執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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外の景色、中の景色。
同じモノ、違うモノ。
違う事、同じ事。


第50話

 火線が奔る。早く、速く、迅く。

 ただの遠征任務が、不確定な深海棲艦の動き一つで交戦状態に陥るのは珍しい事ではない。ただ、その為に必要な火力が不足する事も、珍しくない事だ。

 このまま沈む。このまま散る。そのまま消える。

 様々な恐怖が少女の脳髄を侵していく。

 

「あぅ……! くそ……!」

 

 小さく叫んだのは、少女の――この遠征部隊の旗艦、由良だ。普段穏やかな彼女が、余裕もなく舌を打つ時点で状況は見えている。少女の周囲に居る少女と同型の姉妹達も、皆浮べる相に希望の色は見えない。一層清清しいほどに、この場にいる遠征部隊の皆が浮べる相は絶望だ。

 そしてそれは、少女もまた同じであった。

 せめて今度こそ。今こそ。そう願って生きてきた。頑張ってきた。

 艦で在った頃、特に目覚しい活躍もなく消えたのだから、今こそは、と。それが皆の為になって、鎮守府の為になって、そして――

 

 ――あぁ、司令官……

 

 少女の脳裏に浮かんだのは、岩の様なごつごつした顔に穏やかな双眸を持った提督の顔だ。それだけが彼女の幸せであった。例え体は恐怖に震えようと、心の奥には大事な人との記憶がある。

 ただ、それを胸に抱いて死ぬ事で、少女の優しい提督が傷つくだろうという事が、少女のもっとも深い悲しみであった。

 

 深海棲艦達が、滅びの足音と共に少女達に近づいていく。誰も逃すまいと、何一つ助けまいと、何一つ許すまいと。空に砲華が咲き乱れ、水面に仄かに映りこんだ紅のそれを踏み乱して、おぞましいそれが。その目に狂気を宿して近づいていく。

 全て、この海の全て、在る全てをその瞳に映した狂気で塗りつぶしてやろうと。

 

 だがそれは。

 たった一発の小さな砲撃によって希望へと塗り替えられた。

 

「……だ、誰?」

 

 旗艦の由良が、皆を見回す。ただ、誰も砲撃など行っていない。そんな余裕すら彼女達にはなかった。

 と、そんな少女達と深海棲艦の間を割って入ってきた人影があった。彼女の手に在る機銃から、硝煙があがっている。砲身からあがる煙の消え往く先を見届けるように、少女は機銃の主を見上げた。

 

「あらあら。お邪魔だったかしらぁ?」

 

 そこに、少女と同じ顔を持つ少女が、少女とは違う服装で居た。

 少女とはまったく違う、自信に満ちた相で拳を握って。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 先ほどまで自身がいた港が望める小さな広場にあるベンチで、その少女はもの憂げな相で小さく息を吐いた。風に梳かされる長い髪を押さえる手つきはどこか艶やかさがあった。

 ただし、

 

「あぁ……暇だわぁ」

 

 その体つきは仕草に反して幼い。女性的な曲線には遠い、とまでは言わないが肉厚的な魅力には乏しい体つきだ。背丈もそう大きなものではなく、艶やかな仕草がまだまだ人に違和感を与える年頃である。

 しかし、だからこそ彼女はその仕草を好んでいるのだろう。それを馴染ませる為の練習期間が今である、と彼女は考えているからだ。

 誰しも、最初から熟練者であった訳ではない。皆それを習熟する為の苦しい時間が在った筈なのだ。彼女の師はそう言った。そしてそれを、なるほど道理だ、と彼女も受け入れていた。

 

「ほんと、ひまねぇ」

 

 ゆえに、彼女は違和感を他者に与えようと止めない。

 彼女が選んで、決めた事なのだから。

 

「おーい、如月ー」

 

「あら、深雪。どうしたの?」

 

 彼女の――如月の名前を呼びながらよって来るセーラー服姿の少女、深雪を見て如月は小悪魔っぽく首を傾げた。これも、まだ如月にとって練習中の技である。

 

「睦月達に聞いたら、ここに居るって聞いたからさ」

 

「睦月ちゃん、何か言っていたかしら?」

 

「んー……別に?」

 

「そう」

 

 からっと返す深雪に、如月は素っ気無く返す。そんな如月の隣へ、深雪が挨拶もなく腰を下ろした。

 

「ちょっと、マナー違反よ?」

 

「気にすんなって。深雪と如月の仲だろー?」

 

「なぁに? 如月達ってそんな深い仲だったかしら?」

 

「あぁーもう、ほら、そこの自販機で買ったコーヒーやるから、機嫌直せよー」

 

 深雪がポケットから取り出した缶コーヒーを少々乱暴に取って、如月はプルトップに指をかけた。

 

「私、コーヒーより紅茶の方が好きって何度も言ったでしょ?」

 

「わりぃー、紅茶はなかった」

 

「本当だか」

 

 深雪の言葉にそう返して、如月はプルトップを空けた。そのまま、缶コーヒーを口に近づけて飲み始める。隣の深雪も、如月に倣ってか缶コーヒーを飲み始めた。ただし、控えめに飲む如月に反して、深雪のそれは豪快だ。現場の作業員並の豪快さだ。

 

「っかー! いやぁ美味いなー」

 

「……深雪、あなたも」

 

「あーあー、分かってるって。女の子なんだから、だろう? 深雪様もそりゃあ分かっちゃいるけどさぁ、なんかこう、違うんだよなぁ」

 

 苦笑を浮べて頭をかく深雪に、如月は小さく息を吐いた。諦めの色を多く宿した相で彼女は呟く。

 

「もう、折角こうした綺麗な体で生まれたんだから、それを磨きなさいよ」

 

「えー……そりゃあ、人間の体ってのも悪くないけどさぁ。ご飯とか凄い美味いし」

 

「というか、深雪はそれが大半の理由でしょ?」

 

「おう!」

 

 胸を張って答える深雪に、如月は目を閉じて首を横に振った。

 深雪という少女は、自身の姿に無頓着だ。如月から見ても、磨けば光るだけの素養があるというのに、深雪はそれを放置したままである。自身を磨く事に労力を惜しまず、淑女として艦娘として僅かでも光ろうと、とある艦娘に弟子入りまでした如月からすれば、それは冒涜ですらあった。

 

「あーなーたーはー」

 

「ひーはーひー!」

 

 如月は苛立ちの余り、深雪の頬を引っ張って口を動かす。

 

「姉達を見習ってもう少し色々考えなさいよ。宝の持ち腐れなんて、一番やっちゃ駄目な事よ?」

 

「いやぁ、でもうちの姉達だってそんな見習う程のモンじゃないぜー?」

 

 如月の指が離れた頬を撫でながら、深雪は目じりに涙を浮べて返す。その声音には苛立ちも反感も含んでは居なかった。つまり、本心からそう言っているという事だ。

 それに、また如月は溜息を零した。

 

 吹雪型――特Ⅰ型姉妹の上三人と言えば、提督の1番艦でありベテランの吹雪、鎮守府古参にして駆逐艦の相談役白雪、駆逐艦のエースにして比叡の弟子である初雪と、個性豊かな如月達の鎮守府に在って存在感を放つ傑物達である。

 それを深雪は、見習う程のモンじゃない、と言うのだ。

 どちらかといえば、強烈な個性達の中に埋没しがちな如月としては、深雪の姉譲りなそのもっちもちの頬を千切りたいと思う程度に怒りを覚えるのも仕方無い事であった。

 もう一回頬を引っ張ってやろう、と考えた如月は、しかし深雪の次の言葉で動きを止めた。

 

「やめろよー。八つ当たりなんて如月らしくない」

 

 急激に、如月の中で様々な物が冷めていく。先ほどまでの深雪への怒りも、手に在るコーヒーが紅茶でない事への些細な怒りも。如月の中で代わりに熱くなったのは、この世界への怒りだ。

 如月は先ほどの深雪の様に、豪快にコーヒーを飲むと、ぷはー、と息を吐いて握り拳を掲げた。

 

「ぬるい!」

 

「え、それコールドだぞ?」

 

「ぬるい!」

 

「あ、はい」

 

 深雪の突っ込みも無視して、如月は鋭い眼差しで続けた。決して茶化してはいけない、と深雪は適当に相槌をうった。ちなみに深雪は朧曰く、本能的に長寿タイプ、と言われている。漣の姉だけあって、あの娘もどこか変である。

 如月はゴミ箱へ空になった缶を全力で放り投げた後、ふんす、と鼻から息を吐いて続けた。

 

「どいつもこいつも、誰も彼も、ぬるいのよ。泣いて運命を受け入れる余裕があるなら、ドラム缶で敵を殴ればいいじゃない。悲劇のヒロインなんて、それこそ自分の司令官に対して失礼よ」

 

「あー……」

 

 如月が口にする意味不明な内容は、しかし深雪には理解できる物であった。深雪の同意ともとれる様子に、如月は目を細めて小悪魔的な笑みを見せた。これも練習中の技である。

 

「なによ、やっぱり睦月ちゃんから何か聞いていたんでしょう?」

 

「……ん、まぁ、今日の遠征であった事くらいは?」

 

「あなたも、暇人ね」

 

「そうでもないぞー? 深雪様はなんてったってスペシャルだからな!」

 

 如月に返す深雪は、それまでと変わらぬ調子だ。無理をしている様子も、気遣う素振りもそこにはない。

 

 先ほどまで、如月は姉や妹達と遠征任務に出ていた。いつもと変わらぬ遠征は、偶然の交戦で常と違った物へと変わってしまったのだ。別鎮守府の、友軍の危機を見てしまったからだ。

 当然、如月達は友軍を助けた。交戦していた深海棲艦は特に強力なモノでもなく、駆逐艦娘四人で殲滅可能なモノでしかなかった。

 ただ、その時から今まで如月は不安定であった。

 

 ――気にして、睦月ちゃんが深雪に頼んだんでしょうねぇ。

 

 如月の隣に当然と座る深雪は、少女の姿として見れば如月とは遠い存在だ。お互いに違いすぎる。少女であることに意識が向かない深雪と、女を磨こうとする如月は別方向にすら向かっている。ただ、艦娘としての相性は悪くなかった。

 恐らくそれは、艦時代の両者の早すぎる離脱から起きる、自嘲の色濃い同属意識だろうと如月は思えど、それを口にするつもりは彼女には無い。そんな物に汚されるほど、二人の間にある今の絆を軽く見られなかったからだ。

 

「……私達が助けた相手……艦娘達が誰か、聞いた?」

 

「いんや?」

 

 首を振る深雪に、如月は遠い目で息を吐いた。

 彼女としては、中々に口にし難い事であるからだ。だが、それでも彼女は結局口を動かす。そこに、反対方向にすすむ友人が居るからだ。

 

「私たちと同じ睦月型……それに、私と同じ如月」

 

 如月の呟きに、深雪はただ無言で頷いて促した。

 

「この世界はぬるいし、弱いのよ。泣いたって仕方ないじゃない。そんな暇があったら殴ればいいのよ。両手がなくなれば、噛み付いてやればいいのに、なんで泣いてるのかしら」

 

 如月の脳裏に浮かぶのは、諦めの相を浮べた自身と同じ如月だ。服装こそ違うが、同じ艦で同じ存在だ。それが如月をイラつかせる。

 彼女には、その如月が何を考えていたか分かるから、尚一層くるものがある。

 

「自分が沈んで司令官が悲しむ事が一番悲しいなんて、そんな事思ってる暇があるなら敵を一隻でも多く潰せばいいんだわ。そうすれば司令官の敵が僅かでも減るのよ? あの人の為の私たちであるなら、あの人の為に最後まで足掻くべきよ。それが、それでこその私達よ」

 

 そこまで言い切って、如月は大きく息を吐いた。黙って聞いていた深雪は、空を見上げて零す。深雪の相貌は、驚くほどに透明だ。

 

「そりゃあ、今の如月だから出る言葉だろ?」

 

「……そうよ」

 

 如月は反論しない。その考えにいたったのは、彼女が強くなれたからだ。弱い頃の彼女は、何も取り得が無い頃の彼女は、泣いていたほかの鎮守府の如月と変わりはしない。悲劇のヒロインを演じて、提督に傷を残してしまうだけの存在だった。沈んでいれば、だが。

 幸いにして、如月は沈まなかった。それなりの活躍をし、それなりの錬度を得、それなりの艦娘となった。

 

 誇れる物がない、そんな如月が。

 

 最高になりたいとまで思うほど、如月は傲慢でも無知でもない。駆逐艦には駆逐艦の限界があり、旧式には旧式の限度がある。それぞれに個性があるように、それぞれに向き不向きがあって、皆それぞれ在り方がある。

 

 如月は、それなり以上にはなれない艦娘だ。師を持って足掻けど、やはりそれなりからは脱していない。

 だが、それなりだからと言って泣くつもりはないのだ。彼女はもう昔の彼女ではないのだから。艦ではなく艦娘であり、提督から与えられた、それなり、を返す為に彼女は今ここに在る。それなりでもまだ上を見て、それなりでも進んで。泣いている暇なんてこの如月にはないのだ。

 非力な、無力な、史実に何も誇りがない駆逐艦はここにはもう居ない。居ない筈なのだ。

 

「違う如月は、まだそこまで司令官に愛されてないんだよ。じゃあ後で愛されるのかって言われりゃ、深雪の知ったことじゃないけどさ」

 

 深雪は見上げていた空から、隣に居る如月に目を移した。深雪の双眸に、憮然とした如月の相が映る。

 

「あぁもう……深雪相手だと、皆に言えない事でも言えるから厄介だわ……」

 

「その辺は睦月に文句いえよー? 深雪は見に来ただけだからな」

 

「はいはい」

 

 嫣然、とはいかない幼い笑みを浮かべ、如月はベンチから腰をあげて小さく背伸びした。深雪と話をしていただけで、もう彼女の中にあった違う彼女の姿は殆ど消えていた。

 だから本当に厄介だ、と如月は未だベンチに座る深雪を一瞥した後、一歩一歩確かめるようにゆっくりと歩き出した。

 

「あ、おい、どこ行くんだよ!」

 

 慌ててベンチから立ち上がり、ゴミ箱に缶をすてる深雪に、如月は振り返らずに応じた。彼女が目指す女性的な笑みも捨て、にやりと不敵に笑いながら。

 

「気晴らしに、もう一回遠征に出て二三隻沈めてくるわ」

 

 力強く握った拳を掲げて振る如月の後姿に、深雪は乱暴に頭をかいて零した。

 

「あぁ、やっぱり霧島さんの弟子だよなぁ、あいつ」




にちじょうふうけい
霧島「良いですか如月。まず乙女とは拳に始まり拳に終わります」
如月「はい、師匠」
霧島「朝起きれば自分が死んだ姿を想像しなさい。夜寝る前に悔いがないと思いなさい。淑女道とは死道と知りなさい」
如月「はい、師匠」
霧島「機銃や砲撃は弾幕と威嚇の為です。拳です。拳が全てを決するのです。この拳はあなたを裏切りません。そしてあなたも拳を裏切ってはいけません」
如月「はい、師匠」
霧島「……宜しい。では、今日もお互い淑女らしく過ごしましょう。全ては提督の為に」
如月「はい、師匠。全ては提督の為に」

睦月「……しゅ、淑女ってああいう物なのかにゃ……?」
暁「多分違うと思う……」
睦月「っていうか、なんで如月ちゃんは霧島さんに弟子入りしちゃったの……?」
朧「霧島さんは光属性のリアルモンク属性だから一目置かれる存在。だから私が紹介した」
暁「えっ……何それは……」

ちがうちんじゅふのひにちじょう
如月「凄かったの司令官、私と同じ如月が、深海棲艦をばったばったと殴り倒して!」
巨漢提督「……(えっ)」
由良「あの、それが本当の事で……」
巨漢提督「……(えっ……何それは……)」
如月「如月もいつかあぁなるのね……改二が楽しみだわぁ……!」
巨漢提督「……(ポチポチ)」
少年提督『あ、はい。先輩お久しぶりです』
巨漢提督「すまない、この辺りの鎮守府に、拳一つで深海棲艦を数隻殴り倒す如月を配下にもつ提督はいるだろうか……?」
少年提督『えっ……何それは……』


最初の、拳を握って、でオチが読めた人挙手

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