執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第46話

 港から甘味処へと続く道を歩く二つの影があった。一人は特徴的な臍だし制服を着た重雷装巡洋艦娘、提督の切り札の一人大井だ。となれば、その隣を歩くのは大井と同じ制服を着込んだ黒髪の少女かと思われるかもしれないが、違った。

 茶色の髪をショートで揃えた白い着物と短い袴姿の少女は、戦艦娘比叡である。

 二人はそれなりに親しげな調子で会話を交わしながら、甘味処へと歩いていた。

 

「比叡さん、本当なんですか?」

 

「本当、本当本当ですって。この前私、伊良湖さんから直接お願いされましたもん」

 

 えへん、と胸を張る比叡に大井は何も返さなかった。これが姉妹達であれば、それ本当? と念押しも出来るのだが、大井の猫かぶりは、それなりに親しい、程度でははがれないのだ。

 それに、特に念押しをする必要も無いからだ。

 比叡という戦艦娘はとあるスキルのせいで悪目立ちしている感があるが、実際には善良な人物である。調理台に立っていない時の比叡は、まず信頼して良い女性なのだ。

 あとどうでもいい話だが、北上が同じような言葉で誘った場合、大井はただ頷くだけだ。それはもう勢い良く頷いてありもしない尻尾をブンブンと振るのだ。ちなみに、提督がさそっても素っ気ない顔で見えない尻尾をブンブン振るので、彼女が被っている猫の下には、きっと犬が潜んでいるに違いない。

 

 二人の目に伊良湖が営む甘味処の暖簾が入ってきた。白い布に黒一色で書かれたそれは、鳳翔入魂の一筆である。人の温もりを求めた伊良湖が、鳳翔に頼み込んで書かれた甘味処、という文字が風に揺れていた。

 それをくぐり、大井と比叡は店内へと足を踏み入れた。

 

「こんにちわー、大井さんと一緒にきましたー」

 

「……どうも」

 

 比叡の屈託の無い明るい声につられて、大井も声を上げた。比叡に比べれば愛想も無い声と言葉であるが、常の大井はこんな物であるから誰も気にしないだろう。

 事実、

 

「あ、いらっしゃいませ。比叡さんも大井さんも、態々ありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げる伊良湖はまったく気にしていない様子だ。むしろ客商売のせいか、当人の性格によるものか、彼女の方が申し訳無さそうに苦笑いを浮かべていた。

 

「すいません、試作品の試食なんてお願いしてしまって」

 

「いえいえ、私も楽しみでしたから」

 

「……そうですよ、伊良湖さんが気にする事なんてありませんから」

 

 比叡にあわせて、大井も伊良湖に頭を下げた。

 彼女たちがここに来たのは、伊良湖が口にした通り試作品の試食の為だ。

 

「それにしても、すいません」

 

「……? 何がですか?」

 

 伊良湖は少しだけ大井を見て微笑んだ。それに首を傾げたのは比叡であるが、見られた大井も内心では比叡と同じように首を傾げている。

 

「友人をお一人どうぞ、ってお伝えしたから、てっきり金剛さんを連れてこられると思っていたもので」

 

「あー……」

 

 伊良湖の言葉に、比叡は納得と声を上げた。これは大井も同意である。

 比叡という艦娘は、大抵とあるスキルと特徴を持って生まれる。とあるスキルは言うまでも無くアレの事であり、特徴というのは自身のネームシップに当たる金剛への熱い愛情である。

 鎮守府によっては金剛をかけた提督対比叡の血で血を洗う抗争まで起きているのが、この艦娘の現状だ。ついでに一つ。多くの金剛ラブ勢の提督対比叡の現状だが、2対8で比叡に押されている。原因は、カレーによる押し出し、払い落とし、足払い、名古屋撃ち、奥義!無双乱舞、途中であのカレーしか食べられなくなって比叡ラブ勢になった、等である。

 

「まー、金剛お姉様を、とは思ってたんですけれどねー……なんか金剛お姉様、抱き枕用の? 提督の隠し撮り分がないとかで、今動けないとか言ってまして」

 

「さぁ伊良湖さん、どのテーブルに座ればいいのかしら?」

 

「あ、はい。こちらです」

 

 比叡の話す内容が大分怪しかったので、大井が強引にカットした。伊良湖も、ほっとした相でそれに合わせてテーブルへと案内し始める。

 二人が案内されたのは、個室であった。閉ざされた襖を前に、比叡が笑顔で零す。

 

「ほはー……伊良湖さん、何やら凄い個室ですなぁー」

 

「えぇ、お店の将来のメニューを決める事ですから、格好だけでも、なんて」

 

 楽しげな比叡につられてか、伊良湖は接客用ではなく伊良湖個人としての笑みを浮かべていた。大井は、こうして自身を自然に引っ張ってこの店に来た事や、伊良湖との話しかた等を見て比叡の社交性の高さに舌を巻いていた。

 

「さぁ、どうぞ」

 

「あ、どうも」

 

「ありがとうございます」

 

 襖を静かに開けた伊良湖に、二人は頭を下げた。座敷に上がるため靴を脱ごうとした二人は、しかし座敷のテーブルを見て目を見開いた。

 

「あ、やっと入ってきたねぇー」

 

「し、司令?」

 

 そこには提督が一人で座っていた。いつも通りのなんら変わらぬ提督である。手で二人を招く提督の姿にはどこか愛嬌があり、大井などはそれだけで頬が緩んだ。

 が、小さく首を振って大井は頬を引き締めた。そんな大井にも気付かぬようで、比叡は素早く靴を脱いで提督の前に腰を下ろした。

 

「司令もお呼ばれですか?」

 

「うん、何か大事な事だからって。まぁ、僕としては伊良湖さんの新作食べられるなら、それだけでいいんだけれどね」

 

「その、やっぱり新作の試作ですから、この鎮守府のトップに食べて貰いたいじゃないですか?」

 

 そう語る伊良湖の目は、大井から見ても深い色を湛えていた。単純な物ではない。複雑にして深い感情がそこにあった。少なくとも大井はそう見た。

 それでも、大井は何も口にせず黙って靴を脱ぎ、比叡の隣に腰を下ろした。提督に向かって頭を下げる大井に、隣の比叡からの視線が突き刺さった。大井は比叡に目を合わせた。

 

 ――そこでいいの?

 

 そう語る静かな、本当に静かな瞳に圧されて大井は僅かに肩を揺らした。だがそれだけだ。彼女は比叡から目をそらしてそっぽ向いた。

 子供の様な姿だが、今の大井にはそれに気付くだけの余裕はなかった。なにせ普段昼間には会わない提督が彼女の前に居るのだ。しかも甘味処という、仕事も関係ない場所でだ。それだけでも彼女は冷静にある事が出来なかった。

 しかし、今の彼女の相方、比叡は落ち着いた物であった。

 

「それでは、少しお待ちください」

 

「はいはい、ゆっくりでいいですよ?」

 

「そうですよ、私もよくカレー作るから分かりますけれど、大変ですモンね」

 

「……は、はははは……そ、そうですね。では」

 

 比叡の言葉に、伊良湖は濁して返し襖を閉めた。小さな足音が提督達のいる個室から離れて行き、やがてそれはまったく聞こえなくなった。

 

「にしても」

 

 それが合図、という訳ではないだろうが、提督が自身の前に並ぶ二人を見比べながら笑いかけた。

 

「比叡さんがもう一人連れてくる予定と聞いてはいたけど、大井さんってのは意外だなぁ」

 

「あー……司令も私がお姉様と一緒に来るって思ってたんですね? ショボーン……私って、そんなに友達いなさそうに見えますか……?」

 

「いや、だって君、まず金剛ありきじゃあないか?」

 

「まぁそうなんですけれどね」

 

 二人はまったく調子を乱す事も無く極々自然に会話を続けていた。大井は黙ってそれを聞くだけだ。

 

「榛名か霧島も、とは思ったんですけど、二人とも今日は第一艦隊で出てますしー」

 

「今日はちょっとね。火力が必要だったから、大淀さんと長門さんに頼んでおいたんだ。申し訳ないね」

 

「いえいえ、戦うの否定しちゃったら、私達もうなんでここにいるか分かんないものですから」

 

 にこにこと笑う比叡は、そこまで言うと突如隣の大井の肩に手を置いた。大井の身は僅かに跳ねたが、比叡も提督も気付いた様子は無い。

 

「で、そこで友達の大井さんにご足労願いました」

 

「……え、友達、ですか?」

 

「え、私達友達じゃないの?」

 

 悲しそうな比叡の相に、大井は軽い眩暈を覚えた。大井にとっては、比叡はそれなりに親しい知人ではあるが、友人と断言できる関係ではない。というよりも、大井にはそういった知人は多いが友人となるとまったくいないのだ。

 

「ショボーン……友達じゃないんだ……」

 

「あぁもう、友達でいいです、いいですから落ち込まないで」

 

「え、本当? あとで体だけの関係とか言い出さない?」

 

「言いませんよ、そんなこと」

 

 大井の言葉で相を一転させた比叡は、散歩を前にした犬の様に全身で喜びを表していた。正座したままで。実に器用な娘である。

 

 そんな二人を見る提督の目は、本当に嬉しそうな物であった。自身の艦娘達が、こうして日常を過ごしているという事が彼にとっては堪らなく嬉しい事なのだろう。彼がディスプレイの向こう側に注いだ無償の愛が、今こうして比叡と大井を繋げているのだとしたら、それは彼にとっての最高の報酬だ。

 一人庭で遊ぶ孫達を眺める老爺の様になっていた提督は、二人を見てある事に気付いた。

 

「……あぁ、練習艦友達か」

 

 何気なく呟かれた提督の言葉に、比叡と大井は提督を見てから互いの目を見た。比叡は笑い、大井は黙って目を閉じる。

 

「そう言えばそうでしたね、私全然気付きませんでした」

 

「もう……比叡さんは色々駄目すぎます」

 

「だ、駄目じゃないです! 金剛型戦艦二番艦、この比叡駄目な子じゃありませんよ!」

 

 大井の言葉に比叡は反論を始めた。

 この二人、提督が言う通り練習艦で在った頃があった。艦種は違えど二人は艦時代、間違いなく次代の青年達の育成の為に海上を駆ったのだ。

 それが例え戦場への誘いの一歩だとしても、彼女達の上で青年たちは青春を謳歌したのだ。

 

「こんな人が御召艦だなんて、もう信じられません」

 

「酷い、司令、大井さんがなんか色々酷い!」

 

「大井さんはねー、その人と親しくなると毒を吐くタイプだからねー」

 

「て、提督……!」

 

「おぉ、こわいこわい」

 

 泣きつく比叡、眉間にしわを寄せる大井、肩をすくめる提督。三者三様の姿であるが、場の空気は決して悪いものではない。

 

「人を怖いなんていいますけれど、提督。この比叡さん、今日の砲撃訓練で駆逐艦娘を半泣きにしてましたからね」

 

「お、大井さんだって雷撃訓練で駆逐艦の子半泣きにしてましたー! してましたよー!」

 

「あぁ、お疲れ様です」

 

「提督……!」

 

「司令!」

 

 最後の二人の言葉は、提督の言葉遣いに対する抗議だ。仮にも提督ともあろう者が、配下の者にお疲れ様、では示しがつかない。特にこの二人は、駆逐艦娘や他の艦種の娘達の教官役を担う事もあるから特に煩い。

 

 技術の一番早い習得方法は、熟練者から直接指導してもらう事だ。駆逐艦、軽巡の艦娘達は火力よりも速さと持久力を求められる事が多い為、多くの時間を体力作り等にとられてしまう。

 そのため、戦術面や砲術論が疎かになりがちだ。それを補う為の、熟練者による教官制度があるのだ。

 大井は卓越した雷撃理論を持つ上に、練習艦であった事からか人にそれらを伝える術を心得ていた。比叡も砲術ではあるが、大井と同じである。しかも比叡は砲術だけには収まらず、礼儀作法から語学まで堪能だ。さらに礼儀作法は宮中の作法にまで通じている。おまけに花嫁修業も一つを除けば完璧なのだ。

 まさに教官役にうってつけの艦娘と言って良いだろう。

 

「まぁまぁ、僕の教育方針は、霞さんとか大淀さんと相談してからで」

 

「鳳翔さんと雷ちゃんで」

 

「古鷹さんと夕雲さんで」

 

「やーめーてーよー! だだ甘えさせコンビ×2とか、あれだぞ、僕が次の日廃人になってるよ?」

 

「あら、何か楽しそうですね?」

 

 音もなく襖を開けて、伊良湖が座敷へと入ってきた。いや、音はあったのだろう。ここに来るまでの足音も、襖の音も、おそらくは入室の伺いも。

 ただ、皆気付けなかったのだ。会話に夢中で。

 

「すいません、余りに楽しそうな声だったので、お断りもなしに入ってしまいまして」

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

 伺いはしていなかったらしい。伊良湖は手に在る盆から皿を取り、それを皆の前に丁寧に並べていく。皿の上にあるのは、白蓬桜の三色の最中だ。

 並べ終えると、伊良湖は皆から少し離れたところで正座した。提督達の評価を聞くためだろう。

 

「いただきます」

 

 提督達は伊良湖と最中に一礼して口に運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「単純なお菓子で、確りした食べ物を作るって、やっぱりプロは凄いですねー」

 

「……そうですね」

 

 比叡は上品に湯飲みを傾け、大井はなんとなくそれを眺めていた。比叡という艦娘の一面がそこにあるからだ。例えば、彼女の礼儀作法での弟子初雪も綺麗に食事を摂るが、やはり師にはかなわない。僅かな、些細な日常の作法まで自然と美しい物になって一流なのだろう。

 大井の目の前に居る比叡の様に。

 おまけに、比叡という女性はプロから試食を頼まれるほどの確かな舌を持っている。持っているくせに、作らせたら大変な事になるのだ。

 比叡という艦娘は知れば知るほどに、正しく摩訶不思議な艦娘であった。

 

「で……大井さん」

 

「なんですか?」

 

 二人がいる座敷には、もう伊良湖の姿も提督の姿もない。伊良湖は午後の開店前の準備を始め、提督は仕事の為執務室へと戻っていった。その際、比叡が

 

『あ、今誰か動いた』

 

 と漏らした。おそらく提督の護衛だ。ただ、比叡に察知されるという事は阿武隈ではない。それ以外の誰かが今日の担当だったのだろう。

 

「大井さんは、それでいいの?」

 

「比叡さん、何を言っているのか――」

 

 そこで、大井は口を噤んだ。大井が見た比叡の瞳が、ここに来た時と同じ静かな物だったからだ。

 

「提督の……隣に座れば良かった、と?」

 

「大井さんは、きっと素直になった方がいいですって」

 

 穏やかに笑って返す比叡に、大井は一人の軽巡艦娘の顔を思い出していた。見た目やタイプは違うが、そこに宿る物は同じだ、と大井は感じたのだ。

 ただ、素直に頷くには大井の被った猫が大きすぎた。

 

「比叡さんだって、提督の事嫌いじゃないでしょう……? それに、金剛さんに悪いと思わないですか?」

 

「うー……ん。私の事は別にいいかなぁ。金剛お姉様の事は、私はどっちも応援するから問題ないでしょ?」

 

「ないんですか?」

 

「うん、ないない。金剛お姉様も、榛名も、霧島も、大井さんも、私は応援するの」

 

 何を応援するのか、という主語は抜けているが大井からすれば問いただす必要も無い事であった。応援というそれに、いい迷惑だ、と返すのは簡単だった。特に大井の様な気の強い娘には。

 ただ、それを言わせない強さが比叡の輪郭の中にあった。

 

「みんながみんな、幸せになろうとしても無理でしょう? だからせめて、自分の友達と姉妹くらい、応援したいな、って」

 

 偽善と笑い返せば、きっと比叡はそれを黙って受け入れただろう。しかし、大井には出来なかった。比叡という分かりやすい艦娘の心が、大井には確りと見えてしまうからだ。

 

 愛されようと咲き誇る華があるなら、ひっそりと咲く華もあるだろう。咲き誇る華の彩を、より美しく見せる為に咲く地味な華だ。

 比叡は、金剛達にとってのそれで良いと語っている。

 

 大井はなるほどと頷いた。彼女の脳裏にあるのは、那珂の顔だ。

 大輪と咲いて、誰も彼も咲き誇れと誘うのが那珂なら、ただ寄り添うようにそっと咲くのが比叡である。咲き誇る華も違えば、在り方も違うが想いは一緒だ。

 誰かの為の自分。それだけだ。

 

「比叡さんこそ、提督の隣に座ればよかったんじゃないですか?」

 

「え、私……? 私は……」

 

 圧されてばかりでは癪だ、と大井は比叡に口を向けた。比叡は少し困った顔をして、それから穏やかに笑った。

 

「一番大事な人達が寄り添いあって笑ってくれたら、それが一番の幸せだから」

 

 欲張りな艦娘なのだろう、比叡という存在は。きっと、彼女の中には一番大事な人が沢山居て、誰も選べないのだ。だから、こうも比叡は自身を置いてしまう。置いていかれても、放り出されても、きっと比叡は少し泣いてまた歩き出すだけなのだろう。

 誰かの為の自分だから、と。

 それが、大井には気に食わない。自身も夜だけ咲く華であるくせに、気に食わなかったのだ。

 

 大井は、眦を決して比叡に人差し指を突きつけた。

 

「私も、比叡さんは応援するから、覚悟しなさいよね!」

 

 まるで喧嘩を吹っかけるような、そんな剣幕であった。

 大井と比叡が友達になった、そんな日の事である。




普段と違うメンバーこと、金剛姉妹編、これにて終了。

練習艦仲間のカトリーヌさん? あぁあの人いま遠洋漁業中だから。秋刀魚の。
当人も遠洋漁業ならお任せくださいってよく言ってるし。

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