執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第61話

 艦娘、という名で呼ばれる乙女達は、日常においてまったく普通の娘と変わらない。

 多少訓練や座学に時間を取られがちではあるが、待機中の体が空いた時間となれば、小物に化粧に服装にと、様々な物に目を輝かせる普通の乙女達になる。

 そうやって普通、を繰り返していると、徐々にそれぞれ差別化が図られていく。或る者は小物を収集し、或る者は服飾に夢中になり、或る者は今時のドラマ等に胸ときめかせるのだ。

 海の上では勇猛果敢な艦娘達も、陸の上ではただの乙女に過ぎない。

 

 さて、そんな普通の乙女に過ぎない陸上の艦娘達の中で、一際趣味事に夢中になっている者と言えば誰であろうか、と各鎮守府の提督達、そして多くの艦娘達に聞けば皆一様にある者達の名を上げるだろう。

 食道楽まっしぐらの赤城、各種スポーツにのめり込む長良、模型や造形にこりだす明石と夕張、だ。勿論、各鎮守府の彼女達はそれぞれまた違った個性も持つのだが、どうした訳かこれらの特徴だけはまるで基礎データとして組み込まれたかのように如実に出るのだ。

 そしてそんな彼女達を差し置いて常に真っ先に皆の口に上る艦娘と言えば……

 

「なぁ青葉……ほんとに行くのか? ってかそこに何があんだよ?」

 

 摩耶の前を歩く、重巡洋艦青葉型一番艦、青葉である。青葉は月明かりに照らされた、摩耶にとっては余り馴染みのない細い道の先をじっと見つめたまま、振り返りもせずに応じた。

 

「さて、何があるんでしょう?」

 

「おい」

 

 夜間用に調整された、と自慢するカメラを手で確かめながらいつもの調子で返してきた青葉に、摩耶はこめかみに血管を浮かせた。彼女達を照らすのは頼りない月明かりだけで、その周囲には他に灯りもない。

 青葉が見つめていた先を見れば、頼りない光ではあるが灯りも見て取れるのだが、足元を照らさないような光源など夜道では不要だ。目印にはなるだろうが、今摩耶が欲しいのは自身の先を照らす物であるのだから。

 

「まぁまぁ、怒らないで下さいよ。それを確かめに行こうじゃないか、って話なんですから」

 

「んだよ……んなモン大淀とかに聞けばいいだろ?」

 

 振り返らずとも摩耶の口調から苛立ちを感じ取った青葉は、宥めるような声音で応じた。ただし、やはり青葉の視線は前に向くばかりで、摩耶には注がれていない。青葉の背を眺めながら、摩耶はこめかみを揉みつつ唇を尖らせた。

 摩耶が言うように、この鎮守府の施設について思う事があるのなら大淀に問うのが一番だ。

 が、青葉は摩耶の問いに強く首を横に振った。

 

「良い手段ではありませんね」

 

「……なんでだよ?」

 

 摩耶の言葉に、青葉はようやっと振り返って人差し指を立てた。それを左右に振って青葉は続ける。

 

「良いですか摩耶さん、大淀さんが未だに我々に知らせない事ですよ? 聞きにいけば警戒されてしまいます。そうなっては、満足に調べられないじゃありませんか」

 

 真面目に、極めて真剣な相で言い切った青葉に、摩耶は暫し呆然とした後額に手を当てて大きなため息をついた。感心したからではない。呆れたからだ。

 

「たかが一個、最近になって倉庫が使われたって話だろう? なんでそこまでやるんだよ……」

 

 摩耶のその言葉に、青葉は目を細めた。細められた目は怜悧に輝き、そこに知性を感じさせる強い輝きが見えた。青葉はその光を双眸に宿したまま拳を強く握って口を開いた。

 

「そこにまだ見ぬ情報があるなら、この青葉。ジャーナリストとして放って置けませんっ!」

 

 くわっ、といった感じの顔で、それでも夜であるという事からか控えめに小声で叫んだ青葉に、摩耶はなんとも言えない頭痛を覚えた。同時に、こんな事に巻き込まれた自身の運のなさを痛感していた。

 青葉という艦娘は艦時代に乗せた人物の影響を色濃く受けたせいか、どうにも戦場以外では記者として動きたがるところがある。

 その為か、自身の周囲、或いは少しはなれたところ程度なら、すぐに動き回って情報を集めたがるのだ。あっちへふらふら、こっちへふらふら、と暇さえあればメモとペンとカメラを手にどこにでも現れる為、青葉を見ない日などは逆に不安になるという艦娘もいる程だ。

 

 じっとしていられない、とは青葉当人の言葉であるが、その言葉はまさに彼女の性分を良く表した物である。

 そしてそんな、じっとしていられない青葉がどこからか拾ってきた情報と言うのが、最近整備され使われるようになった寂れた港の倉庫の話であった。

 

「それまで鍵も無かった倉庫が、いつ頃からかしっかり整備されて鍵までつけられたんだっけ?」

 

「ですです。よくご存知ですねー」

 

「いや、青葉がここに来るまでに説明しただろ」

 

「……あれ、そうでしたっけ?」

 

 摩耶は拉致されてからここまでの道すがら軽い説明を受けたのだが、青葉にしてみれば覚えてもいない事であるらしい。港に行く事で思考が占領されて、それ以外の事は億劫なのであろう、と摩耶は自身に言い聞かせておいた。

 そうでないと、空いている方の手で頭を殴りたくなるからだ。恐らくそれは軽くかわされるだろうが、それでも殴りたくなるのが人の心情という物である。

 

「いやー、しかし助かりました。流石に青葉一人では夜道が怖かったので」

 

「……あぁ、まぁ……あたしも運がなかったしな」

 

 頭を軽くかきながら、ついでに肩まですくめる青葉に摩耶は肩を落として応じた。夜戦となれば艶やかに、そして鮮烈に咲き誇る彼女達であるが、それは飽く迄海上の作戦行動中の話だ。

 こんなにも幽かな月の光だけが道を照らす寂しげな夜を歩くだなどと、陸上にあっては可憐な乙女の一人に過ぎない摩耶からすれば真っ平御免である。

 作戦行動となれば夜であっても同僚もいるし、必要なことでもあるが、日常となれば不必要な行為であるからだ。決して、夜道の脇で風に揺れる草木のざわめきに寒気がするとか、揺れ動く影が別の何かに見えるから嫌だ、などという理由ではない。

 

 ――大丈夫……大丈夫……違う違う。あれなら妙高と鳥海の方が怖い……え、あれ、マジであっちの方が怖いぞおい。

 

 現在重巡の旗頭の一人として摩耶達を纏める艦娘の、腕挫十字固を笑顔で決めて芋ジャージを泣かす姿と、妹の眼鏡を光らせた容赦ない夜戦姿を思い出して先ほどまでとはまた違った恐怖に背を振るわせる摩耶は、このままベッドに戻って愛用の猿のぬいぐるみを抱きしめて眠ってしまいたいと思いながらも、なんとか前を見て歩き続けた。

 

「あぁ、それにしても皆冷たいですねー……摩耶さんだけですよ、頷いてくれたのは」

 

「……あぁ、そうかい」

 

 頷いたもなにも、頷かされたような物であるが摩耶はそれを掘り返さなかった。タイミングが悪かったのだと思い込むほかないからだ。

 と、摩耶は先ほどの青葉の言葉に眉を顰めた。どうにも先ほどの言から見るに、こうなった原因がその頷かなかった”皆”とやらにあるのではないか、と思えたからだ。

 そうなると、摩耶としては流すわけにはいかない。

 出来うるなら何かの形でこの落とし前をつけさせる為、摩耶はもう少し詳しく聞きだす事にした。

 

「青葉、誰を誘ったんだ?」

 

「えーっとですね」

 

 青葉は腕を組んで月を見上げ、一人一人と名前を挙げていった。

 

「まず最初は、吹雪さんですね」

 

「へー……吹雪が断ったのか……珍しいな」

 

「で、次が加古さんで」

 

「へー……加古もかぁ……」

 

「その次が古鷹さんで」

 

「へー……古鷹も……いや、青葉?」

 

「で、最後が熊野さんです」

 

「いや、いやいや青葉お前……」

 

 青葉は摩耶の言葉を遮り、組んでいた腕を解いて真っ直ぐに摩耶を見つめながら口を開いた。

 

「皆さん冷たいと思いませんか?」

 

「お前、狙ってやったんじゃないだろうな?」

 

 頬を膨らませて、私怒ってますよ、といった相を見せる青葉に摩耶は割りと真剣な顔で突っ込んでおいた。青葉が挙げた名前は、確かに青葉と縁のある艦娘達であるが、それはまた違った意味でも縁深い相手であったからだ。

 摩耶としては、落とし前も何もない。むしろ、まぁそうなるな、と無駄に納得できた面子である。

 摩耶の突っ込みを受けた青葉は、悲しそうな顔で俯き摩耶に背を向けた。そして、小さな声で呟いた。

 

「……しかも、頼んでいる最中に何故かオスカーと雪風さんが現れまして……」

 

「……お、おう」

 

「それも四度とも」

 

「全部かよ!」

 

 断られるはずである。相手からすれば完全にフラグスイッチが入った様な物だ。デスノボリ全開の九蓮宝燈である。

 せめてそれさえなければ……と悔しげに呟く青葉の背を見ながら、摩耶は思いっきり肩を落とした。

 運が無いどころか、何かこの先行きを暗示しているような、そんな風にも思えるからだ。摩耶自身が誘われた際には、摩耶も良く知る提督とお揃いの白い軍帽を被った黒猫も、陽炎型の八番艦も影も形も見せなかったが、それでもそういった話を聞けば不安にもなるというものである。

 

 摩耶は気分を切り替えるため、左手にある袋からクッキーを一つ取り出して口の中に放り込んだ。甘いものがさほど好きでもない摩耶が作っただけあって、甘さ控えめの一品だ。それを嚥下してから、摩耶は小さく頷いた。

 上手く焼けていると、と感じたからだ。自然と緩む頬は、しかし直ぐ引き締められた。

 何せその上手くいったクッキーのために、摩耶は今ここにいるのだから。

 

「いやぁ、摩耶さんが居てくれて本当に助かりましたよー」

 

「……あぁ、そうかよ」

 

 笑顔の青葉に、摩耶はぶっきらぼうに返した。

 

 偶然の事であった。

 偶々とぼとぼと歩いていた青葉が、偶々給湯室前を歩き、偶々一人こっそりとクッキーを作り終えた摩耶と出くわしたのだ。

 摩耶からすれば、自分らしからぬ趣味であると理解しているお菓子作りだ。知っている者も相当に限られている。それを青葉に見られたのだから、もう何を言われても頷くしかなかったのだ。

 実際には、青葉は摩耶の顔を見てすぐ駆け寄ったので、摩耶の手にある物にまでは気が回っていなかったのだが、この辺りも摩耶の不運である。

 故に、摩耶としても今回ばかりはクッキーの出来を素直に頷けないのだ。

 

「あともうちょいか?」

 

「だと思いますよ」

 

 沈みそうになる気分を変えるために、摩耶は青葉に問うた。

 応じた青葉の視線は、もう港を照らす灯りに向けられていた。その相は月明かりだけでは頼りなく判然としない物であるが、摩耶にはなんとなく、真剣な相なのだろうと思えた。

 青葉という艦娘は、摩耶達にとってなかなか言葉には出来ない存在だ。

 この鎮守府における一番古い重巡であり、重巡に限定すればまず間違いなく殊勲艦である。青葉に人体での戦闘挙動を指導された者は多く、その中には現在重巡の旗頭とされる妙高や摩耶の姉、高雄なども含まれていた。

 

 摩耶にとっては姉の師であり、師の師だ。様々な武功を伝え聞いた摩耶は畏敬の念もないではないが、しかし青葉は仰ぎ見られる事を嫌った。

 

 妙高、高雄が十分に動ける様になると、青葉はすぐに重巡のまとめ役を二人に譲り、現在では気ままな一艦娘として海上では縦横無尽に走り回り、陸上では待機中となると記者としてふらふらと歩き回って過ごしている。

 

 趣味事に重きを置いて自由気ままで、それでいて武功と行動力は抜群で、尊敬したくてもさせないのである。本当に言葉に出来ない重巡洋艦娘なのだ、青葉という存在は。

 

 常に動き回っている青葉が休んでいるのは、きっと重巡艦娘寮の青葉達の部屋のベッドで眠っている時だけに違いない、と摩耶は一人納得して胸中で頷いた。

 

 ――ほんと、行動力すげーよなぁ。

 

 青葉の、その自身とはさして変わらぬ乙女の背を見て摩耶は半ば呆れ、半ば驚嘆の息を吐いた。そして青葉の行動力がもっとも発揮される事となるのが、

 

「……で、その倉庫……偶に提督が出入りしてるって話だっけ?」

 

「みたいですねー」

 

 これである。

 

 重巡青葉は、提督の事となると本当にじっとしていられない。

 その最たる例が、最近あった提督着任宣言事件である。いや、あの出来事をこんな風に語っている艦娘は誰もない。が、摩耶の中ではそんな言葉で記憶されているわけである。

 兎にも角にも、引きこもっていた提督を引っ張り出すため、青葉が珍しく音頭を取って動き回っていた時期があったのだ。 

 結局、無理に出すべきではないと主張する初霜と執務室前で激突した訳だが、その一手によって提督が執務室から――いや、彼だけの狭い世界から出てきたのは紛れも無い事実だ。

 

「うん、確かあの倉庫ですね」

 

 突如零された声に、摩耶は小さく体を跳ねさせた。目を瞬かせながら、摩耶は港の明かりに照らされた、思っていたよりも明るい施設を見回した後小さくなっていく青葉の背を追った。

 小走りで倉庫の扉へ向かっていく青葉を、摩耶もまた小走りで追いながら問うた。

 

「お、おい、鍵かかってんだろ? 近くによって見るだけじゃないのかよ?」

 

「いえいえ、こんな事もあろうかと、ですよ?」

 

 青葉は一足先に扉の前にたどり着くと、少し屈んでポケットから鈍い色を放つ粗い作りの鍵を取り出した。それはどう見ても、そういった物に特に詳しくない摩耶の目から見ても、最近取り付けられたという真新しいドアノブとその鍵の差込口には釣り合わない物であった。

 となれば、それはつまりそういう事だ。摩耶は額に手を当てて呻いた。

 

「青葉……お前さぁ……」

 

「お昼に下見に来たときに、ついでに鍵の形を取っておきましたので。まぁ……お手製なのでいけるかどうか、微妙なところですけれど……」

 

「お手製って……? 明石は?」

 

 こういった際に頼れそうな工作艦の名を告げる摩耶に、青葉はドアノブの差込口に手製の粗い鍵を慎重に挿入しながら、とんでもない、といった相で首を横に振る。

 

「明石さんは大淀さんの親友ですよ? そこからばれたら、青葉困ります」

 

「……あぁ、そっか」

 

 言われて見ればその通りだ、と摩耶は頷いた。

 工作艦明石に鍵の製作を頼んだとして、それを明石が怪しいと思えばもうアウトだ。すぐ大淀に話が行くだろう。別に行ったところでそれだけの話であるが、情報を自力で収得したがる青葉としては致命的だ。

 暴いてこそ一流のジャーナリスト。与えられるだけは二流、という事だろう。

 その暴こうとしている事が、提督も出入りしている倉庫のこと、という辺りが青葉の愛らしさでもあるが。

 

 青葉が黙り込んで鍵を動かしている間、摩耶は今回夜遅くに来る羽目になった倉庫を眺めていた。そう大きな物でもない、まったく普通の倉庫だ。

 あえて特徴をあげるなら、まるで外部からの視線を拒むような、窓一つ無いその作りだろうか。それ以外は本当にただの倉庫だ。

 

 さて、こんな事に必死になっている愛らしい、提督にとっての一番最初の重巡である青葉は、鍵を差し込んだ後しゃがみ込んでドアノブに耳を近づけ慎重に指を動かしていた。

 ドラマや漫画で見たようなシーンを、まさかこんな所で見るなんて、と小さな感動を覚える摩耶であったが、次の青葉の声と音で目を剥いた。

 

「……開きましたっ!」

 

「マジか……」

 

 満面の笑みを見せる青葉と、目を剥く摩耶。二人の耳に飛び込んできたのは、間違いなく鍵が開いた時の音であった。事実、青葉がドアノブをまわすと、それは何の抵抗も無く動き、ドアが僅かに開かれたのだ。

 

 青葉は手にあるカメラを確りと握って、ゆっくりと倉庫の中に入っていく。摩耶もまた、神妙な顔で一旦周囲を確かめた後、つばを飲み込んで青葉に続いた。

 二人の視界の先にあるのは、ただただ暗いだけの世界である。

 窓一つ無いその室内は、港の明かりも月の灯りも遮ってしまっている。

 摩耶はその余りの黒の深さにおし黙り、青葉は息苦しさを覚えながらも、壁にあるだろう電灯のスイッチを探そうとした。

 探そうとしたが……その自身の手の平を湿らせる汗に不快感を覚え、キュロットスカートで軽く拭った。

 そして今度こそ、と壁に手を這わして暫し弄った後、スイッチを見つけた。青葉は小さく息を吸った後、吐くと同時にそれを押した。

 

 そして彼女達が目にした物は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒ですね、しれぇ!」

 

「そうだねぇ、一緒だね。雪風さん」

 

 陽に照らされた寂しげな港の一角で、提督は雪風と向かい合って言葉を交わしていた。

 昼とはいえ、流石に冬となると海から吹く風は冷たい。黒の海軍士官用の外套に身を包む提督に対して、雪風は常の装いのままだ。子供は大人に比べて体温が高い為、この程度の寒さは物ともしないのだろう、と提督は納得して雪風の腕の中で丸まっている猫の背を撫でた。

 

「しかし、お二人は仲が良いなぁー」

 

「はい! オスカーとは大の仲良しです!」

 

 雪風の声に、ぴくりと耳を動かして名を呼ばれたオスカーは自身を抱く雪風を見上げた。そしてそのまま、ただ名を呼ばれただけだと分かると再び腕の中で丸まって目を閉じた。

 実は仲が良いというよりも、雪風の体温目当てではないだろうか、等と思っても提督は決して口にしない。

 純粋無垢な少女である雪風の思いを踏みにじるのは、提督としても一個人としても難しいことだからだ。

 

「っしゅん!」

 

 と、提督の前で雪風が愛らしいくしゃみを零した。

 子供は風の子、とはいえやはり限度はあるものであるらしい。照れ笑いを浮かべて鼻をこする雪風に、提督は肩をすくめた後自身の外套を脱いで雪風の肩にかけた。

 雪風は少しの間まったく動きを止め、きっちり十秒後に再起動して狼狽し始めた。

 

「し、司令! ゆゆゆ雪風は大丈夫です! 問題ありません! い、今すぐコートをお返ししますから!」

 

「あぁ、大丈夫大丈夫」

 

 オスカーを地面に下ろして両手を空けようとする雪風に、提督はその細い肩に手を置いて宥めた。成人男性用の外套を肩に掛けられた雪風の姿は、幼い風貌もあって少しばかり違和感を覚えさせるが、寒さを遮る為となればそれも致し方ないことである。

 提督は少しばかり不恰好で、それでいて目じりに涙を浮かべて自身を見上げる雪風に目を合わせ、言葉を続けた。

 

「すぐそこの倉庫に、もう一着外套があるから。それと、ここは寒いからもう帰ったほうが良いかもね……オスカーも風邪を引くかもしれないし」

 

 雪風は提督の言葉に暫し考え込んだ後、目尻に涙をためたまま大きく頷いた。おそらく敬礼したいのだろうが、両手で塞がった状態であるから、せめて確り頷こうと思ったのだろう。

 

「はい、雪風帰還します!」

 

 雪風は大きな声でもう一度大きく一礼して、オスカーを腕に抱いたまま提督の外套に包まれて寂れた港から去っていった。

 

 ここに雪風がいたのはまったくの偶然だ。好き勝手に動き回るオスカーに付き合っていたら、この場所に出ただけの事である。

 対して、提督はと言えば倉庫に用事があっただけだ。

 数日前、暖かいからと置きっ放しにしてしまった三着しかない外套の一つを回収に来たのである。

 

 ――まぁ、その結果また外套が一つ手元から消えた訳で。

 

 消えた、というのはまた違うが、手元に無いのは事実である。そして雪風が提督の外套を身にまとったまま駆逐艦娘寮に戻り、それを見た艦娘達と一悶着起こす訳だが、それは提督の知らぬ事であった。

 提督は海から吹く風に身を震わせ、足早に倉庫へと向かっていく。

 ズボンのポケットから銀色の真新しい鍵を取り出すと、彼はそれをドアノブの差込口に無造作に入れて回した。

 鍵が開いたと同時に提督は室内に入り、窓が無い為に昼でも暗いその場を照らす為に壁にある電灯のスイッチを探し出し、これもまた無造作に押した。

 

 そして提督の目に飛び込んできたのは、何も無い一室であった。

 

 いや、棚や使われていない備品などが乱雑に置かれている。それでも、それほど広くも無い室内に置かれたそれらは余りに少なく、例えば提督の個室でもある執務室に比べれば、本当に何も無いと言って差し支えのない部屋であった。

 提督はそれでも、満足げに頷いて歩を進めた。

 

 少ない備品が置かれた室内で、どこを見ても外套など見つからないそこを歩く提督の脳裏にあるのは、先ほどまで雪風と交わしていた会話の内容であった。

 

『秘密基地となれば、しれぇはどこに作りますか!』

 

 少女らしい――いや、子供らしい言葉である。奇しくも提督の秘密基地が傍にあるというのに、雪風はそれと知らずそんな話題を偶々出会った提督に振ったのだ。

 そして提督の答えを聞くと、雪風にしては珍しく、何度も頷きながら小さな声で零したのである。

 

『流石神通さんです……司令の好みもばっちりです……っ。一緒です!』

 

 勿論、その言葉は提督の耳にも届いていたが何も知らない提督には意味不明な物である。オスカーを撫でつつ、その辺を聞き出そうとした提督であったが、結局雪風のくしゃみ一つでそれをなせなかった。

 ここでもし雪風がくしゃみをせず、提督が寒いから戻りなさい、等と言わずにその辺りの事を確りと問いただしていれば、神通と阿武隈主導で駆逐艦娘達が提督にも知らせず極秘に作った施設が一つ埋められただろうが、流石は幸運艦雪風と不沈猫サムのコンビである。

 これをくしゃみ一つで華麗に回避したのである。

 

 そうとは知らぬ提督は、ある備品の前で歩みを止めた。彼の前にあるのは、少しばかり錆びた大き目の棚である。提督はそれを動かして隅にやると棚があった場所で屈みこみ、床の一部をスライドさせた。

 細められた提督の目に映るのは小さな階段である。

 

『そりゃあ、勿論地下だ』

 

 雪風の、秘密基地ならどこに作る、という言葉への提督の回答だ。

 提督にとって、秘密基地とはダンボールか土管か穴だ。流石に彼の歳でダンボールに四方を包まれると違った意味で寂しくなってくるし、土管では狭いし、と地下にしたのである。

 これもまた、明石と北上と夕張と妖精達の手によって作られた物で、地下へと続く階段の先にある狭い一室は、地下でも模型が作れるようにと空調設備を整えた中々の一室である。

 

 そこには提督の模型以外にも、北上が作った模型の一部が提督の模型ギョーザの隣に置かれていた。

 ちなみに、明石の模型は赤穂浪士密談、夕張の模型は横綱土俵入りという、それぞれ提督の作った模型の隣に置かれている。

 

 提督はそれらを笑顔で流し見しながら、過日当人が無造作に置いていった目当ての外套へと近寄り、身を屈めた。外套を手にすると同時に、提督の頭に鋭い痛みが走った。

 

「あいた!」

 

 提督は手にした外套を手放し、頭を抱えながら慌てて立ち上がって周囲を見回した。一度、二度と見回し、三度目にゆっくり確かめて、やっと足元にある二つの物に気付いた。

 提督はしげしげとそれを見下ろした後、屈みこんでそれぞれを丁寧に掴んだ。

 

「……え、落ちて来た? 何もなかったのに?」

 

 提督が感じた限りでは風も揺れもなかった筈だ。筈だが、事実として今提督の右手と左手にあるそれぞれの物は棚から落ちてきたのだ。

 提督は顔しかめながら、それでも確りと二つのそれを確認していく。

 目で見た限り、特に破損部位はないと確認してから提督は大きく息を吐いた。そして、それらを本来あった場所に戻して、提督はもう一度屈んで外套を手にした。今回は頭上を気にしながら、だ。

 

 外套を羽織って上へと続く階段の一段目に片足を置いた提督は、ぴたりと動きを止めておもむろに背後へ振り返った。

 提督の訝しげな視線の先にある物は、つい最近彼が作り上げ、先ほど彼の頭上に落ちて来た模型である。それらをじっと見つめた後、提督は首を捻って零した。

 

「摩耶さんと青葉さんに、僕は何かしたんだろうか……?」

 

 提督の言葉に、棚に並べられた軍艦摩耶と青葉の模型は、何も応えなかった。




 多分摩耶の模型は、落ちる前に青葉にも一発かましていると思われます。
 あと、猿のぬいぐるみは摩耶の史実から。
 兵隊さんと一緒にぴしっと整列するお猿さんとか、実に和みます。

 ギョーザ、密会、土俵入り、は実在する模型であり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言をもとに構成しています(メーデー風)

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