑を確認して、メンバーの死を実感した時、後悔と自分に対する情けなさ、偵察隊に対する申し訳無さが一気に襲ってきた。

 

『もっと情報を集めてから偵察を始めるべきだった』『もっと安全で確実な作戦を提案できたんじゃないのか』『日常に浸かりすぎて、前線の危険度を忘れていたんじゃないのか』『何が剣影だ』『なんの役にもたてなかった』

 

それは俺だけじゃなく、アルゴもそうだった。冗談や演技ではなく、あそこまで狼狽えているアルゴを見るのは随分と久しぶりだった。

ヒースクリフへの報告を終えた後、アルゴはすぐに情報収集をしに飛び出していった。今もなお、それこそ寝る間も惜しんで情報をかき集め続けている。

 

 

「何かしてないと、不安と後悔で押しつぶされそうなんだろう。あんなアルゴは1層の時以来だな」

 

「『気持ちは分かる』なんて軽々しく言えないけどさ、何とかしてあげたいのよ」

 

「気持ちだけで十分……というか、リズは鍛冶屋としてやるべきことをこなしてるんだから問題ない」

 

「それはそうかもしれないけど……」

 

「まぁアルゴの件は心配するな。明日にはボス戦が始まるから、情報集めも明日で打ち止めになる。それ以降は無理矢理にでも休ませてやってくれ」

 

「うーん…そうね。一応メッセだけは飛ばしておくわ」

 

「そうしてくれ」

 

 

今のアルゴの気持ちを一番理解できるのは多分俺だ。同じことを経験した俺だからこそ、あいつの気持ちが理解できる。

 

『お前のせいじゃないから必要以上に責任を感じるな』だとか『無理するなよ』って言葉は何の意味もない。どれだけ周りに静止されようと、どれだけ周りに慰められようと、自分が今できることをし続けていないと気が済まないんだ。周りから見たら無茶をしすぎていると思われるかもしれないし、かなり心配も掛けるだろうが、止まるわけにはいかないんだ。たとえ何があっても、自分にできることを無理矢理にでもやらないといけないんだ。

 

アルゴはきっとそう思いながら走り回っている。

 

 

 

なぜなら、俺もそう思って行動しているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武器のメンテナンスは終わったし、リズとの情報共有も終わった。次の予定の時間が迫ってきているし、そろそろ店を出よう。

 

 

「それじゃあ、そろそろ帰るわ」

 

「あら?珍しいわね。まだ日が落ちきるまで時間があるけど」

 

「ヒースクリフに用事があるんだよ。色々とな」

 

「ふーん……ま、いいけどね」

 

 

ヒースクリフには色々と話しておかないといけないことがある。時間もギリギリになってきたし、そろそろ行こう。

 

 

「それじゃあ行くから。武器のメンテナンスどうもな」

 

「ああちょっとまって!渡すものがあるから」

 

「渡すもの?」

 

 

そう言うと、リズは小走りで工房の中に入っていった。

渡すものってなんだ? 別にリズから何か貰う約束なんかしてないはずだし、最近特に何かを頼んだ覚えもない。本当に全くと言っていいほど心あたりがないんだが………

 

 

「おまたせ。はいこれ」

 

「……袋?」

 

「袋じゃなくて重要なのは中身よ中身。ありがたく使いなさいよね」

 

「つかう?」

 

 

疑問を抱えながらリズから渡された袋の中身を確認すると、見覚えのある小瓶がたくさん入っていた。HP回復用ポーション、STRポーション、AGIポーション、状態異常耐性用ポーション…etc。ざっと見ただけだが量だけじゃなく種類も豊富だ。袋の中には戦闘でかなり役立つ類のPOTがびっしりと詰められていた。

 

 

「なんだこれ?」

 

「サポート用アイテム一式よ。見て分かるでしょ?」

 

「いやそりゃあ分かるが、なんでいきなり?」

 

 

もらえる分にはかなりありがたい。けどリズからこんなに沢山のアイテムを渡される心当たりが全くない。頼んでおいた覚えもないし、リズに対して今の俺がこういうアイテムを欲しがっていることを言った覚えもない。

 

 

「なんでって、そりゃあ決まってるじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あんた、明日のボス戦出るんでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

あまりにも当たり前のように、いつもどおりの口調で言い放ったリズの言葉に、俺は硬直してしまった。嘘をついてごまかすことも、惚けることすらできないくらい動揺してしまっていた。

 

なぜならそれが、完全なる事実だったからだ。

 

けどそんなことリズに一言も言ってない。そもそもまだ誰にだってそのことを伝えてないんだ。キリトにだってアスナにだってヒースクリフにだって。アルゴだって例外じゃない。むしろ、アルゴに知られたくないからギリギリまで誰にも明かしていなかったんだ。今日これからはじめてヒースクリフに交渉しに行くはずで、情報なんか漏れようがない。

 

 

「な……なんで………」

 

「そんなの見てれば分かるわよ」

 

 

動揺を隠すことすらできていない俺がやっと絞り出した疑問の言葉に、リズはさっきと変わらず、いつも通りの口調で言い放った。こんな状態じゃ、ここから誤魔化すことは無理だな。

 

 

「参ったな……隠しておくつもりだったんだが」

 

「バレバレよ。あたしに隠し通せると思ってたの?」

 

 

そう言われてしまってはどうしょうもない。確かにそのとおりだ。リズに隠し事をして、俺が見破られなかった例がない。

 

 

「いつから気付いてたんだ?」

 

「店に来たときからよ。今のあんた、アルゴと同じ顔してるもの。それにいつものあんただったら、アルゴがあんだけ無茶してたら無理矢理にでも止めるでしょ。そうしないってことは、あんたも似たような無茶をしてるんだろうなって思ったの」

 

「……そうか」

 

「まあ他にもいっぱい理由はあるけどね。けど、あたしに隠しておきたかったなら武器のメンテナンスを頼むべきじゃなかったんじゃない? このタイミングで武器のメンテナンス頼んできたら、それまでに気付いてなくても流石に気付くわよ」

 

「まあ、それはそうなんだけどな」

 

 

リズやアルゴに気づかれたくなかったのは余計な心配を掛けたくなかったからだ。キリトやアスナやクラインはボス戦に参加するだろうから諦めたが、できるだけ知り合いに不安を感じさせたくなかった。

本気で隠し通そうとするなら、リズに武器のメンテナンスを頼むなんて危険なことはせずに、おとなしくNPCの武具屋に頼んだほうが良かったのかもしれない。けど……

 

 

「ボス戦前の大事なメンテを、リズ以外に頼もうとは思えなかったんだから、仕方ないだろ」

 

 

腰に下げた愛刀に目を落とし、俺は本音を呟いた。

明日俺が向かうのは、自分の命がかかっている戦いだ。それも、メンバーの中で俺が最も死ぬ確率が高い。だったら、自分が考えうる最善の状態で戦いに望まないといけない。そう考えた時、NPCや他のプレイヤーにこの刀を任せようとは思えなかった。

結局、知り合いに心配を掛けたくないっていう俺のエゴは、同じように俺のエゴのせいでご破算になってしまったというわけだ。なんとも情けない話だ。

 

何はともあれ、バレてしまったものは仕方ない。こうしてわざわざ選別までくれたリズの思いを無駄にはできないし、素直にありがたい。ちゃんと礼を言わないと。

 

 

「リズ、ありが………え?」

 

 

顔をあげて、リズの目を見てきちんと礼をしようと思ったが、それはできなかった。

俺の正面に立っているリズは、下を向いて体を震わせていた。桃色の髪で隠れて顔は見えなかったが、小さなすすり声を上げているリズの真下の床に、数滴の雫が落ちていることに気がついてしまった。

 

 

「リズ、おまえ……」

 

「う…うるさい…わね。何も……言うんじゃ…ないわよ」

 

 

SAOじゃ感情を隠すことは難しい。ただの感情の起伏だけなら喋り方なり立ち振舞でごまかせたりするが、涙だけは我慢することはできない。今リズが流している涙が、悲し涙なのか嬉し涙なのかは分からない。分かってやれない。震える声で答えるリズに対して、俺はどうして良いのか分からなかった。

 

 

「……悪い」

 

「なんであんたが……謝るのよ」

 

「それが分からないから謝ってる」

 

「意味……わかんないわね」

 

 

リズは少し笑いながらそう言うと、乱暴に腕で顔を拭って顔を上げた。

目が赤く腫れたりはしないが、それでもたった今まで涙を流していたことが分かる。そんな、今までに見たことがない顔をしていた。

 

 

「そのアイテム、ただで上げるわけじゃないわよ。1つ約束しなさい」

 

「……ああ、なんでも言ってくれ」

 

 

強いが温かい目でリズは俺をまっすぐと見て、いつも通りの口調で言った。

 

 

「ボス戦が終わった後のお茶会は、あたしが注文した料理を全部作ること。わかった?」

 

 

なんともリズらしい。そう思った。

内容もそうだが、本当に言いたいことが遠回しに伝わって来るその言葉が、実にリズらしい。

『必ず帰ってくること』

リズが俺に約束させようとしているのは、つまりはそういう事だ。

 

 

「…………ああ、約束する」

 

 

俺は、リズから渡された袋を強く握って、精一杯の笑顔を作って応えた。

 

 

 

 

 

 

 

.

.

.

 

 

 

 

 

 

「やあ、まっていたよ。クレハ君」

 

「悪い、少し遅れた」

 

 

アインクラッド第55層グランザムにある巨大な城。俺はKoBのギルド拠点に訪れている。そのバカでかい城と同じように無駄に広い執務室に案内されたが、部屋にいるのは俺を出迎えたヒースクリフ一人だった。

 

 

「この程度の遅れは全く問題にならない。それよりも、どうして君がわざわざこのタイミングで私を訪ねる? 全く見当がつかない」

 

「おいおい、無意味な詮索をいれるのはやめてくれ。このタイミングで俺があなたを訪ねる理由を、他ならぬあなたが分からないはずがないでしょう」

 

「……おおよその予測はついている。明日のボス攻略のことだろう?」

 

「その通り」

 

 

なにが『全く見当がつかない』だよ。それが分かったら8割型理解してるって言っても刺し違えないだろうに。

 

 

「アルゴ君がいないということは情報提供というわけではないのだろう? もっとも、君はここ最近は情報収集ではなくレベリングに時間を割いていたようだがね」

 

「……そこまで調べてるとはね。だったらなおさら、俺がここに来た理由なんて聞くまでもないでしょう」

 

「すまないね。今までの君の事を考えると、答えが分かっていても、本人の口から直接聞きたいのだよ」

 

「相変わらず面倒な人だ」

 

 

そうまでして俺の口から聞きたいもんかね。思い返せば、この人と初めてあったときもお互いの腹の探り合いみたいなことをしたんだったな。

 

 

「それでは改めて、用件を聞こうか、クレハ君。君はいったい、私に何を伝えに来た?」

 

「お望みの通りに、俺の口から言ってあげますよ。『明日のボス戦には俺も参加させてもらう。』」

 

 

逃げないという意思を示すために、死の覚悟を持った事を表すために。俺はヒースクリフの目をまっすぐと見つめていい放った。

 

 

「………ひとつだけ聞いてもいいかね?」

 

「ああ、構わない」

 

「君には戦闘においてあまりにも大きのハンデを背負っている。ボス攻略ともなれば死の危険は多大なものとなるだろう。それなのになぜ、君は戦おうとする?」

 

「……………………」

 

 

ボス戦に参加することは俺の意思で決めたことだ。ボス戦に参加できないと分かったあのときから、俺は色々なことを考えながら生きてきた。

 

βテスターであることを隠しながら、それが知れ渡ることを恐れながら生きていたときもあった。

 

その問題が解決した後は、今度は危険な目に遭っている仲間を守ってやれない自分の力のなさを呪った。

 

そのどちらの苦悩も、俺の周りにいる仲間の言葉や行動で解消された。俺は守ってやれなくても、助けることはできる。心の支えになることはできる。そう言ってくれた相棒の言葉は今でも俺のなかに残っている。

 

けど、帰ってくる場所は、帰ってくる奴らがいて初めてできるんだ。やっぱり俺は仲間を守るために、できることならなんだってしてやりたい。

 

俺はおそらく、今SAOにいるプレイヤーの中で1番欲張りなプレイヤーだ。

 

仲間の帰る場所も、仲間の命も同時に救おうとしているんだから。

 

そのためには、俺は絶対に死ねない。俺の死は、あの店での時間の喪失に直結する。俺だけじゃない、キリトもアスナも、クラインもエギルも、リズもアルゴも死んではいけない。俺は俺に関わってきた人は見捨てられない。

少なくとも、助けられるチャンスがあるのなら、どれだけ無茶でもそのチャンスをおいたい。

 

今がまさにそのときだ。だから俺は戦う。

俺は………

 

 

「俺は俺の日常を守るために戦う。ハンデを背負ってる自分自身も含めて、俺に関わってきたものを壊させないために」

 

 

日常を守りたい。

それが俺の答えだ。

 

ヒースクリフは静かに笑い、俺の答えに対しての返答を返した。

 

 

「……なにかを守ろうとする者は強い者だ。君の活躍に期待しているよ」

 

「まぁ、過度な期待は困る。ほどほどによろしく」

 

「相変わらず自己評価の低い男だね」

 

 

話も一段落したことで、お互い緊張を解いていつものような軽口を叩きあう。こうしていれば、ちょっとうさんくさいだけのおっさんなんだがな。

このままのんびりと雑談を続けたい所だか、まだ俺の用事は終わっていない。

 

 

「ボス攻略参加の報告は済ませた。これからが本題だ」

 

「本題?まだ他に話があるということか」

 

「その通りだ。さすがにこれから話すことまでは調べきれてないみたいだな」

 

 

俺がわざわざヒースクリフのところに来たのは、なにもボス戦に参加することを宣言しようと思った訳じゃない。ボス戦に参加することが大前提としての話をしに来たから、わざわざボス戦に参加することを伝えに来たんだ。

 

 

「前回の依頼で貰った報酬。あれを使わせてもらいに来たんですよ」

 

「………ほう?」

 

「拒否は認められませんよ。もとよりそういう内容の報酬のはずだ」

 

「『叶えられる範囲で要望を2つ聞く』だったかな?ひとつはアスナ君にもう一度休暇を与えることで使われたと記憶している」

 

「ああ。だから最後のひとつを使わせてもらう」

 

 

俺の言葉を聞いて、ヒースクリフはまたニヤリと顔を歪ませる。まるでいたずらを思い付いたばかりの子供のように、これから起こる楽しいものを今か今かと待ち構えているような顔をしている。その期待に応えてやるのは少ししゃくだがまあ仕方ない。

 

 

「俺からの要望は『明日のボス戦に、今から俺が伝える作戦を採用させること』こと」

 

「なに?」

 

「問題ないでしょう。あまりにも情報が少なすぎるせいで、隊列と班分けしか決めてないそうですし」

 

 

俺がボス攻略で役に立つには、入念に策を練る必要がある。その作戦が採用されないことには逆に足手まといにだってなりかねん。

 

 

「攻略組の命を君に無条件で預けろと?」

 

「いいや、そういう訳じゃない。むしろその逆。攻略組の犠牲を最小限に押さえるための作戦だ」

 

「…………詳しく聞こう」

 

 

仮にも攻略組のトップを張っているだけあって、そういうところでは慎重のようだ。だが、ヒースクリフの懸念は全く問題がない。

 

俺の作戦で掛けられる命は、2つ。

いや、俺の予想が正しければ1つだけですむ。

 

 

「それじゃあ話させてもらいましょう。俺の作戦を」

 

 

俺は作戦を話し始める。

うまくいけば何も失う必要はない。すべてを守れる作戦を…。

 




クレハ参戦決定。


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