執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第54話

 執務室の窓から見える空を見上げながら、その男は、ぼうっとしていた。頬杖をついて気の抜けた顔を晒すその様は、男――提督らしくあって実はらしからぬ物である。

 この男、平凡は平凡なりに考える事も多いようで普段余り気の抜けた顔を人に見せる事は少ないのだ。

 同じ執務室の、その小さな机で仕事をしていた初霜は、提督に優しく声をかけた。

 

「提督、お仕事は終わりましたか?」

 

「……うん」

 

「提督、そろそろお夕飯ですよ?」

 

「……うん」

 

「提督、ネッシーの学術名は?」

 

「ネッシテラス・ロンポプテリウス」

 

「あぁ、いつもの提督ですね」

 

 初霜は、ほっと一息ついて頷き、手元にあった書類を束ね側面で机を叩き揃える。壁にある時計を見やり、針の位置を確かめてから提督に一礼した。

 

「では、失礼いたします」

 

「うん……お疲れ様」

 

 執務室から去っていく初霜に、提督が声をかけた。ただし、これは条件反射的なものだ。初霜の聞きなれた常の提督の挨拶に比べれば、彼女には物足りない物がある。

 それでも、初霜は何も言わない。

 手に在る書類を胸に抱き、大淀の執務室へと足を動かすだけだ。

 

 ――今夜のお弁当当番の人は、あの人だから……きっと大丈夫。

 

 そう胸中で呟き、初霜は長い廊下を歩き続けた。

 

 

 

 

 

 初霜が提督の砦、執務室から去って十分もしないうちに、その扉の前に立つ艦娘の姿があった。彼女の手には、大きな包みが二つと魔法瓶がある。それはつまり、彼女が今夜の弁当当番である事を物語っていた。

 であるのに、彼女は――翔鶴型正規空母1番艦、翔鶴がその扉を開ける気配は、まったくと言ってよいほどなかった。

 彼女は扉を見ては悩み、また扉を見ては悩み、と繰り返している。

 

 ――あぁ、なんでこんな時に限ってお弁当当番にされてしまうのかしら……私やっぱりちょっと不幸なのかもしれない……

 

 最近姉妹揃って改二の改修がなされ、今まで以上に提督の為に頑張れると思っていた矢先の出来事だ。自身の不幸を嘆くのは、仕方ない事であった。

 それでも、彼女の手には渡すべき物があり、実行すべき任務がある。

 提督を空腹で悩ませるなど、翔鶴にとってはまず許せ無い事であったから、どう足掻いても彼女は扉を開けるしかないのだ。

 

 時間は残酷に過ぎていく。彼女も、提督もその流れに逆らう事はできない。悩んでいる時間は、それこそがまったくの無駄でしかないのだ。

 翔鶴は大きく息を吐き、そして静かに息を吸う。それを数度繰り返してから、翔鶴は目に力を込めて口を開いた。

 

「いい? 瑞鶴……行くわよ! お弁当部隊、出撃!!」

 

 ちなみに、瑞鶴はここにいない。

 姉妹の幻覚を見るのは、艦娘にとってわりとメジャーな病気であるので、もし目にしても否定しないであげて欲しい。

 

 何やら出撃時の台詞らしき物を口にして入ってきた翔鶴に、提督は曖昧な笑みを見せて頷くだけだ。翔鶴から見ても、やはりそこには常の提督らしさがない。

 翔鶴達の提督は、見かけこそまったく普通の男だが、口を開けばたいがい可笑しい男であるのだ。こんな大人しい姿は、彼女としてもなかなかに衝撃的な物がある。

 

 提督が上の空になるようになったのは、違う鎮守府の提督が来てからだ。そしてこの変化は起きるべくして起きた物だ。少なくとも、翔鶴を含む正規空母達は在る程度の背景を聞いて皆納得している。

  

 ――でも、だからと言って私というのはどうなんでしょうか……赤城さん。

 

 翔鶴は、ぼうっとした提督に一礼した後、手にある弁当をテーブルの上に広げながら脳裏に浮かぶ自身達正規空母の筆頭、赤城の顔を思い浮かべた。

 本来、今夜の当番は彼女の妹である瑞鶴であったが、赤城の

 

『今回の当番は、翔鶴がお願いします』

 

 の一言で変更となったのだ。秘書艦の初霜まで証人として用意して、だ。

 少しばかりぐずる瑞鶴であったが、赤城が耳打ちすると途端大人しくなり引き下がったのである。

 いったい赤城は自身に何を期待しているのか、と心中で重いため息をついて翔鶴は、未だ執務机から離れない提督に声をかけた。

 どうでもいい話だが、瑞鶴は次の第一艦隊空母枠の優先権で買収されただけである。決してその際にMVPを取って提督に誉めて貰おうなどとは考えていない。誇り高い新一航戦の瑞鶴がそんな事を考える訳がないのだ。多分。

 

「提督……準備が整いました。どうぞ」

 

「うん」

 

「提督……お夕飯ですよ?」

 

「うん」

 

「提督、メガロドンの学術名は?」

 

「カルカロドン・メガロドン」

 

「あぁよかった、いつもの提督ですね」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、翔鶴は提督へと静かに歩み寄りそっとその手を取った。

 

「さぁ、どうぞ」

 微笑む翔鶴の相を見上げたあと、提督は自身の手を包む、彼女の手に目を向けた。その手は、白く細いが、指は意外に硬い。矢を番え海上を行くその身であれば、ただ美しく柔く在るだけを許されないのだろう。

 提督は、翔鶴に誘われるままソファーに座り、テーブルに置かれた弁当を見た。

 男一人が食べるにしても、随分大きな銀箱弁当だ。しかもそれが二つもある。陽炎姉妹などもそうだが、翔鶴達も男ならこれくらいは食べると信じているのだろう。

 彼女達の基準は、若い海軍兵士や士官達であるから、それも仕方ない事なのだろうが、ここにいる提督はデスクワーク専門の凡人である。

 食べきるにはなかなか辛いものであるが、用意されたそれを提督が残せるわけもなかった。

 

 翔鶴が提督、彼女用のコップにお茶を入れてテーブルに置き、そして提督の隣に座る。

 彼女の座り方は、まるで提督を窺うかの如くにゆっくりだ。提督が、隣ではなく前へ、と口にする可能性も考慮した彼女なりの配慮だ。

 提督からすれば、隣でも前でも、それがその艦娘の個性だろうとしか考えていないのだから、それはただただ無駄な考慮であるが、こういうところこそが翔鶴が赤城をして、ポスト鳳翔さん、と言わしめる所以なのである。

 

「いただきます」

 

「……いただきます」

 

 二人が、手を合わせて一礼する。

 赤城ほどではないが、それでも十分大きな弁当箱を手にとって翔鶴は蓋を取った。つられる様に、提督もそれに倣う。

 中にあったのは、翔鶴姉妹が心を込めて作った手料理たちだ。

 だというのに。

 

 箸で口に運ぶ料理達を、提督は味わえないで居た。いや、味はあるのだ。あるのだが、それを確りと認識できていない。何か他の事で思考が占領され、余裕がないのだ。

 常なら舌鼓をうつ料理に、これでは余りに失礼ではないか、と提督は僅かに怒りを覚えた。当然、自身に、だ。

 提督の一瞬の怒気に気付けぬ翔鶴ではない。彼女は口の中にあるプレスカピッツァを上品に飲み込んで口を開いた。

 

「どうされましたか……?」

 

「……あぁ、いや」

 

 気遣う翔鶴の視線から目をそらす提督は、本当に常らしからぬ姿である。勿論、そんな事は彼自身が一番良く理解していた。

 しかし、それでも彼は思うのだ。

 この世界の提督らしい提督であろう巨漢の男と、現状の自身との差はなんであろうか、と。

 それは彼自身の悩みであって、手料理を執務室まで持って来た翔鶴には関係ない話だ。関係ない話であるが、それでも提督と艦娘の一つの形である以上、どうすれば良いのか提督には分からないのだ。

 

 何か言わなくては、と彼は珍しく焦った。すまない、申し訳ない。それらの言葉を口にしようと、提督は顔を上げ翔鶴に言葉を発しようとして――

 

「はい、どうぞ」

 

 出来なかった。

 提督の口に、翔鶴が差し出したスーヴラキが入ったからだ。串焼きのそれを焼き鳥と同じように食べながら、提督は隣の翔鶴を見た。

 彼女は、今度はケフテデスを箸で掴んで待ち構えていた。

 これはつまり、暫くこれを口にして黙って欲しい、という事だろうか。と考えた提督は、黙って頷いておいた。

 それに、翔鶴も微笑を添えて頷いた。正解なのだろう。

 

「提督……提督がどこまで深く悩んでいるかなんて、きっと私には図れません」

 

 憶測はできても、それ以上は出来ない。人はそれぞれ別の体と心を持っているのだ。分かったと思い込むことは出来ても、真に理解できる事はないだろう。

 それでも、心は心を知りたがる物だ。

 

「提督、私はやっぱり不幸なんだなぁー、って思うことがあるんですよ?」

 

「……?」

 

 さて、それはなんだと、と提督は首を傾げた。前後の繋がりがない上に、突然の告白に提督としても差し出されたケフテデスを口内で噛む事しか出来ない。

 

「でも、きっとそれで良いのだと、皆といると思う事が出来るんです」

 

 偶にやっぱり落ち込みますけど、と翔鶴はころころと笑った。提督はやはり、黙って差し出されたショウバーロウを口にするだけだ。

 

「一人では、幸せも不幸もないじゃありませんか……私もそれまで、随分悩み迷いましたが……違う誰かが居て、その人とは違う自分が居て……ちょっとの差を見つけられるんですよね?」

 

 問うてくる彼女に、提督は差し出されたケバブを食べつつ頷いた。そう思い至るまで、彼女はきっと様々な物を見たのだろう。それはきっと、自己の中にある綺麗ではない物だったはずだ。それでも、翔鶴は、自分なりにその結果へと辿り着いたのだ。そしてケバブが少し醤油風味なのも自分なりにその結果へと辿り着いたからだろう。

 

「提督も新しい縁の中で、そういった事に戸惑っているのだと思います……ですから、一人で悩まないで下さい。私達は、ずっとここに、お側にいますよ」

 

 ムサッカアを提督へと差し出して微笑む翔鶴の相は、去ろうとする提督に縋るような色があった。しかしそれは弱さではない。女性としての、情の強さだ。

 そのまま、袖を切ってしまわねば振り払えないのか、と提督は中国の哀帝の故事を思い出しながら笑みを零した。

 

 もっとも、あれは男色の話であるし、寝ている愛人が袖の上に眠っていたがゆえの話だが、提督からすれば同じだ。 

 愛するが故に、そっとしておきたいのである。

 その愛は未だ男女の物にはならぬ青い物であるが、いつか熟す事も十分にある愛だ。

 だから、提督は微笑んだ。

 

「今度はもっとゆっくりと、落ち着いてご飯が食べたいね……翔鶴さん」

 

「……はい」

 

 翔鶴もまた、微笑んだ。

 

  

  

  

 

 

 

「では、失礼いたします」

 

「うん、ご馳走様」

 

 提督の挨拶に、翔鶴は一礼して執務室から去っていく。

 と、十秒も待たず扉がノックされたのである。

 提督は思わず首をかしげて扉を見た。翔鶴が何か忘れ物でもしたのだろうか、と軽く室内を見回しながら声を上げた。

 

「どうぞ」

 

「球磨だクマー」

 

 入ってきたのは、軽巡四天王五人組の被害担当艦、球磨型姉妹長女の球磨であった。

 彼女は入ってくるなり、提督をじと目で見る。まるで女衒を見るような目である。提督としてはそんな目で見られる謂れはない。しかし、球磨からすればそれはまた違うのだ。

 

「さっきすれ違った翔鶴が、めっさきらきらしとったクマー……」

 

「いや、それを僕にいわれても……」

 

「提督相手にしか言えないクマ」

 

 じっとりと言い放つ球磨に、提督は困惑顔だ。彼としては普通に接しているだけである。

 少なくとも、良い値段で売り飛ばしてやろうなどとは一切考えていないのだから、今の球磨の視線は彼にはまったく関係ないものだ。彼自身の考えでは、だが。

 

「……まぁ、いいクマ」

 

 と、球磨は相をころりと変えて笑顔になった。そのまま、提督の前まで歩み、椅子に座る提督を見下ろした。何事か、と見上げる提督の顔を球磨は両手で挟んで、むにむにと揉みだした。

 

「いや……これなぁに?」

 

「んー……よいぞよいぞー」

 

「それ姉妹の台詞ですらないだろう」

 

 提督の突っ込みに、球磨はさらに笑みを深めた。心底から、という笑みに提督は暫し言うべき言葉を奪われた。

 

「うんうん、流石ポスト鳳翔さんクマ。よいぞ、よいぞー」

 

「……あぁもう、なんだっていうんだ、これはもう」

 

 口にして、しかし提督は球磨の手から逃げようとはしていない。上機嫌、といった球磨の相をみてしまった彼には、その手から抜け出せないのだ。抜け出せば、きっとこの顔が雪の様に溶けて消えてしまうのだから。

 

「で、提督はいったい何を考え込んでいたクマー?」

 

「……んー」

 

 球磨の余りに直截な言葉にも、提督は特に顔色を変えない。

 或いは、これこそが正しい意味での、適当な道だったのではないか、と心中でため息をつく球磨に、提督ははっきりと応えた。

 

「いや、あの体格差だと色々大変だろうなぁ、って」

 

「提督は本当に愛すべき馬鹿だにゃー」

 

 妹の真似をして、球磨は提督の頭を叩きつつ、胸にかき抱いた。

 

 その後、部屋に戻った際妹の多摩に

 

「あ、おかえrねえちゃんめっさきらきらしとる……めっさきらきらしとる」

 

 といわれた事を記しておく。




明日はお休み

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