執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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ちょっとだけいつもと違う感じで。


第31話

 いつも通りの夕時であった。窓からさす夕日の赤い光に照らされた執務室の中で、提督は書類を目で追い判子、またはサインを書いて机の隅に置く。隣では、秘書艦用の小さな机に、ちょこなん、とおさまった初霜が過去の書類を処理していた。

 と、突然初霜の机に置いてある電話が鳴り響いた。初霜は落ち着いて受話器を取り、耳に当てた。

 

「はい、こちら――」

 

 受話器を耳にあてる初霜をちらりと見てから、提督は手元にある書類に目を戻そうとした。が、それを初霜の声によって止められた。

 受話器の片方、声を届ける部分に手を当て、初霜が提督に声をかけたからだ。

 

「提督、お電話です」

 

「……んー」

 

 執務室から立ち上がり、提督は初霜の手から受話器を受け取った。基本的に、彼が電話に出るのは余り無い。演習相手からの編成の話なども、基本的に彼は初霜に任せてきた。ただ、最近は少しばかり提督も――いや、この鎮守府自体が変わった。同僚、仲間、友人。それらの横の繋がりを得る為、提督が外との接点を求めたからだ。これも、その結果の一つだった。

 

「はい、どうもお電話変わりました。こちら――」

 

 受話器越しに提督の耳へと届いた声は、良く演習をする同期の提督であった。お互い、秘書艦も交えず電話越しの会話である。提督は胸中で小さく拳を握った。

 

「えぇ、はい、ありがとうございます。では明日こちらからそちらへ、……あぁ、すいませんそこまでして頂いて。はい、どうも、はい、はい。では、明日。失礼いたします」

 

 受話器を耳に当てたまま、数秒ほど待って指で電話を切る。提督のこのあたりの癖は、社会に出たときに教え込まれた物だ。切る寸前に相手が何か思い出すこともあるので、受話器から耳を放せないのだ。

 提督は受話器を戻し、初霜に顔を向けた。にこにこと微笑む彼女に、提督も笑顔で頷いた。

 

「明日、予定通り出掛けるから準備開始」

 

「はい、皆に発令いたします」

 

 背を正し、提督に敬礼して執務室から初霜が去っていく。初霜の姿が消えた執務室で、提督は肩をすくめて頭をかいた。

 

 ――まぁ、これで本当の第一歩かなぁ。

 

 演習を良く申し込んでくる同期の提督に接触を図ったのは、提督からだ。彼は電話での会話の中で、是非そちらにお邪魔したい、と時機を見て持ちかけたのである。これを、相手も快諾した。相手の提督にも思惑があるのか、それとも、隠し玉艦隊と称される同期の提督に興味があったのか、それは提督には分からない。分からないが、許可が出たのは事実だ。流石に他の鎮守府の提督が来る、となるとトップ同士だけではなく、鎮守府全体の話になるので相手も即決を控えた様だが、こうして目出度く許可を得られたのだ。

 提督は一人、天井を見上げて大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 翌朝、鎮守府の門前に100人以上の艦娘と提督が立っていた。提督は大きな鞄一つを手に立っているだけだが、艦娘達は様々だ。

 

「大丈夫、司令官本当に大丈夫? ハンカチは? ティッシュは?」

 

「提督……何かあったらすぐ電話するんですよ? あと生水は口にしたら駄目ですよ? ね?」

 

「提督、ここ少し曲がっていますよ……直しておきますね」

 

「提督、武運長久を……どうか、ご無事で。貴方に何かあれば、私たちは……」

 

「いいか、相手が舐めた真似してきたら俺に言えよ! 絶対だぞ!」

 

「ふふふ……ふふふふふふ」

 

 上から、提督の右腕を掴んで心配そうに提督を見上げる雷、こちらも心配そうな顔で提督の左手を握って離さない夕雲、提督の襟を正している古鷹、提督を真っ直ぐに見つめて呟く鳳翔、自身の拳を握りこんで気合を入れている天龍、わら人形片手に笑う早霜、である。彼女達以外の艦娘も、それぞれ提督に声をかけている訳だが、特に特徴的だったのは彼女達だ。あとは、ただ静かに佇む大井や、提督の隣に居る大淀を筆舌に尽くしがたい相で睨む山城がいるくらいである。

 

 兎に角、それら艦娘達に提督は一人一人応じ、頭を下げ、笑い、微笑む。そんな彼らの傍、提督の鎮守府の前に一台の車が止まった。なんの特徴も無い白の普通車だ。そこから、一人の男が出てきた。男は提督の前まで進むと、綺麗な敬礼を行った。

 

「お初にお目にかかります。自分はこの度案内を命じられた片桐中尉であります」

 

「あぁ、これはどうも」

 

 軍人然とした相手の敬礼に、提督は下手糞な敬礼で応じた。

 さて、その片桐中尉であるが、そう若い男ではない。体つきはたくましく、白い海軍士官服よりも野戦服の方が似合いそうな男である。

 片桐中尉は車の後部座席のドアを開け、そこで微動だにしなくなった。提督がそこに座るのを待っているのだろう。その様子に、提督は軽く頷いて自身の艦娘達の顔を見回した。

 

「じゃあ、行ってきます。すぐ帰ってくるけど、あとは皆任せたよ」

 

「はい!」

 

 全員が――いや、大淀以外が敬礼で応じ、それを見てから提督は皆に背を向けて車へと足を進めた。それに続くのは、大淀である。この世界の大本営の大淀を取り込んだ彼女は、この世界をよく理解していない提督にとっては必要なナビ役だ。

 

「その、失礼を承知でお伺いしたいのですが」

 

「はい?」

 

 提督の手から荷物を預かりトランクに仕舞おうとしていた片桐中尉がなんとも言えない相で言葉を続ける。

 

「護衛の艦娘は?」

 

 片桐の目は大淀に向けられている。大淀、という艦娘が護衛向きの艦娘ではない事を知っている目だ。それゆえ、もう一人同行者が居るのではないか、と彼は提督に伺ったのである。だが、提督の答えは彼の予想を大きく裏切った。

 

「いませんよ?」

 

「え?」

 

 提督は呆然とした片桐中尉の相を眺めてから、小さく肩をすくめて車の後部座席に乗り込んだ。それに続いて大淀も後部座席、提督の隣に座る。片桐中尉は少しばかり慌ててトランクを閉じ、運転席へと戻っていった。

 

 エンジンが鳴り、排気口から排気ガスが噴出され、車はゆっくりと車道へ出て……そして艦娘達の視界から消えていった。はらはらとずっと眺める者、何かを決意した相でグラウンド、或いは訓練室へ歩み去る者、筆舌に尽くし難い相で親指の爪を噛む山城等と多種多様な反応を見せて、提督の艦娘達は常ならぬ一日を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 車の中で、片桐中尉は少しばかり困惑していた。通常、新人提督という存在はその特異性から天狗になりがちだ。特に若いからだろう。時に目に余るほど彼らは増長する。

 ただ艦娘に命令できるという才能一つで、少佐待遇という恵まれた出発をし、国防の要は自身だと自負するのであるから、鼻はどこまでも高く長く伸びるのは実に自然な事であった。特に事情などなければ、だ。だというのに、今片桐の運転する車の後部座席に座る提督は、実に普通であった。

 

「大淀さん、お土産用意したけど、本当にあんなのでよかったのかねぇ?」

 

「大丈夫ですよ、提督。こう言った物は気持ちも込みですから」

 

「あぁどうしよう、こんな物食えるか、シェフを呼べ、とか言われたらどうする?」

 

「いえ、提督は何を言っているんでしょうか?」

 

 バックミラーで伺う艦娘大淀とその主である提督の会話は、実に普通だ。いや、決して提督の言動は普通ではないが、片桐が見た限り前の主と同じ程度に自然だ。

 

 片桐の今の主と同じ、一ヶ月ほどの提督が、だ。

 この時期の提督はまだ天狗の鼻が折れる前だ。大抵の提督は艦娘に対して高圧的で誰が上であるか分からせようとしている。そんな者ばかりではないとしても、やはり命令するという立場を守ろうとする提督ばかりの筈だ。少なくとも、片桐の20年ほどの軍人生活の中で、今後部座席に居るような新人提督は見た事が無かった。

 おまけに、護衛の艦娘もなしだ。同じ軍属、同じ提督といっても、戦力が揃えられた他所の鎮守府に行こうとする提督が自身の護衛も用意しないというのは、片桐が知る限り聞いたことも無い話である。

 

「あぁでもどうしよう。実は色んな提督達が集まっていて、僕が入ったら、おういいナオンちゃん連れてるじゃねぇか、俺は提督ランクCだぜ。ひよっこのお前に提督のなんたるかを教えてやるからそのナオンちゃん一晩俺に貸せよ、とか言い出した後、提督ギルドの受付提督嬢が提督ギルドのギルドマスターを呼んできて助けてくれるんだよね?」

 

「提督、確りして下さい。いえ、本当に確りして下さい」

 

 大淀は提督の肩を掴み、わりと強めに揺さぶっている。

 その姿がまた、この二人の繋がりを片桐にも垣間見せていた。決して部下と上司だけの付き合いで作られる関係ではない。男女の仲でもなく、もっと深い、長い時間で信頼を積み上げた関係だ。

 片桐には、そう見えた。

 

「あの、すいません」

 

「あ、はい……なんでしょうか?」

 

 突然後ろの提督から声をかけられた片桐は、慌ててバックミラーから眼を離し応じた。提督は申し訳ない、と心底から感じさせる声音で片桐に続けた。

 

「片桐中尉は、今から向かう鎮守府の提督さんの、部下の方で?」

 

「えぇ、そうです」

 

 部下の方、という独特な言い回しに片桐は内心笑った。馬鹿にした笑いではない。その言い回しに、人の良さを背後の提督から感じたからだ。ゆえに、片桐は意識せずに笑顔で返した。

 

「先代からのご縁で、坊ちゃん――あぁいや、失礼しました。提督の手伝いをしております」

 

「坊ちゃん、ですか?」

 

「あ、あははは……まぁ、実はですね」

 

 やはりそこは見逃してくれないか、と諦めて片桐は提督に説明した。

 

 片桐がその鎮守府の提督に仕えているのは、先代からの縁だ。彼の前の上官は、実に優れた提督であり、指揮官であり、男であった。と同時に、とてつもない事をやってのけた男でもあった。

 それが為に、片桐の前の上官は退役し、自身の子供が提督になった時、片桐に声をかけたのである。すこしばかり特殊な事例であるから、と。

 そこまで聞いて、提督は黙り込んだ。ここまで聞いて、その特殊な事例とやらを突いて良いかどうか迷ったのだろう。だから、片桐は今度は声に出して笑った。

 

「あぁ、いえ、失礼しました」

 

 まだ笑った相のまま、片桐はバックミラー越しに提督と、その隣に座る大淀へ頭を下げた。二人はそんな片桐に軽く頭を下げ返すだけで、そこに怒りのかけらも見受けられない。

 

「そちらの大淀なら知っているとは思いますが……どうしましょう。自分が説明した方が?」

 

「はい、どうかお願いいたします」

 

 片桐の言葉に、再び大淀が一礼する。それを見届けてから、片桐は唇を舌で一度湿らせてから続けた。

 

「その自分の元上官殿は、艦娘との間に坊ちゃんを作ってしまいましてね」

 

「うえ?」

 

 その辺りの話を知らなかった提督は奇妙な声をあげ、片桐と大淀へ交互に、何度も目を走らせる。大淀は提督に意味ありげに微笑み、片桐は、おっかないおっかない、と心中で呟いた。

 

「まぁ、前例が一つしかない事だったんで、こりゃあなかなか大変だろうと提と……あぁ、元上官は思いましてね、で、自分の様な古い人間を、坊ちゃんにつけた訳です」

 

「……前例、ですか? それはつまり、その、他にも艦娘と提督の間に子供が……?」

 

 それなりに有名な話であるが、知らない人間は知らない物か、と片桐は提督に応えた。

 

「はい。正規空母赤城と、その提督の間に一人。その子供も、今じゃあ立派な提督になっていますよ。今回の特別海域でも、なんでも最深部まで進んで防空駆逐艦娘と邂逅したとか」

 

「そりゃあ、凄い」

 

 心底、と驚く後ろの提督に、片桐はもう笑顔が引っ込まなくなってきた。だから、そのまま彼は口を動かす。

 

「で、こっちの坊ちゃんの母親は、駆逐艦娘の白雪でしてね」

 

「…………その、それは大丈夫で?」

 

「これがまた、うちの元上官ががっしりした海の男ってやつでしてね」

 

「犯罪臭半端ないじゃないですか」

 

「そう、それなんですよ」

 

 片桐の言葉に、提督は愉快そうに笑い、片桐もそれにつられて笑い出す。

 今でこそ片桐は笑っていられるが、当時は大変であった。見た目から漂う犯罪臭もそうであったが、艦娘が人の子を孕んだのである。それも駆逐艦娘の幼い少女の姿をした存在が。

 大本営は混乱し、その片桐の元上官と同期の提督たちはもっと混乱した。赤城の時も相当混乱したらしいが、この時はそれ以上の物であったのだ。

 

 人権を無視して子を取り上げようと言う者、赤城の時には人権を認めたのだから、今度もそうするべきだと主張する者、駆逐艦娘と子供とかお前俺と代われよと嘆く元帥(当時)と、え、じゃあうちの三日月ちゃんももしかして孕んじゃうの? 等と自ら性癖と行いを暴露した者と、本当に混乱したのだ。

 結局、一通り調べた限りでは普通の子供であると各検証で証明されたので、赤城の時同様穏便に事は済んだのである。

 ただしこの後元帥と一人の提督が降格処分の上大本営から地方に左遷された。ただ提督の方は三日月が、自分達は真剣に愛し合っているのだ、と再三訴えた事から後に階級を戻した上で左遷先から復帰したのである。ただ元元帥、当時大将だけはそのまま据え置き処分であった。

 

 ちなみにこの当時大将、現在は大本営に返り咲き海軍元帥として活躍している有能な人物でもある。

 

「まぁ、色々言いましたけども……」

 

 片桐は目の前の鎮守府、その門前にある小さな二つの人影を確かめてから、車のスピードを緩めて背後の提督へ振り返った。

 

「良ければ、うちの今の上官とも、仲良くしてやって下さい」

 

 紛れも無い、心からの片桐の言葉であった。




鎮守府と提督達の名前だけは意地でも出さないパターン。
あと一話だけ同じ話題で続きます。

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