執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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いつもと違う面子第二弾


第45話

「ふむ、紅茶もなかなかどうして……悪くないな」

 

「うん、いいじゃない。やるじゃない榛名」

 

 伊勢と日向の姉妹は窓から見える朧月から目を離し、自身の淹れた紅茶に口をつける榛名にそう言った。その言葉に榛名ははにかみつつも微笑み頭を下げた。

 彼女達が空に浮かぶ朧月を楽しむその部屋は、榛名と霧島の部屋である。

 重巡洋艦娘や戦艦娘の様な数の少ない艦娘達の寮は部屋が余りやすい。その為重巡洋艦娘寮の最上姉妹の下二人、鈴谷と熊野の様に部屋を分ける艦娘は意外に多いのだ。

 

 伊勢は見慣れた榛名と霧島の部屋を眺めた。小物入れ、ベッド、クローゼット、箪笥、テーブル、ベッドの上やクローゼットからはみ出る提督抱き枕×10、天井から吊るされたサンドバッグ×10。伊勢の良く知るいつもの榛名と霧島の部屋であった。

 

「しかし、霧島はどこへ行ったのだ?」

 

「……もしかして、気を使わせちゃったとか? だとしたら……申し訳ないわね」

 

「いいえ、霧島は元々用事だって言ってましたから」

 

 榛名の言うとおり、この部屋のもう一人の主霧島は前から予定していた用事のため部屋を空けているだけである。鳥海と共に、艦隊の頭脳らしく敵を効率よく刈る方法はないかと定期的に検討会を開いているのだ。ちなみに今日の議題は『孫子の兵法書:深海棲艦首折り編』の翻訳をどうするかである。先日某鮫殴り財団から譲り受けた鮫殴り編を解読し終えたので、今度はそれを、と言うわけである。

 

「そうか、霧島は相変わらずなのだな」

 

 その説明を榛名から受け、日向は頷いた。彼女の視線の先にあるのは天井から吊るされた、程よく使い込まれたサンドバッグ達である。良く見るとそれらのサンドバッグにはサウスだのフランシスコと書かれていた。もしかしなくてもサンドバッグ達の名前だろう。しかしそれはだだの名前だ。どこかで聞いた名前に近い物だが、それになんら意味はない筈である。

 そう考えて日向は目をそらしたが、そらした先にはワシントンと書かれたサンドバッグがあった。日向は見なかった事にしてゆっくりと紅茶を嚥下した。

 

「……その、ごめんなさいね……私の分まで用意してもらって……」

 

 日向のすぐ隣で、弱弱しい声が上がった。

 声の主は伊勢姉妹と同じ航空戦艦娘、扶桑である。扶桑は出されたティーカップこそ手にしているが、未だその中身に口をつけていない。戦場に出れば凛とした相を浮かべる扶桑は、反面艤装をまとっていない時は穏やかな相で居る事が多い。が、今扶桑の相にあるのは穏やかというよりも、先ほどの声同様弱弱しい物であった。

 

 それもその筈である。

 今榛名と霧島の部屋に集まっている四人の艦娘のうち、三人が呉軍港襲撃の際、浮砲台として最後の最後まで足掻いた者達なのだ。おまけに榛名は純国産戦艦として初の民間造船所――神戸川崎造船所生まれであり、時の天皇陛下が座乗する御召艦も務めた名誉ある艦である。戦場に出れば必ずと言っていいほど損傷したが、それ以上に武勲を挙げている。

 

 伊勢にしても、日向にしても、その武勲は隠れもない旧日本海軍屈指の名艦である。レイテ沖での激しい砲火の中、両艦共に行った回避行動は実に見事であり、キスカ撤退戦に並ぶ奇跡の作戦にして旧日本海軍最後の成功作戦、北号作戦の立役者だ。しかも日向は数々の作戦行動中に僚艦を殆ど失わなかったという幸運にまで恵まれている。

 

 そんな中にあって、扶桑に常のままで居ろというのは、酷な事なのだろう。扶桑は――いや、扶桑型姉妹の二人は、決して幸運ではなかった。恵まれた性能を得られず、恵まれた戦場も与えられなかった。得たものが、恵まれたものがあったとするなら、共に黄泉の下へ逝った仲間達がそれだろう。一隻では、一人ではなかった。たったそれだけが、それだけの事が扶桑達の幸運であった。

 渡されたティーカップに口をつけぬ扶桑に、榛名は優しく声をかけた。

 

「扶桑さん、気にしないで下さい。榛名達がお誘いしたのですから、扶桑さんが気にすることなんて何もないですよ」

 

「そうよ、扶桑。榛名の淹れた紅茶でも飲んで、いつもの貴方にもどってくれないと、こっちも調子がでないじゃない」

 

 榛名と伊勢の言葉に、扶桑はティーカップを口へと運んだ。ゆっくりと傾け、少しばかり口に含み、またゆっくりと嚥下した。

 ほう、と息を吐くと扶桑は嫣然として口を開いた。

 

「ありがとう、美味しいわ……榛名。貴方も、ありがとう伊勢」

 

「どういたしまして」

 

「少ない航空戦艦同士でしょ? 気にしない気にしない」

 

 扶桑の笑みを見た榛名と伊勢は少しばかり頬を朱に染めてそれぞれ言葉を返した。両名共に、気恥ずかしさよりも扶桑の相に飲まれたからである。

 扶桑、という艦娘は同姓さえ惑わすような色香を持っている。しかもそれを無意識のうちに出してくることがあるので、中々に厄介な艦娘でも在るのだ。当人に意識も無く、また悪意もないのだから尚更である。

 

「だが……山城は執務室でホラー鑑賞、だったか? 扶桑はそれでいいのか?」

 

 一人、飲まれずマイペースに構える日向が室内の空気を一掃しようと話題を振った。問われた扶桑は複雑な笑みを見せて首を傾げた。伊勢はその相に気遣うような素振りを見せたが、扶桑は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 通常、伊勢姉妹と扶桑姉妹の仲は悪いと言われている。相性、と言っても良いだろう。

 欠陥戦艦扶桑と、その改修型として生み出された伊勢は、近いからこそ互いに距離をとりがちであった。各鎮守府でも各姉妹の距離感は変わらず、互いに歩み寄って精々隣人程度と言われ、これはもう扶桑姉妹と伊勢姉妹の宿命と諦められていたのだが……この鎮守府ではこの調子である。

 一人では寂しかろうと誘われるほどに、彼女達の距離は近いのだ。

 

 提督を想う互いの心が距離感を縮めたのか、あの提督とこの鎮守府に毒されたのか、ここには居ない山城も特に苦手意識や対抗意識を持っていないのだ。むしろここに居ない山城に対して、ここの艦娘全員が対抗意識をもっている訳だが、それは仕方がないことだろう。

 彼女の左手の薬指に輝く銀のリングは、羨望の視線を集めるに十分な物だからだ。

 

「その……ホラー、でしょ? 私あぁいった物は少し苦手で……」

 

 山城が執務室で行うホラー鑑賞会の話だ。

 普段アットホームな作品を駆逐艦娘達と一緒に見る扶桑にすれば、ホラーなど到底見れた物ではない。伊勢は、あの妹と一緒ならそれだけでホラーへの耐性がつくのではないか、などとも思ったが流石に口にすることは控えた。ちなみに、榛名と日向も伊勢に倣って口にはしなかった。口には。

 

「それに、山城は提督の第一旗艦、でしょう? 二人っきりの時間を姉であるから、と邪魔するのも悪いから……」

 

「ふむ……山城は良い姉を持ったな」

 

 日向は悪戯っぽい目で自身の姉、伊勢を見た。視線を受けた伊勢は妹と同じような目で口を開いた。

 

「へー、私の姉妹は榛名だけだから、日向の姉なんて知らないなー」

 

「え、榛名ですか?」

 

「そうそう、はるなねーさん」

 

 伊勢は榛名に抱きつき、榛名は目を瞬かせていた。が、暫しの後嬉しそうな笑みを浮かべ伊勢を抱き返していた。榛名にとって霧島は妹に当たるが、あくまで双子の妹だ。純粋な姉扱いをされている訳ではない。ポーズとはいえ甘えてくる伊勢が嬉しいのか、榛名は満面の笑みである。

 

「うーん、伊勢かわいー! かわいいかわいいー!」

 

「あぁ……貴方やっぱり金剛の妹ねぇ……」

 

「まぁ、そうなるな」

 

 扶桑と日向の前で、榛名は伊勢の頭を撫でながらハグしていた。その姿は彼女の姉である金剛によく似ている。というよりも、榛名にとっての姉像とは金剛なのだろう。

 

「これはこれで新鮮かもねぇ」

 

 されるがままの伊勢は、マイペースにそう言った。日向の姉らしいとも言えるし、日向が姉に似た部分ともいえるかも知れない。

 

「……そう言えば、貴方達同じ造船所生まれだったかしら……?」

 

 扶桑の言葉に榛名はハグをやめ、伊勢も榛名の腕の中から離れた。

 日向がティーカップをテーブルに戻し、僅かに唇を湿らせてから扶桑の疑問に答える。

 

「榛名と伊勢は神戸川崎造船所生まれだな。特に榛名はそこで最初に生まれた純国産戦艦だ」

 

 あぁそういえば、と伊勢と榛名は互いの顔を見た。ついでに、日向は三菱造船所――現・三菱重工長崎造船所生まれであり、扶桑は呉海軍工廠生まれだ。

 純粋な軍の大型艦造船所生まれは扶桑だけである。あの大きさ的に、選択肢が絞られただけかも知れないが。

 

「はるなねーさーん」

 

「やーん、伊勢かわいい伊勢可愛いー! 伊勢はなしてこんなぬなまらかわいいがねー!」

 

「あぁ……貴方やっぱり金剛の妹ねぇ……」

 

「カワサキか……」

 

 再びハグを始めた伊勢姉妹長女と金剛姉妹三女を前にしても、扶桑と日向は落ち着いたものであった。彼女達が属する鎮守府ではこのくらい日常風景だ。川内が夜戦を捨てるとか、神通が姫級相手に情けをかけるとか、那珂ちゃんのアイドル引退宣言とか、山城が妊娠したとか朝潮が妊娠したとかない限り、この鎮守府の面子が本当の意味で混乱することはないだろう。

 まぁ提督が箪笥の角で足の小指ぶつけて悶絶したくらいで皆混乱する程度でもあるのだが。

 

「しかし……提督は今後どうするつもりだろうな」

 

「どう、とは?」

 

 だだ甘えさせてくれる榛名姉様の腕から再び離れ、伊勢は日向に問うた。榛名にしても、扶桑にしても目で日向に問うている。そのくらい、日向の声音と表情が真剣な色を帯びていたからだ。

 

「山城が第一旗艦で、今も二人っきりであるなら、もう山城もすべき事はしているという事だ」

 

「……」

 

 日向の言葉に、皆押し黙った。提督は夫であり、山城は妻である。であれば男女の愛の落ち着くべき所に落ち着いている筈だ、と日向は言うのである。榛名も伊勢も真面目な顔でそれに頷くが、一人扶桑だけは思案顔であった。

 

「であれば、提督も男だ。しかもただの男ではない。私達を率いる男の中の男、英雄だ。女は一人であってはいけないだろう」

 

「あぁ、英雄色を好む、ね?」

 

 姉の言葉に日向は頷いた。あばたもえくぼ、とでも言うのか。恋する乙女は盲目と言うべきか。彼女達の目にはあんな提督でも英雄に見えてしまっているらしい。

 いや、実際それに相応しい戦果を提督は持っている。ただの一人も失わず、様々な激戦を制してきたのは間違いなく提督だ。

 ただし、それはゲーム時代である。あの頃のように攻略ウィキにも頼れず、ボタン一つで命令を出せる訳ではない。今の提督はただの人間だ。彼女達を愛するただの人間で、ただ彼女達が愛する人間だ。

 

「第二旗艦……つまり、その、伽に呼ばれる……可能性もある、と?」

 

「提督の事だ、すぐという話にはならないだろうが、いずれそうなるだろう」

 

 顔を真っ赤に染めて、それでも真剣な相で呟く榛名に日向は頷いた。伊勢もまた頬を染めてこそいるが真剣な相である。そして扶桑だけはやはり思案顔だ。

 

「……どうしたんですか、扶桑さん?」

 

「あぁ……いえ、山城の事なのだけれど……」

 

 扶桑の相に気付いた榛名に、扶桑は口を小さく動かして遠慮がちに囁いた。そうなると、自然皆が扶桑の言葉を聞き逃すまいと耳に意識を傾けた。

 

「山城……あの子、提督とはまだ何も無いんじゃないかしら……と……」

 

 言い終えるや、室内に沈黙が舞い降りた。発言者扶桑と、それを聞いた榛名、伊勢、日向が無言でそれぞれ目配せする。

 

「いや、まさかそんな、山城だって第一艦隊旗艦としてのプライドとか、女としての矜持ってものが……」

 

「伊勢、扶桑の言葉を否定するには材料が少ない」

 

「いえ、むしろ材料が多すぎるのかも知れません……」

 

「えぇ……あの子だから……」

 

 四人は我等が栄光の第一艦隊旗艦の顔を脳裏に描いた。海上を駆ける凛々しい相、提督に誉められて素直に喜ばない姿、自身の薬指にある銀のリングを眺める乙女の顔、五寸釘で藁人形を打ち付ける丑三つ時の白装束姿。

 最後だけは事実確認されていない想像上の物であったが、一番山城らしい生き生きした姿であった。

 様々な相と、この鎮守府の日常にある山城の行動を当てはめると、扶桑達は皆一斉に頷いた。

 

 あ、これやってへんわ、と。

 

「あの子、乙女だから……きっと相手から求められないと無理だと思うの……」

 

「まぁ、その辺はきっと皆そうじゃない? 私もやっぱり提督に求められたい方だし」

 

 女同士の気軽な愚痴である。提督相手では決して言えないよう事でも、同性であれば別だ。ましてや彼女達は気心の知れた戦友でもある。

 明日死ぬかも知れない身であるなら、自身の気持ちを誰かに伝え、それを受け継いで欲しいと思う事もあるだろう。同じ男を想う身なら、殊更に。

 

「私も、抱くよりも抱かれたいな……」

 

 腕を組んでしみじみと呟く日向は、どこから見てもその想いに相応しい乙女だ。そして三人は、黙ったままの榛名に目を向けた。彼女達の視線の先にいたのは、真っ赤な顔の榛名である。

 

「はい、榛名は大丈夫です!」

 

「あ、いえ、榛名はもう何も言わない方がいいと思うの……」

 

「はい、榛名は大丈夫です!」

 

「榛名、私もちょっと嫌な予感がするから、ちょっと待って」

 

 扶桑と伊勢の言葉も無視して、いや聞こえてすら居ない様子の榛名は、立ち上がって拳を握った。

 

「はい、榛名は自分から行けるので大丈夫です!」

 

「カワサキか……」

 

 榛名の宣言の裏で小さく呟いた日向は、ティーカップに残っていた紅茶を飲み干した。何故かそれは苦かった。


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