執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第60話

 海に面した市街地からかなり離れた場所に、その施設はある。

 大きな壁に囲まれ、上空から見れば隔離された建造物としか見えないそこは、しかし人類の守り手達が住まう箱庭――鎮守府であった。

 外観は赤煉瓦の、舞鶴旧鎮守府倉庫施設に良く似た造りだ。何もここだけが、という訳ではない。殆どの鎮守府はこれと同じ造りである。

 

 これは艦娘達と、その主である提督達に軍部への帰属意識を強く持たせる為の物だと言われている。飽く迄その様に世間では囁かれているだけで、肝心の大本営はこれに関して何も語ってはない。ただし、それは否定もしていないと言う事だ。

 まず間違いなくそうなのだろう、と言うのが現状での皆の認識であった。

 

 さて、そんな赤煉瓦の伝統あふるる鎮守府の司令棟にある執務室で、二つの影が寄り添いあって穏やかに言葉を交わしていた。

 

「あれー……こっちにバケツなかった?」

 

「んー……? バケツだったら……あぁ、上の仮拠点だわ」

 

「えー」

 

「この前上で麦畑作ったから、そのままチェストに放り込んだままだ。悪いねー……」

 

「んじゃ、地下用のバケツも作っておくかなぁ。鉄鉱石余ってたし」

 

「んー……それもいいやねぇ」

 

 果たしてこれが伝統あふるる赤煉瓦造りの鎮守府の一室で交わされてよい会話であるかどうかは、是非を問うまでも無いだろう。

 しかし、当人達にとってはこれこそが日常であった。

 二人、提督と駆逐艦睦月型11番艦、望月は互いの手に在る携帯ゲーム機を慣れた手つきで操作しながら、ゲーム機の中の四角い世界を遊び倒していた。

 

 二人が今腰を落ち着けているのは本来なら来客用にと用意されたソファーで、更にそのソファーの前にある小さなテーブルにはポテトチップスやコップに注がれたコーラ、干し芋などが雑に置かれている。

 ここに初霜や大淀がいたなら、苦笑いか眼鏡を光らせていただろうが、生憎とここにいるのは提督と望月だけだ。

 いや、もし居たとしても流石に彼女達も何も口にしないだろう。現在、二人は夕飯前の休憩時間中だ。

 

 確りと働いた上で遊び、それを終えれば二人とも部屋を片付けるのだから、誰も文句はつけられないだろう。その点に関しては、だが。

 

「そーいや、司令官さー……」

 

「んー?」

 

 気だるげな声で、携帯ゲーム機の画面から目を離さず口を開いた望月に、提督も似たようなテンションで返した。

 

「最近龍驤さんとどーよー……?」

 

「いや、どうよって言われましてもさぁ」

 

 こちらもゲーム画面から目を離さないまま、提督は望月が名を上げた軽空母を脳裏に描いた。小柄で、独特なバイザーを被った少女である龍驤は、その外見に反してこの鎮守府の古参であり、鳳翔と共に影の支配者、等とも称される存在である。

 多くの艦娘の進水を助け、戦場で支え、私生活でも相談に乗ることが多い姉御肌の艦娘だ。提督にしても、多くの海域で助けられた艦娘であり、全幅の信頼を寄せる一人だ。

 それがどういう訳であるのか、

 

「今日も出撃前にハグされたんだってー? 夕立が言ってたぜー?」

 

「うん、そのあとその夕立さんにもハグされたんだけれどね?」

 

 いつ頃からか提督を見るとすぐ抱きついてくるようになってしまったのである。更にそれを真似て、夕立や、今提督と一緒に遊んでいる望月の姉、文月達まで真似始めたのだ。

 しかも最近では、MVPを取った朝潮に敬礼されたあと、抱きついても宜しいでしょうか、と聞かれた程であった。

 少女といえど乙女である。果たしてどうであるのか、と提督自身彼女達に問うた事もあるが、これは今現在もすれ違いのまま終わっている。

 気軽に抱きつくべきではない、という提督の意見も、彼女達は気軽ではないのだから問題は無いのだ。

 

 これはどうでもいい話だが……文月にハグされる度に提督は、世に文月のあらんことを……などと呟き、更に皐月にハグされた時には、お前の方が可愛いよ! 等と呟いている。心底どうでもいい話だが。もっとどうでもいい事だが、その後皐月が作戦行動中に偶然遭遇した神通似の姫級をきっちりカットイン撃破しておいた事をここに記しておく。

 

 閑話休題。

 

 この現状でまさに矢も楯もたまらず、といった状況に陥っているのが成熟した女性の体を持つ艦娘達である。

 一度鈴谷が真似て抱きついた際、提督が本気でこれを嗜めたからだ。もっとも、これは提督の照れ隠しと職場に在って彼我の距離を正しく取る為という側面が強いのだが、そこまで読み取れている艦娘は少ない。

 そんな状況下で、自身達は我慢しなければならないのか、と落ち込む一方で、実はそれはそれで、と先を見て納得しても居るのだ。

 

 駆逐艦達が許されるのは、彼女達が見目幼い少女だからだ。彼女達以外が許されないのは、それが提督に女を感じさせるからだ。

 それはつまり、女として確りと意識されていると判断したのだ、彼女達は。

 そう考えれば彼女達としてもある程度納得できるのである。女として意識されるが故にハグが出来ないのなら、今は我慢しよう、という訳だ。今は、だ。

 

「ふーん……そういやさぁ、そろそろ三日月なんかも提督の頭を撫でてあげたいって言ってたぞー」

 

「あぁ、三日月さんかぁ」

 

 同じ睦月型であるから、当然同じ寮の同じ部屋だ。その日常の中で望月は姉のそんな言葉を耳にもしたのだろう。

 それを前もって提督に伝えるのは、望月なりの姉への応援であり提督への土産でもあった。提督へは前情報を与え、断るなよと釘を刺し、三日月にはそれとなく大丈夫そう、と後々伝える為である。気だるげで無気力に見える望月もまた、強かな艦娘の一人であった。

 

「三日月さんの場合は、なんと言うか……」

 

 望月の姉、三日月を思い浮かべながら提督は一旦ゲーム画面から目を離し天井を仰ぎ見た。つられて望月が天井を仰ぎ見ていることは、当然提督には分からない。

 提督の知る三日月という艦娘は、朝潮と同じくらい確りとした、この鎮守府では数少ない常識人だ。

 そんな彼女のスキンシップと言えば、ある意味で実に彼女らしくあるもので、それがまた提督にはなんとも言えないのだ。

 

「……なに? 三日月に何か落ち度でも?」

 

「せめて姉妹のセリフにして欲しい」

 

 陽炎型二番艦の真似をする望月に、提督は肩を落として再びゲーム画面に目を戻した。それでも、指はまったく動かない。提督は過日の事を思い出しながら、望月にゆっくりと返した。

 

「いや、三日月さん、頭を撫でた後絶対肩を叩くんだよねぇ」

 

「……司令官の?」

 

「そうそう」

 

 苦笑を零す提督に、望月は眉をしかめて頭をかいた。望月の傍に居る提督は、まだ歳若い男である。まだまだ体にガタなどなく、その肉体はそれなりに健康に保たれていた。

 となると、当然一日の負荷などは眠れば消え去り、身体の各部にはしる違和感などもまったく無い状態である。もう少し歳を取ればまた違ってくるだろうが、提督の若さでは肩に凝りなどまったく在りはしない。

 それでも、三日月は肩を叩いてる訳である。提督の役に立ちたいからこその行為だろうが、完全に空回りだ。

 

 望月は天井から目を離し、背後の提督へ目を向けた。

 こちらから止めるようにと伝えようか、と聞く為だ。が、口を開こうとして望月はすぐにそれを止めた。

 望月の双眸に映る提督の相は苦笑に染まっているが、明らかに楽しさが勝っている。

 それは望月の記憶の中にある、妹達や仲間達に誕生日を祝ってもらい、プレゼントを貰った時に如月が見せた相に似ていた。

 そして貰ったボクシンググローブをすぐさま嵌めてシャドーボクシングをやっていた訳だが、望月のログにはその辺がとんとなかった。実に都合のいいログであった。

 

「それじゃあ、今度三日月さんに会うまでに、ちょっと肩を凝らせとかないとねぇ」

 

「変な司令官だねー……知ってはいるけどさぁー」

 

 ふん、と生意気そうな素振りで鼻を鳴らした望月に、提督は暫し顎に手を当てて考え込んだ後、素早く振り返って望月の肩に手を置いた。

 置かれた方の望月はと言えば、僅かに肩を跳ねさせた程度で、特に何もしなかった。彼女達の提督は、少々奇矯な人物では在るが殊異性関係には常識的な――いや、堅物ともいえる人物であった。故に提督が自身に何かするなどと、望月は考えても居ないのだろう。

 が、今日この時だけは違った。

 

「はいはーい、マッサージしますよー」

 

「ん……もっと上……あー……そこそこ。凝ってんだよねー。ん、うまいじゃん」

 

 二人は目を合わせて微笑んだ。

 凝っているも何も、望月の肩は少女特有の硬さこそあったが柔いものであったし、望月にしても自身の肩が張っているとは思ったことも無い。これは飽く迄二人の遊びだ。当意即妙な望月の対応に提督は笑みを浮かべ、望月も自身の司令官の笑みに無邪気に笑ったのだ。

 どれだけ斜に構えても、無関心を装っても、強気に挑んでも、提督の笑顔一つで艦娘もまた笑顔で応じてしまう。

 

 それは自身が主と選んだ人間の、そのなんの衒いもない喜びに深く安堵するからだ。この人で良かった、この人の為の自身で良かった、と。

 そこには忠義があり、友情があり、様々な形の愛がある。望月が提督の笑みに応じた際に浮かべた相には、親愛が色濃く宿っていた。

 

 提督は望月の肩から手を離し、ソファーに置いた携帯ゲーム機を手にとってまたゲームを始める。ソファーで二人、背中合わせでだ。提督の背に望月がもたれかかっている様にしか見えないが、それは二人の身長差を考えれば仕方無い事であった。

 

 二人は先ほどの会話で満足したのか、今度はまったく口を開かずゲーム画面を見つめつつ操作を行っていた。

 暫しの時間の後、二人は同時に息を吐きまったく同じタイミングで振り返った。

 望月は提督の目を見てにやりと笑い、提督もまた同じ様に笑う。そして互いの掌を叩いて声を上げた。

 

「うーし、ブランチマイニング用の地下拠点完成だー」

 

「よしよし、これでダイヤモンド掘りまくりますかねぇ」

 

「で、帰り道でマグマに……」

 

「やめろ……やめろ」

 

 手に在るゲーム内で一つの拠点を作り上げた二人は、軽口を交し合いながらゲーム機をテーブルに置いた。望月がテーブルにあるポテトチップスを一枚摘んで口に運び、提督はコップを手にする。そして二人が目を向けたのは、壁にある時計だ。

 時刻は夕飯三十分前。なかなかに良いタイミングで終わった、と二人は互いに頷きあい、直ぐ次の行動に移った。

 ゲームで遊んだ、それも終わった、となれば後は片づけだ。

 

「司令官、余ったポテトはいつものパウチでいいのー?」

 

「ういさ、それお願い。僕はジュース片付けてコップ洗うから」

 

「へーい……あぁめんどくせー」

 

 口ではだるそうに言いながらも、望月の動きはきびきびとしていた。途中まで口にしたポテトチップスを、執務室にあるパウチに移してしっかりと封を閉じて菓子入れに戻す。

 その間に、提督は宣言したとおりジュースを冷蔵庫に直してコップを洗っていた。

 あと少しすれば提督の夕食係が執務室にやって来るのだ。望月としてはそれを邪魔したくもなかったので、ソファーをはたき、テーブルを拭い、コップを小さな食器棚に戻す提督に声をかけて退室しようとしていた。

 

 が、何故か足が動かなかった。望月はどうした訳か、動けなかったのだ。

 まるで何か忘れ物でもあるかのような、そんな望月自身にも判然と出来ない漠然とした物が足に絡まってしまっている。

 

 ――さて、それはなんだ?

 

 と望月は室内を見回した。いつものダンボール。提督の執務机と椅子、秘書艦用の机と椅子、本棚、小さな冷蔵庫、こちらもまた小さな食器棚、部屋の奥にあるバスとトイレ。制服のポケットに収まった携帯用ゲーム機の、先ほどまで遊んでいたゲームもひと段落着いている。となれば、あとは……首を傾げる提督だ。

 なんともいえぬ愛らしい――勿論望月から見て、だが――提督の仕草と相に、望月は頷いた。それであったか、と頷いたのだ。

 

「司令官」

 

「はい?」

 

 首を傾げたコリーにも似た提督に、望月はにやりと笑った。

 

「今度、あたしが一番とったら……また肩とか揉んでよー? んじゃ」

 

 提督の答えも聞かず、望月は執務室を足早に出た。礼を失した、と思いはすれど望月の心が急かしたのだ。

 

 先ほどまで足が動かなかったというのに、なんてわがままな足なんだ、と呆れながら望月は息を吐いた。彼女の足取りは軽やかで、壁の電灯に照らされた長い廊下を常より速く歩いていく。それを可笑しいとも、変だとも望月は思いもしなかった。

 当然、今自身が浮かべる相が如何な物であるかも、彼女には分かってもいなかった。駆逐艦寮で姉の三日月と言葉を交わすまで、彼女は自身の相を覆う色がなんであるのか、知りもしなかったのだ。

 

「三日月ー、司令官OKだってー……」

 

「え? あ、あぁ……ありがとう。で、望月?」

 

「……ん?」

 

「ご機嫌だね? 何かあったの?」

 

 三日月の言葉に、望月は自身の頬や口元を撫でた。頬は緩み、口元は笑みに歪んでいる。それを確かめてから、望月は頭をかいた。

 

「なんでもない。次は頑張らないといけないから、ちょっとめんどくさい事になったなぁー……って、そんだけ」




ちと風邪っぽいです……
このいきなり寒くなるのは、本当に止めてほしい……
推敲とか甘いと思いますので、誤字脱字を見つけられた方は、是非突っ込みお願いいたします。

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