執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第59話

 潮の香りを肺一杯に吸い込み、長良は大きく息を吐いた。

 長良は簡単なストレッチを行いながら、潮の香りが強く漂う周辺を見回す。

 誰も使っていないはずなのに、何故か最近修理と改修、施錠がなされた空き倉庫に、未使用の艦娘達用の小さな待機部屋、それから、青い海と青い空だ。

 

 ――うんうん、偶には陸! って場所より、海が見える場所を走らないとね。

 

 力強く頷き、長良は足首を軽くほぐした。彼女は今からこの鎮守府を軽く一周するにあたり、そのスタート地点を現在準備運動を行っている寂れた港にしたのである。

 右腕を回し、左腕を回し。そして長良は腰を落として走り出そうとして――それをやめた。

 港の角から、見慣れた影が出て来たからだ。

 長い紫の髪をポニーテールに結った小柄な少女である。その小さな体を包むのは、白いセーラーだ。しかしセーラーという洋装を身にまといながらも、今長良の瞳に映る少女は見る者に貴い和の趣を感じさせた。

 

「ん? おぉ、長良かや」

 

 少女も長良に気付いたのだろう。少女は長良へ、てくてくと近づいてく。長良は背を正し、自身へと歩み寄ってくる少女――初春の背を見つめつつ声を上げた。

 

「おはよう、初春」

 

「うむ、おはようじゃな、長良。そもじ、今日はかような場所でなんぞや?」

 

 かような場所、と口にした初春に長良は目を点にした。それを言うなら初春はどうなのだ、と思ったからだ。そういったときに、疑うような、或いは攻撃的な視線を相手に送らないのは長良の美点であるが、人に問うという点では欠点でもある。

 初春もやはり長良の疑問に気付けず、さて、その相はなんだろうか、と首をひねるばかりだ。

 であるから、長良は口を開いた。

 

「いや、私はここから鎮守府を一周、くるっと走ろうかと思っているんだけれど……初春は?」

 

 しかし、長良の双眸は初春の目に合わされて居ない。話すときには相手を真っ直ぐに見る長良にしては珍しい事であるが、初春はその視線の向かう先を目で追って理解した。

 

「うむ、わらわはこれの試運転じゃ」

 

 そう言って、初春は自身の背にある――長良が見つめる艤装を軽く叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 艤装という物がなんであるのか。

 艤装とは艦娘にとってなんであるのか。

 これらは未だ解明されてはいない。艦娘と共に建造され、艦娘と共に海上に現れる、彼女達の艦時代を色濃く表したそのパーツは、しかし単体ではなんの意味もなく、更には互換性もなかった。

 

 陽炎の艤装は陽炎専用であり、それは同じ型である不知火であっても陽炎の艤装を扱うことは出来ない。ただし、別の陽炎が別の陽炎の艤装を装備できるが、艤装の中にあったデータは消えてしまうのだ。陽炎と共に艤装が培った経験――錬度は、その陽炎当人にしか適用されないのである。同型同艦でさえ、艤装は別人と認識しているのだ。

 

 そのくせ、建造で簡単に作れたり、海上で拾えたり、修理も簡単で在ったりと、本当に謎多き物体である。

 そしてその謎の中でも最大の物と言えば。

 

「ふむ、通常航行には問題なしじゃな」

 

「じゃあ、次は戦闘航行速度?」

 

「いや、も少しならしてからじゃな。何事もせいでは仕損ずるものじゃ」

 

 海上で波を切って進む初春の姿である。

 艦娘達はただの少女だ。少なくとも、彼女達はその外見に準じた身体能力しか有していない。であるのに、一度艤装をまとえば彼女達は海を侵し人類を脅かす深海棲艦相手に一歩も引かぬ兵士となる。

 如何な兵器でもあっても、まともな戦闘行為さえ許さなかった深海棲艦相手に、だ。

 

 海上を曲がり、戻り、進み、様々な動きを初春は試してく。

 艤装の調子を見るためだ。その姿は知らぬ者からすれば、無骨なフィギュアスケートにも思えて滑稽と笑ったかもしれないが、自身もまた艤装をまとう長良にしてみれば、初春のそれは実に様になる姿であった。

 戦闘の為に、或いは迅速な行動の為に、まず何を見るべきか理解した上で初春が艤装の調子を試しているからだ。

 

 彼女達の艤装は彼女達だけの物だ。

 故に、明石や妖精達が修理、調整したそれを本番――作戦行動で直ぐ使える物であるかどうかを試すには、地道な試運転しかない。

 流石に砲撃や雷撃を試すにはここでは不足だが、現在の初春の様に走らせる程度なら寂れた港でも十分であった。

 

「……少し飛ばしてみるかや」

 

 初春は小さく呟き、それまでの通常航行速度から戦闘航行速度に切り替えた。

 相手の火線をくぐり、弾雨の下を走り、的確に相手へと近づき仕留めるには瞬間的な速度が必要になってくる。走り、止まり、走り、止まり、とそれらを淀みなく、直線で進み、稲妻の様に奔り緊急回避行動を取って初春は息を吐いた。

 彼女が感じる限りでは、修理前の調子となんら変わった様子が無いことに安堵のため息を零したのだ。

 そして彼女は、そんな自身を港から見つめる長良に目を向けた。長良の手にはメモとペンがある。

 何か不調が見られた場合記す為のものだ。当人では気付けない問題箇所も、傍目の誰かには見えるものであるから、偶然居合わせた長良にこれ幸いと初春が頼んだのである。

 

「しかしなんじゃな」

 

「ん?」

 

 初春は海上で緩やかに曲がって長良に近づきつつ零した。こちらは現在艤装がない長良であるが、彼女の素の身体能力は高く、それは五感にも現れていた。初春の零した声も確りと耳に届いているのである。

 

「かつてぶつけてしまった相手に、こうして試運転に付き合って貰えるとは、わらわは果報者よな」

 

 初春のその言葉に、長良は腕を組んで唸った。艦時代の事である。スラウェシ島のケンダリー攻略という一場面で彼女達は運悪く衝突し、長良と初春は一時離脱、仲良くダバオで修理となったのだ。

 ぶつかって来たのは初春であり、被害者は長良である。ただし、それは二人が艦の頃の話であって少女の体を持つ現状にあっては、こんなにも小柄な少女を入院させる様な事態を起こしたのか、と長良にとっては後悔しきりだ。

 

 おまけに、その時初春の妹である初霜には旗艦任務まで任せてしまったのだから、長良からすれば後悔ばかりの出来事である。

 それらのことは、既に互いに謝罪済みであるが、謝って終わり、というようなものでもない。少なくとも長良にとってはそうだ。

 落ち込んだ相を見せる長良に、初春は持っていた扇子を開いて口元を隠し、からからと笑った。

 

「そもじ、何という顔をするか。悪いのはわらわじゃ。そもじが何あって落ち込んでよいものか」

 

 笑う初春であるが、言葉に含んだ”よいものか”とは古語の非難の意を込めて問い返す言葉だ。謝っておきながら強気な姿勢は果たしてどうなのだろうか、と呆れ顔を見せた長良に、初春は扇子をぴしゃりと閉じてそれで自身の肩を叩いた。

 

「それでよい。そもじに暗い顔など到底似合わぬぞ。誰が何を言おうと、何するものぞ。何するものぞ。言うてやれば良い。わらわ――初春が悪いのじゃと、呵呵と笑ってやればよい」

 

 ふふん、とどこか挑むような笑みを浮かべる初春に、とうとう長良は小さく笑った。笑うしかないのだ。

 初春は自身が放った言葉に嘘など含まれて居ないだろうし、その言葉で自身が不利益を蒙っても撤回する事はないだろう。

 長良型姉妹の長女である長良が真っ直ぐである事同様、初春型姉妹の長女もまた真っ直ぐなのだ。

 

「それにじゃ。そんな事を気にしておったらそもじ、深雪と電、初風と妙高なぞどうするものじゃな」

 

「んー……」

 

 初春が口にした深雪と電、初風と妙高も、彼女達と同じ衝突組だ。ただし、この二組は衝突の結果が二人以上に悲惨である。

 あるのだが、この二組は特にわだかまりなどないのだ。初風は妙高を恐れてもいるが尊敬もしているし、何かあれば妙高に相談する程である。深雪にしても、妹――或いは従妹とも言える電に特に含んだような素振りは見せていない。休日などには一緒に遊んでいる事もあるので、こちらも良好だ。

 となれば、結果的には両者共無事に復帰で済んだ自身達がどうこう気にするような物ではない、と初春は言いたいのだろう。

 

「それでもまだ気にすると言うのならば、もう少しばかりわらわの試運転に付き合えばよい」

 

「……いいの?」

 

「良いもなにも、もうわらわはそもじの世話になっておるぞ? それともなんじゃ、ここでわらわを放ってどこかに行ってしまうのかや?」

 

 問う初春の眼差しは、珍しい事であるが歳相応の甘えが見えた。長良の目には、だが。

 長良にとって、自身の訓練を置いて初春の艤装の試運転に付き合ったのは、過去の後ろめたさからだ。しかし初春はそれに、言葉ではともかく、態度では少女としてただ甘えてきたのである。

 自身もまた、5人の妹を持つ長良としては、到底放っておける物ではなかった。

 

「私でよければ手伝うけれど……」

 

「うむ、良い心がけじゃぞ」

 

「かわりに、あとで私のランニングに付き合ってね?」

 

「……うむ、おそらく、多分……そうじゃな、子日か若葉か初霜が付き合うと思うぞ?」

 

「おい長女」

 

 目をそらしてしどろもどろに呟く初春に、長良は据わった目で突っ込んだ。流石にこれには長良も攻撃的だ。

 お互い長女である。妹を売るとは何事かと非難を込めた訳だ。だがしかし、長良のその様に初春は手に在った扇子を彼女に突きつけて声高に叫んだ。

 

「ではそもじ、神通に訓練へと拉ch――誘k――道連r――誘われた阿武隈が居たとして、我が身を呈して守れるかや!」

 

「頑張ってね阿武隈」

 

 長良は満面の笑みで返した。脳裏に浮かぶのは、在りし日の子牛と買い取り業者――阿武隈と神通の姿である。初春は仮定として口にしたが、それがまさか過日に在りし悲劇だとは思いもしなかっただろう。

 神通という乙女は、普段はまさに華にも似た乙女であるが、作戦行動となれば矛となって敵を貫く戦乙女になってしまうのだ。訓練、となれば同僚達との物であるから、流石に作戦行動中の苛烈さには及ばないが、それでも十分恐ろしい物である。

 

 ほぼ同等の身体能力を持つ長良ですらそう感じるのであるから、神通という乙女の気迫は半端なものではない。

 もっともそれは、言ってしまえばたった一人の為に磨かれた覚悟であって、神通という乙女の純な想いでもある。だからこそ、誰も彼女を止められないという問題も孕んでいる訳だが……

 

「あぁ……でも、初霜かぁ……」

 

「……うん? なんじゃ? 初霜がどうかしたかえ?」

 

 初春が売った妹の中の一人、現状では初春型の末っ子である初霜の名を零す長良の相は明るい物ではない。故に初春は問いただしたのだ。

 

「いやぁ……初霜にも迷惑掛けてるし、やっぱりお姉さんをドッグ送りにしてるから……」

 

 初霜だけに限った話ではなく、もうその場には居なかった子日を別にして、若葉にも長良は後ろめたい物がある。初春はそれを許すというが、彼女の妹達が何を思うかはまた別だ。

 特に初霜には、長良が途中で投げ出した仕事を任せてしまったのだから尚更だ。既に謝罪しているからといって、それが消える訳でもない。

 少女の体というのは実に便利である反面、そこに宿った少女の心というのは実に不可思議だ、と長良は自身事ながら妙な感心をした。

 

「ふむ……では、こういうのはどうじゃ?」

 

「うん?」

 

 初春はにやりと笑いながら、扇子で自身の頬を軽く二度三度と叩きつつ流し目で長良を見た。余程自信があるのか、と興味を惹かれた長良は身を乗り出して初春の次の言葉を待った。

 

「提督を真似ればよいのじゃ」

 

 が、初春の言葉はこれである。長良からすれば、いったいぜんたい、何を言っているのかさっぱりという物だ。目を瞬かせながら首を傾げる長良に、初春は掌を見せて頷いた。

 

「まぁ焦るでない。ゆるりと構えよ。そもじはまずそこから、提督を真似るべきじゃぞ?」

 

「えーっと、司令官の真似……司令官の真似……あぁ」

 

 初春の言葉に、長良は暫し考え込んだ後掌に握った拳を、ぽんと落とした。そして、初春の艤装をじっと見つめて

 

「不明なユニットが接続されました」

 

「……なんじゃそれは」

 

 何故か平坦な、それこそ機械音声かと思えるような声で意味不明な事を言い出した長良に、初春は扇子を顎に当てて首をひねった。真似ろといったら長良のこの様である。

 まさかそんな意味不明さを真似るとは思わなかった初春からすれば、まさに不意打ちであった。

 

「うん、この前司令官が扶桑とか大和の出撃前の艤装装備姿を見て、さっきの言葉言ってたから。初春は意味が分かる?」

 

「……いや、どこかで聞いたような気はするのじゃが、はっきりとはせんのう……ふむ」

 

 長良の応えに初春は考え込むも、やはり彼女の思考はクリアにはならなかった。ちなみに、初春がどこでそれを聞いたかと言えば、自室でスマホを弄りながらやっていた乙女ゲー中に、背後で子日と若葉が遊んでいたゲームから聞こえた物であった。

 乙女ゲーという以上、乙女が嗜むゲームなのだと信じてそちらに集中していた初春は、結局妹達のゲームにまで気が回らなかった訳である。

 まぁ回ったところで無駄な知識が増える程度だったのでなんら問題は無いわけだが。

 

「いや、あんまり提督のそういったところは真似るでないぞ。あれはあれで良いおのこじゃが、一人であるから良いのじゃ。あんなものが増えたら世も末じゃぞ」

 

「真似ろと言ったり真似るなと言ったり、どっちなの初春?」

 

「わらわが真似ろと言ったのは、あやつの気の抜けた……まぁ、どっしりと構えたところと日に三度のあれじゃ。奇妙奇天烈なところは真似んでよい」

 

 そう返されて、長良は提督を目を閉じた。瞼の裏に思い浮かべるのは彼女の提督――司令官の姿だ。常からぼうっとしたいまいちしまらぬ男で、どこからどう見ても凡庸な男だ。ただし、外貌は凡庸でも、口を開くと凡庸ではない。それも悪い意味でだ。

 そういった男であるが、確かに初春が言うようにこの鎮守府の主が焦った姿など長良は知らない。実際にはここに来た当初相当に焦った訳だが、そんな姿を見ていない長良には知らぬ事だ。

 

「で、気を抜いてどうすればいいの? っていうか、日に三度のあれってなに?」

 

 目を開け、素直に型から力を抜いた長良の問いに、初春は喜色に染まった笑みで頷き返した。長女としての性か、些細な事でも頼られるのが嬉しいのだろう。

 

「初春型と長良型でお弁当なぞ用意して、空いている港で昼でも一緒するが良いと思うのじゃ」

 

「……あぁ」

 

 長良はやっと理解の色を瞳に宿し、数度頷いた。初春姉妹の上司である阿武隈を末っ子にもつ長良であるから、それをセッティングする事に難はない。長良は空を見上げた。そこにあるのは青い空だ。

 こんな空の下で、海の風を感じながら美味しい物を食べて、皆で笑えたらどれだけ幸せなことだろう、と長良は心底から思った。と、そんな彼女の耳に初春の声が入ってきた。

 笑いをこらえるような、どこか喜色を帯びた声だ。

 

「うむ、ついでじゃ。特Ⅰ――吹雪姉妹達も招くかや? うむうむ、我ながら良い事を思いついたぞ」

 

 一人納得して満足げに頷く初春に、長良は問うような眼差しを向けた。初春はそんな長良の視線に暫し考え込んだ後、片眉を上げて扇子を広げ、口元を覆い隠した。

 

「なんじゃ、そもじ知らぬのか? まあ任せよ。何事も形からじゃ、そう、形じゃ」

 

 初春の発言の意味を汲み取れない、というよりも、自身だけで納得している初春を視界におさめつつ、長良は肩を落とした。が、それでも彼女は不安には思わない。

 自身ありげに扇子で口元を隠す初春の瞳に、強い輝きを見たからだ。

 

「新しき年の初めの初春の、今日降る雪のいやしけ吉事、とな」

 

 耳をくすぐったその言葉がなんであるのか、長良にはまったく分からない。

 それでも長良は、なるほどと頷いておいた。

 なんとなく、それで良いのだと思いながら。




おまけ

大和(出撃帰り艤装つき)「……? あれ、皆さんでこんな所でお昼ですか?」
子日若葉初雪鬼怒「……」
大和「……え、あ、あの?」
子日若葉初雪鬼怒「不明なユニットが接続されました」
大和「そ、それなんなんですか? 前にも提督に言われたんですけれど」
初春長良「……」



そもじ

そなた。あなた。

おのこ

この場合は成人の男子。

新しき年の初めの初春の、今日降る雪のいやしけ吉事(万葉集 大伴家持)

新生万年 ショシュンの時空の歪みに舞い降りる氷塵の公爵に、…フン、悪くない事象も奪った命の数だけオプティマながら、それでも人はあがき続けるのか……………と預言書にも記されているように別々の心がとけあう時、もう一度その手はつながれる・・・

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