執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第36話

 布団を敷いて提督は自身の肩を叩いた。壁にかけてある時計へ目をやり、今から布団に潜り込むのは少しばかり早いか、と彼は思い部屋の隅に置いてあるダンボールへ近づいていく。

 中にある本や携帯ゲームで時間を潰そうとしているのだ。ダンボールを空け、中に手を入れた提督の耳に一つの音が届いた。

 控えめな、本当に弱弱しいノックである。

 さて、このようなノックはいったい誰だろうか、と首をひねった提督はダンボールを閉じて口を開いた。

 

「どうぞー」

 

 ゆっくりと扉を開け、夜の執務室に入ってきたのは山城であった。

 先ほどのノックと山城が結びつかない提督は山城をじっと見つめてしまった。その視線から逃れるように、山城は身をよじりか細い声を上げた。何もかもがらしからぬ調子である。

 

「あ、あの……提督?」

 

「……はい?」

 

 過日、片桐中尉と交わした会話が提督の脳裏を過ぎった。提督にとって山城は事実上の嫁――妻である。そう考えてしまうと、こうして夜の執務室で二人向き合うのは提督にとって少しばかり気恥ずかしいのである。自然、彼の声は常の物ではない硬い物になってしまった。

 それを感じ取った山城は、提督の目を見つめてまた弱弱しく声を上げる。

 

「あの……何か予定でもありますか?」

 

「いや、もう寝るだけだったんだけど……」

 

「……ごめんなさい、失礼いたし――」

 

「あぁいや、流石にちょっと早いかなって思ってたから、大丈夫」

 

 退室しようとする山城を引きとめ、提督は何度か咳を払って喉の調子を常の物へ戻そうとした。

 

「あー……で、山城さん、僕に何か用で?」

 

「あの……すいません、ちょっと頼みたい事が……」

 

 山城の返事に、提督は目を瞬かせた。山城が提督に用事、というのは少し珍しい。大抵の事は扶桑と共に、もしくは西村艦隊の艦娘達と済ませるのが山城だ。

 さてどんな難題がくるのだ、と身構えた提督の前で、山城は着物の袖から一つの物を取り出してぷるぷると震えながらそれを提督へと良く見えるように突き出してきた。

 提督がまじまじとそれを見る。彼の目に映るそれは、普通のDVDケースである。ただし、パッケージはなんというか、こう、仄暗い。

 

「い、一緒に見てください……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひっ……!」

 

 そう零して自身の腕にしがみつく山城の女性らしい香りと柔らかさを感じつつ、提督はダンボールの中から出したDVDプレイヤーと、それが接続されたテレビの画面を半眼で眺めていた。

 そこに映るのは、随分昔に流行ったホラー映画である。のろいが伝染する、新しい都市伝説の形、などと称され絶賛された作品だ。ただ、提督などからすれば、もう古典である。ホラーというジャンルは意外と流動が早く、新進気鋭の天才が斬新なホラーを作ったかと思うと、すぐ原点回帰してのろのろ歩くゾンビに戻る傾向があるのだ。

 

 提督からすれば退屈な古典であっても、彼の腕にしがみつく山城からすれば純粋な恐怖だ。ただし、ホラーを見ている彼女のほうがよっぽどホラーな顔をしている事を指摘しない優しさが提督にもあった。怖すぎて言えないだけかもしれないが。

 

「あ、あわわわ……」

 

 目じりに涙を浮かべながらも、決して目を閉じない山城に、提督は話しかけた。腕に押し付けられる柔らかな何かから意識を逸らす為である。

 

「えーっと、これはどういう話で、山城さんは見ているんだろう?」

 

「か、加賀に、なんか私がこういうジャンルだからって言われて……ひっ……で、で……初霜に相談したら、子日が持ってるっていうから……貸し、ひぃいい……も、貰って……」

 

 ところどころつまりながら、というか怯えながらも山城は答えていく。実に律儀な、難儀な性格の持ち主であった。

 隣に座り、今や遠慮の欠片もなく腕にしがみつく山城の様子に、提督は空いている手で頭をかいた。山城は滑稽なほどに怯えているが、提督にはその辺りがさっぱりと分からないのだ。

 この作品は、言ってしまえば最後だけだ。それ以外は筋立て、伏線回収でしかない。何も、山城の様にそこまで怯える場面などないのである。

 

「あぁー……山城さんは、普段ホラーとかは?」

 

「み、見ません! 見ません! これが初め……ひっ!」

 

 そうであるらしい。ただ、この作品はホラー初心者向けである。実にライトなホラーだ。提督が知るヘビーホラーに比べれば、この作品は実に軽い。それでこの調子であるのだから、普段は何を見ているのだろうと提督は思い、素直に聞くことにした。

 

「ふ、普段ですか……普段は姉様と一緒に魔女の子が宅急便を始めるのとか、田舎に来た姉妹を助ける妖精の話を――て、提督! いま、今!!」

 

 画面を指差してぽろぽろと涙を零し始めた山城の頭を撫でながら、提督は強く目を閉じた。

 

 ――そら君、耐性びっくりするほどあらへんわー。

 

 何故か龍驤調で胸中呟いた提督は、ゆっくりと頭を横に振った。比較的平和な、メルヘンな物を姉妹揃って観ていたのである。が、それにしたって今提督達が鑑賞しているホラーは前述の通り初心者向けでもあるのだ。これより初心者向けのホラーとなると、アルバトロ○フィルム辺りが出しているアタックシリーズしかない。あれをホラーと言っていい物かどうかは分からないが。

 

「……扶桑さんと一緒に見たほうが、良くないですか?」

 

「だ、駄目! 姉様にこんなの見せられない!」

 

 そして選ばれたのが提督であるという事だ。提督にならこんな物を見せても平気なのだろう、山城的には。

 

 問答無用に腕を引っ張られ、それでも泣いている山城の頭を健気に撫でている提督は、部屋の隅に在るダンボールを見つめながら肩をすくめた。

 

 

 

 

 

「あぁ……怖かった……」

 

「うん、そうだねー」

 

 胸に手を当てて俯く山城の背をぽんぽんと叩き、提督は適当な相槌を打った。心も篭っていない棒読みのそれであるが、山城は特に反応を示さない。気が回らないほどに、本気で怖かったからだろう。ホラージャンル寄りの艦娘が、実はホラーが苦手だという事実に、提督は良く分からない眩暈を覚えていた。そんな中でも、彼は隅にあるダンボールを、足でどうにか近くに手繰り寄せていた。山城が腕から手を離さないからだ。

 提督は山城の背を叩いていた手でダンボールを空け、中から一つのDVDを取り出した。

 パッケージを見て、にんまり、と提督は笑い山城の肩を軽く叩いた。

 

「山城さん山城さん」

 

「な、なんですか……?」

 

「お口直ししようか」

 

「?」

 

 テレビに映るのは、のんびりとした山村の風景だ。ナレーターの声以外は住民の声とテロップしかない、なんとも目に優しい映像である。

 そんなのんびりとした物を瞳に映し込みながら、提督は隣の山城の様子を窺った。

 特に興味を惹かれたような素振りもないが、退屈そうな様子にも見えない。人間は、後の映像のほうが記憶に残りやすい生き物だ。印象的なものを完全に拭い去るのは不可能だろうが、反するもので中和する事は可能なのだ。

 眠れない時、ぼうっとしたい時に提督が見るその映像は、山城の心を常の物に戻す事にそれなりの成功を見せていた。

 

「提督、あのウサギって野うさぎでしょうか?」

 

「だろうねぇ、こんな番組でやらせってのもないだろうし」

 

「ですよね……ふふふ」

 

 野を駆けるウサギの後姿に何を思ったのか、山城は空いている手で口元を抑えて小さく笑った。提督はそんな山城を見て、ほっと胸を撫で下ろした。が、その提督の相は少し固めだ。

 

「提督?」

 

「はいはい?」

 

「ここ、どこかしら……静かな場所ですね……」

 

「うん、元鉱山だとか言ってたから……あすこ辺りかな?」

 

 知っている情報を口にする提督と、黙ってそれに頷く山城。二人は特に無理に騒ぐでもなく、話題を探すでもなく、極々自然に会話を交わしていた。

 ただし、その中で自然でない異物があった。

 

「……」

 

 如何したものか、と考える提督の隣で、山城が俯いた。提督は、

 

 ――あぁ、そういえばさっきから山城さん静かだなぁ。

 

 と思ってその顔を覗き込むと、山城は目を閉じて舟をこいでいた。あぁ、本当に如何したものか、と空いている手を額に当てて、提督は目を閉じた。再び目を開け、彼は立ち上がろうとする。

 しかし、それは叶わなかった。遮られたのだ。

 山城の手に。

 山城は起きていない。未だソファーに座って眠ったままだ。

 

 ――仕方ない。

 

 提督はため息交じりでそう思い、ソファーに腰を下ろした。それにしても、と提督は頭をかいた。そんなに怖いのなら、見なければ良かったのに、と呟いた。

 

「いい加減僕の腕、離してくれないかなぁ……山城さん」

 

 返事は、静かな寝息であった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の話である。

 

「あぁー……ねむい……」

 

 結局、あのまま起きなかった上に、腕も離してくれなかった山城を隣に、提督はソファーに座ったまま眠る事にしたのである。近場にあった掛け布団を自身と山城にかけて、だ。

 翌朝、彼が起きるとそこには山城の姿はなかった。

 座ったまま寝たのが悪かったのか、やはり隣にいい匂いがする事実婚の相手が居る事が心労となったのか、疲れの抜けきらぬ体を引きずって提督は欠伸を零した。

 

 現在、提督が廊下を歩いているのはせめてもの気分転換だ。仕事量はそこそこで、まだ本日の仕事は終了していない。提督はそろそろ戻ろうかと目を上げた。

 と、向こうからやって来る人影が見えた。彼は特に何も考えず、その人影に向かって声をかけた。

 

「大井さん、おはよう」

 

 今日はまだ挨拶をしていないので、昼時だろうが夕時だろうが、おはよう、だ。常の通り控えめな顔で頷く大井を予想していた提督は、ここで見事に裏切られた。

 

「……おはよう……ございます……」

 

 山城張りのホラー振りで大井が応じたのである。

 

「ヒェ……っ」

 

 思わず提督は仰け反った。

 大井の相はなんともあれな物であった。

 目の下には隈が在り、俯いた相には影が色濃く宿って、垂れた前髪から覗き見える瞳はハイライトが仕事を放棄していた。このまま丑の刻参りに行くと言っても、そうだよね、そんなかんじだよね、それ以外ないよね、と普通に返せる雰囲気であった。

 

「お、大井……さん?」

 

 昨夜の初心者向けホラーなど脳裏から消え去り、初めてオー○ィションを見た時の事を思い出しながら提督は辛うじて口を開いた。

 

 そんな提督の隣を、幽鬼の如き足取りで大井が歩いていく。先ほどまで陽のさし込んでいた窓はその役目を忘れたようで、提督の視界は恐ろしいほどに暗い。何故か暗い。そんな中で、提督は背に火の玉か白髪の痩せこけた老婆でも背負っていそうな大井をなんとなく見つめ続けた。……暫ししてから、突然大井がくるりと振り返った。

 振り返り方一つにしても、見惚れるようなホラー的振り返り方であった。

 大井は何も語らず、ただじぃっと提督を見つめた後再び墓場を彷徨う腐乱死体の様な頼りない歩き方で去っていった。

 

「……お、大井……さん?」

 

 初めて首吊○気球を読んだ夜の様な相で提督は呟いた。その背後で、阿武隈が溜息を吐いていたことを、彼は知らない。

 




大井さんはね、可能な限り毎夜きてるからね。仕方ないね。

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