執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

65 / 72
第65話

 軽巡洋艦娘達が住まう寮の庭には様々な花が植えられた花壇がある。

 秋にはその香りを振りまいていた金木犀も散り去り、代わりに類種の柊が咲き誇っていた。四季に応じた花が飾られたその場を管理するのは、長良型三番艦名取と、川内型二番艦神通、同じく川内型三番艦那珂と――

 

「おい、これなんか提督に合うんじゃないか?」

 

「いや、提督は男だから花とか喜ばないって言ってんだろ……?」

 

 球磨型五番艦木曾、そして天龍型一番艦天龍である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 提督に似合うのではないか、と木曾が手にした花はまだ残っていたリンドウである。そろそろこれも散る頃なのだが、比較的温暖な今年の冬は未だ咲き残っていたのだ。

 天龍は木曾が摘もうとしているその花を見て、大きく肩を落として口を開いた。

 

「なぁ木曾、もう提督に花がどうだのなんてのは言わねぇよ。けどなぁ……それはやめとけよ?」

 

 天龍の気遣う声に、木曾は首をかしげて天龍を見た。天龍同様――とはいえ、互いに左右逆なのだが――眼帯に覆われていない真っ直ぐな隻眼が天龍に向けられる。

 その瞳に宿るのは、純粋な問いの色だ。そんな木曾に、天龍は頭を乱暴にかいてから溜息交じりで応える。

 

「リンドウの花言葉、悲しんでいるあなたを愛する、とかだぞ」

 

「……本当か?」

 

「嘘ついてどーすんだよ、んな事」

 

 目を剥いてリンドウから離れる木曾の言葉に、天龍はもう一度頭をかきながら肩を落として返した。なんとも言えない顔でリンドウを見下ろす木曾は、危なかったな……と呟いて顎の辺りを手の甲で拭っていたが、それもまた過ちである。

 であるので、天龍は相を変えず若干引き気味の木曾に続けた。

 

「いや、他にも正義とか誠実もあるんだぜ、そいつ」

 

「おぉ、いいじゃないか!」

 

 一転、明るい調子で手を打つ木曾に、天龍は疲れた顔で首の後ろ……うなじ辺りを叩きながらまだ続ける。

 

「つっても、有名なのは最初の花言葉だぜ? あんまお勧めできないぞ……? まぁ、お前が提督の悲しんでる姿がいいってんなら、俺はなんも言わないけどさ」

 

「冗談じゃないぞ、天龍。提督のそんな姿を見たら、俺は球磨姉さんに泣きつくぞ」

 

「なんでだよ」

 

 天龍の突込みにも返すことなく、木曾はまたそれなりに広い庭を歩き始めた。

 

 ――っても、提督が花言葉とかしってるとは思わねぇけどな。

 

 天龍はそう胸中で呟いた。男という生き物は花のなんたるかなどさっぱり理解していない生き物だ。精々食べられない植物、位にしか思っていない連中ばかりである。

 こればっかりは幾ら変な事を知っている提督でもそう違いはないだろうと天龍は考えたが、同時にその周囲に居る艦娘はどうだろうか、と考えると軽率な行動はとれなくなるのだ。

 初霜辺りなら知っているかもしれない、大淀辺りは本命だ。

 更に提督の第一旗艦山城となれば、花言葉から古代中国の呪詛まで知っていそうな艦娘だ。その辺りから提督に漏れた場合、提督としても流石に良い顔はしないだろう、と天龍は見たのである。

 

 だというのに、木曾は何も考えていない様子で花壇の間を歩くだけだ。

 天龍もまたそれに付き合いながら、そっと小さくため息をついた。

 

 天龍の前を歩く、様々な花壇で咲き誇る花達をみながら歩いている木曾という艦娘は、この鎮守府を代表する歴戦にして、提督の切り札とも称される艦娘である。

 重雷装巡洋艦、というたった三人しかいない希少な艦種に属する一人であり、これまでの働きは龍驤鳳翔に比べても決して劣らない。

 

 元はただの軽巡であったが、姉達と同じ重雷装巡洋艦になってからという物、この鎮守府――いや、提督に仇なす特別海域での強敵達――提督曰く、ゲージ――を魚雷で粉砕してきた。

 しかも姉達に比べて若干ではあるが消費量も控え目であるため、通常海域などでも艦種限定されない場合は編成に組み込まれて猛威を振るってきた艦娘である。

 まず間違いなく、この鎮守府における武勲艦の一人だ。

 ただし

 

「なぁ天龍、これはどうだ!?」

 

「あぁ、ガマズミかぁ……それ、無視したら私死にます、とかだぞ」

 

「山城みたいな花だな!」

 

 ポンコツである。

 庭に植えられた落葉低木のガマズミから離れる木曾は、日常においてとことんポンコツである。

 なにやら花にも山城にも失礼な事を口走った木曾は、少々むきになった顔で周囲を見回し始めた。

 

 ちなみに山城は、提督から無視された場合提督も一緒に巻き込んで死ぬので厳密にはこの花の花言葉とは違う。

 

 さて、木曾である。

 提督に贈る為の花を選んでいるのだろうが、その相自体が花を遠ざけている様な物だ。少なくとも花から愛される相ではない。

 花を見るなら、もっと穏やかにあってはどうか、といった類の事を言おうとした天龍は、しかしそれをやめた。

 

「天龍、これどうだ!」

 

「あぁ……コスモスか」

 

 木曾がコスモスを指差していたからだ。流石にここで菊を選ぶような真似はしないか、とどこか残念に思いながらも頷き天龍は木曾に応じた。

 

「まぁ、いいんじゃねぇか?」

 

「いや、コスモスの花言葉は?」

 

「んー……乙女の心とか、そんなんだぜ」

 

「良いじゃないか。よし、これにしよう」

 

 天龍の口から出たコスモスの花言葉に木曾は気をよくし、しゃがみ込んで園芸用の刃部分の短いはさみを取り出してコスモスを選別し始めた。

 そんな木曾の様子をなんとなく眺めながら、天龍は今木曾と共に歩き回った庭を見た。

 そこにあるのは、低木や草花だ。その中にあって、この季節に咲く有名な花が無い事に天龍は苦笑を浮かべた。

 

 ――やっぱり、誰も植えねぇか、あれは。

 

 天龍が思い浮かべたあれ、とは先ほど天龍が胸中で呟いた、天龍自身も前には艦首に頂いた菊である。

 菊というのは武家の家紋としても天皇家の家紋としても使われ、菊見の宴や菊人形にと人々の目を楽しませてきた反面、墓前の花、仏壇の花、葬式の花として使われるためかどうしても人に死を連想させるところがあり、縁起が悪いといわれて嫌厭されやすい。

 

 特に薩摩藩士を多く受け入れ――というよりも彼らが起こしたとも言える海軍は、武家の色が濃く、菊の様な、花がそのまま落ちる物は首が落ちる姿に似て嫌ったのである。同様の散り方をする椿も同じだ。ただし、軍艦には菊花紋章が使用されたのだから、この辺りは実に複雑な思いであっただろう。

 或いは、純粋な武家が消えた事で斬首という不名誉な刑に対する忌避感が薄れたのか、天皇家への忠誠がそれに勝ったのか、それとも花は花、菊花紋章は菊花紋章と別に考えていたのか。

 

 兎にも角にも、吉祥や縁起、通例等に重きをおく頃の海軍に生まれてしまった多くの艦娘達は、そういったところを色濃く受け継いでいる事が多く、それはこの庭の草花の面倒を見ている名取や神通達も同じであった。

 当然、天龍も同じである。

 と、天龍の肩を木曾が叩いた。天龍が振り返ると、そこには笑顔の木曾の顔があった。

 

「終わったぜ」

 

「あぁ、んじゃ執務室に行くか」

 

「おう、天龍も早くしろよ」

 

 その木曾の言葉に、天龍は疑問符を顔に浮かべて首を傾げた。早くしろも何も、天龍には用意する物など何も無い。精々木曾についていって、その後提督と話がしたい程度だ。

 であるのに、今度は木曾が天龍と同じ仕草で疑問符を浮かべた。

 そして木曾が口を開いてこう言った。

 

「お前は花を贈らないのか?」

 

「おまえなぁ……」

 

 あぁなるほど、と天龍は納得した。それはもう深く納得した。

 納得はしたが、それを頷けるかどうかは別である。当然、天龍は頷ける物ではない。

 木曾は良い。彼女はそういった姿が絵になるし、まぁ残念でポンコツなイケメンだ。

 が、天龍はそういう艦娘ではない。木曾と並べばおっぱいのついたイケメンコンビと称されるだけあってなかなかに凛々しい顔立ちであるが、こう見えて天龍という艦娘は立派な乙女だ。そして龍驤はおっぱいのないイケメンで立派な乙女で、提督はおっぱいもない立派なフツメンだ。

 

「お、俺はほら……そういうの……別に、いいし……お前と違って特にこれっていう戦果もないし……」

 

 天龍、という艦娘は戦場ではこれといった戦果も無い目立たない艦娘である。

 しかしそれは当然の事であった。なにせ彼女は、提督の意向によって改にすらなっていない。流石にそれでは、幾ら錬度を上げようと限界という物がある。

 結果、彼女は火力や装甲といった性能においては、部下である駆逐艦娘にすら及ばないのだ。

 

「馬鹿言うなよ、天龍。ここでお前をそんな目で見る奴がいるもんか。提督だって勿論そうだぞ」

 

 それでも、木曾の言うとおり天龍は決して見下されない。

 石油の一滴は血の一滴に値する、とは彼女達が艦であった戦時中の言葉であるが、この鎮守府を生かすために必要な血肉を求め、運び、戻ってくるのはいつだって天龍とその部下達だ。

 遠征は物資の運搬だけが仕事ではなく、時と場合によっては予期せぬ遭遇戦もある。天龍とてそれは何度も経験したことだ。

 天龍自身は確かに弱い。錬度を上げても、彼女の艦娘としてのスペックは既に頭打ちだ。

 ただし、戦闘経験は生きた。数字化されないそれは、天龍という艦娘に部下達を手足の様に動かせるだけの指揮能力と、先を見る目を与えたのだ。

 

 故に、この鎮守府で天龍を侮る者はいない。いる筈が無い。彼女達の艤装を動かす為の石油も、修理の為に、或いは武装開発の為に必要な鋼も、敵を討ち滅ぼす為に必要な弾丸も、戦闘機を作り上げ、失った分を補う為に必要なボーキサイトも、更には高速修復材も、殆どが天龍達の手よってこの鎮守府の各倉庫にもたらされた物だ。

 

 戦果の面での英雄が木曾や大井、北上であるのなら、それらを助けた兵站での英雄は天龍達である。それは紛れも無い事実だ。

 

「お前のことを馬鹿にする奴がいるなら俺に言え、それはそいつが馬鹿なんだ。ぶん殴ってやる」

 

 海上以外ではポンコツと言えど、間違いなくイケメンの木曾である。それは外貌だけの話ではなく、内面さえもイケメンなのだ。

 

「でもその後球磨姉さん達にやり過ぎだって怒られたら、天龍からも支援頼む!」

 

 ただし内面もだいぶんポンコツだった。

 天龍は息を吐きながら俯いて頭をかいた。意識もせず、特に思うことも無く、龍驤や青葉と同じ様にうつってしまった提督の癖だ。それでも、それはもう天龍の癖である。これは彼女を彼女足らしめる一つであり、それは木曾も同じだ。

 

「あぁもう、分かった分かった。俺もなんか選ぶから、ちょっと待ってくれ」

 

「おう」

 

 胸を張る木曾は、そうあってこそ木曾だ。海上での凛々しく勇ましい姿も木曾であるなら、日常での足りていない言動もまた木曾だ。

 誰も彼も、満ち足りては居ない。どこか欠けている。

 それは天龍や木曾だけに限った話ではなく、恐らくこの鎮守府にいる全ての存在がそうであった。それはしかし、当たり前ではないか、と天龍は花を選びながら小さく笑った。

 

 この鎮守府の提督こそが、彼女達にとって誰よりも提督足りえる存在でありながら、軍人としての能力はまったく欠けているのだ。

 類は友を呼ぶ、欠けているから補い合う。これはただ、それだけの事であった。

 しかし、天龍はそこまで考えて頬を朱に染めてまた頭をかいた。乱暴、とまではいかないが、雑なかき方である。

 お似合いと自身で言っているようで、気恥ずかしさを覚えた為の仕草だ。乙女な彼女からすれば、受け入れたくも在り、受け入れがたくもある事なのだろう。

 木曾はそんな天龍に目を点にして問うた。長い付き合いの彼女にしても、天龍の今の姿は奇異に映ったのだ。

 

「どうした? 虫でも頭に飛んできたのか?」

 

「違うっつーの! あぁもう……なんでもねぇって、なんでも」

 

 乱暴に手を振って返す天龍の様子に、まさかそんな乙女的思考で雑な行動を取っていたとは気付けない木曾は首を捻ったが、相棒の言い分を信じて黙った。天龍はと言えば、先ほど思った事を脳裏で文字にしてすぐ消した。それで消えてくれと念じながらだ。

 が、意識すれば意識するほど思考の中にあるそれは一際存在感を放つようになるものだ。

 天龍のそれもご他聞に漏れずそうなってしまった。なった以上、天龍は諦めて舌打ちしながら花に集中し始めた。

 

 が、それは木曾のそれより長かった。

 理由と言えば、彼女が木曾とは違い花言葉に詳しかったせいである。何故に花言葉に詳しいのか、と問われれば、この庭を管理するに当たり本を読んで覚えた、と応える用意のある天龍であるが、実際はこの庭の面倒を見る前から知っていた。提督から花を贈られた際、それが何を意味するかを察する為に覚えたのだ。実に乙女である。

 

 そして言うまでもないだろうが、彼女が提督から花を貰ったことはない。いや、ここの艦娘達は誰一人としてそんな物を提督から貰った者は居ない。

 あの提督にそんな事を求めること自体が大間違いなのだが、少女の体と乙女の心をもつ彼女達には関係ない話である。

 まぁ、ちょっと誉められたりしたらすぐキラキラする彼女達であるので、そういった意味でもお似合いの提督と艦娘ではあるのだが。

 

 と、天龍が足を止めた。

 天龍が見つめる先にある花壇は、神通がよく世話を見ている花壇だ。そこに咲く花があまりに愛らしくて、そしてその花言葉がいじらし過ぎて足が止まったのだ。

 その花もまた、今年の暖かい冬の為に咲き残った花である。本来ならそろそろ無い筈の物、というのがまた天龍にはいじらしく見えたのだ。

 

 彼女はそっとその花に近寄っていった。指で軽く小さな太陽にも見えるその花を撫でると、やはり僅かばかりの弱さが見えた。本来ならもう散っている花だ。暖かいからといっても多少の無理の痕はある。限界だ。この花はもう散るより他無い。

 だから天龍は、意識もせず声を零した。

 

「なぁ……お前、最後に人に愛されたいか?」

 

 花は何も応えない。その為の口はなく、その為の心は無い。その筈だ。そうであるべきだ。それでも、天龍には確かに見えたのだ。花が頷いたと、天龍は確かに見たのだ。風に揺れたと彼女は思わなかった。そこに確かに、花の想いがあったとだけ感じたのだ。

 それが錯覚だとしても、そう感じ取った以上天龍はその花を提督に贈らなければならなかった。それがこの花にとっても良い事だと信じて。

 

「木曾、はさみ貸してくれ」

 

「……おう」

 

 木曾は短く答え、天龍にそれを差し出した。天龍はそれを受け取り、軽く頷いてまた花に向き直った。はさみを花に当て――天龍はもう一度零した。

 ただし、今度は胸中でだ。花にさえ通じればよいと思い呟いた彼女の言葉は、

 

 ――私を見つめて。

 

 サンビタリア。小さな向日葵の様な愛らしい姿の、いじらしい花言葉である。

 それは多分、世話した神通もそれを黙ってみている木曾も、

 

「安心しろよ……これからいくところにはな、普通で可笑しくて、それでも飛びっきりにいい男がいるんだぜ」

 

 今こうして花に語りかける天龍も、同じである。




 菊花紋章は陸軍でも小銃とかに刻印されていたそうです。
 昔読んだ小説では、泣く泣く敵軍に投降した兵士たちが、自分達の持つそれらの武器の紋章を削っていたという話がありました。菊花紋章が敵の手に渡る事が許せなかったのでしょうね……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。