執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

32 / 72
第32話

「あ、これつまらないものですがどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 礼儀正しく頭を下げ、自身の隣でゆっくりと歩く少年を提督は失礼にならない程度に眺めた。茶色の髪は柔らかそうで、瞳は大きくきらきらと輝き、頬はぷっくりとして体の線は細く背は高くない。

 

「あ、これ薩摩芋ですか。ありがとうございます、僕これ大好きなんですよ!」

 

「良かったですね、司令官」

 

「うん、そうだね吹雪」

 

 そう、その少年提督の三歩後ろを歩く駆逐艦娘、吹雪と彼の背丈、体つきは大差ない。そのまま衣装を交換しても違和感が無いだろうと思えるほどに、少年提督は実に愛らしい姿であった。

 

 ――いやぁ、凄いなぁこれ。

 

 提督とて写真で彼の姿は見知っていたが、やはり生となると視覚の捕らえ方は変わってくる物なのだろう。彼の後にいる吹雪とどこか似通った美少女顔もそうだが、匂い立つ犯罪臭とでも言うべきか、未だ未熟な四肢に本来なら鍛えられた男が着る白い海軍士官服とのミスマッチが、逆に何か危うい物をこの少年提督に与えているような、兎に角筆舌に尽くし難い物が生身の少年提督からは滲み出してしまっていた。

 

「あ、ここがここの執務室です」

 

「どうぞ」

 

 少年提督の言葉に、吹雪が静かに彼らの前に出て扉を開けた。提督は少年提督と吹雪に頭を下げ、彼の背後、先ほどのまでの吹雪と同様三歩後ろに佇む大淀も提督にならう。

 その二人に少年提督と吹雪も頭を下げ、互いにぺこぺこと頭を下げながら執務室に入る事となった。

 

「あぁ……やっぱりそう変わる物じゃないですよねぇ」

 

 提督は招かれた執務室兼、一応の応接間となっているその部屋を見回した。広さは提督の執務室と変わらず、内装もほぼ同じだ。当然、バスやトイレはないしゲーム機や暇つぶし用の本をなどを入れてあるダンボールは無い。ルームランナーは、言わずもがな、だ。

 ただし、提督の引きこもり用執務室にもある見慣れたものが、この部屋にもあった。提督はそれを見たまま苦笑まじりで口を開いた。

 

「あぁ、やっぱりいりますよね、冷蔵庫」

 

「……あの、そちらも?」

 

 びっくり、と正直に書いた顔で返す少年提督に、提督は苦笑のまま頷いた。

 

「喉も渇くし、一々給湯室からお茶とかジュース持ってきてもらうってのも、申し訳ないもんで」

 

「あははは、僕もそうなんですよ」

 

「もう司令官、それくらい気にしなくてもいいんですよ?」

 

 朗らかに笑う少年提督に、腰に手を当て頬を膨らませる吹雪。これだけで、提督には二人の関係がなんとなく見えた。少年提督にソファーに誘われ、提督はそこに腰を下ろす。それを見届けてから、少年提督は提督と向かい合う形でソファーに座った。互いに、背後に吹雪と大淀が立って控えている。艦娘二人の相は、先ほどまでに比べれば少々温度が冷めていた。無論、提督から見えるのは少年提督の吹雪の顔だけだが、彼女の相だけで自分の背後に居る大淀がどんな顔をしているのか、おおよそ分かる。

 控え目かつ涼やか。提督の同行者として恥じないよう、等と考えて大淀はそうしているだろうと提督は思っていた。そしてそれは正解だった。

 

 ――しかし、こうして見ると……やっぱり分かるものなんだなぁ。

 

 そう提督がしみじみと何事かに感心していると、静かにドアがノックされた。少年提督が、どうぞ、と応じるとドアがゆっくりと開かれた。執務室に入ってきたのは、大淀であった。

 

「お茶をお持ちしました」

 

「あぁ、お気遣い無く……」

 

「粗茶ですが、どうぞ」

 

 少々硬い笑みで提督の前に、そして少年提督の前へ湯飲みを置く大淀は、今提督の背後に立つ大淀とまったく同じ同族同艦だ。提督の耳に届いた声も、僅かな仕草も彼の大淀と同じである。

 

 ――やっぱりなぁ。

 

 それでも、再び提督は何事かに感心して胸中で呟くだけだ。そんな提督を放って、少年提督達は動き続けていた。

 

「大淀、これ貰ったんだよ」

 

「あら、薩摩芋ですか。提督や吹雪達の好物ですね……ありがとうございます」

 

「いえ、粗品で申し訳ありません」

 

 嬉しそうな少年提督に微笑みながら、大淀が大淀に頭を下げた。本来頭を下げるべき相手が、何やら他の事に気を取られていると見たからだろう。実に細やかだ。例えば、提督達の前に在るお茶も大淀の細やかさが出ている。冷蔵庫が執務室にあるのだから、そこからお茶を出せばいいのに、態々給湯室から出したのである。気配りもそうだが、少年提督が軽く見られないようにしているのだ。

 これもまた、大淀が大本営から各提督へ与えられる理由の一つである。

 

「では、こちらを焼いて参ります。少々お待ちください」

 

 薩摩芋の入った箱を受け取り、大淀は一礼し退室しようとした。と、それに声をかけたものがいた。提督の背後に居た大淀だ。

 

「私も、手伝います」

 

「え?」

 

 少年提督、吹雪、もう一人の大淀が同時に声をあげた。彼女は提督の同行者であり、とても相は見えないが――実際彼女に格闘技の心得はほぼないが――護衛役でもある筈だ。少なくとも、少年提督達はそう見ていた。それが、提督の傍を離れるというのだから、彼らが驚き声を上げるのも無理からぬ事であった。

 そんな彼らを放って、今度は提督達が動いていく。大淀は提督の目を覗き込み、提督はそれに微笑んで頷く。そんな提督に大淀も頷き返し、彼女はもう一人の自身へ声をかけた。

 

「駄目だ、といわれるなら勿論やめておきますが」

 

「いえ……その、宜しいので?」

 

「はい、提督からのご許可は頂きました」

 

 むふん、と嬉しそうに鼻から息を吐く大淀に、もう一人の大淀は、むむむ、と唸って自身の主、少年提督に目を向けた。

 

「提督……どういたしましょうか?」

 

「えーっと……良いって言うなら、僕は大丈夫だけど」

 

「……了解しました。では、手伝いをお願いします」

 

「はい」

 

 二人の大淀が執務室から出て行き、背後から大淀の姿を失った提督は先ほどから相一つ変えずソファーに座ったままだ。その姿に、少年提督は背後の吹雪に声をかけた。

 

「吹雪」

 

「はい」

 

 名を呼ばれた吹雪は、少年提督、そして提督に頭を下げて部屋から静かに去っていった。その背を見送ってから、提督は口を開いた。

 

「あれ、吹雪さんも薩摩芋の手伝いに?」

 

「……あ、あはははは。そんなかんじです」

 

「吹雪型に薩摩芋焼かせると、たいていその場でつまみ食いしますよ?」

 

「吹雪なら止めると思うんですが」

 

「いや、一口くらいいいよね、でそのまま一つ二つ行くのが吹雪だと思いますよ?」

 

「あ、あぁー……」

 

 何か思い当たる事があるのだろう。少年提督は額に手を当て、かもなぁー、等と唸りだした。

 その姿を眺めていた提督の耳に、どこか遠くから響いてくる声が届いた。それは彼の執務室でもよく聞く声で、耳に届いたこれがなんであるか、彼にはすぐ分かった。

 

「グラウンドで訓練中ですか」

 

「あ、はい。そうです……僕のところはまだまだ艦娘の層が薄いですから、訓練に出せる艦娘は僅かですが」

 

 出撃、遠征、演習、という出撃任務が無い艦娘でも、基本的には待機扱いだ。出撃メンバーなどに問題が出た場合、待機メンバーから艦娘が選ばれる。であるから、訓練にでるメンバーは完全にその日フリーでなくては為らないのだ。それゆえ、少年提督の鎮守府では訓練に回せる艦娘は僅かなのである。

 

「ですかぁ……あぁ、そうだ」

 

「はい?」

 

「神通さんは、居ますか?」

 

「いえ……まだうちには居ないんです」

 

「建造、ドロ――あぁいや、邂逅したら是非育てる――じゃなくて、積極的に運用する事をお勧めします」

 

「え、す、凄いですね、僕の特殊相性が分かるんですか?」

 

「……?」

 

「?」

 

 いまいち、何かかみ合っていない様子の会話に、提督はとりあえず一歩踏み込む事にした。

 

「とくしゅ、あいしょう……あれ、なんだったかなぁー、こう、がっこうでたあとはつかわないことばってすぐわすれるんですよねー」

 

 凄まじい棒読みであったが、少年提督の口にした単語が提督なら誰もが知っている、例えば学科で必ず出る言葉などであった場合、疑われると提督は考え芝居をうったのだ。三文どころの物ではない下手糞な芝居を。

 

「……え、えっと、そういう事もありますよ……ね?」

 

 駄目だった。提督の芝居は本当に駄目だった。それでも、少年提督は実に愛らしい笑顔で話題をつなげた。

 

「僕ら提督には、それぞれ得意な……相性のいい艦娘達がいるじゃないですか。それを表す言葉ですよ。僕なんかは……駆逐、軽巡、重巡ですね」

 

「あぁ、みっつ"も"」

 

 ここでも、提督は芝居をうった。ただし、これは上手くいった。

 

「はい……自慢になる、お恥ずかしい話なんですが……やっぱりその、特殊な生まれですから、成績はよくなかったんですが、こういうのだけは……はい」

 

 何も悪いことはないというのに、少年提督は頭をぺこぺこと何度も提督に下げてくる。提督はそれが少し嫌で、態と明るい声を出してそれをやめさせた。

 

「凄いじゃないですか。ハンモックナンバーがなんです、あなたは、凄いんです。もう、凄いんです!」

 

 何が、とか、どれが、とかではない。ただ凄いのだと提督は言った。そんな提督に、少年提督は暫し呆然とし、やがて頬を朱に染めて俯いた。同じ男の提督から見ても、なんというか駄目な仕草であった。駄目にする仕草であった。

 

 話題はそれるが、ハンモックナンバーとは簡単に言えば同期生間の先任順位である。良い成績の者ほど良い役職につけるが、旧日本海軍ではこれによってまったく無駄な事もしていた。有名な話が南雲機動艦隊だろう。この南雲忠一海軍中将という人物、ハンモックナンバーにより空母艦隊の司令長官となったが、この軍人、本来は水雷屋である。しかも有能な。つまり、軽巡、重巡乗りなのだ。実際には参謀長官であった草鹿龍之介少将が空母戦を理解していた様で、外部、また部下たちからは草鹿機動艦隊、と揶揄されていたのである。有能な水雷戦屋の軍人を態々不慣れな空母艦隊の司令長官にしてしまうこのハンモックナンバーなる物、どう取るかはそれぞれにお任せしたい。

 ちなみに、この航空戦に理解のない南雲中将と、南雲の陰に隠れて艦隊を動かしている草鹿少将に対して、多聞丸さんは批判的であった、という話も残っている。有名な、「南雲さんはやらんだろうなぁ」等はその証明なのだそうだ。

 

 さて、提督に凄い、凄いと言われた少年提督であるが、彼は顔を上げて提督の目をじっと見た。きらきらと輝く、無垢な瞳だ。それが提督をじっと見るのである。反らしては失礼かと提督もじっと見返すが、彼の背はむずむずと痒みを覚え始めていた。

 

「よかったと、思います」

 

「……はぁ?」

 

 ぽつり、と零す少年提督に提督は間抜けな声で応じた。その姿に少年提督は、ぽや、っとした感じで微笑み何度も頷く。

 

「なんとなく、電話とかで話した感じから大丈夫だと分かっていたんですが、こうやって話をして、やっぱり安心しました」

 

「う、うん? そう?」

 

 何も理解していない提督は、何故か背を正して少年提督の次の行動を待った。何かっても直ぐ逃げられるよう、僅かに浮かした腰はなかなかに失礼な物であったが。

 

「あ、そうだ。僕だけなんて駄目ですよ、今度はそっちの特殊相性教えてくださいよ」

 

「えー……特殊相性とか言ってもなぁ」

 

 この提督にとって相性が言いも悪いもない。敢えて、となれば性能の低さも物ともせず今だ第一線で大活躍する軽空母や駆逐艦や軽巡等と相性がいいと言えるかもしれないが、これは彼の前の世界からの癖だ。燃費が良いし、何より愛していた。艦これ、というゲームで最後に物を言うのは、どんな悪運も羅針盤もミスも覆す、或いは許す愛だ。すべてはそれに始まりそれに終わる。

 データを愛し、整数を愛し、艦娘を愛し、ゲージ破壊ミスで毛根にダメージが来ても愛する。

 それが、提督が提督としてやってきた提督だ。

 だから、彼はそれだけは誤魔化せない。それが生身で会ったのが初めての相手でも、違う世界の違う海の提督であっても、同じ提督であるから。

 

「皆好きだ。そこに相性なんてないよ」

 

 好きで始めたゲームなら、好きのまま終わるべきだ。彼にとってもうこの世界はリセットも出来ないが、愛したモノを守るために今も提督はこうして動き続けている。好きで在り続ける為に。

 

「……」

 

 少年提督は、本当に呆然と提督の相を見つめた後、突如提督の手を取ってぶんぶんと振り始めた。

 

「え、なにこれは、やだ僕貞操の危機なのこれ?」

 

「す、凄いです! 凄いです! 凄いと、僕は思います!」

 

 とある駆逐艦ととある提督の間に生まれた彼は、満面の笑みで提督の手を握って離さない。邪気はなく、稚気に富んだ相と行動であるがそれを許してしまえる何かが、この少年提督にはある。

 少年提督は真っ直ぐに提督に顔を向け、頬を朱に染め声を上げた。

 

「と、友達からお願いします!」

 

「友達まででお願いします」

 

 少しばかり疲れた顔で、提督ははっきりと応えた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。